第10話
マンションの横穴に殺到するゴブリンを横目に見ながら、佐藤さんと吉良さんに話しかける。
「佐藤さんのアパートに行くのなら、モンスターの意識がマンションに向いている今しかないと思う。
あのマンションの人達は、…残念だけど助けられそうにない」
「…そうだね、行こう。
二人を付き合わせてしまってすまない」
佐藤さんはマンションの人達も助けたかったのか、悔しそうにしながらも返事をする。
目的のアパートへ行く為には、数多のゴブリンの視界を横切らねばならず、慎重にタイミングを見計らう。
俺のスキルは敵の索敵範囲も赤く表示してくれるようで、ゴブリンの視線から完全に外れるのを待つ。
ゴブリン達の意識は新しく出来た大穴へと向けられているらしく、段々とゴブリンの視線が横穴に収束していく。
薄っすらとルート上に広がっていた赤色が消え去る。
「今だ」
声のトーンを落として短く伝え、駆け出す。
後に二人が続く。
頼むから、こっちに気付かないでくれ…。
なるべく音を立てないよう気を付けながら走る。
「…よし」
スキルのおかげで無事にゴブリン達のいる所からは死角になる位置まで移動できた。
アパートは全体的に薄い赤色で染まっており、ここにも敵が潜んでいることを示している。
先頭を歩く佐藤さんに物干し竿と包丁で出来た槍を渡し、コンクリートブロックを受け取った。
前衛ならばこちらの方が使いやすいだろう。
先導する佐藤さんは備え付け階段を昇り、やがてとある部屋の前で止まる。
その扉は薄い赤色に染まって見えた。
「ここが僕と家族が住む部屋だよ」
「…危険な感じがします。
心して入ろう」
佐藤さんが音を立てないよう、ゆっくりとドアノブを回す。
鍵はかかっていなかった。
日が傾き始め、薄暗くなってきた部屋の中。
リビングの中央で女性がうつ伏せに倒れているのが見えた。
その背中には、大きな裂傷が幾重にも走っていた。
「…ッ!」
佐藤さんは名前を呼びそうなるをぐっと飲み込み、忍び足で近づいていく。
倒れる女性の傍らに、刃物を持ったゴブリンが背をこちらに向けて立っていたからだ。
仲間がアパートや辺り一帯を制圧している慢心からか、周囲に注意を払っている気配は無く、ただ倒れる女性を楽しげに見ているだけだ。
油断しているのなら、好機。
佐藤さんはゆっくりと忍び寄ろうとするが、床がみしりと音を立ててしまった。
仲間だと思ったのか、背を向けていたゴブリンが無警戒に振り向く。
佐藤さんは既に駆け出していた。
「『アドレナル』」
戦士職になった時に得た魔法を使用したようだ。
俺もコンクリートブロックを抱えて佐藤さんに追随する。
ゴブリンは慌てて武器を構え直そうとするも、遅い。
佐藤さんの渾身の槍がゴブリンの喉元に突き刺さった。
魔法の影響か、佐藤さんの腕の筋肉はやや膨張し、薄皮の下にはくっきりと青筋が浮かんでいる。
佐藤さんは槍を持つ腕に力を込めて、捻るような動作をする。
ゴブリンの喉の傷は更に広がり、血と空気が漏れ出している。
俺はドドメとばかりにゴブリンの頭蓋にコンクリートブロックを叩きつけた。
断末魔をあげることすら叶わず、ゴブリンは動かなくなった。
危険性を示す赤色は部屋の中から消滅した。
伏兵は居ないようだ。
同時に、体の中で力が湧き上がる感じがした。
レベルが上がったのかもしれない。
「敵はもう居ないようだ」
その言葉を聞くや否や、佐藤さんは倒れる女性へと駆け寄った。
「香織!」
恐らく佐藤さんの妻と思われるその女性は、既に冷たくなっていた。
何かを守るように、うつ伏せの状態で。
その女性の下には、子供がいた。
怪我は無く、無事のようだ。
「梨花…。
香織は、梨花を守ったのか…」
佐藤さんは涙を零しながら槍を床に置き、お子さんを優しく抱き上げた。
香織さんが命を懸けて守った命だ。
──しかし、その光景を嘲笑うかのごとく、視界の端がじわりと赤く染まった。
危険を報せる、濃い赤色だった。