87年 春
・・・
「まぁ、なんだ・・・私は満足したから大丈夫だ・・・でだ」
葵さんは「コホッ」と一咳ついて、
「2人で図録を買ってもお金も厳しい、だろ?」どこかためらいがちに、でも強い口調でせまって来る。
「半分出して頂いただけでも、自分としては有難いです」
「いや、お金は厳しい!そして、お腹は空いている。そうさっき聞いた」
「は、はい?」靖男はただすっとんきょうに返事をした。何の繋がりなのだろう。
「だから、そこのベンチでお昼を食べよう!・・・うん・・・私がお弁当を作って来た。お昼になるとは思っていたが、こんな時間になるとは思わなかったが。で、私の・・・手作りだ、ちなみに・・・」
葵さんの言葉は、最初の「お昼を食べよう!」の後は殆ど聞き取れなかったが、トートバッグから取り出されて靖男の前に差し出された、その言葉から推察される2つの、恐らくランチBOXが入っているであろうハンカチで包まれているものが、その言葉を自ずと類推させていた。
靖男は言葉も出ず、ただ、その1つを受け取る事しか出来なかった。葵さんの手は触れなかったが、かたかた小さく音を立てていたランチBOXの包みと、その戸惑っているのか、自分の反応を窺っているのか微妙な表情が、葵さんの全てを物語っている気がした。
のんびりまったり、ランチの時間を過ぎた頃。平安神宮の前を流れる疎水の支流の、鯉が群れて泳いでいる川沿いの石造りのベンチで、ちょこんと二人座って、ランチBOXを開ける。柳の枝葉は、風に吹かれてそよそよそよいでいる。
普段の靖男にとっては「弁当箱」ではなく、こぢんまりとした、まさしく「ランチBOX」。定番の卵焼きや、ミニハンバーグ、ブロッコリーなんかが綺麗に並んでいる。
普段のご飯たっぷりで梅干しドン!とは大きな違いだ。
「・・・どうだ?」こういったシーンの定番みたいに葵さんは聞いてきた。
「定番ですが卵焼きは美味しいですね。あ、定番の卵焼きを美味しくするのは難しいのか」
「それが分かっておるならいい」
「後、このミニハンバーグ、レトルトじゃないですよね?」
「当たり前だ。昨日、夕飯をハンバーグにしたのでな。残りをミニハンバーグにしておいた」
「葵さん、料理するんですか?」
「馬鹿にするな。母も働いているのでな、中学生の頃から教わって、たまに夕食を任されるようになった。そうそう、毎朝のお味噌汁も私が作っているんだぞ」
「へぇ~」
「けっこう、家族には好評だ」葵さんはまんざらでもなさそうだ。
「葵さんのお味噌汁か・・・食べてみたいですね」少しだけ冗談めかして、靖男は言ってみた。分かって貰えるだろうか?
「そうか。お味噌汁をポットに入れて持って来ればよかったな」
「ええと・・・そういう意味でもあるのですが・・・もう少し、考えて貰えたら・・・」
「へっ?・・・『お味噌汁が食べたい』・・・」葵さんは暫し考えて、
「バ、バカかお前は!」真っ赤になって怒って来た。
「そう、その表情が見たかったんですよ」靖男は笑い転げた。卵焼きは箸から離さなかったが。
「そっ、そういう冗談は好きではないっ!」葵さんは膨れてそっぽを向いた。
その時、舞った髪がお弁当に触れかかった。とっさに靖男は、葵さんの髪を押さえた。
「髪が長いと、こういう時は邪魔じゃないですか?」
「確かに邪魔な時はあるが、普段は問題ない。もう慣れているからな。お前が変な事を言うからだ」葵さんはまだ怒っている。
「でも、家庭科の授業の時なんか、髪を纏めなさい、とか言われません?」
「まぁ、その時には纏めているのだが・・・」
「どうかしました?」
「いや・・・同級生も許せないのだが、下級生までにも「可愛らしい」と言われて・・・」
「俺も、想像ですが、可愛らしいと思いますよ」
「それが嫌なのだ。・・・ちっちゃい事は自分でも分かっている。でも、下級生にまで「可愛らしい」と言われるのは・・・「綺麗」って言って貰いたいってのは、うぬぼれなのは承知しているが、その・・・小さい頃は、可愛らしいも嬉しかったが、高3にもなってもまだ「可愛らしい」と言われるのは・・・もう少し、背が高ければ納得出来るのかもしれないが、どうも納得出来なくて・・・」
「その長い髪は、そんなコンプレックスから来ているんですか?でも、そんなところも可愛くて、素敵です」少し照れながら、靖男は言った。
「・・・お前にも、「可愛らしい」とは言われたくない」また葵さんは膨れてしまった。
「いえ、素敵なお姉さまです」靖男は演劇部員らしく、舞台がかった口調で、きりっと言い直した。
「また、そんな冗談言って。お前は、私を馬鹿にしている。そんななら、お弁当代を貰うぞ!」
「ごめん、ごめん。でも、可愛らしい、ってのも素敵な魅力だと思います。そんじょそこらの女の子も、そうそう持っている魅力じゃないです」
「・・・褒められた言い方なら嬉しい、かも知れないが・・・」
「褒めている、と言うより、尊敬まであります、その可愛らしさには。想像ですけど」
「・・・本当か?」
「はい。ですんで、よかったら一度、ポニーテールにしてみてもらえませんか?」
「ポニーテールは一番嫌だ!幼く見える!頭の上で結わえ上げた方がまだいい」
「え~、素敵だと思うんだけどなぁ」
「・・・可愛い、じゃなく、素敵・・・なのか?」目線を上げて、靖男をうかがうように葵さんが聞いてくる。
「そう、素敵、です」靖男は期待を込めて答える。
「・・・」葵さんは、少し考えている様子で、
「シュシュが無いからな・・・手で真似するだけだが・・・」
そう言うと、葵さんはランチBOXをベンチに置き、そっと耳の後ろから親指を髪の端に入れてまとめ、両手を握って髪を束ね、持ち上げた。
川面がキラキラと反射する陽の光が、葵さんのうなじの産毛を、そっと輝かせた。
その産毛は、川面を泳ぐ鯉のうろこの様に、さらりと光って流れていた。
「・・・もういいだろう。恥ずかしいんだ」
見とれていた靖男に、照れ臭そうに葵さんが言う。
「・・・あっ、ごめん」
「もう、今日は特別だからな」と言いながら葵さんは手を髪から離した。淡い産毛は黒髪の下に消えていった。
「・・・素敵でした・・・そして・・・」
鯉が言葉を遮る様に、飛び跳ね、ピチャンと水面で音を立てた。
「可愛かったです」
・・・
葵は言葉が見つからなかった。「可愛い」という言葉に怒りたかったけど、どう怒っていいのか分からなかった。嬉しかったのかもしれない、とも思う。恥ずかしかったのかも、とも思う。ただ、悪い気はしなかった。
そして、ただただ気持ちがぐるぐる巡っていた。城くんを見る事が出来ず、川を泳ぐ鯉の群れに視線を向かわすので精一杯だった。
「可愛かったです」の言葉に、頬が火照っているのが分かる。城くんも分かっているのだろうか。
川の鯉はゆったりと泳いでいる。川面は少し逆巻き、そして陽の光で、オルゴールの玄が弾かれる度に一瞬震える様に、輝いている。
城くんも黙っていた。葵は、その様子を見る事が出来なかった。
どうして黙っているんだろう、私が怒るのをまっているのかな?「可愛い」と言った事を後悔しているのかな?等と考えてはみるものの、尋ねる事は出来なかった。
葵はただ、気持ちもそぞろで、川の鯉の様子を見ている事しか出来なかった。
「・・・葵さん・・・」その小さな声で、葵は城くんの方を見た。
城くんは、風に揺蕩う柳の葉を見ている様だった。独り言の様に聞こえて来た。
「・・・俺達、いや、僕達は・・・付き合っているんですかね・・・」
葵は川に向かって心の中で叫んでいた。
『鯉!今だろうが!跳ねて音を立てるのは!』
城くんも独り言を呟いたまま、ぼおっと柳の葉が風に流れるのをみているだけで、ため息をついただけの様にぼんやりとこちら側の手で頬杖をついたまんまだ。もしかしたら、照れて赤くなっている頬を隠しているのかもしれない。
ズルい。私も分からない問いを放り投げっぱなしにして。それは男の責任だろう?それとも、私が年上だから?
「聞き流してくれました?」ゆっくりと私の方を、ようやく見て、城くんは言った。
ぎこちない笑顔だった。
「いいんです、答えは。自分、今の関係がちょうどいいと思っていますし、何か定義したいとも思っていません。ただ・・・」
「ただ?」
「口にしたかった言葉が、つい出てしまった。それだけです」
葵の頭の中で言葉が駆け巡った。どれが正しいのか、何が正しいのか、さっぱり分からなかった。
「い、一年待ってくれ」
「は?」城くんの素っ頓狂な声。そうだろう。我ながら素っ頓狂な言葉が口から飛び出したものだ。
「あ、いや、あの・・・つ、つまり、私には・・・こういった耐性がないのだ。だから分からないのだ。だ、だから・・・少なくとも一年は、そういう話はなしで、今のままでいたい。そうしたら、きっとその答えを出せると思う・・・いや、出す!」
「そこまで力まなくていいですよ。自分も言いたい事言っただけですから」と、城くんは照れ臭そうだった。
「さぁ、帰りましょうか」
城くんは立ち上がった。
「え?」
「葵さんは学校を途中でサボって来てくれたんでしょう?帰らないと怒られますよ」
「どうして分かる?」
「だって、葵さんの事だから仮病を使ったりしないでしょうし、鞄持っていないですしね」
「お前は?」
「完全、仮病。サボりです」
「・・・全く・・・」ため息が出る。
「お前はどうするんだ?」
「お送りしてもいいんですが、それはそれで問題でしょう。動物園でも行ってきます。あ、図書館で時間つぶす方が安上がりか」
「まぁ、あまり目立たぬようにしろ。あと・・・」
「?」
「・・・今日は、楽しかった」
そうして北山に積もった雪の下から杉の緑が見えだし、梅が咲き、桜の蕾が綻ぶ頃、当然の事として葵は高校を卒業し、短大に進学し、靖男は毎度の事ながら赤点の補修を受けて辛うじて高2に進学した。
靖男が驚いたのは、葵が、その美しく長いストレートヘアをバッサリと切って、肩程のソバージュにした事だ。
恐らく唖然としていただろう靖男の表情を見て、微笑みながら、
「女の子って、変わる時には変わるものなのよ。言ってみれば『めぞん一刻』の八神さんとか、『櫻の園』の志水さんみたいなものかなぁ」
クスリと笑った葵の小さく波だった髪に、舞い散った一枚の桜の花びらが絡まった。
「あの・・・それ、どっちも相手か自分か死亡フラグなんですけど・・・」
「そうだったかしら?じゃあ、城くんは死なないようにね♡」
可愛くなった。一層可愛らしくなった。
高校生の頃の長く艶やかな髪は、精一杯凛々しくいよう、という感じだったが、その肩の力を髪と共に落とし、等身大の女の子でいいや、とでも言いたげな軽やかな雰囲気を身に纏っていた。そのメゾフォルテな印象は、桜舞うヴィヴァルディの「春」の冒頭のメロディの様で、時を同じくして萌えいずる若葉の如く瑞々しかった。
そして、制服の時にしか出会わなかったから分からなかったのかもしれないが、ファッションも、華美という程ではないが、清楚よりは上で、それが軽やかになったソバージュと相まって、元々高校生とも思えなかった葵を、時には少女に、そして時には女性として見せる様になっていた。
ちょっと待て。
靖男は思っていた。
いや、ロングの時も可愛かった。確かに可愛かった。でも、あの和式なロングな髪が、キリっとした雰囲気を漂わせて男を寄せ付けなかった部分があったに違いない。現に自分も最初はそうだった。でも、あんなにばっさり切って、無防備になって、しかもソバージュだ。あの細やかな髪のウェーブは男を絡めとる網にしか見えない。そして、あんなに笑顔だったか?あれは高校3年生という、年長者だから演じていただけで、本当はあんなに愛らしい笑顔が内にあったのか?自分に対しても年上、と言う事で配慮していたのが、大学生になったって事で解放されたのか?大学生だ。女子大生だ。春だ。気持ちも軽くなってうきうきする事だろう。そして、あの服装。もっと普通の、いや、清楚な印象になるだろうと思っていたのに、そりゃ派手な訳ではないが、似合っていない訳ではない。元々のロングな髪でもお似合いだったかもしれないが、肩にかかる程度のソバージュにあの服装は犯罪だ。似合い過ぎる。可愛い娘が「わたし、かわいいです!」って公言しているようなもんだ。いわゆる女子大デビュー?いや、元から素地があった娘がそれをちらりと一端を覘かせただけで、でもそれは世の中の男にしてみれば、今まで知らなかった一面を垣間見せて貰えたってもんで、それに飛びつかない輩はいない訳はない訳であって、それに女子大生ともなれば、合コン?コンパ?といったお仕事?があったりする訳だし、バイトなんかででも社会との接点が多くなったりするわけで、そうなると衆目を集めるのは必然であって、いい男なんてこれほどか!って世間にはいたりして、だから膝上のスカートは以ての外だとはいえ、フレアスカートも男にしてみれば可憐に見えたりするし、高校生の頃は透明だったリップクリームが少しピンクになっているのか、それともルージュを引いているのか。そりゃ、最低限の身だしなみだと納得は出来る、と言うかしたいのだが。確かに、確かに可愛い娘と知り合い(?)なのは嬉しいっちゃ嬉しいし、自慢したいのだが、そこまでの関係かと問われれば微妙な関係でもあるし。あぁ、美しいと思っていた高校時代の彼女がいいのか、可愛らしい彼女がいいのか。髪に関して言えば、人の場合、長いのを短くするのは簡単だが、短くなったのを長くするのは時間がかかるけど、出来ない事はないし、大学生になったので気分一新しただけで、また凛々しい長いストレートヘアにするかもしれないのはやぶさかではない事ではあるし・・・
「おーい!聞いているか~」葵の声に、靖男は我に返った。
少し早い五月晴れの日曜日の、何故だかやっぱり御所のいつものベンチ。ただ、葵は肩までのソバージュになっていて、放課後ではないお昼に座っていた。
「あ・た・ま、どこ行ってたの?」
「い・・・いやぁ・・・」とてもじゃないが、ソバージュが、とか服装が、とは言えない。
「だから、なに期末試験ないがしろにして、あんな小説書いてたの?」
「いや、編集長から依頼があったんで。折角貰った機会を断ったら、次の機会がいつあるか分からないし」
靖男は春に出版された「HONT MILK」の増刊号に小説を掲載させてもらった。その出版のタイミングから、丁度、期末試験の真っ最中が締め切りと重なっていたのだ。
「でも、お陰で春休みは補習ばっかりで、会う機会がなかったじゃない」
松の緑も芝生も春だからだろうか青々としている。この時期、そして休日だから観光客も結構多い。御所の瓦も白壁も、茶色い柱も活き活きとしているように思える。
いつもより砂利のサクサクする音がそこいらから聞こえてくる。
「話がアレだけに、苦労したんですよ。期末試験の勉強が出来ないくらい」
「そう!あれはちょっとヒドイと思うな」
高校を卒業した頃からだろうか、葵の靖男に対する言葉が、仰々しい物言いではなく、少しフランクになっていた。
「でもね、いろいろ考えているんですよ」
話のあらすじはこうだ。
ありきたり、と言えばそうとも言える。
ある小企業の社長の女子高校生の女の子の家が、金の融通が利かなくなって金貸業に救いを求めるが倒産する。その際、会社だけでなく、一家の身分も担保となっていた。
父親がどうなったかは分からない。金にはならないだろうし。母親は泡にでも沈められたのだろう。後は、2人姉妹。妹は中学生になりたてだ。
そこで(エロ小説としては都合のいい事に(苦藁)金貸業者の息子が、2人姉妹の姉の女子高生とクラスメイトだったりする。で、その借金の担保を元に、彼女に様々な要求をする。
「いやだったらいいんだよ~。幼い妹が代わりになるからねぇ~」と揺さぶりながら。
彼女は様々な事に耐えながら、必死で妹を守ろうと頑張る。
ただ、苦悶の末、最後に見せられたのは、マジックミラーの向こうで犯されている妹だった。
そこで彼女の精神は崩壊する。題名は『正しい人形の作り方』だ。
「あんまり女の子を苛めるもんじゃないと思う。確かに前の原作も強・・・いえ、無理矢理だったかもしれないけど・・・きっと小説だったら、なかなか「らしい」事を書くのは難しいと思うんだけど・・・読むのは辛いよ・・・」
「う~ん、そこいら辺は難しいですね、正直。ただ、読後の嫌悪感を抱かせたかったってのはあるので、それは出来た、って事ですね」
「あまり褒めたくはないですけど」
「ただ、一つだけ枷をはめていたんです。分かって頂けました?あ、考えてみれば二つか。いや、三つ?」
「?」
「最後の一つは良くある事かな。『嫌よ嫌よも好きの内』、つまり、結局「でも、気持ちいい」にしない事。次の一つが、同じ事かも知れないけれども、妹を餌と言うか、おとりに使うけれども、ヒロインの本性から「それをしたい」と思わせないけど、せざるを得ない状況に貶めて、そう言わせる事。そして、一番肝心なのが、主人公は一切、実際に手を触れていない事、です」
「・・・ちょっと待ってね、思い出してみる・・・ただね」
「はい?」
「あんまり、女の子にする話じゃない・・・と思う」
「葵さんから振って来たんじゃないですか!」
「そ、そうだけど、少し、気遣いは欲しいな」周囲を気遣いながら、小声で葵は言う。どうやらこちらの声も、それほど大きく無く、誰も気にしていないようだ。
「・・・ごめん」
「・・・う~ん・・・でも、よくある、ダメだけど、結局・・・というのは確かに安直だと思う。それはそれだけで興ざめなんじゃないかな・・・わ、分からないよ!実際どうかは!あくまでお話として!」
葵のわたわたする姿に、笑いを堪えながら靖男は次を促す。
「次って、残酷だな。城くんの頭の中に、そんな部分があるのは聞きたくないし、読みたくなかった。でも・・・ありきたりのお話にしたくないから、あんな残酷な設定を、あえて作り出したんだ」
「・・・嫌になって、酒をガンガン飲みながら書いていました。二日酔いで、勉強もせずに期末試験に向かう高校一年生って、笑えますよね」
「寝てた?」
「まさか!あんな話、真昼間に書けません。深夜にオールナイトニッポンを聴きながら、酒飲んで書いていました。そこまで自分は悪人じゃないですから」
「安心した、と言っていいのかしら。それとも「何してるの?」と言ったらいいのかしらね。ホント、変な所には意固地になるんだから」
「あの話は、初めて貰った小説の話だから、だからこそ何とか爪痕を残したいと頑張ったんです。・・・結果、無茶苦茶後味悪い話になっているのは重々承知しています」一息付いて、靖男は言葉を続けた。
「最後の、最初の一点、「主人公が直接手を触れない」。これには一番こだわりました。エロ小説なら、読者は主人公になってヒロインと接したいと思うと思うんです。でも、主人公は人形師として操る側の人間としているだけで、決してヒロインとは交わらない、交わらせさない。そうした一線を引いて、どこまで小説を、それもエロ小説として成立させながら描けるか、そんな思いで書いてみました」
言うだけ言ったとでも言うように、空を見上げて暫くして、大きく息を吐くと、肩からガクッと頭を地面に向けて、
「どーでもいい事なんです、こんなへっぽこ書き手の戯言。読者がどう読むか、だけなんです。作者が後書きや書評を書いたって意味なんてないんです。それは他者に委ねる事で、作者は作品として読者と対峙するだけなんですよねぇ~。あぁ~!」
頭を抱え、
「三島由紀夫なんかさぁ、同い年位で有名な小説書いているんっすよ。それがこんなエロ小説で悩むってのも、ちっぽけな話だわ~」
葵は少しの間、そんな靖男の様子を見て、鞄の中から水筒を取り出し、蓋を開けてカップに注いだ。靖男の鼻に甘い匂いが漂って来た。
「はい」
手渡される。ハチミツ紅茶だ。
「あんまり考えるとね、頭から栄養がなくなるんだよ。頭の一番の栄養は、糖分なんだって。だから、ね」
手渡されたカップからは、ハチミツとレモンの交わった甘い香りがした。魔法瓶なのだろう、温かい。一口啜ると、口一杯にハチミツにじっくり漬け込まれたレモンの味が広がった。熱くもない、ぬるくもない、丁度いい温度だ。一気に飲み干し、もう一杯をお願いした。
それを飲んでいる時、
「あのね」葵が口を開いた。
「城くんは、きっと上ばかり見ていると思う。欲張りなんだ。あのね、世の中には色んな雑誌に投稿して、有名になろうとしている人って、いっぱいいるんだよ。それがどんな雑誌でも、そこの編集者の目にとまって「小説書いてみないか?」なんて言われる人って、考えてみて?どれくらいの確率だと思う?それも、あんな風にとんがった『HONT MILK』だよ?もしかしたら、昔の作家さん達が書いていた、今のじゃなくって、小説の同人誌よりも凄いのかもしれないよ。もしかしたら、『HONT MILK』からジャンプやマガジンやサンデーよりも凄い漫画家さんが出て来るかもしれないし、そう考えたら、城くんも新しいジャンルで開拓者になるかもしれないんだよ」
「・・・なりたいし、そうしたいと思って、単なるエロ小説のジャンルを超えたいと思っているんだ。葵さんにこういう言い方をしたら失礼だけど・・・男って、その・・・アレを出したらさ・・・どーでもよくなるんだよね。特に、その対象となる「エロ」に対してはさ。でも自分は、そういう気分になっても「もう一度読みたい」と思わせて、読んで感動させられるエロ小説を書きたいんだ。・・・やっぱり、欲張りなのかな?」
「・・・そこは、欲張っていい、と思う」そう言うと、葵はそっと靖男の頭に手を触れた。
「アレを出す・・・とかは、言って欲しくはないのだが・・・」