砂の城 4
「お嬢!!」
そう叫びながら宿の一室に飛び込んだ私たちが目にしたのは、主人の変わり果てた姿だった。
穢れの一切なかった白い陶磁器のような白い肌は、何か所も擦り傷をつけて、黒く汚れていた。
柔らかく、優しく包み込んだ両手には剣によるタコが見える。
そして何より、あれほど美しかった金糸の長髪からは色が抜け、銀色に染まってしまっている。
「おじょっ……」
私が彼女のもとに駆け寄るよりも先に、そばにいたダークエルフがそれを制止する。
「どけよ!!」
「落ち着け! 魔力切れで眠っているだけだ! 大したことじゃない! 無理に起こすな!」
「大したことじゃないって……」
冒険者には普通のことかもしれないけどさ……
でもお嬢は…………
守るって……約束したのに……
夜も真っ盛り(?)な夜九時、クラウス伯爵邸では、貴族や芸術、芸能関係者を集めた夜会が執り行われていた。
そんな最中、会場警備を担当していた冒険者パーティーの一人、レティシアより伯爵に報告が上がった。
それを聞くと、伯爵はすぐさま各部屋にいた夜会の客人を大広間に集めるようにメイドやバトラーたちに通達、出席者たちが大広間に集められた。
「はて、これは一体何の催しかのぉ? せかせか歩くというのは老骨には堪えるわい。 優雅さを欠いた態度は貴族やその家の者らしからぬぞ? 伯爵よ」
「申し訳ないドロル侯爵よ。 わが家の者がずいぶんと急かしてしまったようで、しかし状況が状況ですので」
「ほう……なかなかに火急のことと見える、いったい何事かの?」
「それにつきましてはこちらの方から」
クラウス伯爵より促され数歩前に出た少女はスカートの両端を自らの手でつまむと軽く持ち上げ、次いで腰と膝を折り、その顔を少し伏せた。
いわゆるカーテシーと呼ばれるお辞儀であり、この世界、並びにこの世界でもそれは変わらなかった。
野蛮で礼儀などとは対極にいると(特に貴族連中に)思われている冒険者にあってその所作は会場の空気を一変させた。
ただ一人を除いて。
「ほほう……冒険者にしてはなかなか……して、会場を警備する者でありながらわれらを呼び集めるくらいじゃ、それ相応に面白い話であるのじゃろうな?」
「……………………ご存知の方も多いでしょうが、今宵の夜会ではずいぶんとなくしものが多いようです」
レティシアが会場の人間を見渡せば首を縦に振るもの、「え?ほかにもいるの?」的な表情を浮かべる者、なんだかばつが悪そうな者……とりあえずレティシアの言ったことが正しいと認めたようなものだ。
「周りの方の反応を見ればこれがなかなかにおかしい状況であろうということはご理解いただけると思います。 そして、その答えも」
「なるほどのぅ…… はてさて、貴族の夜会でコソ泥を働く不届き者は一体どこから入ってきたのじゃろうなぁ? 屋敷の警備をすり抜けたのか……正面から堂々と入ってきたことに誰も気づかなんだか……」
正面から~気づかなんだか……のあたりで、クラウス伯爵の家令やメイドが一斉にピリつく。
なぜなら、会場の受付を行ったのはこの屋敷の人間だからである。
レティシアたちに課されているのは会場警備であって、夜会の運営にはノータッチである。
それを踏まえると、招待客や屋敷の人間として忍びこんできた場合はそれを見抜けなかったということでその家の責任、コソ泥が外から屋敷に忍び込んだ場合は警備したものの責任(状況によってはやはり家の責任という場合もあり)ということになる。
「(ごにょごにょごにょ)」
「さて、今私が持っていますのはこの夜会の出席者のリストです。 これによると夜会の出席者は全部で40名となっています」
「(ごにょごにょごにょ)」
「いうまでもなく貴族の方々に関しては確認するまでもありません。 さすがにご自分が誰を連れてきたかはわかりますよね」
もちろん命令して配下にやらせるという可能性も無くはないがそんなことをする動機もあるまい。
というか貴族の関係者を疑って何もないとなればどんなしっぺ返しが来ることやら。
「(ごにょごにょごにょ)」
「しかし、そうではない方は…… ああ!めんどくさい! お前が一番わかってるんだから自分で説明しろ!」
そう言ってレティシアは後ろに控えていた咲良を一番前に出す。
ずっとレティシアの後ろで何やらささやいていたのは咲良である。
貴族もいるところでいろいろ偉そうなことを言うのは、なんだか憚られる気がしたので、リーダーであるレティシアにその辺を丸投げしたのだ。
しかし、その実レティシアはその場で桜から耳打ちされたことをさも自分が言ってるかのように話しているだけなので、すさまじく効率が悪い。
で、結局、咲良が話を続けることとなった。
「私は訳あって屋敷中を歩き回ることになり、その過程でいろいろな人と出会いました。 先ほどのレティシアさんの言い方に即するなら貴族関係ではない人たちです。 リストによると全員合わせて11名だとか」
そう言うと咲良は参加者たちの周りを歩き回った。
「楽団の指揮者と、そのオーケストラメンバーの方、お隣にいる方も関係者ですよね?」
「ええ……アルト奏者のエドガーよ、私のフィアンセなの」
「そうでしたか、それはそれは」
クラヴィーア二ストの女性ともう一人の男性は婚約していたようだ。
余裕かましているが、そのアルト奏者のことを勝手にマネージャーか何かかな?と思っていたのは内緒である。
ちなみにアルトとはこちらでいうところのヴィオラに当たるような弦楽器である。
「次に劇団の演出家さんに女優三名、もう一人は裏方の人でしたね」
「そうだ」
「アイリーンさんは歌手でしたね。 お隣にいらっしゃるのはマネージャーさん」
「そ、そうよ……」
そう答えたアイリーンの態度はどうもせわしなかった。
咲良が話を大きくしたことで、彼女が内緒にしたがっていることが表に出てきてしまうかもしれないことを危惧しているようだ。
「最後がシャー・ガルさん。 画家さんでしたね」
「ああ、そうだとも。 それで、こんなことをいまさらになって確認して回るというのはどういうことなのかね?」
シャー・ガルがそう聞くと、咲良は待ってましたとばかりに顔を綻ばせる。
「ちょうどいいのでお聞きします。 今私がお話した中に貴方が交流なり会話をしたのに取り上げられなかった方がいらっしゃいますね?」
「ああ……だがそれは私が君に話しかけたせいで途中になってしまっただけだろう?」
「いいえ。 シャー・ガルさん、最後のあなたで11人です」
「なに? そんなはずは……」
驚くシャー・ガルはそのままに一人の男に視線を向ける。
それに追随して、ほかの人の視線も同じ人物に向く。
「ウィルソンさん、ご自分のことを画商だとおっしゃっていましたが……貴方がこの一件の……犯人ですね?」
咲良の断言に近い発言に会場がどよめく。
いくらなんでもこう断言して犯人扱いするというのは、言うまでもなく失礼どころの話ではない。
ウィルソンは顔を真っ赤にさせて叫ぶ。
「何を根拠に!?」
「ほかの人に関してはその身元が保証されているんです。 お互いに見知った人間ですから」
「ならば奴は!? 奴の身元はどうなのだ!? 奴も一人で夜会に来ていたはずだ!」
ウィルソンの言う奴、とはシャー・ガルのことである。
「私が保証する。 彼とは顔を突き合わせたことがあるから間違いない」
歩み出たのはクラウス伯爵である。
「それで? 貴方の身元を保証してくださる方は?」
出てこない。
当たり前だ、演劇界や音楽界に画商と交流を持つ機会があるとは思えない。
ところが、だ。
歌手のアイリーンが一歩歩み出た。
その顔には戸惑いが窺い知れる。
「あの……… その方本当に画商の方なんですか? 私には劇場のオーナーと仰っていましたが……」
「いや、商会の副会長だと……」
そう言ったのは、ロリス伯爵だった。
「ラングレ伯爵の従者の方ではなかったのですの!?」
と、女優三人娘の一人。
「我が屋敷にこんな者はいない」
と、ラングレ伯爵の反論。
現場はさらに混乱した。
「そもそもお一人でこの夜会にいらっしゃってるのは貴方とシャー・ガル氏の二人だけなんですよ。 しかし、招待状によるとお一人でのお客様は一組、つまりどちらかが曲者です。 泥棒がわざわざ事件を大きくさせることを言うはずないですよね?」
「くっ………」
「実を言うと私、貴方にはずっと違和感がありました。 絵を一作と数えるところとか。 ふつうは一枚とか一点って数えますよね?」
「それだけで?」
「ビリヤードの時にも貴方は伯爵とばかりお話しされてました。 すぐ隣に気鋭の画家がいるのに、です。 普通は画家の方にもアプローチかけますよね? だってこれからどんどん絵の価値が上がって行くかも知れないんです。 今のうちに関係は持っておきたいでしょう? 画家とはわかったようですが、どういう人物かまでは知らなかったんですね。 相手によって身分を変えていたからその職に関する知識はそんなに深くないんでしょうね」
もはやこの目の前の男が、怪しいのは確定的に明らかであった。
そんな彼のもとにレティシアが歩み寄る。
「その礼服のポケット……改めさせてもらってよろしいですね?」
ウィルソンは、もはやこれまで、と観念した……
「!! あっ! 待て!!」
ように見せかけて、出口に向かって走り出した。
その逃げ足たるや、初老の老人のそれとは思えなかった。
そしてそのまま、会場の外へと飛び出していった。
しかし、
「シャル! サリア! ジェイ!」
そんなレティシアの号令で、上から三人の人影が下りてくる。
「おとなしくしてもらうよ!」
シャルが真正面に立ちはだかり、脇の退路もサリアと≪英霊の灯火≫のジェイが塞ぐ。
それでもウィルソンはあきらめない。
三人の中から一番体格で劣るシャルが塞ぐ正面からの突破を図る……が
ズドン!
シャルは重心を下げて刀を抜き、すぐさま裏手に持ち替え、ウィルソンの鳩尾を柄で思いっきり殴った。
「がはっ……!」
急所に一撃を喰らったウィルソンはそのままその場に倒れこみ、シャルたちによって捕縛されたのだった。
そのあと気を失っているウィルソンの懐を探れば、出るわ出るわ盗品の数々。
これらはすべて持ち主のもとへと返却、ウィルソンは伯爵家で捕らわれ、憲兵に引き渡されることになった。
ウィルソンが、意識を飛ばしたまま屋敷の人間によって運ばれていく中、まだざわついているパーティー会場にクラウス伯爵の声が響く。
「皆さま、大変お騒がせいたしました。 夜会に暗い影を落としていた泥棒は無事確保されました。 もう心配はございません。 どうぞ夜会を引き続きお楽しみください」
伯爵がそう言うと、出席者たちはぞろぞろと会場へと戻っていった。
ただ一人を除いて。
「マエストリ伯爵? いったいどうされましたかな?」
「…………………」
クラウスが話しかけてもどこ吹く風、レティシアたちのほうをじっと見つめている。
その視線に気付いたのか、レティシアたちもまたマエストリ伯爵のほうを見る。
それとほぼ同時に、マエストリ伯爵は彼女たちのほうへふらふらと歩きだした。
そしてレティシアの前を過ぎ、咲良には一瞥もくれず……………
シャルの前へと立った。
「シャーロット!」
「はい?」
シャルの口からなんとも間抜けな声が漏れる。
しかし、そんな彼女の様子など気にもならないのか伯爵はその両肩をがっちり掴んだ。
「ああ、シャーロット。 君は間違いなく…… ステファニーの…… 彼女には悪いことを……」
そのまま碌に説明もしないまま伯爵はその場で嗚咽を漏らしながら泣き出してしまった。
一方のシャル、彼女もまた先ほどまでの彼のように驚いて固まってしまっている。
しかし、急に目の前で泣き出した貴族に呆気にとられているわけではないようで……
「なんで…… お母さんの……名前……」
目の前の男が知るはずもない名前…………その名が出てきたことへの驚きであったようだ。
(咲良) シャーロット…… シャルロット…… シャル…… ええ!?
*来週は投稿をお休みします。 申し訳ありません。




