蛇の道は蛇 1
(クロエ) …………
(ジュリ) …………
(ウルル) なんとなく解っているでしょうがもう話は終わったのでレティシア殿たちはお帰りになりましたよ?
その夜、ミレッジ家のメイド、トキは街の屋根の上を歩いていた。
その身体は闇夜に紛れられるように真黒のローブで覆われている。
なんでそんなアクロバティックなことをしているかというと、その理由は簡単で、なるべく街の人間の目に触れたくないからである。
何の拍子に関係者が見たり、情報が届いたりするかわからないので、移動には細心の注意を払っていた。
で、なんでそんな慎重に動きながらどこで何をしようというかというと、それは今日の午後にまで遡る。
***
レティシアたちは、ベルが捕らえてきたシスターのルイスに対して尋問を続けていた。
しかしながら、情報は全く得られないわけではないにしても、やはり女の組織での立場はそこまで大きいものではないようで、肝心なところは聞いても知らなかった。
とりわけレティシアたちが知りたかったのは子供たちの潜伏先である。
これが分かれば、いつまたやってくるとも知れない襲撃にただ備えるだけでなく、こちらから攻勢に出ることができる。
のだが、先ほども言った通り、結果は芳しくなかった。
「お前たちはどこに潜伏していた?」
というレティシアの問いに対するシスターの返答はというと、
「私は街の宿に……」
「子供らは?」
「知らない……」
「なぜ知らない?」
「本隊と合流したのは作戦行動の少し前……話は聞かなかった……宿などの現地での生活手段は来てから考えると言っていた……」
知らされなかったというより、前もって決めていなかったようだ。
大人数の子供だからおいそれとその辺の宿に泊まったのでは目立つだろうからそれはできない。
いくつかアイデアはあったのかもしれないが、実際どうするかは現地で決めるということだろうか。
それからいくつか質問をして結局、レティシアたちは引き返すことにした。
で、応接間に行くその道中。
「あのシスターは斥候とか小隊長みたいな役割だったんだろうな、事前に現地入りしといて事を起こすにあたっての準備をしておく。 そして現場を見張って撤退のタイミングを計る。 現場の人間に重要な情報は握らせんか」
と、レティシアは呆れ半分、感心半分で言うが、それをディーナは否定する。
「そうでもないわよ? おそらく一味にこの街、いいえ、この国の人間はいない。 だから王都であるこの街の中のことを知らなかった。 本当はさっきのシスターがいろいろ探ってから手引きするはずだったんでしょうけど思ったよりも事が大きくなってしまったのね。 だから彼女の情報収集を待たずに現地入りすることを急いだ。 きっと派手に動いた人がいるんだわ。 正義感か利益のためかはわからないけど」
「はははぁ……」
ディダの乾いた笑いが聞こえる。
別にディーナは名指したわけではないのだが。
「ここに来るまでに結構方々に話したんやわ。 そうしたらどこかの網に引っ掛かるかと思うてな」
副次的な効果とはいえ、ディダの揺さぶりは一応効いていたことになる。
「もし急いで王都に入ってきたんだとしたら、行ける場所なんて限られてるわね、トキ」
「はい、お嬢様」
「探って来てくれる?」
「お嬢様の仰せのままに」
そう応えて礼をしたトキは、顔をあげると満面の笑みを見上げ、そのまま数歩下がり、後ろの窓からこちらを見たまま飛び降りていった。
「はぁ!?」
慌ててディダが窓から身を乗り出してあたりを見渡すがすでにトキの姿はそこには無かった。
***
そのトキが向かったのは王都のはずれにあるスラム街である。
いわゆる貧民層が集まる地域であるのだが、場所柄、国などの行政が立ち入られにくいところでもあるため犯罪も多い。
そして裏世界の住人が暮らすにはこれ以上ないお誂え向きの場所でもある。
かくゆうトキも国は違えどスラムのような場所で生まれ育ったのである。
さて、そんな彼女が向かったのはスラムの真ん中にある、この辺りにしては些か立派な建物であった。
屋根を降り、その建物の戸をまずは一回ノック、少し間をおいて三回ノックする。
すると、ガチャ、と鍵が開けられる音がして扉が開く。
出てきたのは2m近い筋骨隆々の大男だった。
男は自身の体格より一回りも二回りも小さいトキの姿を認識するやわかりやすくその顔を曇らせた。
「またアンタか…… あんまりここに出入りしてほしくねぇんだよなぁ…… ここはお前らと……」
「まあまあ、そんなつっけんどんにしないでくださいよぉ。 先生います? いますよね、この時間だから」
男の話などさらりと受け流し、トキはズカズカ建物の中に入っていく。
そして、奥の部屋にノックもせずに入り、中にいた初老の男性を見つけると、にっこりと微笑んだ。
「いやいやどうも先生、元気にやってますか?」
トキが先生と呼ぶこの男性、実際には社長ではない。
白髪交じりの頭髪に口髭、銀縁眼鏡とややもすれば学者にも、政治家にも見えそうな理知的な男性、これでもこのスラムの半分以上を牛耳るいわば影の実力者である。
本名を知る者はこのスラムにはおらず、誰が呼んだのか皆から先生と呼ばれている。
「おかげさまで元気にやれていますよ。 身の程をわきまえてつつましく生きる分には、このスラムも中央もそんなに変わりません」
何ともない日常の会話、であるが先生の言葉を聞きトキは探し物が見つかったと嬉しそうに口の端を吊り上げる。
「なるほど、やはり欲深な者は出ますか。 分かっているでしょうが、その辺のことについてお聞きしたい」
すると先生は大きなため息をついた。
「吠えぬ狼に矢は刺さらない…… なのに貴女方は言うに事欠いてアンサンブルを謳い奴らの前で踊れと言う。 いつものことながら波風を立てるようなことしか貴女の口からは出てきませんな。 根回しをするこちらの身にもなってほしいものです」
「これでも感謝しているんですよ? 蛇の道は蛇、私のようなお客をたくさん抱えていれば嫌でも耳に入ってくるでしょう? 偶々耳に入ったことを世間話のネタにして何が悪いというのです?」
「それはそうですが……まぁ、いいでしょう、何から話せば良いですかな?」
「できるだけ最初から、事の起こりを」
「事の起こりというなら三日前になります。 私のもとに入っていたのは客人の情報です。 それもなかなかに野蛮な、です。 しかもその客人は裏道を使ったと言う。」
「客人の蛮行を受けたのはスラムの人間ですか?」
「ええ、貴女と同じく私とも仲良くしていただいている者です。 純粋な警告として教えていただいたので信用していいでしょう」
「裏道というと正確にはどこから?」
「西側の壁の綻びからだそうです。 そこで出くわして喧嘩になったとか」
壁、言うのは城壁のことである。
王都、というからには王様が住んでいて王城もある。
であるからして、万が一の戦争時や魔物の襲来などに備えて城壁を高くそびえたたせているのである。
これはほかの都市でも人の多いところでは城壁を構えているところは多い。
なので入るには城壁に開けられた城門から検問を受けて入るしかない。
だから、事実上検問を通らずに入ることは不可能なのだが抜け道はやはりある。
例えば城壁に穴が開いたとしたら?
それが国の目が届かない場所だったら?
スラムの人間に開いた城壁の穴を埋めようという殊勝な心を持ったものはまずいない。
というかこれを使ってどんなあくどいことをしようかを考えるものだ。
こうして国のあずかり知らないところでスラムには今日もまたならず者や犯罪行為が増えるのである。
「不幸なことではありますが下っ端が何とか一人逃げおおせたそうでそこから情報が広まりました。 おかげでスラムの人間に彼らをどうこうしようという者はいません。 探ろうとする数寄者だってそうそういませんよ」
「あなたがその数寄者でよかった。 で? いまはどこにいるのです?」
「彼らは入ってすぐ近くにあった廃教会を拠点にしました。 当初より大人は聖職者の格好をしていたようですからちょうどよかったのでしょうかね。 ですが今はいません。 表でことが起こってからは戻ってきていないようです。 どこか別のところに潜んでいるのではないですか?」
「……となるとまた一からの捜索ですか……これは骨が折れそうだ……」
「なかなか大変そうですね。 ですがヒントはあります。 今回の戦闘で半分減ったとはいえ子供たちはまだ大勢います。 それを隠せる場所などそう多くありません。 例えば……そもそも子供が大勢いてもおかしくないような場所……とかね?」
「なるほど……確かにスラムの外だって万事平和で小奇麗……とはいきませんね」
「思ったよりも大物が裏にいるようです、お気をつけて」
そんな社長の警告にトキは笑顔で一礼して家を出るのだった。
さて、外へと出たトキだが、そのまま屋敷へと変えることはせず、近くの開けた道へと出た。
「どうせ近くで見ているんでしょう? ばれているのですし姿を現しては?」
返答も何かの動きもない。
常人では人が潜んでいることにすら気づけないだろう。
「どこにいるかわからない……軍人崩れにはできないことですね。 いったい誰が飼い主になったんで」
と、トキが言い切らないうちに右側からナイフが飛んできた。
トキはそれを紙一重で躱す。
(思ったよりもさっきが多い…… 戦うのは無理か……)
瞬時にそう判断し、トキは追撃を振り切りながら夜のスラムを駆け抜けていくのだった。
(トキ) 「吠えぬ狼に矢は刺さらない」というのは余計な言動で自分を窮地に追い込んでしまうことを示す諺です。
類)雉も鳴かずば撃たれまい。
(咲良) この国に雉はいないのかな。




