エゴイズム SIDE 咲良
終盤、ややショッキングな描写がありますのでご注意ください。
「ある日の暮れ方のことである。 一人の下人が…………
……………………
…………下人の行方は誰も知らない」
「はい、そこまで。 間宮さんありがとう。 座っていいです。 さて、この作品において重要なのは『生きるために悪を行ってもいいのか』ということで……」
キーンコーン、カーンーコーン
「咲良!! 一生のお願い!! プリント写させて!」
「理名…… また寝てたの?」
などと呆れつつもプリントは一応渡しておく。
その際にはわざと冷たい視線を横目で送るのも忘れない。
一生の願いというけれどその通りなら理名は通算何度目の人生だろうか。
少なくとも二ケタなのは間違いない。
我ながら甘いと思いつつもつい手助けしてしまうのが人情というものである。
しかし、
「ちなみに最後の問題は写すとか通用しないからね?」
「最後?」
最後の問題は所謂答えがある設問ではなく、「自分が生きていくためにどこまで罪を犯すのが許されると思いますか?」という物だった。
「なにこれ道徳の課題だったっけ?」
「ううん、現代文」
現代文とは文章の読解力こそ求められるが、こういうどう思いますか的な質問はないはずだが。
「うーん、難しいなぁ。 咲良はどう思うの?」
「そうだね…… 真面目に考えて書いたら長くなりそうだったし、適当に当たり障りのないこと書いたよ。 罪を犯すのは良くないけれど、下人の立場なら仕方ないとかかんとか」
「そうだよね…… 私もそれでいいや。 ねえ、咲良は一応はまじめに考えたってこと?」
「一応はね? 正当防衛と緊急避難は知ってる?」
「正当防衛は知ってるよ。 自分が殺されそうなくらい危ない状況だったらその相手を殺しちゃっても仕方ないってやつでしょ?」
「ううんとね、少し違うけどまあいいや、正当防衛も緊急避難も自分や他人の命や権利を守るためにやむを得ず行った行為で、それは罪で裁かれないってこと。 今回は下人は自分が生きるために服を剥ぎ取ったんだけどそれはたぶん、それには当たらないと思う」
「そうなの? どうして?」
「あるとしたら緊急避難なんだと思うけど、服を剥ぎ取らなかったからって下人の生命に直接影響するとは思えないんだよ」
「なるほど、もっと緊急事態じゃなきゃ成立しないんだ。 殺されそうとか死ぬ寸前とかじゃなきゃ」
「だね。 もっと単純に言えば、下人に欠けていた勇気っていうのは罪を犯す勇気だよ。 良い悪いなんていう話じゃなくて、もっとシンプルでシビアな話。 仕方ないとは思ってるかもしれないけど同時にこうも思ってる。 『罪を犯すのは悪いことだ。 しかし、正しさを語っても現実の暮らしは楽にならない』 だから正義や道徳を蹴ってでも生き残る道を選んだ。 結局人は最後に自分の生を優先するんだよ」
そのとき彼女はどんな顔をして、何を言ったんだったか……
――――――――――
「ん…… ううん……」
目を覚ますと体がバキバキに固まっていた。
視界は暗く、ランプのような明かりが数点見えるばかりだった。
寝起きだからか、盛られたせいか、視界はぼやけている。
「随分グッスリ眠ってたわねぇ、お嬢さぁん?」
右隣からなじみのある声が聞こえた。
一緒にカフェにいたその声の主は椅子に座らせられ、腕を後ろで縛られていた。
それは私も例外じゃない。
体が固まっていたのは体が縛られたうえ、ずっと座らせられているから。
関節が固まるのも道理だ。
「なんでこんなことに……?」
「知らなぁい、そこのアナタのお友達に聞けばぁ? まぁ、今でもお友達なのかは疑問だけどぉ?」
確かに、この一件には十中八九、理名が何らかの形で絡んでいる。
でなければ私たちの飲み物に一服盛るなんてことをするはずがないのだから。
ん?
そこの?
ぼやけが治り、目が暗さにも慣れてきたころ視界にメイド服姿の人影を捉えた。
「理名? なんで?」
純粋な疑問だった。
昨日彼女と再会したばかりで、まだその喜びの余韻に浸っててもおかしくはないというのに、こともあろうに一服盛った挙句捕縛までしている。
その発想が理解できない。
「ごめん咲良…… こうするしかないの…… 大丈夫、あなたは絶対傷つけないように頼んであるから」
ちっとも大丈夫じゃない。
なんの保障にもなってないしそもそも「あなたを」ということはクロエさんは勘定に入ってないじゃないか。
それに頼んである……ということはこの後の私たちの処遇は別の誰かが決めるということだ、それが何者かは知らないがそんなものをあてにもできない。
その辺の発言の有効性はどうにもこの世界では信用しがたい。
それはあの親子限定か?
きっとそんなことないだろう。
「理名、今頼んだって言ってたけど、それって誰? あなたの協力者? それともあなたが協力者なの?」
「…………」
理名は答えない。
正解だからか、話すことができないのか。
「俺たちが答えてやろう」
部屋の闇の中から声がした。
と、同時にたくさんの足音が周りから聞こえる。
現れたのはたくさんの男たち、身なりは何ともワイルドでその手には剣やら鎚やら武器が握られている。
「へぇ…… アンタ山賊なんかとお友達なんだぁ?」
「誤解すんなよお嬢さん、俺らとこのメイドさんはお友達なんかじゃない、ただのビジネスパートナーさ。 だからそっちの嬢ちゃんの無事は保証する。 ビジネスってのは信頼関係が命だからな」
「ハッ! 山賊風情がビジネスだの信頼だの語るって? そんな滑稽な話ないわぁ」
「クロエさん! あんまり刺激しないほうが……」
あなたの身の安全はたぶん保証されてないですよ!?
「そんなに滑稽でもないだろう、お前たちを葬ることであっちには得なことがある。 こちらには金が入る。 協力することで両者が得をするんだ、これ以上の信頼関係はないだろう?」
山賊の親玉(と思われる)が滔々と語るが、私たちはそれとは別のところに引っかかった。
「「葬る……?」」
「そうとも、こんなとこに閉じ込めてこっちは顔まで晒している、口を封じないとな」
そういうと男は服の裏から輪に丸められた紐を取り出した。
紐は頼りない灯りに照らされ鈍く光る。
「ああ、心配すんな。 そっちの嬢ちゃんは一切手を出すなって言われてるんだ。 傷一つ負わせねえよ。 もっとも余計なことをしなければな。 邪魔したり、騒いだりするなよ」
つまり、抵抗したり告げ口をするなと。
「あら、サクラは無事でも私はどうなっちゃうのかしらぁ?」
「お前の役割はただの餌だ。 知ってるか? 海の漁師はでかい魚を釣るためにまずは小魚を釣るんだ」
「あらぁ、私は小魚かしらぁ?」
「そういうことだ」
親玉が右手を振ると輪になっていた紐が広がり、生き物のようにうねり始めた。
「≪踊る蛇≫、金属細線でできたこいつは俺の意のままに動く、例えばこんな風に」
親玉そいうと≪踊る蛇≫はひとりでに動き出しクロエさんの体にまとわりつく。
「へぇ……山賊のくせにいいもん持ってんじゃなぁい? なかなか大口のパトロンでもいるのかしらぁ? なんて質問は野暮ねぇ?」
そういってクロエさんは理名の方を見る。
クロエさんと目が合った理名はその目を逸らす。
理名の現在の仕事は貴族の家の使用人、当然お金持ち。
つまりそういうことだろう。
この一件には貴族が絡んでいる。
貴族の本心は分からないが、理名が勝手に持ち出しました、なんてことは無さそうなので、きっと無関係じゃあるまい。
「≪踊る蛇≫はただの拘束具じゃないのは解るよな? こいつは相当頑丈でな、人体だろうがレンガだろうがお構いないにちょん切っちまうんだ。 そういうわけでお前はこれから見せしめのために首だけを残して肉体は細切れになる」
紐というよりまるで金属のワイヤだ。
そのワイヤは親玉が少し自分の指を動かすとさらにきつくクロエさんに巻き付く。
どこからかギシリときしむ音がする。
「あら…… なかなか……いい趣味してるなじゃいのっ……」
「クロエさん早く逃げないと! 魔法とか」
「無駄だな。 封印錠をしてある。 魔法は使えない」
おそらくクロエさんの捕らえている手錠のことだろう。
しかし、私にはそれがない。
荒縄で手首を縛っているだけだ。
もしかしてこれなら抜けれるかもしれない。
縄抜けの方法はククルちゃんの魔導書に書いてあった。
よもやこんなところで使えようとは。
「滅多なこと……考えるんじゃ……ないわよぉ。 アンタじゃ……これだけの数を……相手するのは無理だからぁ……」
「でも……!」
「よくわかってるじゃないか。 そうそう、無謀なことをするもんじゃないな、せっかく手は出さないでやるって言ってるんだ。 黙って見てれば怪我もしないで返してやる。 まあ、心の傷までは面倒見れないがな。 それはお前たちのリーダーもか。 いくら強がったって所詮まだ成人したばかりの餓鬼、仲間のさらし首を見たら二度と立ち上がれないだろう」
親玉の残酷で無慈悲な宣言。
レティシアさんはクールだけど感情がないわけじゃない。
クロエさんも憎まれ口をたたくことは多いけれどたぶん……
「フフフフフ…… アーッハハハハハハッハ!!」
そんな私の杞憂をよそにクロエさんは大きな笑い声をあげた。
「立ち上がれない!? あの子が!? 冗談にしても面白くない!! あいつが仲間の死程度で揺らぐことなどあるものか! あいつの進む先に仲間の死体が転がっても一瞥もくれないさ! 道端の小石がごとく無遠慮に扱うことだろう! だからこそ私はあいつの元にいるのだ! 侮るな小悪党!!!」
「じゃあ、それが本当か試してみるか」
≪踊る蛇≫が凄まじい勢いでクロエさんの身体を締め上げる。
私はそれ以上彼女を見ることができなかった。
「あ…… あ゛ああああ……」
それでも耳は防げず、ワイヤのきしむ音とクロエさんの苦しそうな声が聞こえる。
それからブチブチという何かがちぎれる音がした。
いまだ目を開けられないでいると、顔に何か液体がかかった。
恐る恐る目を開けると足元にはおぞましい量の血が流れていた。
そして、コロコロと首が転がり、私の足元で止まった。
「あ…… ああ…… はぁ…… はっ、はっ、はっ……」
首が転がってきたことへの恐怖、それが知り合いだったというショック。
悲鳴を上げるでも泣き叫ぶでもなく、ただ息が苦しくなり呼吸がままならなくなった。
人は本当にショックな出来事と遭遇するとき、こうなるらしい。




