月の翳る夜
(トリナ)翳る……陰ると同じ意味だけどこっちのほうがカッコいいいよね!
(レティシア)読めるならな
時を少しさかのぼって、レティシアたちが出て行った後のライネル邸。
「クソっ!
女冒険者風情が!
こちらがあまり大っぴらなことは言えないからと調子に乗りおって!
あまつ、奴隷を持っていかれ、そのせいで計画が台無しだ!
あのバカ息子もだ!」
ジャーロが他国から奴隷を手に入れたのは知っていた。
それも正規ではない方法で。
しかし、そんなことは今回初めてでもないし、気にもしなかった。
いちいちアイツの悪事に一喜一憂するほど暇でもない。
ジャーロの悪事などいくらでも握りつぶせるし、できなくても身代わりの用意も簡単にできる。
例えば家族の生活を保障する代わりに、従業員に自首させるとか。
これまではそれでうまくいっていた。
「冒険者、それも小娘と聞いて油断なされましたな。
尤も、奴隷と同郷で顔見知りとは、運が悪いと言えばそれまでですが、やはり家の者全員に目を向けませんと」
屋敷の筆頭執事は主人を諫めるふりをしているが、結局のところ言いたいのは、息子の奴隷が他国の人間なのはわかっていたのだから、こういった会談といった表に出さなければよかったのに、そんなところである。
これは、今、隣にいるジャーロに仕えている執事に向けた言葉でもある。
「フン!
あのバカ息子のことなんぞに構ってられるか。
それより、いまやるべきことは判っているな」
「はい、すでに追跡班が宿を見つけております」
「奴らの寝込みを襲え。
流石に正面では分が悪いが奇襲なら得意だろう?」
「はい、ではそのように」
そう言うと執事は応接間から部下やらメイドやらを引き連れて下がった。
部屋に残るは当主アズールのみである。
それからレティシアに渡すはずだった品々。
「ククク……
貴様らが悪いのだ。
素直に受け取っておけば双方得したというのに」
これらの品々、勿論ただの贈り物ではない。
有り体に言えば賄賂である。
だからこそレティシア本人にのみ送ろうとしたが、奴が持ち帰ったのはこともあろうに冴えない女奴隷だった。
しかも、定価の数倍の金額をポンと出して、である。
つまり、金を払ったので貸し借りなしというわけである。
それもまたアズーロの神経を逆なでする。
(つまり、奴はあの積み荷の秘密に勘付いている……)
それでは都合が悪い。
こちらに引きずり込めないなら消すしかない。
当然のことである。
パーティーの全滅でその上のクランや、ハンターギルド―――冒険者の依頼の斡旋などをするところ―――は騒ぐだろうが、証拠も残さないから、知らぬ存ぜぬでいくらでも通せる。
それが無理でも生贄ならいくらでも用意できる。
些か面倒ではあるが仕方あるまい。
アズールの機嫌はすっかり直っていた。
***
時を戻して、レティシアたちが滞在する宿。
部屋の電気はすでに消えていたがレティシアたちは全員起きていた。
「アイツもう寝た?」
レティシアはよくよく考えると咲良の名前を知らないし聞かなかった。
なのでアイツ呼ばわりなのである。
「うん、もう寝ている。
疲れているようなのでしばらくは起きないと思う」
と、先ほどまで話をしていたライラが報告するが……
「じゃあククルは」
「つられて寝てしまった」
ククルはああ見えて、いや見た目の通りまだ幼い。
何と齢十二歳である。
まだまだお子ちゃまなのだ。
「まあ……仕方ないか」
そう言ってレティシアは苦笑いを浮かべるのだった。
「っていうかさ、なんで銅貨二千枚も出しちゃったわけ?」
トリナがベッドに寝転がりながら聞いてきた。
「理由は話しただろう。
個人の取り分から出したんだ別にいいじゃないか」
「まあ、いいんだけどさ……
あれどうにかしてくれるんなら」
あれ、とはベルのことである。
彼女はレティシアが冒険者になる前から、レティシアに仕えている。
ちなみにレティシアはパーティー全員に転生のことやら実は男なことやら、諸々話している。
そのせいでククルとライラに夜通し質問攻めにあったのだが。
それは置いておいて、ベルはレティシアをそれはそれは尊敬している。
その様を見た一同は純粋であり、敬虔であり、変態であり、犯罪一歩手前である、と語る。
その原動力はまさに愛。
レティシアの前ではそんな素振りを全く見せないのだからすごいところである。
その一例として、レティシアの使用済み未洗濯の下着をこっそりくすねている。
それを見たシャルはドン引きするとともに、なんだか怖くなり、結果一同はレティシアにベルの裏の顔を言えずにいるのだ。
そうこうしてる間にベルのレティシアへの愛は膨らむばかりである。
本人の与り知らぬところで。
憐れレティシア、貞操の危機も近いかもしれない。
話を戻してそんなレティシアが女奴隷を連れてきた。
やはり面白くないのか、不機嫌であった。
「ハァ、ベルいいかい、彼女は私の転生前の知りあいなんだ。
それが理不尽に虐げられていては見過ごせなかった。
わかるだろう?」
人差し指を立ててお姉さんぶって話す―――実際ベルより年上だが―――レティシアを前聞いた、シャシンに納めたいと思うベルだが同時に別のことも考えていた。
「レティシア様!
前に申し上げたではありませんか。
男性としての性欲を処理したいときは私をお使いくださいと!」
「そういう目的じゃないし、R18カテゴリーにしなきゃいけなくなるからやらない」
冷たい目で言い放った。
「わかりました……」
といったが、ベルが顔を伏せるのを見てレティシアは、
(怒らせたか?
いや、悲しんでいるのか?
言い過ぎただろうか)
男の身としてはやはり女心は判らないものである。
尤も、レティシア以外の全員が知っている。
伏せた顔には実際は恍惚の表情が浮かんでいることを。
「まぁ……分かったならよろしい」
そう言ってレティシアはベルの頭を撫でた。
(あ、トドメ刺した)
ベルはそのままベッドに突っ伏してしまった。
「どうしよう、怒らせた……」
レティシアが助けを求める表情で皆を見るが。
(悦んでるんです!!)
とは誰も言えなかった。
「お嬢、敵です」
ベランダからサリアが入ってきた。
彼女は屋根の上で身をひそめつつあたりを見回していたのだ。
敵襲の報告に全員の気が引き締まる。
「数は?」
「東に七、西に十一、それから遠いですが川の反対側にも七、八人いるかと」
この宿の南側は川岸になっていて約五百メートル先の小屋にも敵の影が見えるらしい。
その距離を彼女は裸眼で見通せるのだ。
これは魔法に近い能力だが、正確には違う。
彼女の先天的な能力によるところも大きい。
「数はそこそこですが、動きは素人です。
大したことはないかと」
「やっぱ、ライネルさんとこのひとたちかねぇ」
麻袋から日本刀を取り出しながらシャルが独り言のようにつぶやく。
ちなみにシャルは日本とは何のかかわりもない。
「かもな、相手するのはライバル商人やらその家族やらで、おそらく冒険者は初めてだ。
きっと戦闘にすらならないな。
私が出なくても対処できそうか?」
「問題あるまい。
対岸は私がやる。
サリア手伝え」
「了解」
そう言ってジュリはサリアを連れて屋根裏部屋へと向かった。
「そいじゃ、私は西側で。
ライラ、フォローよろしく」
そういってシャルは刀を腰に差した。
「わかった。
邪魔にならない程度に援護する」
「東はアタシね。
サポートは要らないから」
そう言ってトリナは剣を携えて待ちきれないとばかりに部屋から飛び出そうとした。
「そんなに焦らんでもよかろうに。
で、うちらはどうしたらいいぜよ?」
ハリィもできれば戦闘に参加したかったが、生憎と今回は出番がない。
そんな訳で若干不貞腐れていた。
ちなみにクロエは興味がないのか髪の毛先をいじり、ベルはしっかり復活してレティシアの隣に控えている。
「他は待機。
万が一に備えて準備だけはしておくこと」
「はい」
「わかったぜよ」
「え~めんどくさ~い」
「面倒くさがるなよ。
商人に喧嘩売られたんだぞ?
騒ぎにならない程度には我々の力を見せてやれ。
少なくとも二度と刺客を送りたくなくなるくらいにはな」
そう言ってレティシアが片眉をあげると、それに呼応するように一同の顔にも笑みがこぼれる。
その表情は月が雲に隠れてうっすらとしか見えなくなった。
当初の見込みより変態になってしまった……