かくして砂城は築かれ崩れる
エピローグなのに普段の倍っていうね。
なんでやねん。
プロローグ
「私はきっと二十まで生きられないでしょう」
この人は確かに病弱で、いつ死んだとしてもおかしくはないのかもしれない。
けれど十七の少女が悟っていい運命とも思えなかった。
「怖くないのですか?」と聞いてみた。
肩が揺れ、声が震え、そしてただ一言「怖い」とだけ言った。
死ぬが怖い。
大人になれないのが怖い。
まだ何もやりたいことができていないのに。
誰かと結ばれて、同じ家に住んで、子供もいて…………
それがかなわないのが怖い……と。
この人の体の弱さは多くの貴族に知られている。
であるからこの人に求婚しに来る人も、逆に求婚を受ける人もいない。
見合いにすらならない。
結婚相手としての魅力も旨味もない貴族の子女になんの存在意義があろうか。
この人はずっと籠の中の鳥だ。
今までもこれからも、籠の中でただ死を待つのだろうか。
「せめて貴方が……」
そう言って私を抱きしめた。
けれどその続きを彼女は言わなかった。
無理もない、私は人間だが人じゃない。
周りが許しても世間が社会が、人の世が許さない。
誰かに見られることすら不味い。
せめて私が……
さる侯爵家のご子息がやってきたのはそれからすぐのこと。
エピローグ
ある日の午後。
とある貴族の屋敷の庭、穏やか午後の陽気に包まれながら、その男性は一人で紅茶をたしなんでいた。
されど内心はこの陽気のように穏やかではなく、むしろ荒れ狂っているといえる。
その原因はいくつか挙げることができるのだが一番は自分が出し抜かれ、かつ完敗といってもいいレベルで敗北した。
現在、侯爵は三つの問題に直面している。
まず一つはディーナ=ミレッジ一派に対する対処。
随分と一方的にやられてしまったが、このままというわけにはいかない。
身内派閥に対するメンツというものがあるのである。
二つ目はその身内に派閥に対すること。
現在侯爵の立場は揺らぎ始めている。
当たり前といえば当たり前だ。
公の話ではないとはいえ、こんな騒動を起こした者のもとに集おうなんて言う人間はそうそうおるまい。
最後は外国に逃げたと思われる元マエストリ伯爵家の二子。
可能性は低いと踏んでいるが他所で情報漏えいされてはたまったものではない。
とにかく、侯爵はこれからやるべきことがごまんとあるのだ。
なんと頭の痛いことか。
「それもこれもあの女貴族……いや、それすらも糸を引くほどの人物……」
脳裏に浮かぶのは先日昼食を共にした女貴族の顔。
盲目で一人では歩くこともままならない小娘ではあるがその胆力は相当のものであり、称賛に値する。
しかし、彼女すら駒の一つしかなかった。
「まずは盤を動かしていた者を探すことからか……」
ひとまず問題の一つの方針が決まったところで紅茶をすする。
そんな一瞬の安らぎを破る不届きものが現れた。
「お待ちください!! いったい誰の許可を得て!」
そんな屋敷の人間の制止も聞かず、多くの人間が中庭になだれ込む。
「おやおやこれはいったい……」
何の騒ぎか、そう侯爵が続けようとしたところで男が一人彼の前に進み出る。
「マルコ=ドロル侯爵。 法務院より身柄拘束の令状が出ております。 ご同行を」
「なに!?」
どうやらこの男は法務院-罪人を逮捕、裁判するところ。 検察および裁判所のようなところ-からの使いらしかった。
いや、使いというには少々乱暴か。
「私を拘束する!? 一体何の罪で!? 誰の許可を得て!?」
当たり前だが、なんの容疑もなく身柄拘束なんてできはしない。
侯爵にはそうされる心当たりがなかった。
いや、正確に言えば心当たりはしこたまあるのだが、このタイミングで逮捕されるようなことはないし、そもそもそんな情報は入っていない。
本来前もってわかるものではないが、こと彼に関してはその前提が通じない、法務院すら彼の手が伸びている。
「許可というなら法務院長でしょう。 罪に関してはご子息のこと、といえばわかりますか?」
答えたのは憲兵隊の人間ではなかった。
彼らの間から現れたのは侯爵もよく知っている人物。
何せつい先日、彼の開いた夜会に招かれたのだから。
「クラウス伯爵? いやそれよりもガストンと言ったか?」
「ええ、彼には非合法の闇オークションへの参加、そしてそこで違法奴隷を購入した疑いがかかっています。 闇オークションに参加しているのですから、違法奴隷と知らなかった、は通りませんよ」
何の脈絡も無しに現れた伯爵貴族、奴が自分に弓を引こうとしているのは明らかで、到底見過ごせないが、それ以上に看過できない名前が彼の口から出てきた。
そして次いで出てきたのはその名前の人物が犯した犯罪行為への非難であった。
ガストン、とはドロル侯爵の長男、ガストン=ドロルのことであろう。
侯爵には男子が一人しか生まれず、侯爵家にふさわしい教育を施してきたのだが、同時に無駄に権力と金があったせいかわるい人間との付き合いも覚えていき、そして火遊び、いわゆるおイタも覚えていったのである。
ただでさえあれしか跡を継ぐものがいないというのに逮捕されてはかなわず、父親である侯爵が彼の犯した犯罪行為をもみ消していった。
なんとも頭の痛い話だが、悲しいかな侯爵家だけに関わらず、貴族のボンボンというのは悪いことばかり覚えていくし、国の暗部には彼らだけのお得意さまだっている始末だ。
そして、彼らのやらかしはダイレクトに親である貴族当主本人に監督責任という形で返ってくる。
そういう親不孝者の尻拭いも侯爵はしてきた。
それもまた、侯爵の影響力を増やしている要因であるのだが。
それで改心すれば良かったものの、一度放免になった者はそれに味を占め、懲りるどころかどんどん深みに嵌まってしまっていた。
とはいえ、だ。
今回に関して言えば、ガストンの犯した犯罪、すなわち闇オークションへの出入りに関しては一切侯爵の耳に入っていない。
(そもそも奴の悪事には目を光らせ、全て隠ぺいしたはず……)
ガストンの火遊びは日常茶飯事であるから、いちいち監視したりはしない。
だが奴が捕まる前には情報を得て、防いでいたし、それが無理でも、その日のうちに釈放するように根回しはできている。
どう動くか予想できない息子を見張るより、憲兵や法務院に協力者を増やして、 情報をもらった方がやり易い。
存外権力を持っている者の方が御しやすいのだ。
「さぞ不思議に思ったことでしょう。 あなたの耳にはご子息が捜査対象になったこともすでに捕まっていることも入っていないはずなのですから」
しかし、クラウス伯爵がいくら揺さぶりをかけても、侯爵がぐらつくことは無かった。
内心では必死に頭を回転させているだろうに表情に一切出てこない。
そこで、クラウス伯爵はおそらく一番侯爵に痛撃となるだろう一撃を加える。
「あなたがこれを未然に知ることができなかった理由は簡単です。 そうなるように情報統制したからですよ。 あなた耳に入らないように情報をシャットアウトしました」
「バカな! そんなことお前にできるはずが!」
「私には無理でしょうね。 ですがあなたとて最強という訳でもない。 もっと強い権力がこの国にはあるではないですか?」
そう言われて侯爵はこの国の貴族の顔を思い出す。
貴族の序列で言えば公爵が一番上、いや待て、居るではないか。
公爵以上に力を持つ人物がこの国には。
まさかありえない、そう思いつつも、そう考えれば辻褄が合ってしまう。
「まさか……国王陛下が?」
国王陛下、国の王なのだから、この国に置いて彼以上の権力者は居ないだろう。
そして彼の威光をもってすれば、国の中枢に忍び込ませている協力者も寝返るだろう。
面と向かって国王に反旗を翻せる者がどこにいるのか。
しかし、いまだに腑に落ちないことはある。
「何故国王陛下が?」
侯爵にはこのタイミングで自分を切った理由がわからなかった。
今まで散々息子は犯罪行為を行い、自分は隠ぺい工作をしてきた。
にも関わらず、こうして今日まで侯爵は権力を握り続けてきた。
それは侯爵がその地位にいることで利があったからに他ならない。
それなのに国王が自分の梯子を外した理由がどうしても理解できなかったのだ。
「なんてことはありません。 上書きですよ」
「上書き?」
「今回の一件はこの国にも大きな損害を齎しかねなかったのですよ? あなた方が外法を用いて平原を接収せしめたせいで。 例の記事の内容が外に出たらどうします? 号外とはいえその可能性がないわけではないことぐらい想像つくでしょう?」
「まさか……私を逮捕した記事で人々の関心をそらし上書きする気か!?」
「『私』ですか……さすがに取り繕う暇もないでしょうね。 なかなかいいアイデアとは思いませんか? 貴族社会に蔓延していた病巣が一気に取り除けるなら、侯爵も喜んで協力していただけると思ったのですが?」
「何が病巣か! 何事も正義だけで回ると思うな! 私がいることでこの国が繁栄していたことが何よりの証左!! この世はきれいごとばかりでは回らない! それがわからないなど、我が息子以上の愚かというもの!!」
自分のおかげで国が栄えたとはずいぶん大きく出たものであるが、あながち間違いとも言えない。
実際問題、清廉潔白な人間ばかりでは国を運営はできまい。
しかし、だ。
「だとしてもあなたは少々やりすぎた。 あなたのお力はよくわかっているつもりですよ。 つもりですがそれでも理解すべきだった。 どれだけ王国に利益をもたらしたとしても、所詮あなたとて歯車の一つでしかなかったことを。 せいぜい国のために犠牲になってください。 陛下はご自分で責任をとれと仰せなのです。 さあ、お願いします」
クラウス伯爵の号令で憲兵が侯爵を連行する。
「お前の……利益はなんだ?」
「利益とは?」
「一体なにを企んでいる!? お前はどちらの派閥に属するでもなく中立を保っていた! それがこの間の夜会で私を招待した! てっきり我が派閥に来る気なのかと思えば、一向に話はしない! だが今ならわかるぞ! 目的は初めからガストンだったな! あの時探りを入れていたな!?」
そこにはいつもの余裕にあふれた老紳士はいなかった。
「ええ、少し話をしただけでペラペラ白状してくれました。 おかげで私も一緒にと言えば連れていくという、後はオークション会場で現行犯逮捕です。 さすがのあなたでも察知できますまい。 まして今回は国王の手によってその事実も隠されていましたからね。 あなたを釘付けにしてくれたディーナ嬢にも感謝しなくては」
「つまり陛下が噛んだのは夜会の後、目的を考えればそれも道理。 ではお前はなんだ? もっと前から企んでいたのだろう」
「娘が死にました」
「娘?」
クラウス伯爵の背後は知っている。
娘は確かにいたが、確か十数年前に死んでいるはず。
「まあ、候爵が知らないととしても無理はありますまい。 親である私に反発して町娘の格好をして遊びに出かけ……あなたの馬鹿息子に姦淫され殺された!」
「!」
「ああ、勘違いしては困るのですが遊びといってもあなたのご子息のような火遊びじゃありませんよ? 流行りのファッションやスイーツを楽しむとかそういう年頃の娘のやりそうなことです。 だから私も妻も何だかんだ口を出さなかったのですが…… まさか町娘が貴族の一族とは思わなかったのでしょうね。 おかげで川岸に打ち上げられた死体が娘だとわかるまでに時間がかかりました」
「その復讐か? そのためにこの国の勢力図をひっくり返すというのか!?」
「あなたには余程私が愚かに見えるのでしょうね。 まあわかってもらう必要などありません。 生きている間に日の当たる場所に戻れるなど努々思われませんように」
クラウス伯爵が恭しく一礼し、侯爵を見送った。
下げらた頭がどんな顔だったのか除く者はいなかった。
肩を震わせていればどんな感情かなど見るまでもなかったからだ。
エピローグ2
「彼らはどこまで先を見ていたのかしら?」
侯爵がしょっ引かれて二日後の午後、なんとなしにディーナがそうつぶやいた。
目の前には書類がしこたま積まれており、話などしているひまなどないのにも関わらず、だ。
そしてそれに応えられる人物は一人しかいない。
他のものは部屋の外で各々の仕事をしている。
「彼ら、とはサクラ様……いや侯爵のほうですか? それともクラウス伯爵?」
「主にサクラさんと侯爵よウルル。 侯爵はシャルさんとマエストリ家の関係に気づいていたのか。 サクラさんはクラウス伯爵の企みに気づいていたのか……」
そんなことよりたまった仕事を片付けては?と言いたいところではあるが機嫌を損ねるともっと停滞する。
なので、主人のことを一番わかっていると自負しているチーフメイドは、あくまで私見ですが、と言ったうえで、
「シャル様はそもそもスラムにて育ち、《魚座》に拾われ冒険者として、正確には彼女に同行する形で活動、その後レティシア様と出会われた。 それに至っては連合国での話です。 探ろうとしてわかるものでもないでしょう。 候爵なら事態を把握した段階でもっと上手く立ち回られたような気がします。 それこそシャル様とマエストリ伯爵が出会われることもないように」
「本当に偶然か……それでこんな結末になるだなんて幸運なのか不運なのか……」
「クラウス伯爵に関してもお嬢様が候爵とご子息を夜会に呼んだことに違和感を感じたからこそ計画に気付き、協力を取り付けられたのです。 その点ではお嬢様の勝ちかと」
「べつに勝負した訳じゃないわ。 ただ、いい加減どちらかの派閥にって言うのも大変だもの」
「だから中立を名乗って放って置いてもらうと? クラウス伯爵は今回の一件で貴族の間で名が広まりましたからね。 中立派閥の盟主になってくれるでしょう。 いい防波堤になりますね」
「それは聞こえが悪いけれどね。 とにかく、派閥の工作が大人しくなってくれれば狙い通りよ」
「そうすればもう少しお仕事もはかどっていただけるでしょうか?」
「努力はするわ……」
ダメな気がした。
「お嬢様」
「あらトキ戻って来たの?」
「火急でしたので。 ドロル候爵が亡くなりました」
「はい?」
ディーナは正しく言葉を聞き取ったはずだった。
だが脳がそれを拒む。
つい先日会ったときは高齢にも関わらず杖をつくでもなく、足取りもしっかりしていたはずなのに。
「死因は……病死、詳しくは不明。 暗殺自害の形跡も無し、だそうです」
「……悪事のすべてを墓場まで持って行ったのね」
候爵の証言なくしては明るみにしか出ない疑惑はたくさんある。
そして、それらを解明する道は完全に閉ざされた。
もはや、候爵の意地すら感じる。
まだ連行されただけの容疑者、法律上犯罪者ではない。
その一線だけは文字通り死んでも守りたかったのだろうか。
「全く、最後の最後まで思い通りに行かない御老人ね」
ディーナはそう言ってため息をついた。
次回から新章開幕ですが、来週はお休みです。




