皇帝陛下が寵妃やっているって、どういうことですか
(何がどうして、こうなっているのだろう)
月影は、状況が整理できず呆然とした。なんとか落ち着こうと、自分が置かれた状況を確認していく。
そう。今彼女は、毒をあおった後遺症で臥せっているという状態なのだ。あくまで表面上だが。そのため暇をしていると、仲良くなった皇帝の寵妃が見舞いに来てくれたのである。
ここまでは良かろう。
しかし現在の月影は、寝台に押し倒され両手を拘束されている。その力はかなり強く、とてもではないが敵いそうになかった。
ここまで見れば、別段おかしなところはないだろう。いや、はっきり言えばすべてがおかしいのだが、そうも言っていられない。
なんせ一番おかしいのは、そんな彼女を押さえ込んでいる女なのだから。
「ねえ、月影。いくらわたしが同性に見えるからと言って、気を抜きすぎよ?」
そう言い、月影を押し倒した張本人は微笑む。
雪と見間違わんばかりの白銀の長髪が、月影の顔をくすぐった。紫紺色の瞳が、楽しげに細くなる。唇に引かれた紅が歪み、弧を描いていた。それがぞくりとするほど美しく、月影は頭が痛くなってくる。
(こんなときに、同性にときめいてどうするわたし……!)
月影は己の図太さに呆れる。まったくもってどうしようもない。そう思った。
見た目だけならば、傾国の美女などと呼ばれる類の人種だ。当然のように力も弱そうで、同性すら捕らえられそうにない。むしろ囚われる側の人間だろう。
しかし月影は、そんな美女――皇帝の寵妃に押し倒され拘束されているのである。
状況を整理し、月影はますます混乱した。
そんな彼女の表情の変化が楽しいのか、寵妃はくすくすと笑う。
「あなたが考えていること、当てましょうか? なぜわたしに押し倒されているのか。なぜ女の細腕を振り払えないのか。そう思っているのよね?」
「……はい。これでも一応、元武官ですので」
相手が相手なので傷ついては困る。なので月影は、おとなしくしていた。もちろん表面的には良い子にしているが、隙があれば逃げる気でいる。
そんな彼女の心情を知ってか知らずか、両手首を押さえる手の力が強くなった。そのくせして片手のみで押さえていると言うのだから、恐ろしい話である。
「答え、教えてあげましょうか?」
「……言っていただけるのであれば、ぜひ」
寵妃は空いているほうの手で月影の黒髪を一房取ると、くるくると指先で弄ぶ。その動作があまりにも艶めかしく、頭が痛くなってきた。香の香りが、それを余計に促進させる。
「答えはとても簡単だわ。わたしは皇帝の寵妃であり――同時に皇帝自身でもあるのだよ、月影。今代皇帝・鴻仁。それがわたしの名だ」
「…………は、い?」
予期しない返答に、頭がついていかない。
とりあえず思ったのは、たった一言。
(皇帝陛下が寵妃やっているって……どういうことですか)
これに尽きるというものである。
***
話は少し昔にさかのぼる。
月影が後宮に入ることが決定したのは、今からひと月ほど前のことだった。秋晴れの空が美しく、その話さえなければ笑顔で稲刈りができていたのだが。
それはさておき。
彼女はもともと、後宮に召し上げられるような女ではない。
なんせ武家の娘である。武家の娘は武官になることが当然のように決められていたこの国では、ほぼあり得ないことなのであった。相応の高官の娘ならば話は別だが、月影は田舎に邸宅を持つ家の娘である。残念なことに、希望はない。
見目麗しい容姿でもあれば話は違ったかもしれないが、彼女の身長は女にしては高く、顔も中性的だった。金色の瞳も切れ長である。髪をひとつにまとめたり切ったりしてしまえば、男に間違われるほどだった。
ただ月影はそれを良いことに、男の衣ばかり着ていたが。
十六のときに武官になり、二年。女としてはだいぶ行き遅れている感が否めないが、兄が嫁を娶り後継もいるので、子を産まなければならない心配がない。母親は頭を痛めていたが、月影にはどうにも性に合わなかった。
ゆえに武官として生き武官として死ぬものかと思っていたのだが、神は無慈悲だ。なんと、後宮に呼ばれてしまったのである。
それを見た母は飛び上がって喜んだが、月影としては
(こんな生き遅れて前の、田舎娘を後宮入りさせる?
皇帝陛下も血迷ったのか)
と思わざる得なかった。
事実、田舎娘を後宮入りさせるなど前代未聞である。いくら後宮が皇帝の庭だからと言って、雑草が生えていて良いわけがないのだ。雑草は抜かれ、丁寧に育てられた綺麗な花だけが生き残る。これは常識だ。
しかし拒否権などあるわけもなく、月影は渋々首都へと向かったのである。
そんなこんなで、後宮入りしてから早十日。
月影はなんとなく、自分が呼ばれた理由を悟り始めていた。
(なるほど。綺麗な花では生き残れない環境だ、ここ)
月影は、下女が持ってきた料理から目を逸らしながら思う。
それをまじまじと眺めるのは、月影が実家から唯一連れてきた使用人・麻雀だ。下級妃でもひとりは連れて来れるらしいので、連れてきたのである。
「わー。今日も今日とて、なんか入ってますね。虫? 毒? 誰が調理してるんでしょう」
「いや、知らないよ」
そう。料理には、そういうものが入っていると分かるほどのものが蠢いているのである。可憐なお姫様たちからしてみたら、卒倒しかねない悪戯だ。
しかしふたりとも、片田舎の出。これくらいの虫ならばよく見かけた。むしろ、もっと大きいものを見たことがある。そのため、さほど抵抗はないのだが。
(だからと言って、食べたいとは思わない……)
食事くらい、穏やかに食べさせてくれないのだろうか。月影はそう思った。
しかしこの後宮、その程度のことはまだ序の口なのである。
毒の混入から暗殺者の来訪まで、多種多様の嫌がらせが用意されているのだ。嫌がらせの域を超えている。
月影の家はもともと隠密稼業をしていたため、今でももともとあった風習が色濃く残っている。そのため幼い頃から慣らされ毒の耐性を持ち合わせているが、進んで食べようとは思わない。
暗殺者に関しては、面倒臭すぎて対処に困る。
(後宮って、皇帝陛下の庭じゃなかったっけ……戦場か何かか?)
月影がそうげんなりするのも、無理はない。
しかもこれをやっているのが後宮内の上位の妃たちだというのだから、頭痛も鳴り止まないというものだ。
麻雀に食べ物を片付けてもらいながら、月影は頭を抱える。
「後宮は蠱毒か何かか……」
「お、そのたとえ、今の状況にすごくあってますね! 美しい女たちが、他の女たちを蹴落とすという現在の構図にぴったりです!」
「やめて。嬉々としてそんなこと言わないで」
そもそも後宮がこんなことになっているのは、すべて皇帝のせいなのだ。
今代皇帝はひとりの寵妃にかまけ、他の妃を蔑ろにしているのである。
しかし今代皇帝、噂だとかなりの美人だという。なんでも、天上の花と言われるほどの美貌を併せ持っているのだとか。
それゆえに王妃になりたい女は後を絶たず、されど当の本人はやってこない。うさばかりが溜まる。
結果上位の妃たちがおこない始めたのは、潰し合い。そして、下位の妃たちをいびることである。
寵妃をいびればいいと思うかもしれないが、以前手を出した妃が大変なことになり、後宮を去ったのだとか。それ以来妃たちの間では、寵妃に触れないことが暗黙の決まりと化している。
ならばとっとと後宮を去れば良いと思うのだが、そうも行かないのが貴族というやつらしい。
「こんな場所、とっとと潰れてしまえ……」
月影はそう、呪詛を吐き出した。
するとちょうど良く帰ってきた麻雀が、その言葉を拾う。
「まーぶっちゃけ、いくら政治的に使えるからってこんなに女いりませんからね。初代の皇帝陛下が女好きだったせいで、こんなになっちゃったってだけで。実際、最近の皇帝陛下はあんまり多く、妃を入れないらしいですよー。後継者問題さえどうにかなればいいわけですからね」
「でしょうね……いや、そもそも、その皇帝陛下が悪いと思うんだ、わたし」
「それは思いますねーはいー」
そう。皇帝がちゃんと管理すれば、ここまで無秩序にはならなかったのである。すべて皇帝のせいだ。巷では賢王賢王と名高い人物だが、自身の庭さえ管理できないのだから世話ない。
(もしこれをわざと放っておいているんだとしたら、勘弁してほしい。迷惑だから帰らせてくれ)
月影は別に、そんなものに巻き込まれたくないのだ。お陰様で、彼女の中の皇帝に対する好感度はかなり下がっている。
それと同時に、月影は自身を呼んだ父方の知り合いを恨んだ。
(わたしが良いんじゃないかって進言したおじさんに、今度唐辛子入りの饅頭を食わせてやろう……)
いくら皇帝が寵妃しか愛さないからと言って、傾向の違う女を片っ端から集めるのは良くないと思うのだ。現に月影は、大変迷惑している。
なんだかイライラしてきた彼女は、体裁を保つために着ていた衣を脱ぎ捨てた。
そして慣れ親しんだ男の衣に着替える。見た目だけ見れば、後宮に出入りしている宦官に見えるはずだ。
そのまま窓から出て行こうとすると、麻雀が言う。
「夕食までには帰ってきてくださいねー。麻雀、月影様を巻き込んだ武官のおじさまに言って良さげな食材もらいましたんで。今日は豪華にいきましょー」
「分かった。じゃあ行ってくるわ」
「行ってらっしゃい〜良い情報が入ることを願っています」
そんなやり取りを得て、月影は窓から飛び降りた。
彼女が男装をしているのは、純粋に動きやすいから。
下女ではなく宦官の姿を使っているのは、そのほうが絡まれにくいからである。下女に何か命令してくる妃は多いが、宦官が歩いていてもあまり言わない。不思議なものだ。
月影自身はなんだかんだ言って動きやすいので、とても気に入っている。
人に見つかることなく廊下に出ることができた彼女は、早速情報集めを始めた。
月影の家はもともと隠密稼業を営んでいた過去がある。そのため今でも風習が残っていると先ほど言ったが、それは諜報活動に関しても同様だった。ある程度の諜報知識は頭に入っている。
その知識を活かし、月影はこうして宦官に化けていると言うわけだ。
宦官だと城のほうに行っても問題ないので、大変喜ばしい。できることならうっかり皇帝にでも会って、首を狩りたいものである。やらないな。武器もないし。
効くのか分からない呪術も習っているので、今度試してみようかなと本気で思った。バレたら怖いのでやらないが。
城に来ると、皇帝に対する殺意ばかり芽生える。いかんいかん。やるべきことをしよう。
と行っても、気分転換を兼ねて情報収集をしているだけだ。別にしっかりとした目的があるわけではない。暇つぶしに書庫に入り浸ることもあるが、あまりやり過ぎるとばれるのでほどほどにしていた。
ただこうしていると、そこそこ情勢が見えてくる。
(皇帝陛下は、一部の貴族たちからとても嫌われているのか)
片田舎にいるとまるで関係ないが、どうやら首都はどろどろしたものにまみれていたようだ。恐ろしい。
その不況をどうにかして落ち着かせるために、その貴族たちの娘を後宮に入れたのだが、このザマだ。皇帝は本当に賢王なのだろうか。愚王の間違いではないか。
そもそも皇帝は、後宮という場所が嫌いであるらしい。できれば廃止したいという話は、官吏ならば誰でも知っている情報なのだと、新人だと勘違いしてくれた官吏が教えてくれた。ノリがかなり良かったので、他にもいろんなことを話してくれて助かった。かわりに、話は長すぎるし自慢話が間に挟まるが。
とにもかくにも、その話を聞いたときは「その点だけは意見が一致しているな」と思ったものだ。
ぜひとも壊して欲しい。そして二度と元に戻らないよう、法律にでも定めておいてくれたらなおのこと良い。一夫多妻制など、禁ずれば良いのだ。夫が妻を管理できないならば。
それから数刻ぶらぶらした後、月影は庭に実っていた木の実を数個いただいてきた。食事に関しては本当に自給自足なので、こういうことをしなくてはならない。実りの秋で良かったと、本気で思った。冬だったら何を食べたら良いのだろう。雑草だろうか。そこそこ美味しいのはあるが、見つけるのが大変そうだ。
今日も今日とて晴れやかな気持ちで部屋に戻ると、麻雀が卓に山ほどの料理を用意し待っていた。
「あ、おかえりなさい月影様」
「ただいま。ご飯食べよっか」
「そうですねー」
お土産の木の実を渡すと、麻雀は嬉しそうにする。彼女の料理は絶品なので、さぞや美味しい料理にしてくれるだろう。明日も良い食事になりそうだ。あの虫入り食事を見るのは嫌だが。
月影にとって麻雀は親友も同然。そのため一緒の卓につき、ともに食べる。
そうして、豪勢ながらも慣れ親しんだ食事に舌鼓を打っていたときだ。麻雀が、思い出したように声を上げた。
「あ、そうです、月影様」
「なあに?」
「なんか、寵妃様の使者だとかいう方が、さっき来ました」
「………………は?」
そんな声が漏れてしまったことは、仕方のないことだと言ってもらいたい。
***
それが、月影と寵妃が出会う少し前の話だ。
どうしようもない出会いだな、と思いながら、月影は身をよじった。足技でも繰り出せないものかと思ったが、足の間に寵妃の、いや、皇帝の足が割り込んでいるため、無理そうだ。
月影は内心舌打ちをした。
(一瞬でもこの愚王にときめいたわたしが馬鹿だった!)
剣があったら首を掻っ切って死にたくなるくらいの恥だ。
無表情のままそう思っていると、鴻仁は首をかしげた。その口調はすっかり男のものになっている。声も低く、先ほどまでのはわざと作った声だということが分かった。腹立たしいくらい入念である。
「思った以上に驚かないのだな」
「……これでも結構驚いています」
ただ、顔に出さないだけだ。押し倒されたときは驚きのあまり顔に出たが、二度目はない。文句があるならこういう風に育てた父親に言ってもらいたい。
「それで、どうして女装を。ご趣味ですか」
「別に、女装の趣味はないのだがなあ。まあ簡単に言えば、妃を娶るのが面倒臭かったのだ。それゆえに、一人二役演じていた。中性的な顔立ちをしているから、女の格好が似合うことくらい知っていたしな」
「それは……なんともまあ、面倒臭いことを」
月影はそう受け答えをしていたが、できればそれ以上聞きたくなかった。自分で聞いておいてなんだが、さらなる面倒ごとに巻き込まれそうだと、そう思ったのである。
しかし当の本人は、それを許してくれないらしい。むしろ取り返しのつかないところまで落ちてしまえと言わんばかりに、月影に事実を話し始めた。
「他にも理由はあるぞ? うるさい貴族たちを、これを機に取り除こうと思ったのだ。策は見事成功したが」
「あ、そうなのですね。お疲れ様です、おめでとうございます」
「ああ。尻尾を出してくれないから困っていたが、ようやく見つけることができて助かった。まさか、わたしを排除して国を乗っ取ろうとしていたとはな」
「陛下のことですから、ご存知だったのではないですか。妃たちが宦官や官吏たちと通じて、内部情勢を調べさせていたことくらい」
「ああ。だからこそ、嬉しかった。内部の掃除もできたからな。前皇帝の残した塵が、ようやく片付いたというものだ」
(ほう。ならばわたしも一緒に片付けてもらえないだろうか。実家に帰るから)
そう思ったが、そういうわけにはいかなそうだ。ここまで裏事情を知ってしまったのだから、無理もない。このくそったれめ。
そう思っていると、鴻仁は残念そうな顔をする。
「それにしても。ようやくそなたを手に入れることができそうなのに、反応があまり良くないな。もっと可愛らしい反応をしてくれると思っていたのだが」
「……勘弁してください。そんな反応求められても困ります」
「そうか? わたしが寵妃としてそなたと接していた頃は、あんなにも可愛らしかったのに」
「……ッッッ!! それ、は……っ!!」
思わず声を荒げると、鴻仁の瞳が三日月のように細まる。ようやく現れた変化を逃すまいと、彼はさらに畳み掛けてきた。
「本当に可愛かったなあ。女に対してそういう感情を抱いてしまったのか、とても戸惑っていた。それが可愛らしくて、つい色々してしまったな。反応が新鮮で、楽しかったぞ」
「ほんっとうに性悪ですね……っ」
月影の気持ちを知った上で、関わっていたというのか。
打算的な男である。腹立たしいことこの上ない。
月影は憎々しく思いながらも、自身の愚かな過去を思い出していた。
***
月影が寵妃と会ったのは、使者がきた次の日のこと。
彼女が寵妃の部屋に出向く形で、会うことになった。
麻雀共々図太いためそこまでではないが、やはり緊張はする。
(え、寵妃が下っ端妃を呼び出すって何……「あの方はわたくしのものなのですから、とっとと家に帰りなさい小娘が」とかって言われるのか……?)
貴族社会の事情はまるで分からない。できるならば平穏にことが運んで欲しいものだ。呼び出されたのに罵倒が来るとなると、心も冷めるというものである。
そうビクビクしながら扉を叩けば、侍女が応対してくれた。
「昨日はどうもありがとうございました。月影です。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「月影様ですね。どうぞ、お入りください」
寵妃の侍女はどうやら、月影に悪感情を抱いていないらしい。
笑顔で中に通され、拍子抜けした。
(てっきり何か言われるのかと)
後宮きてから、色々考え過ぎかもしれない。そう、月影は思う。
開かれた扉をくぐり客間に案内された月影は、そこで待ち受けていた人物を見て一瞬固まった。
雪のように美しい白銀の長髪に、涼やかな紫紺色の瞳。顔は恐ろしいほど整っており、すれ違えば振り返るほどだ。
寵妃はにこりと微笑むと、椅子から立ち上がり軽く頭を下げる。
身長は月影より高いが、逆にそれが美しさを引き立てていた。
「突然呼んでしまい、ごめんなさい。どうぞおかけになって」
「は、はい。ありがとうございます……」
促されるままに椅子に腰掛けると、卓の上にたくさんのお菓子が乗っていることに気づいた。
そのどれもがとてもちゃんとしており、虫料理ばかり見ていた月影は「なんだこれすごい」と嫌な意味で感動してしまう。しかし警戒心が優ってか、手がつけられない。それが悔しかった。
そんなことを思っているなどつゆ知らず。寵妃は紅で彩られた唇を開いた。
「はじめまして、月影様。今回はあなたとお話がしたくて呼んだのよ」
「お話、ですか」
月影は思わず、背筋を伸ばしてしまった。
しかし予想に反して、寵妃から出たのは穏やかな声だ。
「他の妃たちが、あなたたちに色々と嫌なことをしていると聞いて。わたしに慰められても嬉しくないと思うのだけれど、でも動かずにはいられなかったの。……迷惑ではなかったかしら?」
「え、あ、はい。わたしは全然」
「まあ、良かった! 皆さん、いつも怒って帰ってしまうから」
でしょうねーと月影は思った。
後宮に呼ばれたのにこの対応とは、死ねと言われているようなものである。月影には頼りになる麻雀と、今回の元凶たる武官の知り合いがいるためそこから食材をもらえば良いが、かなり大変だろう。
そのため、ひと月で帰ってしまう妃がほとんどだ。皇帝のお手つきがなければ、ひと月で帰っても良いということになっている。
何度も言うが、なぜ呼んだのだろう。甚だ疑問だ。いや、中には呼んでもいないのに、内部のコネを使って入ってくる妃もいるらしいが。
皇帝には、女の心を折る趣味でもあるのだろうか。もしくは女に対して、悪感情を抱いているのだろうか。そう思えるくらいには、後宮に関することへの関心がなかった。
(もしくは、一途なのかな)
月影は、寵妃をまじまじと眺めた。
彼女に関する情報をあらかじめ仕入れてはいたが、国を傾けるほどの美しさを持つ絶世の美女で、名前は知られていないという情報しか出なかった。どこの家の姫なのかすら分からないのだ。愛称のように、「寵妃様寵妃様」と呼ばれているんだとか。
話してみて分かったのは、寵妃は別に悪い人ではないということである。こうして心配しているのだから、心根の優しい人なのだろう。それはよく分かった。
ただそれは貴族たちからしてみたら、腹立たしいことこの上なかろう。下に見られていると、そう思ったに違いない。
少なくとも月影以外の妃は、ちゃんと良いとこの出だった。本当に、なぜ月影は呼ばれたのだろう。説明してほしい。父方の知り合いを恨むしかない。
月影は、何を言ったら良いか分からず曖昧な笑みを浮かべる。すると寵妃は、楽しそうに月影の手を取ってきた。
突然の接触に、え、と声が漏れる。
そんなことも構わず、寵妃は満面の笑みを浮かべた。
「月影様はとても素敵な方なのね! わたし、一気に好きになったわ!」
「……へ? す、好き?」
「ええ!」
突然そんなこと言われても、反応しづらい。月影は困惑した。
どうにかして手を外そうと試みてみるが、がっしりと掴まれているため無理そうだ。月影は早々に諦める。
そうこうしている間になぜか話は進み。
月影はいつの間にか、「寵妃の友人」という立ち位置になっていた。
また来てちょうだい! の一言に見送られ、月影は自身の部屋へと戻る。
そして部屋に入ると、頭を抱えた。そんな月影を、麻雀がからかい半分で慰めてくれる。
「何がどうしてこうなった……」
「月影様、押し弱すぎ。そういうところ、昔から変わりませんねー」
「うるさい」
「あーあ。面倒臭いことに巻き込まれちゃいましたねーまた」
「うるさい知ってる」
「はいはい」
ひどい親友だ。あしらい方が雑すぎる。
それに不平不満を言いながら、月影はこれからのことを思い頭を抱えたくなった。
がしかし、また来てねと言われたら行かなければならないのが、下級妃の悲しいところである。
翌日も月影は彼女の部屋に足を運び、お茶を飲んでいた。二日目なので、昨日よりも警戒心は抜けた。そのため茶菓子をつまみながら談笑をする。
話を重ねていくうちに分かったのは、彼女という存在がとても夢見がちでほわほわしているということだった。
「わたしね、貴族制度なんてなくなってしまえばいいって思っているの。月影様はどう思う?」
「そうですね……貴族制度がなくなったとしても、貧富の差は必ず生まれると思いますよ。また新たな上下関係が生まれるだけかな、と」
「そっか……難しいわね」
「そうですね。難しいです」
ただその言葉から、皇帝の力になりたいということは分かる。彼女は無知なりに、色々と勉強しているのだろう。月影の回答に対しても真面目に頷いているし、なんでも吸収する性格のようだ。
(彼女のような人に魅せられちゃうのも、仕方ないことかもなぁ)
他の貴族にはない強かさと芯の強さ、そしてしなやかさがあった。傲慢で自尊心が強い娘たちが多い中、良くぞこんなふうに成長したものである。
茶をすすりながら、そう思った。
ただ困るのが、ことあるごとに「好き」だのなんだのといったり、月影のことを褒めるところだろうか。
そんなことを言われると、相手が女だというのになぜかどきりとしてしまうのだ。
所作ひとつひとつを取っても洗練されており、美しい。見目も美しいが、滲み出るものがとても美しかった。魂とでも言えば良いだろうか。心が本当にまっさらで、子どものようだ。それが髪の色同様気高く尊い。自分には到底できないことだった。
頭のおかしいことを言っていると思われそうだが、なぜか引かれてしまうのだから仕方ない。
それから何日も彼女の部屋に通うことになるが、それは日を置くごとに増していった。
勘弁して欲しい。男装することのほうが気楽だからと言って、別に女が好きというわけではなかったはずなのだが。
変な扉でも開いたのだろうか、と月影は自分を心配する。ひと月経ったら自分も出て行った方が良いかもしれない。そして医者に診てもらおう。それが良い。
月影は寵妃に惹かれていく自分に呆れながら、ひと月の間だけ、と自分に言い聞かせ、彼女との茶会を続けていたのである。
それも終わりに近づいて来た頃、月影はふととあることを口にした。
「寵妃様は、皇帝陛下をどのような方だと思っていますか?」
「……え?」
「あ、答えたくないのであれば大丈夫です。ただ一度もお会いしたことがないので、よく分からなくて」
「そう、そうよね……」
月影は、寵妃の口から皇帝に対する印象を聞いてみたかった。彼女のまっさらな心に、皇帝はどのように写っているのだろう。そう感じたのである。
月影の中での評価はかなり低いが、どうなのだろうか。
彼女がドキドキしながら答えを待っていると、寵妃が口を開く。
「そうね……まず、とてもわがままな方だわ。わがままで傲慢。自分の思い通りにことを運ばせるためなら、なんだってする。そんな方ね」
「へ、へえ……」
駄目だ。月影の第一印象と同じである。
なぜか月影は、皇帝が不憫に思えてきた。
しかし、寵妃はさらに続ける。
「でも、どうしようもないくらい寂しい方でもあるわ。空っぽの自分が嫌いなのでしょうね」
「……皇帝陛下が、空っぽ?」
「……ええ、そう。外見は綺麗でも、中身がないの。本当に欲しいものが、見つかってないのかもしれないわね」
月影は首を傾げたくなった。
本当に欲しいものが寵妃だから、彼女のことだけを愛して他の妃を蔑ろにしているのではないだろうか。そう感じたのである。
しかしそれを言っても仕方ないかな、と思い、月影は茶菓子の饅頭に口をつけた。
そこで気づく。
(ん……? これ、毒入ってない……?)
まさかとは思ったが、間違いなく毒だ。
ただ飲み込んでもあまり効かないため、このまま平然としていようかと考えた。
しかし寵妃がそれを食べようとしているのを見て、月影は動揺する。
(どうしたら良い)
今できることは、おそらくひとつだ。
月影はそう思い、体を傾ける。
そしてそのまま、床に倒れ込んだのである。
***
そんな経緯を経て、寝台で療養していたわけだが。
実際には効いてなかったため、大変暇をしていた。
暇をしていたらしていたで押し倒されるわ拘束されるわ、秘密を暴露されるわするのだから、暇じゃないほうがいいのかもしれない。暇している間に、後宮が清掃されていたのだから笑えない話だ。
鴻仁をきつく睨み付けると、彼は困った顔をした。
「わたしでは駄目か?」
「……はい?」
「寵妃でなくては駄目か?」
「……は、あ?」
皇帝に対して吐くべきじゃない声が漏れてしまった。
しかし仕方ない。それだけ、突拍子もないことだったのだから。
すると、さらに悲しそうな顔をされた。一体なんなのだ。
「寵妃の言葉でなければ、信用できないか?」
そう言われ、月影は押し黙る。
そこで考えた。
(皇帝陛下と寵妃様は同一人物だったわけだよね? つまりそれって、どこかしら似ている面があるってことでもあるのか)
いくら演技をしようとも、滲み出るものはある。その部分が、月影が引かれた清らかさなのであれば、信じるに足るのかもしれないが。
(なんだろう。こう、現状もあいまって、とても信用できない……)
月影は半眼になった。
「少なくとも寵妃様は、わたしを押し倒したり拘束したりはしなかったと思います。ええ」
「……すまぬ。どけよう」
思った以上に素直に、鴻仁は避けてくれた。
手首を見たが、別に痕は付いていない。どうやら力加減してくれたようだ。
月影が起き上がろうとすると、背中に手を入れ支えてくれる。月影は寝台に腰かけた。
そして立ち尽くす鴻仁に問いかける。
「陛下と寵妃様の心が同一であるとしましょう。つまり陛下は、わたしのことが好きなのですか?」
「そうだ」
「どのような点が?」
「……わたしの話に、耳を傾けてくれるところ。わたしに、一切の打算なく付き合ってくれたところだ」
それは、月影じゃなくてもできそうなものである。
しかしそのやり取りを経て、月影はなんとなく共通点を見つけていた。
(なんだろう。子どもみたい)
先ほどまで月影を押し倒し、楽しそうに反応を見ていたが、月影が言うと素直に放してくれたし、それからは接触もない。
そこで彼女は、寵妃が言っていたことを思い出した。
(皇帝陛下は、空っぽ。いつも何かを探している)
もしかしたら、だが。
一人二役演じていたのも、子どものごっこ遊びのようなものかもしれない。つまり、自分が欲しいものを寵妃の自分に求めたのだ。傲慢な自分をすべて包み込んでくれる、そんな自分に。
でもそんなものでは満たされない。それは当たり前である。
月影は困ってしまった。
そんなときだ。鴻仁はぽつりぽつりと、語り始めた。
「……本当は。本当は月影を犯して、無理矢理自分のものにしようと思ったのだ」
おっそろしいことを言われた。勘弁してくれ。そんなことをしても、月影は心を開かない。むしろより頑なになっていただろう。
「でも、それじゃあ駄目なのだろうなと、怯えぬそなたを見て思った。わたしは、そなたのことが好きだ。愛している」
「……はい」
「どうすればこの想いが伝わる? わたしの言葉が通じる?」
そう言う鴻仁は、本当に小さな子どもに見えた。
「皇帝の息子ゆえに、ねだればなんでも手に入った。ゆえに伝え方が分からぬ。そなたに嫌われぬ方法で伝えたいのに、分からぬのだ」
月影はそれを聞き、立ち上がった。
そして背伸びをし、よしよしと頭を撫でる。
鴻仁が戸惑うのが見えた。
「大丈夫です。十二分に伝わりましたよ」
おそらく、それは本当に拙い「好き」という感情なのだろうけど。月影が魅せられてしまった白さがそこにあった。
いずれ別の誰かを好きになってしまうかもしれないけれど、別に良い。そんな彼に付き合うのが、魅せられてしまった月影の役割なのだろう。そう思った。
ここまで巻き込まれたのならば、とことん付き合おうではないか。
そう思った月影は、にこりと微笑む。
「陛下が望むのであれば、隣りにいましょう。あなた様がわたしを必要としなくなるその日まで」
「それは本当か?」
「ええ、もちろんです」
「……撤回はさせぬぞ?」
「はい」
そう言うと、鴻仁は月影を抱き締めた。
そして優しく顎を持ち上げ、口づけを落とす。本当に一瞬の出来事だったけれど、なんだか満たされたような気がした。
鴻仁が、月影の唇を拭う。
「紅は嫌いだったのだが……紅が移った月影の姿が見れるのは良いな」
ちろりと、鴻仁が自身の唇を舐めた。その挙動があまりにも艶かしく。その瞳があまりにも凶暴で。月影は固まる。
そして鴻仁は、笑顔で告げた。
「そなた以外はいらぬから、後宮は解体してしまおう」
「………………はい?」
「言葉で伝えるのが苦手ならば、行動で伝えるべきであろう?
わたしはそなた以外の妃を娶る気は無い。ならば、後宮などいらぬ。面倒な輩はすべて排除したのだから、別に良かろう」
「…………あ、え、えっ?」
(ちょっと待とう。え、本気ですか?)
月影はもしかしたら、とんでもない人に捕まってしまったのかもしれない。
そう言えば、寵妃も言っていた。わがままで傲慢で、自分の思い通りにことを運ばせるためなら、なんでもすると。
どうやら鴻仁は今までの概念をすべて壊し、自分の思い通りに進めようとしているようだ。
子どもだなんてとんでもない。この男は、子どもの頃の相手を一途に愛し続けるような。そんな男なのだ。
どうやら人生の最後まで、その傲慢さに振り回されることになるらしい。
月影を抱き締めたまま、鴻仁は楽しそうに笑っていた。ああ、眩しい。眩しすぎる。もう少し抑えてほしいものだ。
そんな男に惹かれてしまった自身の馬鹿さ加減に呆れながらも。月影はまあ良いかと笑って諦めた。
情報収集や盾としてくらいなら役立てるであろうと。そう思いながら。
それから数年後、この国で大幅な変更が幾度にも渡りおこなわれた。
その皇帝は人によって、賢王だの愚王だの暴君だのと呼ばれていたが、国を繁栄させるために最も活躍した皇帝だと、のちに伝えられている。
そしてその隣りにはいつも、彼を陰ながら支える、皇后の存在があったという。
皇后は後に、子を三人産んだ。その子らは父親亡き後、父の志を掲げさらに国を発展させて行った。
皇帝が亡くなったとほぼ同時に皇后も亡くなったと言われているが、しかし誰も、その姿を見た者はおらず。
まるで光に照らされることによって生まれる影のようだと。そう言われていた――




