少女の名前は
投棄された謎の施設で少女を助け出したエルネは街の市街地へ赴く――
街に着くと彼女の風貌は街をゆく人々の視線を集めた。
もう普通に歩けていたし、服装さえしっかりしていれば普通の少女のように見えるだろう、
いや、しかし視線を集めている理由はその美しさだったようだ。
長い黒髪は今では珍しいし、白い素肌に、
すっと通った鼻梁と長い睫、そこから濡れた虹色の虹彩の瞳が覗く。
唇は先ほどまでは驚くほど無機質だったが、今は華やかな赤色になっていて紅を注したかのようだ。
これほどの女性を帯同して、裸足で歩くエルネもまた人目を引いていたが。
「おいエルネ! 誰だその子? 彼女かよ!?」
ぬっと生えるようにして突如二人の前に現れたのは、
ラッキーなことにこれから向かう医者の家の息子だった。
だが、この状況で会うと一番厄介になりかねない人物でもあるかな?
こいつの名前はハント、エルネの生来の親友だ。
「ハント、今日お前の父ちゃんいるか?」
詮索をされないようハントの話は無視して単刀直入に切り込む。
「あ? ああ、初めまして、俺ハントってんだ! こいつのマブダチ!」
が、ハントにはすでに少女しか見えていない。
少女がびっくりするのもお構いなしにその薄汚い手で握手を求める。
「は、初めまして」
少女は見た目通りの優しさでハントに挨拶した。
ハントは眼がランランとしている。
「おい、ばかハント耳貸せ!!!」
「な、何だよ、まだ何もしてないだろ?!」
少女が少し街の賑わいに眼を奪われている隙にエルネはハントの耳を引っ張り事の子細を伝えた。
「え、マジかよ! お、俺、先に、父ちゃんのところいってくる! 早く来いよ!」
ハントは疑わなかった、なぜならエルネが女の子を連れていると言うこと自体があり得ない構図過ぎたし、何人かアークから起きた人々の症例を実際に見ていてそれと一致していたからだ。
「あれ? ハントさんは?」
少女が振り返るとハントは既に近道の小道に走りこんでいた。
「先に行くって。あ、あいつこれから行く病院の息子なんだ」
「そう。私の事、伝えに行ってくれたの?」
「うん」
「そうかぁー」
どっちともつかない返答だった。
「ごめんね。私、いろいろ珍しくて。さ、病院、行きましょ」
少女はそう言って病院への道を急いだ。
自分が何者だか解らないのは不安だろうし。早く取り戻せるなら、と。
入り口の自動ドアから病院に入った。
街の風景とは打って変わって街一番の病院、
リー総合病院の中は現在の医療技術の粋を集めた白い要塞だ。
受付のところでハントの父親のマールーズ・リーが待っていてくれた。
「エルネ君、事情はハントから聞いたよ。キミか、その女の子ってのは」
「え、あ、はい。私、その、記憶が無いみたいなんです」
その応答を聞いてマールーズはほっと肩をなでおろした。
過去に見てきたアークから起きた人間の最悪なケースに当てはまる回答ではないから。
「良かった。大丈夫だ、キミならなんとかなりそうだ。母さん、急患だ。頼むよ」
マールーズは看護師をやっいてるジェーン叔母さんを呼び、少女を連れて病院の診察室へ入った。
診察室への入り際、少女はふいにエルネの方を向き、
「エルネ、終わるまで待っていてくれますか?」と訪ねた。
「もっちろん」エルネは答えた。
だが記憶喪失の治療なんてすぐに終わるのだろうかという不安もあった。
普段ごった返している病院はたまたま昼休みの時間だったので待合いには誰もいない。
広々としたロビーにエルネとハントだけだ。
「エルネ、さっきの話本当なのか?」
「ああ、西の"丸石崖"あるだろ? あそこの地下にスリープ用のシェルターってか
アークがあったんだ」
「あんなところにか。彼女のほかには人は誰か居なかったのか?」
「うん。三つアークがあったけど二つは空いてた」
「ふーん。なんか、ありそうだな」
「ああ」
「面倒だけは勘弁だぞ!」
「面倒になってもハントは頼らないから大丈夫。これでも剣王なんだぜオレ?」
「元、な。って、しかし、あの子可愛いよなー」
「別に可愛いから助けたとかじゃないぞ?」
「あっそー、その割にはさっきずいぶんと仲良く見えたんだけどなぁ」
暫く経ってから、診療中のランプが消えてマールーズが出てきた。
「叔父さん、どうなの?」
エルネがマールーズに駆け寄る。
「記憶は戻ったよ。けど……」
「けど?」
部屋から少女も出てきた。複雑な顔をしていた。
「エルネ、私、思い出したわ。私、機械、いえ、ヒューマノイドなの……」
「え!」
あの軽さはそのせいだったのかという(え!)だった。
「どうやら彼女は、何か特殊な作業のために作られた端末だったようだ。
なんとか名前は思い出させることができたが、それ以外の部分は
完全にブラックボックス化されててさっぱり。
私の手には全く負えないようだよ」
この時代、ヒューマノイド、所謂コンピューターは人型で普通に人間社会で暮らしている。
人からヒューマノイドへの改体もヒューマノイドから人への改体も
合法的にできるようになっていた。
なので彼女が機械であること自体には大して驚きは無かった。
だが彼女はこの時点ではそれは知らず、
エルネや、ハントの反応は機械人形であることへの抵抗のようにも見て取れた。
しかしそれよりも自分の事でわからない事だらけだった。
「私、どうしてここにいるのかが自分にアクセスしても解らないの」
彼女は顔を伏せ塞さぎ込む。
「名前は? キミの名前」
エルネは町では機械の人には会ったことが無かったが、
まるっきり人である彼女には人として接するのが妥当であるとすぐに思い彼女に尋ねた。
「あ、先に言うべきだったね、私、ヒカリ、
ヒカリ・エレナ・グシュナサファ。名前は思い出せたの。
助けてくれてありがと。エルネ。ヒカリでいいよ」
彼女は胸に手を当てて答えた。めいいっぱい頑張ってる作り笑顔だった。
「そうか、ヒカリか。よろしくね」
エルネは改めて挨拶して目線を合わせた。彼女の瞳の奥に何か見えた気がした。
「全く、エルネ君がヒカリさんを起こしたことは幸いしたよ、
なんだか彼女の駆体は特殊なようだから。
この時勢に役人が見つけてたら大騒ぎになっていたかもしれない。
一応このUNM^2についてとか、
先の大戦のこととかはざっくり説明しておいたけど、
そこら辺の理解は早くって助かったよ」
とマールーズがいうと少女は力なさげに微笑んだ。
機械には普通コールドスリープをかけない。意味がないからだ。
だが、彼女はアークに入っていた。
体の大半が有機物質でできているヒューマノイドだとしても
脳自体のバックアップをとって保存できるために、通常はスリープをかけない。
なのに何故彼女は?……
「ヒカリさん、キミはどうしたい?
明らかにキミの駆体には何らかの秘密がありそうだ。
だからって政府に出頭する訳には行くまい」
あの十三日戦争が明けて直ぐの世界情勢は混乱に混乱を極めており、
恐らくセカンド・サンの破壊へ赴くことに時流は傾いているが、
それ以前に圧倒的破壊兵器であるNEFの問題等に揺れていた。
そんな中UNM^2の地方都市で旧時代の〈特殊なヒューマノイド〉が
見つかるとなれば混乱の渦中に、
政府に渡り次第解体されたりもされかねない。
「私は、できれば、しばらくエルネといたいです。
自身へのアクセス方法も思い出しましたし、
彼と居れば他の事もいろいろ思い出せそうなんです」
ヒカリはエルネの服の裾を掴もうとして掴めないで、
彼の方を見つめつつそう呟いた。
こう言う彼女をみてマールーズは思わずにやりとしてしまった。
「彼女はこういってるんだけど、どうする? エルネ君」
あまりにもあっけらかんとした展開にハントは口をあけたままだ。
エルネは鼻の頭を掻いてから、手持ちぶさたで浮いてたヒカリの指先を
そっと右手で掴み返して答えた。
「俺はかまわないけど――俺ん家一人暮らしだよ? ヒカリは女の子だし、大丈夫かな?」
直後、後ろからジェーン叔母さんが出てきてエルネの頭をこづいた。
「何オマセなこと言ってるんだよ? 当然お世話は私がみるよ!」
エルネは叔母さんのこづいた箇所をさすりながら。
「てへへ、そっか、それなら安心安心」
とにへら笑いをうかべた。そのやりとりをみてヒカリはにこにこしていた。
一同はマールーズ家の居間に移動しながら話を続けた。
ヒカリはエルネに一人暮らしの理由を聞いた。
「エルネのご家族は?」
エルネは普通に答えた。
「あ、うち、父さんも、母さんも、黒死病って病気で俺が14歳の頃に死んじゃったんだ」
こんな回答が帰ってくると思わなかったヒカリははっとした。
「! ごめんなさいっ」
「いいよ、気にしてないから。うちは教会だから部屋はいっぱいあるし。
うちに来たいなら全然いいよ~」
ハントは話に横やりを入れた。
「ったくお前はいつもそうだな。親が死んだ話なんか暢気にするもんじゃねーぞ?」
「いいだろ? 別に」
ジェーンおばさんはキッっとハントを睨み付けた。ハントは急にしゅんとしていた。
その様子をみてヒカリは何か複雑な事情でもあるのかな、と思った。