東京都電の路面蒸気車
東京都には、21世紀現在でも、「東京都電」による網の目のような路面電車の軌道が敷かれています。
自動車の普及や地下鉄網の整備により、何度か、路面電車の廃止が、国や都から提案されましたが、その度に、東京都民の激しい反対により、廃止案は潰れています。
路面電車は、東京都民にとっての大切な「足」だからです。
ここでは、東京都電を管轄する東京都交通局が所有する珍しい車両について紹介しましょう。
それが、「路面蒸気車」です。
普通の「路面電車」は、架線からパンタグラフやトロリーポールで電気を得て、電動モーターで車輪を回して動きます。
普通の「蒸気機関車」は、石炭を燃やして、お湯を沸かして、蒸気でピストンを動かして、ピストンが車輪を回して動きます。
それらに対して「路面蒸気車」は、複雑な仕組みをしています。
蒸気でピストンを動かして、発電機を回して、発電した電気で電動モーターを回して、車輪を動かします。
このような複雑な仕組みになっている理由は、路面電車では、停留所と停留所の間の距離が短いため、加速減速がしやすい電動モーターが有利だからです。
路面蒸気車は、停電時にも走行可能な車両です。
見た目は、小型の蒸気機関車で、停電時には動けなくなる普通の路面電車を引いて走ることになっています。
そのような車両が開発された理由は、太平洋戦争末期にさかのぼります。
戦争末期、アメリカ軍の超重爆撃機B29の攻撃範囲内に、日本本土のほとんどが入ってしまいました。
東京都交通局は、発電所や変電所が空襲にあうことを怖れました。
当時の日本では、自動車は普及しておらず、自動車があっても燃料不足で動けないため、路面電車は、都民の貴重な「足」だったからです。
そこで、送電されなくても自力で動ける路面蒸気車が開発されたのでした。
しかし、太平洋戦争中は、路面蒸気車は使われることはありませんでした。
1944年秋、ドイツでは、ヒトラー総統が暗殺され、国防軍によるクーデターにより、ナチス政権は倒されました。
そして、新生ドイツは、連合国との講話の交渉に入ったのでした。
日本の政府・軍部は混乱しました。
「ドイツが戦争に勝つこと」を前提に戦略を立てていたのに、その前提条件がすべて崩壊してしまったからです。
日本政府・軍部は、「和平派」「継戦派」に分かれて、これからの国の方針をめぐって争いました。
結局、「和平派」が勝ち、連合国への降伏で、戦争を終わらせようとしました。
しかし、「継戦派」は諦めてはいませんでした。
継戦派は、連合国ではありましたが、日本と不可侵条約を結んでいたため、対日戦に参加していないソ連邦の力を借りようとしたのです。
ソ連邦の独裁者スターリンは、日本の内紛を絶好の機会と見て、それを逃しはしませんでした。
ソ連軍は、渡洋侵攻能力は低かったのですが、日本軍の継戦派が輸送船団を用意して、北海道・東北地方への大規模上陸作戦を敢行したのでした。
継戦派は、「売国」をしたのですが、その自覚はありませんでした。
それに対して、「和平派」は、アメリカに支援を求めました。
アメリカを後ろ盾にした「和平派」とソ連邦を後ろ盾にした「継戦派」に日本軍は分裂して、内戦状態になりました。
内戦の結果、日本列島は、北緯37度線(福島県・新潟県の南端あたり)を「軍事境界線」として休戦になり、北部がソ連に支援された「日本人民共和国」、通称「北日本」となり、南部がアメリカに支援された「日本皇国」、通称「南日本」となりました。
太平洋戦争末期に起きた日本人同士の内戦、「日本南北戦争」で、路面蒸気車の出番はありませんでした。
南北に分裂したどちらの日本軍も、帝都東京をなるべく無傷で手に入れようとして、本格的な空襲を行わなかったからです。
しかし、路面蒸気車は戦後も廃車になることはありませんでした。
戦後も、南日本は、首都を「東京」に置きました。
東京では、軍事境界線から近過ぎ、もし北日本が侵攻してくれば、短期間で陥落することは確実なため、大阪あたりに首都を遷都する意見もありましたが、それを南日本政府は採用することはできなかったのです。
札幌を首都にした「北日本」は、「南日本」よりも先に新憲法を制定して、その条文には「日本人民共和国は、日本列島全体を統治する正統な政権であり、札幌は仮の首都であり、正式な首都は東京である」とあったのです。
それに対抗するために、「南日本」が少し遅れて制定した新憲法には「日本皇国は、日本列島全体を統治する正統な政権であり、首都は東京である」としたのです。
「南日本」は、政治的正統性を主張するために、首都を東京から移せなくなりました。
東京都電は、戦時に備えて路面蒸気車を維持し続けました。
自家用車が普及し、東京に地下鉄網が整備されるようになると、都電その物の廃止も検討されるようになりました。
しかし、戦時に、自家用車で大勢の民間人が避難しようとするのは、大渋滞を引き起こすので、基本的に自家用車の使用は禁止されました。
地下鉄も地下深くにあるホームと地上の間の階段の上り下りが、お年寄りや子供には負担になります。
地上を走る路面電車が評価されたのです。
結局、南北日本が再び戦火を交えることはありませんでした。
ソ連邦の崩壊に伴い経済的に破綻した北日本が、南日本に併合される形で、日本は統一されました。
戦時に備えて維持されて来た東京都の路面電車を廃止する動きもありましたが、最初に述べたように、東京都民の大切な「足」になっている東京都電の路線網は、21世紀現在も維持されています。
現在では、災害時の停電に備えて、路面蒸気車を東京都交通局は保有しています。
停電でも走行可能な車両としては、ディーゼルエンジンで発電機を回して、発電した電気を蓄電池に充電して、電動モーターで車輪を回して動く、最新型の路面ハイブリッド気動車も導入されています。
それなのに、製造されて70年以上になる路面蒸気車を保有している理由は「ガソリンや軽油、石炭が無くとも、古新聞やダンボールを燃やしても動くから災害時に強い」とされています。
それは表向きの理由で、本当の理由は、東京都電の職員からも、東京都民からも路面蒸気車は人気が高いからです。
年に数回、イベントで都内を走る路面蒸気車は人気を集めています。
近年の東日本大震災の時は、東京都で計画停電は行われましたが、路面蒸気車が必要になるほどの電力不足にはなりませんでした。
本来の製造目的である戦時・災害時に、路面蒸気車は出動したことはありません。
2020年の東京オリンピックの時には、各国の選手団を乗せた特別製の客車を引いて、新国立競技場前まで、路面蒸気車が走るイベントが企画されています。
1964年に「南日本」で開催されたオリンピックは、大阪が開催地だったため、これが、初の東京オリンピックになります。
国際的な晴れ舞台を路面蒸気車が踏む日が来るのが、待ち遠しいです。
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