猫の終身奉公 ――ねこのこときのこ―― 【童話版】
(コォンコォンコォン、コォンコォンコォン)
ある春の日、日差しが日に日にあたたかくなって来たせいで、山肌に薄くぬられていた雪の白粉が汗で流れてしまいました。すっぴんをさらす羽目になった山々は、ほっぺたをウメの花の色に染めて恥ずかしがり、春の花々の彩へとメイクなおしがすむまでの間、顔を隠そうとして、萌葱色のストールを頭にまといはじめていました。
そんな恥じらいという名の乙女心を忘れない山の神々の間を、クギでも打ちこんでいるかのようなにぶい音が木霊しています。キツツキにしては少し音が大きいようです。
その音の源はシイタケを育てる仕事をしているお爺さんでした。カシやシイ、コナラなどの木が立ち並ぶ林の中で、お爺さんは小さな子どものせたけくらいの丸太にむかって木づちをふるっていました。
この丸太にはシイタケの元となる菌糸というものが植えつけられていて、木の栄養を吸って菌糸が育つと、キノコとなって丸太から生えて来るのです。
でも、ただ育っただけでは菌糸は眠ったままで、なかなかシイタケになろうとはしないので、お爺さんは丸太を木づちでたたいて、菌糸をたたき起こしているところなのだそうです。
しかも、さらにこの後、菌糸の眠気をさまさせるために、別のところまで運んで、冷たい雪どけ水をためた池の中に丸太をほうりこむのだそうです。
いくら立派なシイタケになるためとはいえ、そんなあつかいをうけなければならないとは、シイタケの菌糸もなかなか大変そうで、同情を禁じ得ません。シイタケにポックリと逝ってしまうような心臓がなかったのは不幸中の幸いなのかも知れません。
しばらくすると、一人の青年が山道を歩いてお爺さんのところにやって来ました。父親といっしょになって、たたき終えた丸太を、軽トラックで池まで運びに行っていたはずのお爺さんの孫息子です。トラックはどうしたのでしょう?
青年の話だと軽トラックがパンクしたので、彼の父親が街まで修理しに行ったそうです。
スペアタイヤで山を下って街まで行くのには時間がかかります。シイタケが大きくなるためには、丸太にたっぷりと水を吸わせてあげた方が良いので、池まで運べなくては仕事になりません。軽トラックが修理をすませて来るまでの間、仕事は一休みです。
やることがなくなったお爺さんはひまをつぶすために、孫息子にご先祖さまの話だと言って一つの昔話を語りはじめました。
むかぁし、豊後の国(今の大分県)に孫三郎という男がおった。
孫三郎は百姓の三男坊じゃったから、親が死んでしまった時も田んぼを引きつぐわけにはいかなかったので、山の中に新しい田んぼを作ろうとして失敗しまって、畑にしていたところをゆずってもらい、そのそばに小屋を建てて、畑を耕したり、山の幸をとって売ったり、一番上の孫太郎兄さんのところの田んぼを手伝ったりしながら暮らしていたと。
ある日、孫三郎は孫太郎兄さんのところの田んぼの世話がすんで、明日からは自分のところの畑の世話をしなければならないので、山へ帰る支度をしておった。
その時、孫太郎がやって来てこんなことを言って来たのじゃ。
「山に戻るのなら、ついでにタマを捨てて来てくれ」
タマは孫三郎たちの死んだお母さんがかわいがっていた三毛のメスネコで、もう六年以上も孫太郎たちの家で飼い続けられていたネコじゃった。
「なっ!? 何を言うのじゃ! どうしてタマが捨てられないといけないのじゃ?」
と驚いて大声を上げた孫三郎に孫太郎はこう答えたのじゃった。
「年季明けじゃ。タマが家に来た時、六年半の約束で飼うことを認めたのだけれど、そろそろその期限が切れるころじゃ。
それにタマももう歳をとってネズミも良く獲れないようになったのじゃから、ころあいじゃろう」
ネコの年季とは何かというと、今の若ぇ者は知らないじゃろうが、ネコというものは歳をとると妖怪変化になって人をおそうようになると言われていたので、そんなことになる前に家から出て行ってもらうため、飼いはじめる時に「お前を飼ってやれるのは何年だけ」とあらかじめ期限を決めておくのがならわしじゃった。
「あんまりじゃ。
そんなむごい話しがあるかい。タマがかわいそうじゃ」
そう孫三郎が言っても、
「この家の主はオレじゃよ。もう決めてしまったことじゃ」
と言って、孫太郎は耳を貸さなかったと。
「もう良い! 兄さんがそんな分からず屋じゃったとは知らなかった。
タマをこんなところにゃあ置いておけねえ。オレが山に連れてっちゃる」
と言って、孫三郎はタマを抱いて山に戻ってしまったのじゃ。
というわけで、孫三郎は山の中の小屋でタマを飼いはじめることになったのじゃ。
「にゃああ」
小屋の片隅でタマが鳴いておった。
「よしよし、腹が減ったのか? 飯にしようか」
と言って、孫三郎は麦飯をお椀によそってタマの鼻先に置いてみたのじゃが、タマは一口、二口、口をつけるだけで、それ以上食べようとはしなかったのじゃ。
「どうしたのじゃタマ? 体の塩梅でも悪いのかい?」
そう孫三郎が聞いてみてもタマは
「んにゃあ」
というばかりじゃった。
孫三郎は心配して麦飯に豆を混ぜてみたり、カエルやら野ネズミやら獲って来たりもしたけれど、やっぱりタマはちょっとしか食べなかったのじゃ。
次の日も、そのまた次の日も同じじゃったもので、孫三郎はどうにもこうにもならないと困ってしまって、仕方なしにタマのようすを見守っているだけだったのじゃが、ある日のこと、小屋の中からタマの姿が見えなくなったと。
「タマぁ、タマぁ、どこに行ったんじゃあ」
と言って、心配した孫三郎がいくら探し回ってもどこにもおらん。孫三郎はこのままじゃ心配で仕事も手につかないし、どうしようかと困ってしまったと。
けれども、次の日になるとタマは平気な顔で戻って来て、これまでの食の細さがうそみたいにバクバク飯を食べたのじゃと。
「どこに行っていたのじゃタマ? 心配してしまったぞ」
そう孫三郎が聞いてみてもタマは飯に夢中でなぁんも答えなかったと。
それからひと月くらいたって、タマが黒い毛のネコの赤ちゃんを一匹連れて来たのじゃ。
「ぴゃぁっぴゃぁっぴゃぁっ」
と鳴く小さなネコの仔に孫三郎はほっぺたをゆるめたと。
「こりゃまあかわええなあ。タマの息子かい?」
と孫三郎が聞いてみても、どっかから獲って来た野ネズミを食べるのにいそがしいタマからは、当然のように答えが返って来ることはなかったと。
「それにしてもネコは子どもを一度に三、四匹くらい産むものじゃけど、一匹しかいないのかい?
まあ、タマはもう歳じゃし仕方ないか。子を産めただけでももうけもんじゃ。
一匹だけじゃあ大して腹も大きくならないから、気がつかなかったけれど、子が腹の中におったので、ちょっとしか食べなかったし、それで動くのもおっくうじゃったからネズミも獲らなかったのじゃな。
このようすならもう元気になっているようじゃし、もう心配いらないな」
その孫三郎の言葉に応えてタマが一声鳴いたのじゃと。
「にゃあ」
まるでそのとおりとでも言っているかのようじゃった。
その声を聞いた仔ネコがまた鳴き出しはじめおった。
「ぴゃぁぴゃぁぴゃぁぴゃぁ」
それを見て孫三郎はこう言ったと。
「そうかそうか、お前もそう思うか。
お前の母ちゃんは年季切れで前のところを出ないといけない羽目になってしまったが、オレはそんな冷たいことは言わないから、親子でいつまでもここにおったらええ」
するとネコたちも声をそろえて鳴き返すのじゃった。
「にゃあ」
「ぴゃぁっ」
孫三郎の話を分かっているのかいないのか、とにかくうれしそうな返事じゃった。
「それじゃあいつまでも名なしじゃ塩梅悪いから、名前を決めないといけないな。
よし、お前は小さくてかわいいから今日からお前の名はコマじゃ」
と孫三郎は笑いながら仔ネコに名前を付けたのじゃと。
「ぴゃぁっ」
コマも名前を付けてもらってうれしいのか、ほこらしげに鳴くのじゃった。
ところがじゃ、コマは毎回いつまでも乳を吸っているというのにやせていて、ひと月前に生まれていたにしては少しばかり小さかったのじゃ。
不思議に思って孫三郎が良く見ると、やっぱりコマは年寄りなので、どうも乳の出が悪いみたいで、コマが吸っても口の中に乳が大して入って来ないようじゃった。
「こりゃぁちっと良くないかも知れん。どうすれば良いじゃろか」
考えた孫三郎は村におる別のメスネコにもらい乳をしてもらおうと思って、コマを連れて、あっちこっち村の家という家をかたっぱしからたずね回ったと。
けれども、それは簡単なことではなかったのじゃ。
「すまないけど、家はネコの赤ちゃんなら八匹もおるからもうむりじゃよ」
「家のネコはもう乳離れすませているから乳なんてほとんど出ないなぁ」
「家のネコはオスだよ」
とネコのもらい乳してくれる家はなぁかなか見つからん。
村でネコを飼っている最後の一軒になって、ようやっとネコの乳をやっても良いという家にめぐり会うことができ、孫三郎はコマにその家のネコの乳を吸わせてやろうとしたのじゃ。
「フウゥゥゥ」
そうしたらそのネコはひどく怒ってコマをおどしつけて来たと。
こりゃぁだめじゃと思った孫三郎はコマを抱えて引き下がったのじゃった。
村中の家を回ったけれど、ネコのもらい乳はできなかったと。
それでその後、ネコがだめならと、ウシを飼っている家からその乳をもらって来てコマにのませてはみたけれど、腹を下すばかりで思うようにゃあいかなかったと。
それならばと、豆を水でふやかして、すりおろしたものの煮汁を冷まし、乳のようなものをこさえてみたんじゃ。
そうしたらコマは大しておいしくなさそうなようすじゃったものの何とかのんでくれて、腹も下さないようじゃったので、孫三郎もまずは安心したのじゃ。
それから半月くらいたって、コマもタマが獲って来る餌を食べられるようになったので、孫三郎も安心して小屋を留守にすることができるようになったと。
じゃから孫三郎はまた孫太郎兄さんのところの手伝に行ったのじゃ。
田んぼのかたすみでカメが捕まえたチンコバサミ(ミズカマキリ)齧っているのを尻目に、孫三郎たちは鮮やかな緑色の苗を手にして田植えをしたと。
そして仕事の合間の一休みしている時に、孫三郎はタマの子のことを話したのじゃ。
そうしたら孫太郎は、またこんなことを言って来おった。
「それでその仔ネコの尾っぽはもう切ったのか?」
ネコは歳をとると尾っぽが二またに裂けて猫又という妖怪変化になると言われておる。
そしてネコの変化は飼い主を食い殺し、飼い主に化けてなり代わると言われておるので、そんなことにならないように尾っぽを切り落としておくのがならわしじゃった。
けれど孫三郎はそれを笑いとばしおった。
「またそんなしょうもない話かい。そんなかわいそうなことなんかしているわけがねぇ。
そう言えばタマの尾っぽは短かったけれど、あれは切られていたからなのか。
いくら妖力のある変化になっても、飼われていたままの方が餌をもらえて楽できるというのに、なぜ仕事やらつきあいやらのめんどうなことがたくさんある人間なんかに化けて、わざわざ苦労しないといけないのじゃ?
いくら獣だからといって、そんなバカなことをするわけがないじゃろ」
と言って、仔ネコの尾っぽを切れという孫太郎の話に耳をかさなかったと。
それから一年くらいたって、コマもすっかり大人になったころ、タマが自分の腹をしきりになめるようになっておった。
孫三郎がタマの腹にさわってみると、乳のところにしこりができていたのじゃ。
「何じゃろうか? 悪いできものでなければ良いが」
孫三郎が心配したとおり、タマのしこりは段々と大きくなって行って、また一年たったころにゃあ乳が赤くはれ上がって膿むようになっておった。
孫三郎は村の氏神さんの社やら、山の中の山神さんの祠やらに通ってタマが元気なるよう願かけしたり、タマに力を付けさせようと、ネズミやらカエルやらウサギやらを獲って来ては、小さく切って食べさせようとしたりもしたのじゃ。
それでもタマの病気はさっぱり良くならなかったのじゃ。食欲もないのか、食べやすいように小さく切った肉にも大して口をつけなかったと。
だからといって、近くの街のお医者さまの家の戸をたたいて門前ばらい食らった時に、人の薬はネコにゃあ毒になるかも知れないと言われていたので、めったに薬をのませることもできなかったのじゃ。
役に立たないとは思いながらも
「谷川の、小堰の水を、堰き上げて、落としてみれば、みずかさもなし」(子どもの口の周りにできる吹き出物に効くとされる呪文。おそらくしこりに対しては無効)
と、三回となえてから息を吹きかけてはみたけれど、やっぱりぜんぜん効かなかったと。
そうこうしている内にタマはどんどんやせこけて行ってしまうのじゃった。
これはもうだめかも知れないと思いはじめていたある日の夜のこと、小屋の中で眠っていた孫三郎は誰かが話している声が聞こえて来たので目がさめてしまったと。
まっ暗な小屋の中で何者かがこんなことを言っておった。
「タマ、主は何をしておるのじゃ?
もう時がない。早くその人間を食らってしまわないともう妖力も得られないようになってしまうぞ」
それを聞いた孫三郎がたまげて飛び起きようとした時じゃった。
「フシャアァァ!」
というタマの怒りまくった声が聞こえて来たのじゃ。
そうしたら
「好きなようにすりゃ良い」
という声が聞こえたと思ったら、それっきり声の主の気配は消えて小屋の中は静かになったのじゃ。
「タマ、タマ」
と孫三郎がタマを呼ぶと、タマは孫三郎にすりよって来て一声鳴いたのじゃ。
「にゃあ」
まるで大丈夫じゃとでも言っているかのようなその声を聞いて、孫三郎は妖が去ったと思って安心したのじゃった。
(ジジッチリリリ チャッチャッ クワカカカ ツツピーツツピー キョキョキョキョ)
それからしばらくして、小屋の外から山の鳥たちのさえずる声が聞えて来るようになったのじゃ。
その声で夜明けが来たことを知った孫三郎は雨戸を開け、白みはじめた空の明かりを入れて、小屋の中に変わりがないか確かめたのじゃ。
そうしたらタマが床の上で動かなくなっておった。
孫三郎があわててタマのようすを見てみると、タマはもう息をしていなかったのじゃ。
タマは見たところ傷もなければ苦しんだようすもなく、まるで眠っているようじゃった。
「あれが言っておった『時がない』とはタマの寿命のことじゃったのか」
悲しんだ孫三郎は、母親のそばを離れたがらないコマをなだめながら、小屋の近くにタマの墓を作ったと。
その年のある秋の日、木々の葉が赤や黄に色づいて山々を錦のように美しく染め上げたころ、孫三郎がおる山に嵐がやって来たのじゃ。
ゴオォォォ、ゴオォォォと風が吹き付けると、せっかくきれいに色づいていた葉はみぃんな吹き飛んでしまって、木々の枝々もバキバキ、ボキボキとへし折れてしまうほどじゃったので、孫三郎の小屋でも戸や雨戸がガタガタ、ガタガタとゆれて、あちこちからギィギィと悲鳴みたいな音が聞えて来るのじゃった。
時折、雨戸や戸の隙間から青白い光が閃くと、ゴロゴロゴロ、ガラガラガラと風の音をかき消すような雷が鳴り響いて、小屋にとじこもっていた孫三郎をたまげさせおった。
「ひどい嵐じゃ。畑は大丈夫じゃろうか」
孫三郎は嵐になる前に大根の葉が倒れないように土寄せをすませていたのじゃが、それでも畑の大根が心配じゃったのでようすを見に行ったと。
畑のようすを見てみると、なんとか大根は無事なようじゃった。
孫三郎がそのことを確認してほっとした時じゃった。
一際まばゆい光が閃いたかと思うと、ガラガラガラズドドドオォォンともんのすげぇ雷が山中に響きわたったのじゃ。
「これはどこかに落ちたな。大風も吹いておるし、山火事にでもならないと良いが。くわばらくわばら」
おっとろしい雷に肝を冷やした孫三郎はそう言って小屋に戻ったのじゃ。
次の日、嵐が過ぎ去った後の畑を見て孫三郎はたまげてしまったと。
夜の間に強い風でも吹いたのか、畑の大根の葉がほとんど折れてしまっておったのじゃ。
「これじゃあ大根は育たないぞ。仕方ねぇ、まだ細っこいけど収穫するしかないか」
仕方なしに人参くらいの大根を掘る孫三郎じゃった。
大根を掘り終えると、次は雨やら風やらに荒らされた畑をなおさなければならない。
その上、やっぱり嵐に荒らされてしまっていた、孫太郎兄さんのところも手伝わなければならなかったのじゃ。
米やら春まきの麦やらは刈とりをすませてしまった後の時期じゃったので、いくらかマシだったのじゃが、やることはいくらでもあったのじゃ。
あれやこれやで一息つけるようなったのは八日もたってからじゃったと。
「じゃけどこれじゃあ蓄えも心もとないし、どうしたものか」
広いし日当たりも良い孫太郎兄さんのところの田畑と違って、山の中にある孫三郎の畑は狭いし日当たりも悪いためとれるものも少ないので、孫三郎のところにゃあ食べ物の余裕があまりなかったのじゃった。
「やっぱ兄さんに頭下げて食べ物を分けてもらうしかないか」
と孫三郎が考えていた時じゃった。
孫三郎のひざの上におったコマがとつぜん飛びおりて、タマの墓に駆けよったかと思ったら、何もないところを見つめて喉をゴロゴロ鳴らしはじめおった。
むかしっから、ネコは人にゃあ見えないものを見ることができると言われておるので、孫三郎もコマにむかってこう聞いてみたのじゃと。
「どうしたコマ? タマの幽霊でもおるのか?」
けれども、コマは喉を鳴らすばかりじゃった。
しばらく喉を鳴らしていたコマじゃったが、不意に目で何かを追うように顔を動かしたかと思ったら、そのまま山の方へ駆け出して行きおった。
それを見た孫三郎もコマを追いかけたのじゃった。
「おーいコマぁどこに行くのじゃあ」
コマはどんどん山の中の奥深いところに入って行く。村の者もめったにやって来ないような山の奥は、スギやらシイやらの緑を残している木が生い茂ってお日さまを隠しているので薄暗く、物かげから獣や物の怪がおそって来たとしても不思議はなかったと。
やがてあるところまで来ると、コマはとつぜんに立ち止まったのじゃ。
「みゃぁーお、みゃぁーお」
そして、その場でコマは何かに呼びかけているかのように鳴きはじめたのじゃと。
「こんなところにまで来るなんてどうしたのじゃコマ?」
と言って、ようやっとコマに追いついた孫三郎はコマを抱き上げたのじゃ。
コマをつかまえることができて胸をなで下ろした孫三郎は、ふと辺りのようすを見て思わずさけんでしまったと。
「ひゃあ、なんてこっちゃ。こりゃめちゃくちゃじゃ」
そこにゃあ古いクヌギの大木があったのじゃが、雷をまともに食らったのじゃろう、あちこちを黒こげにしたクヌギの木が、まっぷたつに裂けた上に根元から折れて地面に倒れておった。
それを見て孫三郎はよろこんだ。
「クヌギなら板にも、柱にも、薪にも、こさえもんにも使えるから、これを切って売れば食べ物も買えるようになるな。
山に生えている木を切るのなら掟破りでお咎め食らうことになるけれど、勝手に倒れていた木ならなにも問題ねえ」
と孫三郎は思ったのじゃけれども、すぐにそんな上手いことにはならないと気付いたのじゃ。
「こりゃだめじゃ。くさりかけておる」
どうやらそのクヌギの木は立っていた内から半分枯れてくさりはじめておったようで、木肌の半分が白いものでおおわれておった。これじゃあ板にもこさえもんにも使えなければ、薪として売るにしても値が付かないじゃろう。
けれどそこにゃあその代わり、木の他にも売れるものがあったのじゃ。
「シイタケじゃあ。こんな見事なシイタケが数え切れないほどどっさりあるぞ」
なんと、倒れているクヌギの木のあちらこちらから子どもの手ぐらいもある立派なシイタケが何百本と生えておった。
このころはまだシイタケは高級品で、あらかたは長崎から唐(この場合は当時の中国である「清国」の事)に送られてしまうばかりで、わしらの口にゃあ盆か正月でもなければ入らないほどのものじゃった。
「これはやっぱりタマの霊が導いてくれていたのじゃな」
と言って、孫三郎は懐にシイタケを詰められるだけ詰めてから、コマを抱えて大急ぎで小屋に戻るとすぐに大きなかごを背負ってとって返し、そのかごの中にシイタケをこぼれるくらいめいっぱい詰め込んで小屋に戻ったのじゃ。
それから数日たって、孫三郎は大きなかごに干したシイタケを詰めて街に売りに来ておった。
売ると言っても街中で勝手に売り歩くというわけではないのじゃ。シイタケは領主さまが認めた仲買人にしか売ってはいけないという決まりになっておるようで、勝手に別のところに売ってお咎め受けた者もいるという話もあるので、その仲買人のところに納めに行くというわけじゃ。
仲買人のところに孫三郎がついた時、そこにゃあたまたま、大阪の乾物問屋の使いの五助というお人が訪れていたのじゃ。大阪の乾物問屋の人なんて、ふつうはこんな田舎の街に来ることなどないものじゃけれど、なんでも五助さんは他の問屋よりちょっとでも多くシイタケを仕入れるために、あちこちの町や村をまわっては、そこにいる人間と話し合うということをしていたのじゃと。
「ひゃあ、これは立派なシイタケですな。
あなたが育てたのですか?
へっ? 山の中に勝手に生えていただけと言うのですか?
じょうだんはポイッやで。大きさがこんなにそろっているというのに、人の手で育てられていないなどということが、あるわけないでしょう。
なんか秘密があるのでしょう? ここだけの話にしておきますから教えてくれませんか?
その代わり、このシイタケは高い値で買わせていただきますよ。
とりあえず、こんなものでどうですか?」
と言って、五助ははじいたそろばんを見せて来たのじゃった。大阪の商人は口が上手いので、孫三郎がまだなにも言わない内に、いつの間にか仲買人の頭を越えて、五助にシイタケを売ることになりかけておった。
その話を聞いていた仲買人があわてて口をはさんで来たと。
「ご、五助さんだめじゃって。シイタケの取引はオレたちのような藩に認められた仲買人を通すのが決まりなのですよ。
いくら五助さんのところが大問屋だからと言って、藩の決まりごとをないがしろにしては困りますって。
と、とにかく、そのシイタケはオレがこの値で買いとらせてもらうよ」
こんなに質の良いシイタケだというのに、その取引が自分を通さずに行われて、自分にゃあ一文の得にもならないのではたまらないのじゃろう。仲買人は必死で孫三郎のシイタケを自分のところに売らせようとしたのじゃった。
けれど五助も負けてはいなかったと。
「これだから、お役人に使われているお人はだめなのです。
こんなに良い品物を納めてくれる人に相場より安い値を見せてどうするのですか? そんななことしたら、せっかくの良い品に逃げられてしまうかも知れませんよ。
こういう場合には相場より良い値を付けて、良い品物を確保するのがあたりまえです。
というわけで、わたしに売ってくれるのなら、この値で引きとらせてもらいますよ」
と言って、さらに高い値を付けて来るのじゃった。
そんなやりとりが少しの間続き、あれやこれやで結局、シイタケは決まりどおり仲買人が買いとることになったと。ただし、相場よりかなり高い値が付けられるというおまけ付きじゃった。
それでも商人の五助はただでは引き下がらなかったと。
「仕方ありません。今回は決まりということであきらめたのですが、本当はもっと高い値を付けても構わなかったのです。
ですから、次はぜひ、わたしたちのところに納めてもらいたいと思っているのです」
けれど孫三郎の答は今一つはっきりしないものじゃった。
「高い値で買いとってもらえるという話はありがたいけれど、なにしろ勝手に生えて来るもののことじゃから、次と言ってもあるかないか分からないよ」
それを聞いた五助は孫三郎にこう聞いて来たと。
「本当に勝手に生えて来たものなのですか?
わたしも長いこと、シイタケをあつかう商いをやって来たのですが、ここまで大したものにお目にかかったのは数えるほどしかありません。
これほどの品となると、二つや三つならともかく、こんなにたくさんとって来るなんてよっぽど運が良くないとできないと思うのですが、あなたは一体どうやってこんなに見つけて来たのですか?」
それで孫三郎はコマというネコを飼っていること、嵐の日に雷が山に落ちたこと、嵐で畑がだめになったこと、そうしたらコマが雷で倒れたクヌギのところに案内してくれたこと、そのクヌギの木にシイタケが生えていたことを正直に話したと。
そうすると五助は孫三郎にこんなことを聞いて来たのじゃ。
「それで、その倒れたクヌギの木というのはどこの山のどのあたりにあるのですか?」
孫三郎はこう答えたと。
「クヌギの木のことはまだ村の者にも話していないくらいなので、そりゃぁ秘密じゃよ」
それを聞いた五助はこんなことを言って来おった。
「どうしてもですか? それはかなわないですなぁ。
でも、あなたはそのシイタケをとりつくした後はどうするのですか? あなたも次があるのか分からないと言っていたではありませんか。
それでですね、万が一そのクヌギの木からシイタケがとれないようなことになったら、またそのネコにお願いしてシイタケがたくさん生えている別の木のところに案内してもらえば良いのではないでしょうか?
それで提案なのですけど、そのネコの首に鈴をつけてみたらいかがでしょうか?」
シイタケの話しをしていたはずじゃのに、いきなり鈴の話になってしまったので、孫三郎は話について行けなかったと。
「鈴ですか?」
分かっていないようすの孫三郎にゃあ構わずに五助は話を続けたのじゃった。
「西洋のおとぎ話をいくつも集めた『イソップ物語』という本が何十年も前に都で印刷されて、それが今でもあちこちで流行っているのですが、あなたも話くらいは聞いたことがありませんか?
それで、その中に『ネズミの相談』っちゅうネズミどもがネコの首に鈴を付けたがる話が書かれているのですが、自分のところのネコはそこらのふつうのネコとは違うということを見せたがっている見栄っぱりな者たちなどが、その話を聞いてそれはおしゃれだと思ってはじめたのか、良いところの家などでネコの首に鈴を付けるのが流行っているのですよ。
流行りものなのですから、ネコの首に鈴を付けてもちっともおかしなことではありません。あなたのところのネコもそこらのネコとは違って、シイタケを見つけてくれたすごいネコなのですから、その印として首に鈴を付けてあげると良いでしょう。
そうしておけば、もしもこの次に似たようなことがあっても、鈴の音をたよりに楽について行けるというものです」
そう言われても孫三郎はそんなことが二度も三度もあるわけはないと思っておった。けれども、タマがコマを産むために姿を見せないようになった時のように、もしコマがいなくなったらと思うと心配でたまらなくなるので、孫三郎はコマに鈴を買ってあげることにしたのじゃと。
「うひゃあ! こんなにたくさんもらってしまって本当に良いのじゃろうか? ゆ、夢じゃ、こりゃあ夢に決まってる」
シイタケを納めた孫三郎は仲買人からお代をもらって肝をつぶしてしまったと。シイタケの匁(昔の重さの単位: 約三.七五グラム)あたりいくらになるかで言われた時にゃあ分からなかったのじゃが、藩札(正式な貨幣ではなく、地方の統治機構である藩が、領内で使用するために独自に発行する紙幣)じゃったものの、何年も遊んで暮らせるくらいの大金だったのじゃ。
そこへ仲買人が
「いいや、夢じゃあないって。その金はお前のものに間違いないよ」
と言って、うけおったのじゃ。
さらにゃあ五助も追従して来おった。
「そうですよ、あなたのシイタケは特別立派だったのですから、このくらい当然です。どうです、シイタケはもうかるでしょう?」
それで孫三郎も本当のことなのじゃろうとようやく納得したのじゃと。
「そ、それならオレは本当に金持ちになったのじゃな。
これで田んぼじゃろうと屋敷じゃろうと何でも買えるし、毎日おいしいものを食べることもできるぞ」
そんな孫三郎にむかって五助はこう忠告したのじゃ。
「よかったですね孫三郎さん。
ですが田んぼや屋敷までというのはさすがにちょっとお金が足りないと思いますよ。
すごい大金を手にしてうかれてしまう気持ちも分からないわけではありませんが、そんなな時こそ気を付けなければいけませんよ。お金というものはいくら大金に見えても、ぜいたくをしていたらあっという間になくなってしまうものなのです。
ここぞという時に使うのがお金の正しい使い道というもので、むだづかいなどするためものではありません。
後々のために田畑を買う時の足しにするというのでしたらともかく、ただ毎日おいしいものを食べるためなんかに使っていたら、あぶく銭になって消えてしまうだけですよ」
そう言われて孫三郎は我に返ったと。
「そう言われりゃそうか。オレはどうかしておった。
この金で麦を買って、残りはいざという時のためにとっとけば良いのじゃ」
孫三郎のその言葉に五助も同意したと。
「そのとおりです。
ですが、この前の嵐で野菜などがだめになってしまったというのなら、他のお百姓さんたちも、あなたほどではなくても食べ物が足りないようになっているはずですから、村に帰ってから買うのはあまり良くないでしょうな。それに、あなたが平気な顔でお金を使っているところを村の他の人たちに見られてしまうと、あなたが大金を持っていることまで知られてしまって、思わぬやっかみを受けることになるかも知れません。
ですから、荷物にはなりますし、ちょっと高くつくことにもなるでしょうが、食べ物も街で買っておくことをおすすめしますよ。
ただ、野菜が不足したぶん、みんなも他のものを食べるようになるだろうというので、この辺りの麦や米の値も上がりはじめているようです。ですから買うのならば早めにしておいた方が良いと思いますよ。
後、さっきはあんなことを言いましたが、今日はあなたが大もうけした日です。こんなめでたい日くらいはちょっとくらいぜいたくしたところで罰は当たりませんよ。
とは言え、ごちそうを食べるにしても、この辺りには水茶屋(食事処)みたいな気のきいたものはないようですし……
ええと、あなたのところでごちそうと言えばどんなものがありますか?」
そういきなり聞かれてしまって孫三郎はこう答えたのじゃ。
「そうじゃなあ、何年か前の盆に食べた鱈胃(鱈の鰓や内臓の干物)かなあ? あれは喉の中をおいしい味が唄いながら通って行くようにうまかったなあ」
それを聞いた五助はうれしそうにこう言って来たと。
「鱈胃と言えば干物の一種でしょう?
干物だったらわたしにまかせてください。良いもの安く買えるようにしてあげますから。
そうだ、他にも鈴やら麦やらも買うのでしたな。
これはもたもたしていたら日が暮れてしまいますよ。早く買いに行きましょう」
今日はじめて会ったというのに、ひどくなれなれしくして来る五助の押しの強さに負けて、孫三郎は五助と連れだって買い出しのために街を回ることになったのじゃった。
まず神社で作りそこねた縁起物を安くゆずってもらって、それに付いている鈴と飾紐を使ってコマの首輪を作ることにしたと。
次に、街の乾物屋で鱈胃をたくさん買った時も、五助の口利きで、大阪の問屋から乾物の良い品を回しても良いという約束をするかわりに、鱈胃だけではなく、立派なカマスの干物も安くゆずってもらうことができたのじゃ。
そして穀物問屋に行った時も五助の口の上手さで麦やら豆やらはもちろん、白い米まで安く買うことができたのじゃ。
それで孫三郎は五助にお礼を言ったのじゃった。
「ありがとう五助さん。おかげでとても助かりました」
じゃが五助はただの親切でこんなことをしていたわけではなかったのじゃ。
じつは五助はこれまでもあちこちのシイタケを作っておる者と親しくして来ておった。
それでシイタケは3、4年くらいの間、同じ木にくり返し生え続けるということを知っていたので、孫三郎が見つけたクヌギの木からも後何回もシイタケがとれるじゃろうと考えておったのじゃ。
じゃからここで孫三郎に親切にすることで親しくなっておけば、とてもたくさんの良いシイタケが手に入りやすくなり、この後何年かはもうけることができると考えておったのじゃ。
親しくなって、孫三郎から直に買うこともできるようになるかも知れないし、たとえそんなことまでにゃあならなくても、この街の仲買人とはとうに仲良くなっているので、孫三郎がシイタケをとり続けてさえくれれば、そのシイタケは五助のところに優先して入るようになっておった。
はじめ仲買人と競り合って孫三郎のシイタケの値をつり上げたのも、孫三郎にシイタケはもうかるものだということを教えて、シイタケをとり続けたくなるようにするためじゃった。
じゃからお礼を言われた五助はこう答えたのじゃ。
「いやいやこのくらい大したことではありませんからお礼にはおよびませんよ。
あなたが良いシイタケとって来て下さったおかげでわたしどもの店ももうけることができるのですから、むしろお礼を言うのならわたしの方です。
ありがとう孫三郎さん。もしまたシイタケ見つけるようなことがあったらよろしくおねがいしますよ」
そんな五助の腹の内なぞ孫三郎が知る由はないし、またたとえ知ったとしても、五助が孫三郎の得にもなるように考えてくれていることに変わりはないのじゃ。
じゃから孫三郎はすなおによろこび、ほくほく顔で山の中の小屋へ帰って行ったのじゃった。
そんなことがあった翌年、爺婆(「春蘭」のこと)が花咲かせはじめる春、五助が村にやって来おった。
表むきのわけは、この辺りの山で良いシイタケがとれるかどうかを調べに来たという話じゃったので、孫三郎が見つけたクヌギのことは、村の衆には知られないですんだのじゃった。
じゃけれど、五助はその後で、こっそり孫三郎だけに会いに来おった。
(チリリン)
見知らぬ人間に首の鈴を鳴らしてコマが身構えておった。
「孫三郎さんおひさしぶりです。
おや、そこにいるのがシイタケのところに案内してくれるというコマちゃんでしょうか? なるほど本当に賢そうな顔をしたネコですなあ。
ところでシイタケと言えば、例のクヌギにそろそろ新しいシイタケが生えるころですが、今はどうなっていますか?」
と言って、五助は暗に次のシイタケをとりに行くように孫三郎にせっついて来おったと。
「そうじゃなあ、ここのところ何日かに一ぺん、クヌギのところにようすを見に行っているけれど、まだシイタケは生えていなかったなあ。
もしかしてもう生えて来ないかも知れないな」
と孫三郎は答えたと。
そうしたら五助はさも当然という顔でこう言って来たのじゃ。
「今日わたしは、万が一、あなたがとる時期を逃してシイタケをくさらせてしまわないよう、早めに忠告しに来ただけなのですから、まだ生えて来ていなくてもおかしくはないでしょうな。
大丈夫、シイタケは間違いなくその内に生えて来ますよ。
ただ今回、わたしは野暮用でしばらくの間この地を離れなければならないため、あなたのところから直に買うことができそうもありません。
ですから、とれたシイタケはこの前の仲買人さんのところに納めるようにしてくれませんか。あの人には、あなたのところのシイタケはわたしどもの問屋に売るように話を付けておりますから」
五助がそんな頼みごとをして来るので孫三郎はこう答えておいたと。
「そりゃシイタケは領主さまが認めた仲買人にしか売ってはいけないという決まりじゃから、どの道、あんたのところも含めて他のところにゃあ売ることはできないので、あの仲買人のところに売るしかないじゃろう」
それを聞いた五助は意外そうな顔をしたのじゃ。
「え? 直にわたしに売るも何も、どっち道、仲買人さんにしか売ることができない決まりだと思っていたのですか。
それはちょっと違いますよ。わたしも前に、仲買人さんの顔を立てるために同意したことはありますが、その決まりは藩からシイタケ作りを任されている人たちとか、山師(鉱夫)や木こりのような山での仕事をしながら、ついででシイタケ作りもしても良いというおゆるしを藩からもらっている人たちとかのためのもので、必ずしも勝手に生えているシイタケまで仲買人に売らなくてはならないというわけではありません。
もっとも、わたしみたいな大阪の乾物問屋の人間の他には、藩の仲買人さんくらいしか大口で買いとってくれる者はおりませんから、もうけようと思うのでしたらどちらかに売るしかないのですけれど。
まあそんななわけで、秋にでもシイタケが生えたら、またよろしくおねがいしますよ」
と言って、五助は帰って行ってしまったと。
その後、何日かして、五助の言ったとおりクヌギの木にまたシイタケがどっさり生えたので、孫三郎は約束どおり、この前の仲買人のところにシイタケを納めたのじゃった。
次の年の秋、山童(河童が冬の間だけ山に移り住んだものとされる妖怪の一種)でさえうっとうしいと思いかねないほど、ヤマワロウ(多年草の一つ「盗人萩」)のバカ(俗に「ひっつき虫」等と呼ばれる類の植物の種子のこと)がしつこく引っ付いて来て、イカリバナ(錨花:彼岸花)がまっ赤な顔見せるころのこと、孫三郎は小屋で使う薪を割ろうとしておった。
(チリリン)
「にゃあ?」
孫三郎がいつも薪割りの台に使っている切株に近づくと、その上で寝ていたコマが目をさましてこっちを見上げておった。
「コマ、悪いけれどちょっとそこを避いてくれ」
と言って、コマを避けようとして孫三郎は驚いてしまったと。
「おやおや、こんなところにシイタケが生えておるぞ」
なんと薪割りの台に使っていた切株からシイタケが生えていたのじゃ。
良く見ると、小屋の外に積み上げていた薪の山の中で下の方になっていた、前の年から残っていた薪の中にも、シイタケが生えているものが二、三本あったと。
あのクヌギの大木から生えて来るものと比べればちっこいシイタケだったけれど、孫三郎はこのシイタケも売れないものか、次に街へ行った時にでも仲買人に聞いておこうと思い、そのシイタケも干しておくことにしたのじゃ。
その数日後、とって来ていたシイタケを干していた孫三郎のところに五助がまたやって来おった。
「まいど孫三郎さん。
いつも良いシイタケを売ってもらって助かっていますよ。
しばらくの間ごぶさたしてしまっていたのですけれど、またシイタケを分けてもらおうと思ってやって来ました。
今年のシイタケの生え具合はどんなものですか? また良いのがとれていますか?」
と言って来る五助に孫三郎もあいさつを返したと。
「おや、五助さんかい。元気じゃったかね。
そうかぁ、もうそんな時期じゃったな。
シイタケなら見てのとおり豊作じゃよ」
五助は春と秋のシイタケがとれるころになるたびにこんなふうに孫三郎からシイタケを買いつけようとして姿を現すので、今ではメジロやら赤トンボやらといったもののように、季節の風物になっておった。
そんな五助に孫三郎が切株やら薪やらからシイタケが生えたという話をしたところ、五助はとても興味を引かれたようすで、こう言って来たのじゃった。
「それならここはシイタケ作りにむいているのかも知れませんな。
それでしたら孫三郎さん、ここはひとつシイタケ作りをはじめてみてはいかがでしょうか?
シイタケがもうかるということはごぞんじでしょう?」
そう言われても孫三郎にゃあなぜそんなことをしないといけないのか良く分からなかったと。
「なにもわざわざ手間をかけて作らなくても、シイタケならこのとおりあのクヌギの木からとれたものがたくさんあるじゃないか」
と言って、孫三郎は干し終えたシイタケを五助に見せたんじゃ。
そんな孫三郎に五助はこう言って来たのじゃ。
「良いですか孫三郎さん。
確かに今のところは、あなたが見つけたという、そのクヌギの木とやらからたくさんシイタケがとれてはいるでしょう。けれど、同じ木からいつまでもシイタケがとれると思っているのでしたら、それは大変な間違いですよ。
わたしには他のところでシイタケを作っている知り合いが何人もいるのですけど、その人たちの話だとほだ木……と言っても分からないか、シイタケを生やすために使っている木は五年もすればくさりきってしまい、シイタケがあまり生えないようになってしまうので、三、四年くらいで新しい木にとりかえないといけないそうです」
と、シイタケ作りの話をはじめた五助は、続けてこう言って孫三郎をさとしたと。
「あなたがシイタケとって来る木は大木だという話ですから、ひょっとするともっと長い間持つかも知れませんが、それでもあなたが生きている間中シイタケを生やし続けてくれるというわけではありませんよ。
このままなにもしないでいると、これまで貯めたお金もいつかはなくなって、ちょっとしたつまずきで食べ物にも困ることになるような暮らしに逆戻りするかも分かりません。
もちろん、あなたがどんな生き方しようとそれはあなたの勝手ですよ。
けれども、もしあなたがびんぼう暮らしに戻りたくないのでしたら、今からできる限りのことをしておくべきなのではありませんか?」
そう言われても孫三郎はまだ迷っておった。
「じゃけどシイタケ作りといってもどうすれば良いのかオレにゃあ分からないのじゃ」
けれど五助は少しでもたくさんシイタケを商えるようにしたかったので、簡単にゃああきらめなかった。
「シイタケ作りといっても何もややこしいことはありません」
などと言って孫三郎を説得して来おったと。
「まず秋の終わりにクヌギやコナラ、シイなんかの木を切って、それで丸太をたくさん作り、その丸太にした木を一度乾かして枯らしておくのです。
このシイタケを生やすための木のことをほだ木と言うのですが、このほだ木を冬になったら二、三日水に漬けこんでから、ところどころに刻み目を入れて、風通しの良い林の中に並べて寝かしておくと、上手く行ったらシイタケが生えて来るというわけです。
どうです、簡単でしょう?
そうそう、はじめの内はほだ木にする丸太を買わなければいけませんが、後々のことを考えると自前でほだ木も用意できた方が良いですから、自分のところで木を植えて育てるようにした方が良いでしょうな」
本当はシイタケ作りというものはそんな簡単なことではないし、ほだ木を寝かしておいても上手くシイタケが生えるかどうかは運頼みで、上手く行けば大もうけじゃけれども、失敗すれば一文なしになることも珍しくはない話じゃった。
そんなことを知る由もない孫三郎は
「これが前に五助さんの言っていた『ここぞという時』なのかも知れないな。
まだ金の余裕もあるし、シイタケ作りの他にも使い道が色々とあるクヌギなら植えてみても損はないから、やってみようかい」
と考え、五助の口車に乗せられて、シイタケ作りをはじめることにしたのじゃった。
(チリンチリン)
林の中から鈴の鳴る音が聞こえて来おった。
「コマぁ、ほだ木はお前の爪とぎじゃあないって何べん言ったら分かるのかなぁ」
草葉のかげのまっ青なネコの金玉(ユリ科の植物「蛇の鬚」の実のこと)ふんづけながら、林の中に丸太を並べていた孫三郎が、その丸太を引っかいているコマを見てぼやいておった。
五助にすすめられ、孫三郎がためしにシイタケ作りをはじめてから二年がたち、前の年の秋にはじめてシイタケがとれるようになっておったと。
ほだ木を並べていてもシイタケが生えないで文なしになる者もおるというのに、孫三郎はよっぽど運が良いのか、二本に一本はシイタケが生えたのじゃ。
シイタケが生えるころの風物となっておる五助も、ここまで上手く行くとは思っていなかったようで、品の良し悪しは雷にやられたクヌギからとれるものと比べれば大したものではなかったというのに、シイタケ作りを本気になってやるようにすすめて来おった。
じゃから孫三郎はほだ木を買い足して、こんなふうに並べているところじゃった。
ほだ木と言えば、孫三郎はほだ木に使うためのクヌギの木を、風よけもかねて畑の周りに植えるようになっていたのじゃが、これは植えはじめてから年月が浅くて小さいため、ほだ木に使うことはまだまだできないものじゃった。
植えたクヌギの方はまだ子どもでも、コマの方はそろそろ七つにもなる年寄りになっておった。
じゃけれど、やっておることは変わらず無邪気なもので、新しいほだ木が並べられるたびに「こりゃあオレのもんじゃ」っと言っているかのように頭をこすりつけたり、ほだ木が古いものか新しいものかにゃあかかわりなく、爪とぎしたりしておったと。
それから季節は流れ、北風に会うこともすっかりなくなった代わりに、カンタロウ(「シーボルトミミズ」のこと)と出くわすようになった春の山の中を、孫三郎はシイタケがいっぱい入ったかごを背負って上機嫌で歩いておった。
「この春もシイタケが本当にたくさんとれたなあ」
あの雷にやられたクヌギの大木に、数えきれないほどのシイタケがまた生えたので、孫三郎も一ぺんにゃあとりきれないと、小屋と山の奥深くとの間を行ったり来たりしないといけなかったと。
(チリンチリン)
孫三郎が山の奥から戻って来ると、先にとって来ておいたシイタケにコマがじゃれついておった。
「こりゃ! それはお前のおもちゃじゃないぞ」
孫三郎がしかると、コマはあわたてて逃げて行ってしまったと。
そしてそれきりコマは夜になっても戻って来なかったのじゃ。
「コマはどうしたのじゃろか。あの時しかったのが悪かったのかなあ」
心配になって孫三郎はコマを探しに出たのじゃった。
「おーいコマぁ出て来ておくれ」
と、孫三郎があちこち歩き回ってさけんでも、コマの姿が見えるどころか鈴の音一つしなかったと。
そのまま数日たっても、コマはとんと姿を現さなかったのじゃ。
「山の獣にでも食われてはいないじゃろうか」
と、心配で胸がはち切れそうになった孫三郎は村の氏神さんの社やら、山の中の山神さんの祠やらに通って、コマが無事戻って来るよう願かけもしたのじゃと。
そんなところに風物の五助がやって来て、
「ネコは自分がもうすぐ死ぬということが分かると、人前から姿を消すと言われているので、ひょっとすると……」
なんて縁起でもないことを言い出しかけおったので、孫三郎はぶんなぐって追い返したのじゃった。
それから半年くらいたって、孫三郎も半分あきらめかけていたころのことじゃった。
(チリン)
聞きおぼえのある鈴の音に孫三郎が小屋の入り口に目をむけると、小屋の戸を開けてコマが入って来おった。
「にゃあ」
と一声鳴いたコマは、そのまま戸を開けっぱなしにするかと思ったら、すらりと自分で戸を閉めてから、孫三郎のそばによって来たのじゃ。
見るとコマはひどくやせこけてしまっていて、獣にでもかまれたのか片方の耳が裂けておった。
「ほ、本当にコマか?
今までどこに行っていたんじゃ?
無事で良かった」
と言って、孫三郎はうれしそうにコマを抱き上げたのじゃった。
それから数年の年月が流れ、あの雷にやられたクヌギの大木から生えて来るシイタケは、すっかり少なくなって来ておった。
その代わり、孫三郎が小屋の近くの林の中ではじめたシイタケ作りは毎年豊作じゃったので、勝手にクヌギの大木から生えて来るものをとって来ていたころほどではないものの、孫三郎は大もうけといっても良いくらいかせぐことができきるようになっておった。
そのことを知った村の衆の中にも、近ごろは真似してシイタケ作りをはじめる者が出て来るようになっておったので、孫三郎は五助に手助けしてもらって、作り方を教えてあげるようにもなっておったのじゃ。
じゃけど他の者がほだ木を並べてみても、なぜか孫三郎のところのようにシイタケが生えて来るとは
限らなかったので、中にゃあお金を払ってシイタケが生えるようになるまで、孫三郎のところにほだ木を置かせてもらっている者もおった。
コマも変わらず無邪気なもので、野ネズミを追いかけたり、昼寝をしたり、ほだ木で爪をとぎおったり、隠れて手ぬぐいのほっかむりして三つ拍子(鶴崎等では「左衛門」とも呼ばれている大分県各地に伝わっている踊り)踊ったりしておった。
孫三郎の小屋はシイタケにやられて柱がくさってしまったので、孫三郎は小屋をとり壊してその隣に新しい家を建てて暮らしておった。
そんな幸せな日々が続いていたある日の夜のことじゃった。
家の中で眠っていた孫三郎は、いつかのように誰かが話している声が聞こえて来たので目がさめてしまったと。
暗い家の中で何者かがこんなことを言っておった。
「コマ、主は何をしておるのじゃ?
もう時がない。早くその人間を食らってしまわないともう妖力も得られないようになってしまうぞ」
それを聞いてたまげた孫三郎が、薄目を開けて声が聞こえて来る方をうかがってみると、窓から射しこんで来る月明かりに照らされて、尾が七つに分かれている仔牛のように大きな赤ネコ(毛色が薄茶のネコ)が、目ん玉を爛々と光らせて部屋の隅にうずくまっておったのじゃ。
孫三郎がそのままようすをうかがい続けていると、また別の声が聞こえて来たのじゃ。
その声の方を見ると、コマが人の言葉をしゃべっておったと。
「どうしてもそうしないとだめかね?」
そんな返事をして来たコマに赤ネコはさとすように言うのじゃった。
「ただの獣としての主の寿命は今夜限りじゃ。このままでは一番鶏が鳴くころにゃあ主は冷たくなっていることだろう。
そんなことになる前に人間を食らって、妖力をもっと増しておくのじゃ。
そうすれば力を使って寿命をのばせるようになるので、何百年も生きることができるようになるし、うちのようにネコの王の側で仕えることもできるというのに、何をためらうことがあるというのかえ?
ほれ、早くしないと主の寿命がなくなってしまうぞ」
コマが死ぬと聞いて孫三郎は飛び起きようとしたのじゃが、金縛りに遭ったように動けなかったと。
孫三郎が聞いていることに気付いておるのかおらんのか、赤ネコの言葉にコマはこんなふうに答えおった。
「阿蘇のお三姉さん。
孫三郎さんはオレの育ての父ちゃんじゃ。
それに母ちゃんの乳が出ないでオレがやせこけておった時にゃあ、あちこち回ってもらい乳してくれる相手を探そうとしてくれたり、それがだめじゃと分かれば乳の代わりのものをこさえてくれたりしたのじゃ。あのことがなけりゃオレは渇いてしまって生きてはいなかったかも知れない。
オレだけじゃあねぇ。オレのお母ちゃんが体の塩梅を悪くした時も必死で看病してくれたり、願かけしてくれたりしたのじゃ。
ネコは三日で恩を忘れると言われておるけれど、オレは忘れねぇ。
それになにより孫三郎さんは苦楽を共にして来た家族じゃ。
そんな孫三郎さんをどうして殺すことができるじゃろうか。
わざわざ遠いところからご足労してくれた姉さんにゃあ悪いが、オレは孫三郎さんを食うつもりは全くないのであきらめて阿蘇に帰ってくれ」
すると赤ネコのお三はコマをあざけりおった。
「人間なんぞのために命を捨てるというのかい?
主の母もその道を選びおったけれど、死んだ後までネコがめ(猫神、呪術によって使役される殺されたネコの霊)のようにそこの人間のために働いておるというのに、人間を食らうこともできなければ、その人間に気づいてももらえないので、贄をもらえるネコがめと違ってただ働きじゃ。
主もそんな母親のようになりたいというのかい? 親子そろってとんでもない愚か者じゃ。
まあ、主がそれで良いというなら、好きなようにすりゃ良い。うちにゃあとても理解できん。
それにいずれにしても、もう時間切れじゃからな」
お三がそう言った時じゃった。
(こっけこっこおぉー)
村の方から雄鶏の鳴き声がかすかに聞こえて来たかと思ったとたん、赤ネコの姿はかき消されたように見えなくなったのじゃ。
「コマ、だめじゃ、死んじゃあだめじゃ」
孫三郎はあわてて飛び起きると、コマを抱き上げたのじゃった。
けれども赤ネコの言葉どおり、コマはもう冷たくなっておったのじゃ。
孫三郎は悲しんで、タマが眠っている隣にコマの墓を建てたのじゃと。
ネコは死ぬ姿を人に見せないと言われておるけれど、自分の命より人の命を選んだコマは、大事に思っていた人間のところで最期をむかえたのじゃ。
それからも孫三郎のところのほだ木にゃあ、いつの間にかネコの爪あとのような傷が付いているようになったのじゃと。
「もうすこし米のダンゴ、早く食べないと冷めるよ」
お爺さんはそう言ってお話をしめくくると、魔法瓶のふたを手にとり、すっかり冷たくなってしまったお茶を一口すすってから斜面に並べられている丸太の列に目をむけました。
(チリンチリン)
とどこかから鈴の音が聞こえて来たような気がしました。
[了]
本作品は昔の豊後の国(非正規の設定ではありますが一応、十八世紀前半頃の旧岡藩領を想定)を舞台とした昔話の形式をとっております。
尚、作中において、化猫は人を食わないと長生きできないとする描写がありますが、これは作者の創作です。
因みに、化猫になるのを防ぐために年季を定めたり、尾を切り落としたりする風習があったという話や、イソップ物語の影響で猫の首に鈴を付ける風習が出来たという話は実話ではありますが、十八世紀前半ころの旧岡藩領においてまで、これら風習が存在していたのか否かに関し、作者には確認出来ておりません。
又、栽培したシイタケを藩が定めた仲買人以外に売る事を禁ずる決まりが、十九世紀にはあった事は確かなようですが、十八世紀前半にも同様の決まりがあったかどうかや、人の手によるもの以外の自然に生えているシイタケの扱いがどのようになっていたのかという事に関して、作者には確認出来ておりません。