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猫の終身奉公 ――ねこのこときのこ―― 【童話版】

作者: 加知 悪造

 (コォンコォンコォン、コォンコォンコォン)

 ある(はる)の日、日差(ひざ)しが日に日にあたたかくなって()たせいで、山肌(やまはだ)(うす)くぬられていた(ゆき)白粉(おしろい)(あせ)(なが)れてしまいました。すっぴんをさらす羽目(はめ)になった山々(やまやま)は、ほっぺたをウメの花の(いろ)()めて()ずかしがり、(はる)花々(はなばな)(いろどり)へとメイクなおしがすむまでの(あいだ)(かお)(かく)そうとして、萌葱色(もえぎいろ)のストールを(あたま)にまといはじめていました。

 そんな()じらいという()乙女心(おとめごころ)(わす)れない山の神々(かみがみ)(あいだ)を、クギでも()ちこんでいるかのようなにぶい(おと)木霊(こだま)しています。キツツキにしては(すこ)(おと)が大きいようです。

 その(おと)(みなもと)はシイタケを(そだ)てる仕事(しごと)をしているお(じい)さんでした。カシやシイ、コナラなどの木が()(なら)ぶ林の中で、お(じい)さんは小さな子どものせたけくらいの丸太(まるた)にむかって木づちをふるっていました。

 この丸太(まるた)にはシイタケの元となる菌糸(きんし)というものが()えつけられていて、木の栄養(えいよう)()って菌糸(きんし)(そだ)つと、キノコとなって丸太(まるた)から()えて()るのです。

 でも、ただ(そだ)っただけでは菌糸(きんし)(ねむ)ったままで、なかなかシイタケになろうとはしないので、お(じい)さんは丸太(まるた)を木づちでたたいて、菌糸(きんし)をたたき()こしているところなのだそうです。

 しかも、さらにこの(あと)菌糸(きんし)眠気(ねむけ)をさまさせるために、(べつ)のところまで(はこ)んで、(つめ)たい(ゆき)どけ水をためた(いけ)の中に丸太(まるた)をほうりこむのだそうです。

 いくら立派(りっぱ)なシイタケになるためとはいえ、そんなあつかいをうけなければならないとは、シイタケの菌糸(きんし)もなかなか大変(たいへん)そうで、同情(どうじょう)()()()ません。シイタケにポックリと()ってしまうような心臓(しんぞう)がなかったのは不幸中(ふこうちゅう)(さいわ)いなのかも()れません。

 しばらくすると、一人(ひとり)青年(せいねん)山道(やまみち)(ある)いてお(じい)さんのところにやって()ました。父親(ちちおや)といっしょになって、たたき()えた丸太(まるた)を、(けい)トラックで(いけ)まで(はこ)びに()っていたはずのお(じい)さんの孫息子(まごむすこ)です。トラックはどうしたのでしょう?

 青年(せいねん)(はなし)だと(けい)トラックがパンクしたので、(かれ)父親(ちちおや)(まち)まで修理(しゅうり)しに()ったそうです。

 スペアタイヤで山を下って(まち)まで()くのには時間(じかん)がかかります。シイタケが大きくなるためには、丸太(まるた)にたっぷりと水を()わせてあげた(ほう)()いので、(いけ)まで(はこ)べなくては仕事(しごと)になりません。(けい)トラックが修理(しゅうり)をすませて()るまでの(あいだ)仕事(しごと)一休(ひとやす)みです。

 やることがなくなったお(じい)さんはひまをつぶすために、孫息子(まごむすこ)にご先祖(せんぞ)さまの(はなし)だと()って一つの昔話(むかしばなし)(かた)りはじめました。



 むかぁし、豊後(ぶんご)(くに)(今の大分県)に孫三郎(まごさぶろう)という男がおった。

 孫三郎(まごさぶろう)百姓(ひゃくしょう)三男坊(さんなんぼう)じゃったから、(おや)()んでしまった(とき)も田んぼを()きつぐわけにはいかなかったので、山の中に(あたら)しい田んぼを(つく)ろうとして失敗(しっぱい)しまって、(はたけ)にしていたところをゆずってもらい、そのそばに小屋(こや)()てて、(はたけ)(たがや)したり、山の(さち)をとって()ったり、一番上(いちばんうえ)孫太郎(まごたろう)(にい)さんのところの田んぼを手伝(てつだ)ったりしながら()らしていたと。


 ある日、孫三郎(まごさぶろう)孫太郎(まごたろう)(にい)さんのところの田んぼの世話(せわ)がすんで、明日(あした)からは自分(じぶん)のところの(はたけ)世話(せわ)をしなければならないので、山へ(かえ)支度(したく)をしておった。

 その(とき)孫太郎(まごたろう)がやって()てこんなことを()って()たのじゃ。

「山に(もど)るのなら、ついでにタマを()てて()てくれ」

 タマは孫三郎(まごさぶろう)たちの()んだお(かあ)さんがかわいがっていた三毛(みけ)のメスネコで、もう六年(ろくねん)以上(いじょう)孫太郎(まごたろう)たちの(いえ)()(つづ)けられていたネコじゃった。

「なっ!? (なに)()うのじゃ! どうしてタマが()てられないといけないのじゃ?」

(おどろ)いて大声(おおごえ)を上げた孫三郎(まごさぶろう)孫太郎(まごたろう)はこう(こた)えたのじゃった。

年季(ねんき)()けじゃ。タマが(うち)()(とき)六年半(ろくねんはん)約束(やくそく)()うことを(みと)めたのだけれど、そろそろその期限(きげん)()れるころじゃ。

 それにタマももう(とし)をとってネズミも()()れないようになったのじゃから、ころあいじゃろう」

 ネコの年季(ねんき)とは(なに)かというと、(いま)(わけ)(もん)()らないじゃろうが、ネコというものは(とし)をとると妖怪(ようかい)変化(へんげ)になって(ひと)をおそうようになると()われていたので、そんなことになる(まえ)(いえ)から出て()ってもらうため、()いはじめる(とき)に「お(まえ)()ってやれるのは何年(なんねん)だけ」とあらかじめ期限(きげん)()めておくのが()()()()じゃった。

「あんまりじゃ。

 そんなむごい(はな)しがあるかい。タマがかわいそうじゃ」

そう孫三郎(まごさぶろう)()っても、

「この(いえ)(あるじ)はオレじゃよ。もう()めてしまったことじゃ」

()って、孫太郎(まごたろう)は耳を()さなかったと。

「もう()い! (にい)さんがそんな()からず()じゃったとは()らなかった。

 タマをこんなところにゃあ()いておけねえ。オレが山に()れてっちゃる」

()って、孫三郎(まごさぶろう)はタマを()いて山に(もど)ってしまったのじゃ。

 というわけで、孫三郎(まごさぶろう)は山の中の小屋(こや)でタマを()いはじめることになったのじゃ。


 「にゃああ」

 小屋(こや)片隅(かたすみ)でタマが()いておった。

「よしよし、(はら)()ったのか? (めし)にしようか」

()って、孫三郎(まごさぶろう)麦飯(むぎめし)をお(わん)によそってタマの鼻先(はなさき)()いてみたのじゃが、タマは一口(ひとくち)二口(ふたくち)(くち)をつけるだけで、それ以上(いじょう)()べようとはしなかったのじゃ。

「どうしたのじゃタマ? 体の塩梅(あんばい)でも(わる)いのかい?」

そう孫三郎(まごさぶろう)()いてみてもタマは

「んにゃあ」

というばかりじゃった。

 孫三郎(まごさぶろう)心配(しんぱい)して麦飯(むぎめし)(まめ)()ぜてみたり、カエルやら()ネズミやら()って()たりもしたけれど、やっぱりタマはちょっとしか()べなかったのじゃ。

 (つぎ)の日も、そのまた(つぎ)の日も(おな)じじゃったもので、孫三郎(まごさぶろう)はどうにもこうにもならないと(こま)ってしまって、仕方(しかた)なしにタマのようすを見守(みまも)っているだけだったのじゃが、ある日のこと、小屋(こや)の中からタマの姿(すがた)()えなくなったと。

「タマぁ、タマぁ、どこに()ったんじゃあ」

()って、心配(しんぱい)した孫三郎(まごさぶろう)がいくら(さが)(まわ)ってもどこにもおらん。孫三郎(まごさぶろう)はこのままじゃ心配(しんぱい)仕事(しごと)も手につかないし、どうしようかと(こま)ってしまったと。

 けれども、(つぎ)の日になるとタマは平気(へいき)(かお)(もど)って()て、これまでの(しょく)(ほそ)さがうそみたいにバクバク(めし)()べたのじゃと。

「どこに()っていたのじゃタマ? 心配(しんぱい)してしまったぞ」

そう孫三郎(まごさぶろう)()いてみてもタマは(めし)ゆめむちゅうでなぁんも(こた)えなかったと。


 それからひと月くらいたって、タマが(くろ)()のネコの(あか)ちゃんを一(ぴき)()れて()たのじゃ。

「ぴゃぁっぴゃぁっぴゃぁっ」

()く小さなネコの()孫三郎(まごさぶろう)はほっぺたをゆるめたと。

「こりゃまあかわええなあ。タマの息子(むすこ)かい?」

孫三郎(まごさぶろう)()いてみても、どっかから()って()()ネズミを()べるのにいそがしいタマからは、当然(とうぜん)のように(こた)えが(かえ)って()ることはなかったと。

「それにしてもネコは子どもを一度(いちど)に三、四(ひき)くらい()むものじゃけど、一(ひき)しかいないのかい?

 まあ、タマはもう(とし)じゃし仕方(しかた)ないか。子を()めただけでももうけもんじゃ。

 一(ひき)だけじゃあ大して(はら)も大きくならないから、()がつかなかったけれど、子が(はら)の中におったので、ちょっとしか()べなかったし、それで(うご)くのもおっくうじゃったからネズミも()らなかったのじゃな。

 このようすならもう元気(げんき)になっているようじゃし、もう心配(しんぱい)いらないな」

 その孫三郎(まごさぶろう)言葉(ことば)(こた)えてタマが一声(ひとこえ)()いたのじゃと。

「にゃあ」

 まるでそのとおりとでも()っているかのようじゃった。

 その(こえ)()いた()ネコがまた()き出しはじめおった。

「ぴゃぁぴゃぁぴゃぁぴゃぁ」

 それを()孫三郎(まごさぶろう)はこう()ったと。

「そうかそうか、お(まえ)もそう(おも)うか。

 お(まえ)(かあ)ちゃんは年季(ねんき)()れで(まえ)のところを出ないといけない羽目(はめ)になってしまったが、オレはそんな(つめ)たいことは()わないから、親子(おやこ)でいつまでもここにおったらええ」

 するとネコたちも(こえ)をそろえて()(かえ)すのじゃった。

「にゃあ」

「ぴゃぁっ」

 孫三郎(まごさぶろう)(はなし)()かっているのかいないのか、とにかくうれしそうな返事(へんじ)じゃった。

「それじゃあいつまでも()なしじゃ塩梅あんばい(わる)いから、名前(なまえ)()めないといけないな。

 よし、お(まえ)小さくて(こまくて)かわいいから今日(きょう)からお(まえ)()はコマじゃ」

孫三郎(まごさぶろう)(わら)いながら()ネコに名前(なまえ)()けたのじゃと。

「ぴゃぁっ」

 コマも名前(なまえ)()けてもらってうれしいのか、ほこらしげに()くのじゃった。


 ところがじゃ、コマは毎回(まいかい)いつまでも(ちち)()っているというのにやせていて、ひと月(まえ)()まれていたにしては(すこ)しばかり小さかったのじゃ。

 不思議(ふしぎ)(おも)って孫三郎(まごさぶろう)()()ると、やっぱりコマは年寄(としよ)りなので、どうも(ちち)の出が(わる)いみたいで、コマが()っても口の中に(ちち)が大して(はい)って()ないようじゃった。

「こりゃぁちっと()くないかも()れん。どうすれば()いじゃろか」

 (かんが)えた孫三郎(まごさぶろう)(むら)におる(べつ)のメスネコにもらい(ちち)をしてもらおうと(おも)って、コマを()れて、あっちこっち(むら)(いえ)という(いえ)をかたっぱしからたずね(まわ)ったと。

 けれども、それは簡単(かんたん)なことではなかったのじゃ。

「すまないけど、(うち)はネコの(あか)ちゃんなら八(ひき)もおるからもうむりじゃよ」

(うち)のネコはもう乳離(ちちばな)れすませているから(ちち)なんてほとんど出ないなぁ」

(うち)のネコはオスだよ」

とネコのもらい(ちち)してくれる(いえ)はなぁかなか()つからん。

 (むら)でネコを()っている最後(さいご)の一(けん)になって、ようやっとネコの(ちち)をやっても()いという(いえ)にめぐり()うことができ、孫三郎(まごさぶろう)はコマにその(いえ)のネコの(ちち)()わせてやろうとしたのじゃ。

「フウゥゥゥ」

 そうしたらそのネコはひどく(おこ)ってコマをおどしつけて()たと。

 こりゃぁだめじゃと(おも)った孫三郎(まごさぶろう)はコマを(かか)えて()き下がったのじゃった。

 村中(むらじゅう)(いえ)(まわ)ったけれど、ネコのもらい(ちち)はできなかったと。

 それでその(あと)、ネコがだめならと、ウシを()っている(いえ)からその(ちち)をもらって()てコマにのませてはみたけれど、(はら)(くだ)すばかりで(おも)うようにゃあいかなかったと。

 それならばと、(まめ)を水でふやかして、すりおろしたものの煮汁(にじる)()まし、(ちち)のようなものをこさえてみたんじゃ。

 そうしたらコマは大しておいしくなさそうなようすじゃったものの(なん)とかのんでくれて、(はら)(くだ)さないようじゃったので、孫三郎(まごさぶろう)もまずは安心(あんしん)したのじゃ。


 それから半月(はんつき)くらいたって、コマもタマが()って()(えさ)()べられるようになったので、孫三郎(まごさぶろう)安心(あんしん)して小屋(こや)留守(るす)にすることができるようになったと。

 じゃから孫三郎(まごさぶろう)はまた孫太郎(まごたろう)(にい)さんのところの手伝(てつだ)()ったのじゃ。

 田んぼのかたすみでカメが(つか)まえたチンコバサミ(ミズカマキリ)(かじ)っているのを尻目(しりめ)に、孫三郎(まごさぶろう)たちは(あざ)やかな緑色(みどりいろ)(なえ)を手にして田植(たう)えをしたと。

 そして仕事(しごと)合間(あいま)一休(ひとやす)みしている(とき)に、孫三郎(まごさぶろう)はタマの子のことを(はな)したのじゃ。

 そうしたら孫太郎(まごたろう)は、またこんなことを()って()おった。

「それでその()ネコの()っぽはもう()ったのか?」

 ネコは(とし)をとると()っぽが二またに()けて猫又(ねこまた)という妖怪(ようかい)変化(へんげ)になると()われておる。

 そしてネコの変化(へんげ)()(ぬし)()い殺し、()(ぬし)()けてなり()わると()われておるので、そんなことにならないように()っぽを()()としておくのが()()()()じゃった。

 けれど孫三郎(まごさぶろう)はそれを(わら)いとばしおった。

「またそんなしょうもない(はなし)かい。そんなかわいそうなことなんかしているわけがねぇ。

 そう()えばタマの()っぽは(みじか)かったけれど、あれは()られていたからなのか。

 いくら妖力(ようりょく)のある変化(へんげ)になっても、()われていたままの(ほう)(えさ)をもらえて(らく)できるというのに、なぜ仕事(しごと)やら()()()()やらのめんどうなことがたくさんある人間(にんげん)なんかに()けて、わざわざ苦労(くろう)しないといけないのじゃ?

 いくら(けだもの)だからといって、そんなバカなことをするわけがないじゃろ」

()って、()ネコの()っぽを()れという孫太郎(まごたろう)(はなし)に耳をかさなかったと。


 それから一年(いちねん)くらいたって、コマもすっかり大人(おとな)になったころ、タマが自分(じぶん)(はら)をしきりになめるようになっておった。

 孫三郎(まごさぶろう)がタマの(はら)にさわってみると、(ちち)のところに()()()ができていたのじゃ。

(なに)じゃろうか? (わる)いできものでなければ()いが」

 孫三郎(まごさぶろう)心配(しんぱい)したとおり、タマの()()()段々(だんだん)と大きくなって()って、また一年(いちねん)たったころにゃあ(ちち)(あか)くはれ上がって()むようになっておった。

 孫三郎(まごさぶろう)(むら)氏神(うじがみ)さんの(やしろ)やら、山の中の山神(やまがみ)さんの(ほこら)やらに(かよ)ってタマが元気(げんき)なるよう(がん)かけしたり、タマに(ちから)()けさせようと、ネズミやらカエルやらウサギやらを()って()ては、小さく()って()べさせようとしたりもしたのじゃ。

 それでもタマの病気(びょうき)はさっぱり()くならなかったのじゃ。食欲(しょくよく)もないのか、()べやすいように小さく()った(にく)にも大して口をつけなかったと。

 だからといって、(ちか)くの(まち)のお医者(いしゃ)さまの(いえ)()をたたいて門前(もんぜん)ばらい()らった(とき)に、(ひと)(くすり)はネコにゃあ(どく)になるかも()れないと()われていたので、めったに(くすり)をのませることもできなかったのじゃ。

 (やく)()たないとは(おも)いながらも

谷川(たにがわ)の、小堰(こせき)の水を、()き上げて、()としてみれば、みずかさもなし」(子どもの口の周りにできる吹き出物に効くとされる呪文。おそらく()()()に対しては無効)

と、三(かい)となえてから(いき)()きかけてはみたけれど、やっぱりぜんぜん()かなかったと。

 そうこうしている(うち)にタマはどんどんやせこけて()ってしまうのじゃった。

 これはもうだめかも()れないと(おも)いはじめていたある日の(よる)のこと、小屋(こや)の中で(ねむ)っていた孫三郎(まごさぶろう)(だれ)かが(はな)している(こえ)()こえて()たので目がさめてしまったと。

 まっ(くら)小屋(こや)の中で(なに)(もの)かがこんなことを()っておった。

「タマ、(ぬし)(なに)をしておるのじゃ?

もう(とき)がない。(はや)くその人間(にんげん)()らってしまわないともう妖力(ようりょく)()られないようになってしまうぞ」

 それを()いた孫三郎(まごさぶろう)がたまげて()()きようとした(とき)じゃった。

「フシャアァァ!」

というタマの(いか)りまくった(こえ)()こえて()たのじゃ。

 そうしたら

()きなようにすりゃ()い」

という(こえ)()こえたと(おも)ったら、それっきり(こえ)(ぬし)気配(けはい)()えて小屋(こや)の中は(しず)かになったのじゃ。

「タマ、タマ」

孫三郎(まごさぶろう)がタマを()ぶと、タマは孫三郎(まごさぶろう)にすりよって()一声(ひとこえ)()いたのじゃ。

「にゃあ」

 まるで大丈夫(だいじょうぶ)じゃとでも()っているかのようなその(こえ)()いて、孫三郎(まごさぶろう)(あやかし)()ったと(おも)って安心(あんしん)したのじゃった。

(ジジッチリリリ チャッチャッ クワカカカ ツツピーツツピー キョキョキョキョ)

 それからしばらくして、小屋(こや)(そと)から山の(とり)たちのさえずる(こえ)(きこ)えて()るようになったのじゃ。

 その(こえ)夜明(よあ)けが()たことを()った孫三郎(まごさぶろう)雨戸(あまど)()け、白みはじめた(そら)()かりを()れて、小屋(こや)の中に()わりがないか(たし)かめたのじゃ。

 そうしたらタマが(ゆか)の上で(うご)かなくなっておった。

 孫三郎(まごさぶろう)があわててタマのようすを()てみると、タマはもう(いき)をしていなかったのじゃ。

 タマは()たところ(きず)もなければ(くる)しんだようすもなく、まるで(ねむ)っているようじゃった。

「あれが()っておった『(とき)がない』とはタマの寿命(じゅみょう)のことじゃったのか」

 (かな)しんだ孫三郎(まごさぶろう)は、母親(ははおや)のそばを(はな)れたがらないコマをなだめながら、小屋(こや)(ちか)くにタマの(はか)(つく)ったと。


 その(とし)のある(あき)の日、木々(きぎ)()(あか)()(いろ)づいて山々(やまやま)(にしき)のように(うつく)しく()め上げたころ、孫三郎(まごさぶろう)がおる山に(あらし)がやって()たのじゃ。

 ゴオォォォ、ゴオォォォと(かぜ)()()けると、せっかくきれいに(いろ)づいていた()はみぃんな()()んでしまって、木々(きぎ)枝々(えだえだ)もバキバキ、ボキボキとへし()れてしまうほどじゃったので、孫三郎(まごさぶろう)小屋(こや)でも()雨戸(あまど)がガタガタ、ガタガタとゆれて、あちこちからギィギィと悲鳴(ひめい)みたいな(おと)(きこ)えて()るのじゃった。

 時折(ときおり)雨戸(あまど)()隙間(すきま)から青白(あおじろ)(ひかり)(ひらめ)くと、ゴロゴロゴロ、ガラガラガラと(かぜ)(おと)をかき()すような(かみなり)()(ひび)いて、小屋(こや)にとじこもっていた孫三郎(まごさぶろう)をたまげさせおった。

「ひどい(あらし)じゃ。(はたけ)大丈夫(だいじょうぶ)じゃろうか」

 孫三郎(まごさぶろう)(あらし)になる(まえ)大根(だいこん)()(たお)れないように土寄せをすませていたのじゃが、それでも(はたけ)大根(だいこん)心配(しんぱい)じゃったのでようすを()()ったと。

 (はたけ)のようすを()てみると、なんとか大根(だいこん)無事(ぶじ)なようじゃった。

 孫三郎(まごさぶろう)がそのことを確認(かくにん)してほっとした(とき)じゃった。

 一際(ひときわ)まばゆい(ひかり)(ひらめ)いたかと(おも)うと、ガラガラガラズドドドオォォンともんのすげぇ(かみなり)山中(やまじゅう)(ひび)きわたったのじゃ。

「これはどこかに()ちたな。大風(おおかぜ)()いておるし、山火事(やまかじ)にでもならないと()いが。くわばらくわばら」

 おっとろしい(かみなり)(きも)()やした孫三郎(まごさぶろう)はそう()って小屋(こや)(もど)ったのじゃ。


 (つぎ)の日、(あらし)()()った(あと)(はたけ)()孫三郎(まごさぶろう)はたまげてしまったと。

 (よる)(あいだ)(つよ)(かぜ)でも()いたのか、(はたけ)大根(だいこん)()がほとんど()れてしまっておったのじゃ。

「これじゃあ大根(だいこん)(そだ)たないぞ。仕方(しかた)ねぇ、まだ(ほそ)っこいけど収穫(しゅうかく)するしかないか」

 仕方(しかた)なしに人参(にんじん)くらいの大根(だいこん)()孫三郎(まごさぶろう)じゃった。

 大根(だいこん)()()えると、(つぎ)(あめ)やら(かぜ)やらに()らされた(はたけ)をなおさなければならない。

 その上、やっぱり(あらし)()らされてしまっていた、孫太郎(まごたろう)(にい)さんのところも手伝(てつだ)わなければならなかったのじゃ。

 (こめ)やら(はる)まきの(むぎ)やらは(かり)とりをすませてしまった(あと)時期(じき)じゃったので、いくらかマシだったのじゃが、やることはいくらでもあったのじゃ。

 あれやこれやで一息(ひといき)つけるようなったのは八日(ようか)もたってからじゃったと。

「じゃけどこれじゃあ(たくわ)えも(こころ)もとないし、どうしたものか」

 (ひろ)いし日当(ひあた)たりも()孫太郎(まごたろう)(にい)さんのところの田畑(たはた)(ちが)って、山の中にある孫三郎(まごさぶろう)(はたけ)(せま)いし日当(ひあた)たりも(わる)いためとれるものも(すく)ないので、孫三郎(まごさぶろう)のところにゃあ()(もの)余裕(よゆう)があまりなかったのじゃった。

「やっぱ(にい)さんに(あたま)下げて()(もの)()けてもらうしかないか」

孫三郎(まごさぶろう)(かんが)えていた(とき)じゃった。

 孫三郎(まごさぶろう)のひざの上におったコマがとつぜん()びおりて、タマの(はか)()けよったかと(おも)ったら、(なに)もないところを()つめて(のど)をゴロゴロ()らしはじめおった。

 むかしっから、ネコは(ひと)にゃあ()えないものを()ることができると()われておるので、孫三郎(まごさぶろう)もコマにむかってこう()いてみたのじゃと。

「どうしたコマ? タマの幽霊(ゆうれい)でもおるのか?」

 けれども、コマは(のど)()らすばかりじゃった。

 しばらく(のど)()らしていたコマじゃったが、不意(ふい)に目で(なに)かを()うように(かお)(うご)かしたかと(おも)ったら、そのまま山の(ほう)()け出して()きおった。

 それを()孫三郎(まごさぶろう)もコマを()いかけたのじゃった。

「おーいコマぁどこに()くのじゃあ」


 コマはどんどん山の中の(おく)(ふか)いところに(はい)って()く。(むら)(もの)もめったにやって()ないような山の(おく)は、スギやらシイやらの(みどり)(のこ)している木が()(しげ)ってお日さまを(かく)しているので薄暗(うすぐら)く、(もの)かげから(けもの)(もの)()がおそって()たとしても不思議(ふしぎ)はなかったと。

 やがてあるところまで()ると、コマはとつぜんに()ち止まったのじゃ。

「みゃぁーお、みゃぁーお」

 そして、その()でコマは(なに)かに()びかけているかのように()きはじめたのじゃと。

「こんなところにまで()るなんてどうしたのじゃコマ?」

()って、ようやっとコマに()いついた孫三郎(まごさぶろう)はコマを()き上げたのじゃ。

 コマをつかまえることができて(むね)をなで()ろした孫三郎(まごさぶろう)は、ふと(あた)りのようすを()(おも)わずさけんでしまったと。

「ひゃあ、なんてこっちゃ。こりゃめちゃくちゃじゃ」

 そこにゃあ(ふる)いクヌギの大木(たいぼく)があったのじゃが、(かみなり)をまともに()らったのじゃろう、あちこちを(くろ)こげにしたクヌギの木が、まっぷたつに()けた上に根元(ねもと)から()れて地面(じめん)(たお)れておった。

 それを()孫三郎(まごさぶろう)はよろこんだ。

「クヌギなら(いた)にも、(はしら)にも、(まき)にも、こさえもんにも使(つか)えるから、これを()って()れば()(もの)()えるようになるな。

 山に()えている木を()るのなら掟破(おきてやぶ)りでお(とが)()らうことになるけれど、勝手(かって)(たお)れていた木ならなにも問題(もんだい)ねえ」

孫三郎(まごさぶろう)(おも)ったのじゃけれども、すぐにそんな上手(うま)いことにはならないと気付(きづい)いたのじゃ。

「こりゃだめじゃ。くさりかけておる」

 どうやらそのクヌギの木は()っていた(うち)から半分(はんぶん)()れてくさりはじめておったようで、木肌(きはだ)半分(はんぶん)が白いものでおおわれておった。これじゃあ(いた)にもこさえもんにも使(つか)えなければ、(まき)として()るにしても()()かないじゃろう。

 けれどそこにゃあその()わり、木の(ほか)にも()れるものがあったのじゃ。

「シイタケじゃあ。こんな見事(みごと)なシイタケが(かぞ)()れないほどどっさりあるぞ」

 なんと、(たお)れているクヌギの木のあちらこちらから子どもの手ぐらいもある立派(りっぱ)なシイタケが(なに)百本と()えておった。

 このころはまだシイタケは高級品(こうきゅうひん)で、あらかたは長崎(ながさき)から(もろこし)(この場合は当時の中国である「(しん)国」の事)に(おく)られてしまうばかりで、わしらの口にゃあ(ぼん)正月(しょうがつ)でもなければ(はい)らないほどのものじゃった。

「これはやっぱりタマの(れい)(みちび)いてくれていたのじゃな」

()って、孫三郎(まごさぶろう)(ふところ)にシイタケを()められるだけ()めてから、コマを(かか)えて大急ぎ(おおいそぎ)小屋(こや)(もど)るとすぐに大きなかごを背負(せお)ってとって(かえ)し、そのかごの中にシイタケをこぼれるくらいめいっぱい()め込んで小屋(こや)(もど)ったのじゃ。


 それから数日(すうじつ)たって、孫三郎(まごさぶろう)は大きなかごに()したシイタケを()めて(まち)()りに()ておった。

 ()ると()っても街中(まちなか)勝手(かって)()(ある)くというわけではないのじゃ。シイタケは領主(りょうしゅ)さまが(みと)めた仲買人(なかがいにん)にしか()ってはいけないという()まりになっておるようで、勝手(かって)(べつ)のところに()ってお(とが)()けた(もの)もいるという(はなし)もあるので、その仲買人(なかがいにん)のところに(おさ)めに()くというわけじゃ。

 仲買人(なかがいにん)のところに孫三郎(まごさぶろう)がついた(とき)、そこにゃあ()()()()大阪(おおさか)乾物(かんぶつ)問屋(どんや)使(つか)いの五助(ごすけ)というお(ひと)(おとず)れていたのじゃ。大阪(おおさか)乾物(かんぶつ)問屋(どんや)(ひと)なんて、ふつうはこんな田舎(いなか)(まち)()ることなどないものじゃけれど、なんでも五助(ごすけ)さんは(ほか)問屋(とんや)よりちょっとでも(おお)くシイタケを仕入(しい)れるために、あちこちの(まち)(むら)をまわっては、そこにいる人間(にんげん)(はな)()うということをしていたのじゃと。

「ひゃあ、これは立派(りっぱ)なシイタケですな。

 あなたが(そだ)てたのですか?

 へっ? 山の中に勝手(かって)()えていただけと()うのですか?

 じょうだんはポイッやで。大きさがこんなにそろっているというのに、(ひと)の手で(そだ)てられていないなどということが、あるわけないでしょう。

 なんか秘密(ひみつ)があるのでしょう? ここだけの(はなし)にしておきますから(おし)えてくれませんか?

 その()わり、このシイタケは(たか)()()わせていただきますよ。

 とりあえず、こんなものでどうですか?」

()って、五助(ごすけ)ははじいたそろばんを()せて()たのじゃった。大阪(おおさか)商人(しょうにん)は口が上手(うま)いので、孫三郎(まごさぶろう)がまだなにも()わない(うち)に、いつの()にか仲買人(なかがいにん)(あたま)を越えて、五助(ごすけ)にシイタケを()ることになりかけておった。

 その(はなし)()いていた仲買人(なかがいにん)があわてて口をはさんで()たと。

「ご、五助(ごすけ)さんだめじゃって。シイタケの取引(とりひき)はオレたちのような(はん)(みと)められた仲買人(なかがいにん)(とお)すのが()まりなのですよ。

 いくら五助(ごすけ)さんのところが大問屋(おおどんや)だからと()って、(はん)()まりごとをないがしろにしては(こま)りますって。

 と、とにかく、そのシイタケはオレがこの()()いとらせてもらうよ」

 こんなに(しつ)()いシイタケだというのに、その取引(とりひき)自分(じぶん)(とお)さずに(おこな)われて、自分(じぶん)にゃあ一文(いちもん)(とく)にもならないのではたまらないのじゃろう。仲買人(なかがいにん)必死(ひっし)孫三郎(まごさぶろう)のシイタケを自分(じぶん)のところに()らせようとしたのじゃった。

 けれど五助(ごすけ)()けてはいなかったと。

「これだから、お役人(やくにん)使(つか)われているお(ひと)はだめなのです。

 こんなに()品物(しなもの)(おさ)めてくれる(ひと)相場(そうば)より(やす)()せてどうするのですか? そんななことしたら、せっかくの()(しな)()げられてしまうかも()れませんよ。

 こういう場合(ばあい)には相場(そうば)より()()()けて、()品物(しなもの)確保(かくほ)するのがあたりまえです。

 というわけで、わたしに()ってくれるのなら、この()()きとらせてもらいますよ」

()って、さらに(たか)()()けて()るのじゃった。

 そんなやりとりが(すこ)しの(あいだ)(つづ)き、あれやこれやで結局(けっきょく)、シイタケは()まりどおり仲買人(なかがいにん)()いとることになったと。ただし、相場(そうば)よりかなり(たか)()()けられるというおまけ()きじゃった。

 それでも商人(しょうにん)五助(ごすけ)はただでは()き下がらなかったと。

仕方(しかた)ありません。今回(こんかい)()まりということであきらめたのですが、本当(ほんとう)はもっと(たか)()()けても(かま)わなかったのです。

 ですから、(つぎ)はぜひ、わたしたちのところに(おさ)めてもらいたいと(おも)っているのです」

 けれど孫三郎(まごさぶろう)(こたえ)(いま)一つはっきりしないものじゃった。

(たか)()()いとってもらえるという(はなし)はありがたいけれど、なにしろ勝手(かって)()えて()るもののことじゃから、(つぎ)()ってもあるかないか()からないよ」

 それを()いた五助(ごすけ)孫三郎(まごさぶろう)にこう()いて()たと。

本当(ほんとう)勝手(かって)()えて()たものなのですか?

 わたしも(なが)いこと、シイタケをあつかう(あきな)いをやって()たのですが、ここまで大したものにお目にかかったのは(かぞ)えるほどしかありません。

 これほどの(しな)となると、二つや三つならともかく、こんなにたくさんとって()るなんてよっぽど(うん)()くないとできないと(おも)うのですが、あなたは一体(いったい)どうやってこんなに()つけて()たのですか?」

 それで孫三郎(まごさぶろう)はコマというネコを()っていること、(あらし)の日に(かみなり)が山に()ちたこと、(あらし)(はたけ)がだめになったこと、そうしたらコマが(かみなり)(たお)れたクヌギのところに案内(あんない)してくれたこと、そのクヌギの木にシイタケが()えていたことを正直(しょうじき)(はな)したと。

 そうすると五助(ごすけ)孫三郎(まごさぶろう)にこんなことを()いて()たのじゃ。

「それで、その(たお)れたクヌギの木というのはどこの山のどのあたりにあるのですか?」

 孫三郎(まごさぶろう)はこう(こた)えたと。

「クヌギの木のことはまだ(むら)(もの)にも(はな)していないくらいなので、そりゃぁ秘密(ひみつ)じゃよ」

 それを()いた五助(ごすけ)はこんなことを()って()おった。

「どうしてもですか? それはかなわないですなぁ。

 でも、あなたはそのシイタケをとりつくした(あと)はどうするのですか? あなたも(つぎ)があるのか()からないと()っていたではありませんか。

 それでですね、(まん)が一そのクヌギの木からシイタケがとれないようなことになったら、またそのネコにお(ねが)いしてシイタケがたくさん()えている(べつ)の木のところに案内(あんない)してもらえば()いのではないでしょうか?

 それで提案(ていあん)なのですけど、そのネコの(くび)(すず)をつけてみたらいかがでしょうか?」

 シイタケの(はな)しをしていたはずじゃのに、いきなり(すず)(はなし)になってしまったので、孫三郎(まごさぶろう)(はなし)について()けなかったと。

(すず)ですか?」

 ()かっていないようすの孫三郎(まごさぶろう)にゃあ(かま)わずに五助(ごすけ)(はなし)(つづ)けたのじゃった。

西洋(せいよう)のおとぎ(ばなし)をいくつも(あつ)めた『イソップ物語(ものがたり)』という本が何十年(なんじゅうねん)(まえ)(みやこ)印刷(いんさつ)されて、それが(いま)でもあちこちで流行(はや)っているのですが、あなたも(はなし)くらいは()いたことがありませんか?

 それで、その中に『ネズミの相談(そうだん)』っちゅうネズミどもがネコの(くび)(すず)()けたがる(はなし)()かれているのですが、自分(じぶん)のところのネコはそこらのふつうのネコとは(ちが)うということを()せたがっている見栄(みえ)っぱりな(もの)たちなどが、その(はなし)()いてそれはおしゃれだと(おも)ってはじめたのか、()いところの(いえ)などでネコの(くび)(すず)()けるのが流行(はや)っているのですよ。

 流行(はや)りものなのですから、ネコの(くび)(すず)()けてもちっともおかしなことではありません。あなたのところのネコもそこらのネコとは(ちが)って、シイタケを()つけてくれたすごいネコなのですから、その(しるし)として(くび)(すず)()けてあげると()いでしょう。

 そうしておけば、もしもこの(つぎ)()たようなことがあっても、(すず)()をたよりに(らく)について()けるというものです」

 そう()われても孫三郎(まごさぶろう)はそんなことが二()も三()もあるわけはないと(おも)っておった。けれども、タマがコマを()むために姿(すがた)()せないようになった(とき)のように、もしコマがいなくなったらと(おも)うと心配(しんぱい)でたまらなくなるので、孫三郎(まごさぶろう)はコマに(すず)()ってあげることにしたのじゃと。


 「うひゃあ! こんなにたくさんもらってしまって本当(ほんとう)()いのじゃろうか? ゆ、(ゆめ)じゃ、こりゃあ(ゆめ)()まってる」

 シイタケを(おさ)めた孫三郎(まごさぶろう)仲買人(なかがいにん)からお(だい)をもらって(きも)をつぶしてしまったと。シイタケの(もんめ)(昔の重さの単位: 約三.七五グラム)あたりいくらになるかで()われた(とき)にゃあ()からなかったのじゃが、藩札(はんさつ)(正式な貨幣ではなく、地方の統治機構である藩が、領内で使用するために独自に発行する紙幣)じゃったものの、何年(なんねん)(あそ)んで()らせるくらいの大金(たいきん)だったのじゃ。

 そこへ仲買人(なかがいにん)

「いいや、(ゆめ)じゃあないって。その(かね)はお(まえ)のものに間違(まちが)いないよ」

()って、うけおったのじゃ。

 さらにゃあ五助(ごすけ)追従(ついじゅう)して()おった。

「そうですよ、あなたのシイタケは特別(とくべつ)立派(りっぱ)だったのですから、このくらい当然(とうぜん)です。どうです、シイタケはもうかるでしょう?」

 それで孫三郎(まごさぶろう)本当(ほんとう)のことなのじゃろうとようやく納得(なっとく)したのじゃと。

「そ、それならオレは本当(ほんとう)金持(かねも)ちになったのじゃな。

 これで田んぼじゃろうと屋敷(やしき)じゃろうと(なん)でも()えるし、毎日(まいにち)おいしいものを()べることもできるぞ」

 そんな孫三郎(まごさぶろう)にむかって五助(ごすけ)はこう忠告(ちゅうこく)したのじゃ。

「よかったですね孫三郎(まごさぶろう)さん。

 ですが田んぼや屋敷(やしき)までというのはさすがにちょっとお(かね)()りないと(おも)いますよ。

 すごい大金(たいきん)を手にしてうかれてしまう気持(きも)ちも()からないわけではありませんが、そんなな(とき)こそ()()けなければいけませんよ。お(かね)というものはいくら大金(たいきん)()えても、ぜいたくをしていたらあっという()になくなってしまうものなのです。

 ここぞという(とき)使(つか)うのがお(かね)の正しい使(つか)(みち)というもので、むだづかいなどするためものではありません。

 後々(のちのち)のために田畑(たはた)()(とき)()しにするというのでしたらともかく、ただ毎日(まいにち)おいしいものを()べるためなんかに使(つか)っていたら、あぶく(ぜに)になって()えてしまうだけですよ」

 そう()われて孫三郎(まごさぶろう)(われ)(かえ)ったと。

「そう()われりゃそうか。オレはどうかしておった。

 この(かね)(むぎ)()って、(のこ)りはいざという(とき)のためにとっとけば()いのじゃ」

 孫三郎(まごさぶろう)のその言葉(ことば)五助(ごすけ)同意(どうい)したと。

「そのとおりです。

 ですが、この(まえ)(あらし)野菜(やさい)などがだめになってしまったというのなら、(ほか)のお百姓(ひゃくしょう)さんたちも、あなたほどではなくても()(もの)()りないようになっているはずですから、(むら)(かえ)ってから()うのはあまり()くないでしょうな。それに、あなたが平気(へいき)(かお)でお(かね)使(つか)っているところを(むら)(ほか)(ひと)たちに()られてしまうと、あなたが大金(たいきん)()っていることまで()られてしまって、(おも)わぬやっかみを()けることになるかも()れません。

 ですから、荷物(にもつ)にはなりますし、ちょっと(たか)くつくことにもなるでしょうが、()(もの)(まち)()っておくことをおすすめしますよ。

 ただ、野菜(やさい)不足(ふそく)したぶん、みんなも(ほか)のものを()べるようになるだろうというので、この(あた)りの(むぎ)(こめ)()も上がりはじめているようです。ですから()うのならば(はや)めにしておいた(ほう)()いと(おも)いますよ。

 (あと)、さっきはあんなことを()いましたが、今日(きょう)はあなたが大もうけした日です。こんなめでたい日くらいはちょっとくらいぜいたくしたところで(ばち)()たりませんよ。

 とは()え、ごちそうを()べるにしても、この(あた)りには水茶屋(みずぢゃや)食事処(しょくじどころ))みたいな()のきいたものはないようですし……

 ええと、あなたのところでごちそうと()えばどんなものがありますか?」

 そういきなり()かれてしまって孫三郎(まごさぶろう)はこう(こた)えたのじゃ。

「そうじゃなあ、何年(なんねん)(まえ)(ぼん)()べた鱈胃(たらおさ)(たら)(えら)や内臓の干物)かなあ? あれは(のど)の中をおいしい(あじ)(うた)いながら(とお)って()くようにうまかったなあ」

 それを()いた五助(ごすけ)はうれしそうにこう()って()たと。

鱈胃(たらおさ)()えば干物(ひもの)一種(いっしゅ)でしょう?

 干物(ひもの)だったらわたしにまかせてください。()いもの(やす)()えるようにしてあげますから。

 そうだ、(ほか)にも(すず)やら(むぎ)やらも()うのでしたな。

 これはもたもたしていたら日が()れてしまいますよ。(はや)()いに()きましょう」


 今日(きょう)はじめて()ったというのに、ひどくなれなれしくして()五助(ごすけ)()しの(つよ)さに()けて、孫三郎(まごさぶろう)五助(ごすけ)()れだって()い出しのために(まち)(まわ)ることになったのじゃった。

 まず神社(じんじゃ)(つく)りそこねた縁起物(えんぎもの)(やす)くゆずってもらって、それに()いている(すず)飾紐(かざりひも)使(つか)ってコマの首輪(くびわ)(つく)ることにしたと。

 (つぎ)に、(まち)乾物屋(かんぶつや)鱈胃(たらおさ)をたくさん()った(とき)も、五助(ごすけ)口利(くちき)きで、大阪(おおさか)問屋(とんや)から乾物(かんぶつ)()(しな)(まわ)しても()いという約束(やくそく)をするかわりに、鱈胃(たらおさ)だけではなく、立派(りっぱ)なカマスの干物(ひもの)(やす)くゆずってもらうことができたのじゃ。

 そして穀物問屋(こくもつどんや)()った(とき)五助(ごすけ)の口の上手(うま)さで(むぎ)やら(まめ)やらはもちろん、白い(こめ)まで(やす)()うことができたのじゃ。

 それで孫三郎(まごさぶろう)五助(ごすけ)にお(れい)()ったのじゃった。

「ありがとう五助(ごすけ)さん。おかげでとても(たす)かりました」

 じゃが五助(ごすけ)はただの親切(しんせつ)でこんなことをしていたわけではなかったのじゃ。

 じつは五助(ごすけ)はこれまでもあちこちのシイタケを(つく)っておる(もの)(した)しくして()ておった。

 それでシイタケは3、4(ねん)くらいの(あいだ)(おな)じ木にくり(かえ)()(つづ)けるということを()っていたので、孫三郎(まごさぶろう)()つけたクヌギの木からも(あと)何回(なんかい)もシイタケがとれるじゃろうと(かんが)えておったのじゃ。

 じゃからここで孫三郎(まごさぶろう)親切(しんせつ)にすることで(した)しくなっておけば、とてもたくさんの()いシイタケが手に(はい)りやすくなり、この(あと)何年(なんねん)かはもうけることができると(かんが)えておったのじゃ。

 (した)しくなって、孫三郎(まごさぶろう)から(じか)()うこともできるようになるかも()れないし、たとえそんなことまでにゃあならなくても、この(まち)仲買人(なかがいにん)とはとうに仲良(なかよ)くなっているので、孫三郎(まごさぶろう)がシイタケをとり(つづ)けてさえくれれば、そのシイタケは五助(ごすけ)のところに優先(ゆうせん)して(はい)るようになっておった。

 はじめ仲買人(なかがいにん)()()って孫三郎(まごさぶろう)のシイタケの()をつり上げたのも、孫三郎(まごさぶろう)にシイタケはもうかるものだということを(おし)えて、シイタケをとり(つづ)けたくなるようにするためじゃった。

 じゃからお(れい)()われた五助(ごすけ)はこう(こた)えたのじゃ。

「いやいやこのくらい大したことではありませんからお(れい)にはおよびませんよ。

 あなたが()いシイタケとって()(くだ)さったおかげでわたしどもの(みせ)ももうけることができるのですから、むしろお(れい)()うのならわたしの(ほう)です。

 ありがとう孫三郎(まごさぶろう)さん。もしまたシイタケ()つけるようなことがあったらよろしくおねがいしますよ」

 そんな五助(ごすけ)(はら)(うち)なぞ孫三郎(まごさぶろう)()(よし)はないし、またたとえ()ったとしても、五助(ごすけ)孫三郎(まごさぶろう)(とく)にもなるように(かんが)えてくれていることに()わりはないのじゃ。

 じゃから孫三郎(まごさぶろう)はすなおによろこび、ほくほく(がお)で山の中の小屋(こや)(かえ)って()ったのじゃった。


 そんなことがあった翌年(よくとし)爺婆(じぃばば)(「春蘭」のこと)が(はな)()かせはじめる(はる)五助(ごすけ)(むら)にやって()おった。

 (おもて)むきのわけは、この(あた)りの山で()いシイタケがとれるかどうかを調(しら)べに()たという(はなし)じゃったので、孫三郎(まごさぶろう)()つけたクヌギのことは、(むら)(しゅう)には()られないですんだのじゃった。

 じゃけれど、五助(ごすけ)はその(あと)で、こっそり孫三郎(まごさぶろう)だけに()いに()おった。

 (チリリン)

 ()()らぬ人間(にんげん)(くび)(すず)()らしてコマが身構(みまが)えておった。

孫三郎(まごさぶろう)さんおひさしぶりです。

 おや、そこにいるのがシイタケのところに案内(あんない)してくれるというコマちゃんでしょうか? なるほど本当(ほんとう)(かしこ)そうな(かお)をしたネコですなあ。

 ところでシイタケと()えば、(れい)のクヌギにそろそろ(あたら)しいシイタケが()えるころですが、(いま)はどうなっていますか?」

()って、五助(ごすけ)(あん)(つぎ)のシイタケをとりに()くように孫三郎(まごさぶろう)にせっついて()おったと。

「そうじゃなあ、ここのところ(なに)日かに一ぺん、クヌギのところにようすを()()っているけれど、まだシイタケは()えていなかったなあ。

 もしかしてもう()えて()ないかも()れないな」

孫三郎(まごさぶろう)(こた)えたと。

 そうしたら五助(ごすけ)はさも当然(とうぜん)という(かお)でこう()って()たのじゃ。

今日(きょう)わたしは、万が一、あなたがとる時期(じき)(のが)してシイタケをくさらせてしまわないよう、(はや)めに忠告(ちゅうこく)しに()ただけなのですから、まだ()えて()ていなくてもおかしくはないでしょうな。

 大丈夫(だいじょうぶ)、シイタケは間違(まちが)いなくその(うち)()えて()ますよ。

 ただ今回(こんかい)、わたしは野暮用(やぼよう)でしばらくの(あいだ)この()(はな)れなければならないため、あなたのところから(じか)()うことができそうもありません。

 ですから、とれたシイタケはこの(まえ)仲買人(なかがいにん)さんのところに(おさ)めるようにしてくれませんか。あの(ひと)には、あなたのところのシイタケはわたしどもの問屋(とんや)()るように(はなし)()けておりますから」

 五助(ごすけ)がそんな(たの)みごとをして()るので孫三郎(まごさぶろう)はこう(こた)えておいたと。

「そりゃシイタケは領主(りょうしゅ)さまが(みと)めた仲買人(なかがいにん)にしか()ってはいけないという()まりじゃから、どの(みち)、あんたのところも(ふく)めて(ほか)のところにゃあ()ることはできないので、あの仲買人(なかがいにん)のところに()るしかないじゃろう」

 それを()いた五助(ごすけ)意外(いがい)そうな(かお)をしたのじゃ。

「え? (じか)にわたしに()るも(なに)も、どっち(みち)仲買人(なかがいにん)さんにしか()ることができない()まりだと(おも)っていたのですか。

 それはちょっと(ちが)いますよ。わたしも(まえ)に、仲買人(なかがいにん)さんの(かお)()てるために同意(どうい)したことはありますが、その()まりは(はん)からシイタケ(づく)りを(まか)されている(ひと)たちとか、山師(やまし)鉱夫(こうふ))や木こりのような山での仕事(しごと)をしながら、ついででシイタケ(づく)りもしても()いというおゆるしを(はん)からもらっている(ひと)たちとかのためのもので、(かなら)ずしも勝手(かって)()えているシイタケまで仲買人(なかがいにん)()らなくてはならないというわけではありません。

 もっとも、わたしみたいな大阪(おおさか)乾物(かんぶつ)問屋(どんや)人間(にんげん)(ほか)には、(はん)仲買人(なかがいにん)さんくらいしか大口(おおぐち)()いとってくれる(もの)はおりませんから、もうけようと(おも)うのでしたらどちらかに()るしかないのですけれど。

 まあそんななわけで、(あき)にでもシイタケが()えたら、またよろしくおねがいしますよ」

()って、五助(ごすけ)(かえ)って()ってしまったと。

 その(あと)何日(なんにち)かして、五助(ごすけ)()ったとおりクヌギの木にまたシイタケがどっさり()えたので、孫三郎(まごさぶろう)約束(やくそく)どおり、この(まえ)仲買人(なかがいにん)のところにシイタケを(おさ)めたのじゃった。


 (つぎ)(とし)(あき)山童(せこ)河童(かわたろう)が冬の間だけ山に移り住んだものとされる妖怪の一種)でさえうっとうしいと(おも)いかねないほど、ヤマワロウ(多年草の一つ「盗人萩(ぬすびとはぎ)」)のバカ(俗に「ひっつき虫」等と呼ばれる類の植物の種子のこと)がしつこく()()いて()て、イカリバナ(錨花:彼岸花)がまっ()(かお)()せるころのこと、孫三郎(まごさぶろう)小屋(こや)使(つか)(まき)()ろうとしておった。

(チリリン)

「にゃあ?」

 孫三郎(まごさぶろう)がいつも(まき)()りの(だい)使(つか)っている切株(きりかぶ)(ちか)づくと、その上で()ていたコマが目をさましてこっちを()上げておった。

「コマ、(わる)いけれどちょっとそこを()いてくれ」

()って、コマを()けようとして孫三郎(まごさぶろう)(おどろ)いてしまったと。

「おやおや、こんなところにシイタケが()えておるぞ」

 なんと(まき)()りの(だい)使(つか)っていた切株(きりかぶ)からシイタケが()えていたのじゃ。

 ()()ると、小屋(こや)(そと)()み上げていた(まき)の山の中で下の(ほう)になっていた、(まえ)(とし)から(のこ)っていた(まき)の中にも、シイタケが()えているものが二、三本あったと。

 あのクヌギの大木(たいぼく)から()えて()るものと(くら)べればちっこいシイタケだったけれど、孫三郎(まごさぶろう)はこのシイタケも()れないものか、(つぎ)(まち)()った(とき)にでも仲買人(なかがいにん)()いておこうと(おも)い、そのシイタケも()しておくことにしたのじゃ。

 その数日(すうじつ)()、とって()ていたシイタケを()していた孫三郎(まごさぶろう)のところに五助(ごすけ)がまたやって()おった。

「まいど孫三郎(まごさぶろう)さん。

 いつも()いシイタケを()ってもらって(たす)かっていますよ。

 しばらくの(あいだ)ごぶさたしてしまっていたのですけれど、またシイタケを()けてもらおうと(おも)ってやって()ました。

 今年(ことし)のシイタケの()具合(ぐあい)はどんなものですか? また()いのがとれていますか?」

()って()五助(ごすけ)孫三郎(まごさぶろう)もあいさつを(かえ)したと。

「おや、五助(ごすけ)さんかい。元気(げんき)じゃったかね。

 そうかぁ、もうそんな時期(じき)じゃったな。

 シイタケなら()てのとおり豊作(ほうさく)じゃよ」

 五助(ごすけ)(はる)(あき)のシイタケがとれるころになるたびにこんなふうに孫三郎(まごさぶろう)からシイタケを()いつけようとして姿(すがた)(あらわ)すので、(いま)ではメジロやら(あか)トンボやらといったもののように、季節(きせつ)風物(ふうぶつ)になっておった。

 そんな五助(ごすけ)孫三郎(まごさぶろう)切株(きりかぶ)やら(まき)やらからシイタケが()えたという(はなし)をしたところ、五助(ごすけ)はとても興味(きょうみ)かれたようすで、こう()って()たのじゃった。

「それならここはシイタケ(づく)りにむいているのかも()れませんな。

 それでしたら孫三郎(まごさぶろう)さん、ここはひとつシイタケ(づく)りをはじめてみてはいかがでしょうか?

 シイタケがもうかるということはごぞんじでしょう?」

 そう()われても孫三郎(まごさぶろう)にゃあなぜそんなことをしないといけないのか()()からなかったと。

「なにもわざわざ手間(てま)をかけて(つく)らなくても、シイタケならこのとおりあのクヌギの木からとれたものがたくさんあるじゃないか」

()って、孫三郎(まごさぶろう)()()えたシイタケを五助(ごすけ)()せたんじゃ。

 そんな孫三郎(まごさぶろう)五助(ごすけ)はこう()って()たのじゃ。

()いですか孫三郎(まごさぶろう)さん。

 (たし)かに(いま)のところは、あなたが()つけたという、そのクヌギの木とやらからたくさんシイタケがとれてはいるでしょう。けれど、(おな)じ木からいつまでもシイタケがとれると(おも)っているのでしたら、それは大変(たいへん)間違(まちが)いですよ。

 わたしには(ほか)のところでシイタケを(つく)っている()り合いが何人(なんにん)もいるのですけど、その(ひと)たちの(はなし)だと()()()……と()っても()からないか、シイタケを()やすために使(つか)っている木は五(ねん)もすればくさりきってしまい、シイタケがあまり()えないようになってしまうので、三、四(ねん)くらいで(あたら)しい木にとりかえないといけないそうです」

と、シイタケ(づく)りの(はなし)をはじめた五助(ごすけ)は、(つづ)けてこう()って孫三郎(まごさぶろう)をさとしたと。

「あなたがシイタケとって()る木は大木(たいぼく)だという(はなし)ですから、ひょっとするともっと(なが)(あいだ)()つかも()れませんが、それでもあなたが()きている(あいだ)(じゅう)シイタケを()やし(つづ)けてくれるというわけではありませんよ。

 このままなにもしないでいると、これまで()めたお(かね)もいつかはなくなって、ちょっとしたつまずきで()(もの)にも(こま)ることになるような()らしに逆戻(ぎゃくもど)りするかも()かりません。

 もちろん、あなたがどんな()(かた)しようとそれはあなたの勝手(かって)ですよ。

 けれども、もしあなたがびんぼう()らしに(もど)りたくないのでしたら、(いま)からできる(かぎ)りのことをしておくべきなのではありませんか?」

 そう()われても孫三郎(まごさぶろう)はまだ迷っておった。

「じゃけどシイタケ(づく)りといってもどうすれば()いのかオレにゃあ()からないのじゃ」

 けれど五助(ごすけ)(すこ)しでもたくさんシイタケを(あきな)えるようにしたかったので、簡単(かんたん)にゃああきらめなかった。

「シイタケ(づく)りといっても(なに)もややこしいことはありません」

などと()って孫三郎(まごさぶろう)説得(せっとく)して()おったと。

「まず(あき)()わりにクヌギやコナラ、シイなんかの木を()って、それで丸太(まるた)をたくさん(つく)り、その丸太(まるた)にした木を一度(いちど)(かわ)かしてらしておくのです。

 このシイタケを()やすための木のことを()()()()うのですが、この()()()(ふゆ)になったら二、三日水に()けこんでから、ところどころに(きざ)み目を()れて、(かぜ)(とお)しの()い林の中に(なら)べて()かしておくと、上手(うま)()ったらシイタケが()えて()るというわけです。

 どうです、簡単(かんたん)でしょう?

 そうそう、はじめの(うち)()()()にする丸太(まるた)()わなければいけませんが、後々(のちのち)のことを(かんが)えると自前(じまえ)()()()用意(ようい)できた(ほう)()いですから、自分(じぶん)のところで木を()えて(そだ)てるようにした(ほう)()いでしょうな」

 本当(ほんとう)はシイタケ(づく)りというものはそんな簡単(かんたん)なことではないし、ほだ木を()かしておいても上手(うま)くシイタケが()えるかどうかは(うん)(だの)みで、上手(うま)()けば大もうけじゃけれども、失敗(しっぱい)すれば一文(いちもん)なしになることも(めずら)しくはない(はなし)じゃった。

 そんなことを()(よし)もない孫三郎(まごさぶろう)

「これが(まえ)五助(ごすけ)さんの()っていた『ここぞという(とき)』なのかも()れないな。

 まだ(かね)余裕(よゆう)もあるし、シイタケ(づく)りの(ほか)にも使(つか)(みち)色々(いろいろ)とあるクヌギなら()えてみても(そん)はないから、やってみようかい」

(かんが)え、五助(ごすけ)口車(くちぐるま)()せられて、シイタケ(づく)りをはじめることにしたのじゃった。


 (チリンチリン)

 林の中から(すず)()(おと)()こえて()おった。

「コマぁ、ほだ木はお(まえ)(つめ)とぎじゃあないって(なん)べん()ったら()かるのかなぁ」

 草葉(くさば)のかげのまっ(さお)なネコ()金玉(キンタマ)(ユリ科の植物「蛇の鬚(じゃのひげ)」の実のこと)ふんづけながら、林の中に丸太(まるた)(なら)べていた孫三郎(まごさぶろう)が、その丸太(まるた)()っかいているコマを()てぼやいておった。

 五助(ごすけ)にすすめられ、孫三郎(まごさぶろう)がためしにシイタケ(づく)りをはじめてから二(ねん)がたち、(まえ)(とし)(あき)にはじめてシイタケがとれるようになっておったと。

 ほだ木を(なら)べていてもシイタケが()えないで(もん)なしになる(もの)もおるというのに、孫三郎(まごさぶろう)はよっぽど(うん)()いのか、二本に一本はシイタケが()えたのじゃ。

 シイタケが()えるころの風物(ふうぶつ)となっておる五助(ごすけ)も、ここまで上手(うま)()くとは(おも)っていなかったようで、(しな)()()しは(かみなり)にやられたクヌギからとれるものと(くら)べれば大したものではなかったというのに、シイタケ(づく)りを本気(ほんき)になってやるようにすすめて()おった。

 じゃから孫三郎(まごさぶろう)()()()()()して、こんなふうに(なら)べているところじゃった。

 ほだ木と()えば、孫三郎(まごさぶろう)()()()使(つか)うためのクヌギの木を、(かぜ)よけもかねて(はたけ)(まわ)りに()えるようになっていたのじゃが、これは()えはじめてから年月(ねんげつ)(あさ)くて小さいため、ほだ木に使(つか)うことはまだまだできないものじゃった。

 ()えたクヌギの(ほう)はまだ子どもでも、コマの(ほう)はそろそろ七つにもなる年寄(としよ)りになっておった。

 じゃけれど、やっておることは()わらず無邪気(むじゃき)なもので、(あたら)しい()()()(なら)べられるたびに「こりゃあオレのもんじゃ」っと()っているかのように(あたま)をこすりつけたり、ほだ木が(ふる)いものか(あたら)しいものかにゃあかかわりなく、(つめ)とぎしたりしておったと。


 それから季節(きせつ)(なが)れ、北風(きたかぜ)()うこともすっかりなくなった()わりに、カンタロウ(「シーボルトミミズ」のこと)と出くわすようになった(はる)の山の中を、孫三郎(まごさぶろう)はシイタケがいっぱい(はい)ったかごを背負(せお)って上機嫌(じょうきげん)(ある)いておった。

「この(はる)もシイタケが本当(ほんとう)にたくさんとれたなあ」

 あの(かみなり)にやられたクヌギの大木(たいぼく)に、(かぞ)えきれないほどのシイタケがまた()えたので、孫三郎(まごさぶろう)も一ぺんにゃあとりきれないと、小屋(こや)と山の(おく)(ふか)くとの(あいだ)()ったり()たりしないといけなかったと。

 (チリンチリン)

 孫三郎(まごさぶろう)が山の(おく)から(もど)って()ると、(さき)にとって()ておいたシイタケにコマがじゃれついておった。

「こりゃ! それはお(まえ)のおもちゃじゃないぞ」

 孫三郎(まごさぶろう)がしかると、コマはあわたてて()げて()ってしまったと。

 そしてそれきりコマは(よる)になっても(もど)って()なかったのじゃ。

「コマはどうしたのじゃろか。あの(とき)しかったのが(わる)かったのかなあ」

 心配(しんぱい)になって孫三郎(まごさぶろう)はコマを(さが)しに出たのじゃった。

「おーいコマぁ出て()ておくれ」

と、孫三郎(まごさぶろう)があちこち(ある)(まわ)ってさけんでも、コマの姿(すがた)()えるどころか(すず)()一つしなかったと。

 そのまま数日(すうじつ)たっても、コマはとんと姿(すがた)(あらわ)さなかったのじゃ。

「山の(けもの)にでも()われてはいないじゃろうか」

と、心配(しんぱい)(むね)がはち()れそうになった孫三郎(まごさぶろう)(むら)氏神(うじがみ)さんの(やしろ)やら、山の中の山神(やまがみ)さんの(ほこら)やらに(かよ)って、コマが無事(ぶじ)(もど)って()るよう(がん)かけもしたのじゃと。

 そんなところに風物(ふうぶつ)五助(ごすけ)がやって()て、

「ネコは自分(じぶん)がもうすぐ()ぬということが()かると、人前(ひとまえ)から姿(すがた)()すと()われているので、ひょっとすると……」

なんて縁起(えんぎ)でもないことを()い出しかけおったので、孫三郎(まごさぶろう)はぶんなぐって()(かえ)したのじゃった。


 それから半年(はんとし)くらいたって、孫三郎(まごさぶろう)半分(はんぶん)あきらめかけていたころのことじゃった。

(チリン)

 ()きおぼえのある(すず)()孫三郎(まごさぶろう)小屋(こや)()(ぐち)に目をむけると、小屋(こや)()()けてコマが(はい)って()おった。

「にゃあ」

一声(ひとこえ)()いたコマは、そのまま()()けっぱなしにするかと(おも)ったら、すらりと()()()()()()()()から、孫三郎(まごさぶろう)のそばによって()たのじゃ。

 ()るとコマはひどくやせこけてしまっていて、(けもの)にでもかまれたのか片方(かたほう)の耳が()けておった。

「ほ、本当(ほんとう)にコマか?

 (いま)までどこに()っていたんじゃ?

 無事(ぶじ)()かった」

()って、孫三郎(まごさぶろう)はうれしそうにコマを()き上げたのじゃった。


 それから数年(すうねん)年月(ねんげつ)(なが)れ、あの(かみなり)にやられたクヌギの大木(たいぼく)から()えて()るシイタケは、すっかり(すく)なくなって()ておった。

 その()わり、孫三郎(まごさぶろう)小屋(こや)(ちか)くの林の中ではじめたシイタケ(づく)りは毎年(まいとし)豊作(ほうさく)じゃったので、勝手(かって)にクヌギの大木(たいぼく)から()えて()るものをとって()ていたころほどではないものの、孫三郎(まごさぶろう)は大もうけといっても()いくらい()()ぐことができきるようになっておった。

 そのことを()った(むら)(しゅう)の中にも、(ちか)ごろは真似(まね)してシイタケ(づく)りをはじめる(もの)が出て()るようになっておったので、孫三郎(まごさぶろう)五助(ごすけ)手助(てだす)けしてもらって、(つく)(かた)(おし)えてあげるようにもなっておったのじゃ。

 じゃけど(ほか)(もの)()()()(なら)べてみても、なぜか孫三郎(まごさぶろう)のところのようにシイタケが()えて()るとは

(かぎ)らなかったので、中にゃあお(かね)を払ってシイタケが()えるようになるまで、孫三郎(まごさぶろう)のところに()()()()かせてもらっている(もの)もおった。

 コマも()わらず無邪気(むじゃき)なもので、()ネズミを()いかけたり、昼寝(ひるね)をしたり、ほだ木で(つめ)をとぎおったり、(かく)れて手ぬぐいのほっかむりして(みつ)拍子(びょうし)鶴崎(つるさき)等では「左衛門(さえもん)」とも呼ばれている大分県各地に伝わっている踊り)(おど)ったりしておった。

 孫三郎(まごさぶろう)小屋(こや)はシイタケにやられて(はしら)がくさってしまったので、孫三郎(まごさぶろう)小屋(こや)をとり(こわ)してその(となり)(あたら)しい(いえ)()てて()らしておった。

 そんな(しあわ)せな日々(ひび)(つづ)いていたある日の(よる)のことじゃった。

 (いえ)の中で(ねむ)っていた孫三郎(まごさぶろう)は、いつかのように(だれ)かが(はな)している(こえ)()こえて()たので目がさめてしまったと。

 (くら)(いえ)の中で(なに)(もの)かがこんなことを()っておった。

「コマ、(ぬし)(なに)をしておるのじゃ?

もう(とき)がない。(はや)くその人間(にんげん)()らってしまわないともう妖力(ようりょく)()られないようになってしまうぞ」

 それを()いてたまげた孫三郎(まごさぶろう)が、薄目(うすめ)()けて(こえ)()こえて()(ほう)()()()()()みると、(まど)から()しこんで()(つき)()かりに()らされて、()が七つに()かれている仔牛(こうし)のように大きな(あか)ネコ(毛色が薄茶のネコ)が、目ん(たま)爛々(らんらん)(ひか)らせて部屋(へや)(すみ)にうずくまっておったのじゃ。

 孫三郎(まごさぶろう)がそのままようすを()()()()(つづ)けていると、また(べつ)(こえ)()こえて()たのじゃ。

 その(こえ)(ほう)()ると、コマが(ひと)言葉(ことば)をしゃべっておったと。

「どうしてもそうしないとだめかね?」

 そんな返事(へんじ)をして()たコマに(あか)ネコはさとすように()うのじゃった。

「ただの(けもの)としての(ぬし)寿命(じゅみょう)今夜(こんや)(かぎ)りじゃ。このままでは一番鶏(いちばんどり)()くころにゃあ(ぬし)(つめ)たくなっていることだろう。

 そんなことになる(まえ)人間(にんげん)()らって、妖力(ようりょく)をもっと()しておくのじゃ。

 そうすれば力を使(つか)って寿命(じゅみょう)をのばせるようになるので、(なん)(ねん)()きることができるようになるし、()()のようにネコの王の(そば)(つか)えることもできるというのに、(なに)をためらうことがあるというのかえ?

 ほれ、(はや)くしないと(ぬし)寿命(じゅみょう)がなくなってしまうぞ」

 コマが()ぬと()いて孫三郎(まごさぶろう)()()きようとしたのじゃが、金縛(かなしば)りに()ったように(うご)けなかったと。

 孫三郎(まごさぶろう)()いていることに気付(きづ)いておるのかおらんのか、(あか)ネコの言葉(ことば)にコマはこんなふうに(こた)えおった。

阿蘇(あそ)のお(さん)(ねえ)さん。

 孫三郎(まごさぶろう)さんはオレの(そだ)ての(とう)ちゃんじゃ。

 それに(かあ)ちゃんの(ちち)が出ないでオレがやせこけておった(とき)にゃあ、あちこち(まわ)ってもらい(ちち)してくれる相手(あいて)(さが)そうとしてくれたり、それがだめじゃと()かれば(ちち)()わりのものをこさえてくれたりしたのじゃ。あのことがなけりゃオレは(かわ)いてしまって()きてはいなかったかも()れない。

 オレだけじゃあねぇ。オレのお()ちゃんが体の塩梅(あんばい)(わる)くした(とき)必死(ひっし)看病(かんびょう)してくれたり、(がん)かけしてくれたりしたのじゃ。

 ネコは三日(みっか)(おん)(わす)れると()われておるけれど、オレは(わす)れねぇ。

 それになにより孫三郎(まごさぶろう)さんは苦楽(くらく)(とも)にして()家族(かぞく)じゃ。

 そんな孫三郎(まごさぶろう)さんをどうして(ころ)すことができるじゃろうか。

 わざわざ(とお)いところからご足労(そくろう)してくれた(ねえ)さんにゃあ(わる)いが、オレは孫三郎(まごさぶろう)さんを()うつもりは(まった)くないのであきらめて阿蘇(あそ)(かえ)ってくれ」

 すると(あか)ネコのお(さん)はコマをあざけりおった。

人間(にんげん)なんぞのために(いのち)()てるというのかい?

 (ぬし)(はは)もその(みち)(えら)びおったけれど、()んだ(あと)まで()()()()(猫神、呪術によって使(やく)される殺されたネコの(れい))のようにそこの人間(にんげん)のために(はたら)いておるというのに、人間(にんげん)()らうこともできなければ、その人間(にんげん)()づいてももらえないので、(にえ)をもらえる()()()()(ちが)ってただ(ばたら)きじゃ。

 (ぬし)もそんな母親(ははおや)のようになりたいというのかい? 親子(おやこ)そろってとんでもない(おろ)(もの)じゃ。

 まあ、(ぬし)がそれで()いというなら、()きなようにすりゃ()い。()()にゃあとても理解(りかい)できん。

 それにいずれにしても、もう時間(じかん)()れじゃからな」

 お(さん)がそう()った(とき)じゃった。

こっけこっこおぉー(とってくぉーかぁー)

 (むら)(ほう)から雄鶏(おんどり)()(こえ)がかすかに()こえて()たかと(おも)ったとたん、(あか)ネコの姿(すがた)はかき()されたように()えなくなったのじゃ。

「コマ、だめじゃ、()んじゃあだめじゃ」

 孫三郎(まごさぶろう)はあわてて()()きると、コマを()き上げたのじゃった。

 けれども(あか)ネコの言葉(ことば)どおり、コマはもう(つめ)たくなっておったのじゃ。

 孫三郎(まごさぶろう)(かな)しんで、タマが(ねむ)っている(となり)にコマの(はか)()てたのじゃと。


 ネコは()姿(すがた)(ひと)()せないと()われておるけれど、自分(じぶん)(いのち)より(ひと)(いのち)(えら)んだコマは、大事(だいじ)(おも)っていた人間(にんげん)のところで最期(さいご)をむかえたのじゃ。

 それからも孫三郎(まごさぶろう)のところの()()()にゃあ、いつの()にかネコの(つめ)あとのような(きず)()いているようになったのじゃと。



 「もうすこし(こめ)のダンゴ、(はや)()べないと()めるよ」

 お(じい)さんはそう()ってお(はなし)をしめくくると、魔法瓶(まほうびん)のふたを手にとり、すっかり(つめ)たくなってしまったお(ちゃ)一口(ひとくち)すすってから斜面(しゃめん)(なら)べられている丸太(まるた)(れつ)に目をむけました。

 (チリンチリン)

とどこかから(すず)()()こえて()たような()がしました。


[了]

 本作品は昔の豊後の国(非正規の設定ではありますが一応、十八世紀前半頃の旧岡藩領を想定)を舞台とした昔話の形式をとっております。


 尚、作中において、化猫は人を食わないと長生きできないとする描写がありますが、これは作者の創作です。

 因みに、化猫になるのを防ぐために年季を定めたり、尾を切り落としたりする風習があったという話や、イソップ物語の影響で猫の首に鈴を付ける風習が出来たという話は実話ではありますが、十八世紀前半ころの旧岡藩領においてまで、これら風習が存在していたのか否かに関し、作者には確認出来ておりません。

 又、栽培したシイタケを藩が定めた仲買人以外に売る事を禁ずる決まりが、十九世紀にはあった事は確かなようですが、十八世紀前半にも同様の決まりがあったかどうかや、人の手によるもの以外の自然に生えているシイタケの扱いがどのようになっていたのかという事に関して、作者には確認出来ておりません。

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