ミントゥチ
――平和だなあ、真っ白けな雲が空を流れてらあ。
「あ、流れてんのはオイラが」
ざぶりと水しぶきを立てながら体を起こし、水底の砂利に足をついた。足をつくことができる程度の深さではあるが、口元まですっかり水に浸かってしまっている。水中で口から泡を出しながら、静かに石を蹴って流れに身を任せた。
「いい天気だなあ。オイラ、干からびっちまう」
頭まで水の中に潜り、魚とともに泳ぐことを楽しむ。次第に水深が深くなってきて泳ぎやすくなるのと同時に、水流が少し速くなった。水中から頭を出して息を吸い込みながら、ぼんやりと体の力を抜く。手も足も動かさないで仰向けになってどこかへ運ばれていく。
「これがほんとの、河童の川流れってやつか」
笑えもしねえべ、と続けて目を閉じた。
いつの間にか眠っていたようで、その間ずっと川を下っていたらしい。川の中で立ち止まってみたが、まるで見覚えのない風景しか広がっていない。
「ここは一体どこだってんだ」
別にどこであろうがいまさら困らないが、なんとなく途方に暮れる。
――そう、いまさら、どこだって構わないのだ。すでに生まれ故郷であるはずの遠野を離れて久しい。南下するというのならわからなくもないけれど、どんな経緯があってか、いま、ここは雄大な自然が息づく北の大地だ。
遠野の河童が北海道さいてたまるもんかい、と投げやりに言い放ち、水底の砂利を蹴った。
地響きのような音がして、あたりを見回す。人間が移動に使っている列車が走ってくるのが見えた。この川に架かっている橋を越えることが予想できたので、人目につかないよう橋の下に隠れ、口まで水に浸かるようしゃがみ込む。がたたん、ごうんごうんと大きな音が過ぎていき、そろそろ大丈夫だろうかと思いながら立ち上がると、ぴしゃりと水を叩いてなにかが川に落ちてきた。
「やれやれ。これが胡瓜なら歓迎するけんど……人間ってやつは」
水を掻いてそれに近づくと、沈みそうになりながらも浮かんでいるのは、白い紙に包まれたものだった。
謎の物体に手を伸ばすと過ぎ去っていった列車からわずかに人の声が聞こえてびくりとする。とても追いきれない速さで姿を消してしまったので見られた心配などはおそらくないだろうが、騒ぐほどに大事なものなのだろうか。
「なんか、食べ物の匂いがすんべ」
あまり人間に悪さをするとよくないのだと言い伝えられている。大切なものなら土手の、列車から目につくところに戻してやろうと思ったのだが、食べ物ならそうするわけにもいかない。近くに人影がないことを確認してから、河原に上がって座り込んだ。
水掻きのある手で紙の袋を開けるのは難しく、結局破った勢いのまま中身が宙を舞った。
「おわ、わ!」
両手を差し出して受け止めると、ほんのり温かさを感じた。妙に硬いというか、ざらついているというか、硬い稲穂を掴んでいるようだ。
時々、気ままに川を流れていると人間の捨てた物を拾うことがある。食べ物を拾うこともあり、気が向けば口にしてみるのだが、採れたての野菜に勝るものには出会ったことがない。
こないだ食べたいもっこ旨かったなあと呟いてから、改めてその食べ物を眺める。
両手でちょうど包めるくらいの、平たい楕円形。狐色のそれをためしに半分に割ると、ほっこりと湯気が立ち上って空気にとけた。米かいもをすりつぶしたものが入っていて、とてもいい匂いだ。
「……うめえかな」
一口、かじりつく。
さく、と軽い音がして、次の瞬間、口の中に優しい味とあたたかさが広がった。これは、いもだ。
「な、なんだあこれは! えらいぬげえなあ」
残りもすっかり平らげて、ぼうっと空を見上げる。いま食べた、名前も知らない食べ物をなんとかしてもう一度食べたいと思った。
時が経つのも忘れて座り込んでいると、西日になったころようやく頭の皿が乾きかけていることに気が付いて川に飛び込んだ。体中に水分が染み渡って心地よい。
川の流れに逆らって水中を進むと、水面に差し込んだ西日が川底の石をも照らしていて、不思議な光景が広がっていた。きらきらと輝いて眩しい。泳ぐのに疲れたら、水の流れに身を任せる。飽きたら自ら水を掻く。そんなことを繰り返していたら、気付かぬうちに山の向こうに太陽が沈み、虫の声とともに夜がやって来ていた。
川を下りすぎると人間が多く住む地域に出てしまったり、果ては海に出てしまう恐れがある。普段ならばその点に気を付けるのだが、いもをすりつぶした食べ物は、袋に入っていたことから予想するに、家庭から簡単に頂戴できるものではないのだろう。とすれば、人間の生活圏まで赴くしかない。
「なあんか、ちょっと怖えな」
普段生活している場所は広々とした田圃や畑、隣家と呼んでいいのか考えるほどに間隔の開いた民家があるばかりで、日が沈めば辺りは静寂に包まれ、夜の帳がすっかり下りるようなところ。
しかしいまいる場所は、どこを見ても明るい。昼間よりも目がちかちかするくらいだ。おかげで、なんとか暗い川の中から様子を伺うばかりで、とてもじゃないが岸に上がることなどできそうもない。
「……よく考えたら、オイラどこに行きゃいもっこ食えるのか知らねがった」
一際大きな泡を吐いて、橋の影に隠れる。ちらりと見えた大きな立札に書かれた文字は読めなかった。
* * *
「なんだ、今の!?」
思わず大きな声をあげる。「どうした」と怪訝そうな同期の声に、自動ドアの暗闇を指さす。
「外に、顔の赤い、こんなちっちゃい生き物が立ってた……」
「はあ? お前、寝ぼけてるんじゃねえの」
馬鹿にしたような同期の言葉。確かに我が目を疑って二度見したが、見直したときには何の影も形もなかった。しかし子どもくらいの背丈で、真っ赤な顔をした何かが立っていたのだ。見間違いなどではない。
深夜勤務で同期がいてくれてよかったと思いながら、その同期にせっつかれて外を確認しに行く。あまり気が進まないが、不気味な気分でいるよりは遙かにマシだ。
「どうだ、何かいるか?」
「いや……」
それ見たことか、と興味をなくしたような声。
「……でも、」
煌々と溢れる人工的な光の下、硬いコンクリートが、まるでずぶ濡れの何かが歩いて来て、出入り口の前に立っていたかのように濡れていた。
部誌用に書いたものです。
手直しゼロ。
コンセプトは「北海道 河童 コロッケ」。
川はお好きなところで。
コンビニはセイコーマートかローソン。




