マザー
「ねえ、ママ。なんで、うちにはパパがいないの?」
5歳になったばかりの里奈が私を見つめる。いつか、この日が来ることは分かっていた。里奈ももう5歳なんだ。自分の家と友達の家庭の違いに気付く年なんだ。私はあらかじめ用意していた答えを里奈に伝えた。
「里奈のパパはね、遠いところへ行ってるんだよ。」
「へー、そうなんだ。じゃあ、いつ帰ってくるの?」
「うーん、どうだろうね。それよりも里奈、今日の晩御飯は里奈の大好きなハンバーグだよー!」
「ハンバーグ!?やったー!やったー!」
無邪気に飛び跳ねる里奈。
「ほら、はやく手を洗ってきなさい。」
「はーい!」
走って洗面台に行く里奈をみおくりつつ、私はあの人のことを思い出す。
パパは遠い所に行ったの・・・・か。里一。遠い、遠すぎるよ。里一のことを考えるとき時、いつも思い出すのが2年前の夏だ。焼けつくような暑さの夏。全国で記録的猛暑が続いていた。
病院の一室にベッドで寝ている里一。そして、それを見守る私。
「なつき、僕はもう長くないかもしれない」
しわがれた、かすれるような声。かつての弾力のある活気に満ちた彼の声はもうそこにはなかった。
「何言ってるのよ。先生も順調に回復してるって言ってたじゃない。」
「・・・・自分の体のことは、自分が一番よくわかる。なつき、里奈のことを、僕たちの娘のことを頼んだよ。」
それから1週間後、里一はねむるように息を引き取った。
時は流れる。
私の家庭には父親がいない。母と私の2人家族だ。私の父親は、今から11年前、私が3歳のときに死んだ。癌だったらしい。幼いころの記憶をたどってみる。私を優しく抱きかかえてくれる父。穏やかな笑顔。たくましく、暖かい腕。父が死んだのだと理解したのは小学校1年生の夏だ。父の命日に母が教えてくれた。あの時は、信じられない気持ちでいっぱいだったが、母は私をやさしく抱きしめてくれた。その日以来、1日の出来事を父の遺影の前で報告するのが私の習慣となった。
私が小学4年生のときに母に父との馴れ初めを聞いたことがある。社会人1年目の母が年末にバスで実家に帰省しようとしたところ、大雪による積雪のため、暗いトンネルの中で渋滞に巻き込まれたらしい。母も最初はすぐに動き出すだろうと思っていたが、バスは10時間も動かなかった。あまりの心細さや寒さから震えていた母を、たまたま隣の席に座っていた父が優しく励ましたらしい。その時母は、父に惚れてしまったのだと顔を赤らめながら話してくれた。この話を初めて聴いたとき私の中で何か懐かしいような、聞く前からその物語を知っていたような不思議な感覚に包まれた。その日から1年後、母は父と結婚した。
よく世間ではシングルマザーの家庭は寂しいのだろうと勝手に想像されるがそんなことは全くない。特に私の家庭は母が私に2人分の愛情を注いでくれている。たまに、うっとうしくなったりするけれど、それでも私は母が好きだ。母とはいつも取り留めのない話をしている。星座占いであったり、動物占いであったり、手相であったり。最近では、そう、血液型占いの話しで盛り上がっている。
「お母さんって何型だっけ?」
クリームシチューを作ろうとしている母に問いかける。
「何よ。いきなり。」
母は味付けに苦心しながら言った。
「血液型占いよ。中学の友だちから本を借りたの。お母さんの性格当ててあげる。」
「えーと、何型だったかしらねぇ。」
「もお、自分の血液型くらい覚えといてよね。」
「あ、そうよ、A型だったわ。」
「私と一緒ね。じゃあ、お母さんはきれい好きで几帳面なわけだ。」
「あら、あたってるじゃない。やるわね。その本。」
と言いつつ、母はろくに計りもしないで鍋に大雑把に塩を加えた。占いなんて当たらないものだ。
そんな平穏な生活は終わりを迎えることになる。その日は、顧問の先生が出張で部活がなく、普段よりも早い時間帯に私は帰路についた。そこで、私は見てしまった。母が見たことのない男性とカフェで話しているところを。誰なんだろう。母の恋人なのか。近づいてみてあることに気付いた。母はその男性に写真を手渡している。それも、私の写真だ。その男性は写真を大事そうに受け取るとアルバムの中へ入れた。私は2人に気付かれないようにその場を去った。どういうことだ。いや、普通に考えれば、母の恋人だろう。私の写真を渡していたということは、結婚も視野に入れているのかもしれない。私の新しいお父さん?いやだよ。そんなの。でも、お母さんには幸せになってほしい。考えて、考えて、考え抜いて私は決心した。その日の夜、食事中に私は切り出した。
「ねえ、お母さん。私、お母さんに幸せになってほしいの。」
いきなりの発言にきょとんとする母。
「なによ。いきなり。私はしあわせよ。里奈と暮らせるだけで。」
「本当のことを言って!私見たんだから。お母さんが男の人とカフェで話しているところを。」
戸惑う母。
「あれは、学生時代の友達よ。」
私はやさしく言った。
「いいの。そんなうそつかなくて。結婚したらいいじゃない。わたしは賛成よ。あの人、なかなかハンサムだったし。だから、わたしに遠慮しているのなら、もう大丈夫だから。」
「里奈、本当に違うのよ。あの人はそんなのじゃないの。」
「じゃあ、なんで私の写真を渡したりしてたのよ!」
「それは・・・。いいわ。今日はもうこの話はやめにしましょう。明日はおばあちゃんちに行くから朝早いわよ。里奈も早く寝なさい。」
そう言うと母は寝室へと向かった。何よ。何で素直にならないの。
翌日、朝から電車に乗って栃木のおばあちゃんの家まで行った。私たちがつくころにはもう、お母さんの妹さん家族が居間でおばあちゃんと談笑していた。
「ただいま。」
母の挨拶に振り向くおばあちゃん。
「ああ、よく来たねぇ。里奈ちゃんも疲れただろう。さあ、ご飯にしよう。」
皆でご飯を食べ、各々のんびりと時間を過ごしていた。私がトイレに行こうと廊下を歩いていると、一室からお母さんと叔母さん、おばあちゃんの話し声が聞こえた。
「なつき、あんた里奈ちゃんに本当のこと言ったの?」
何なの?本当のことって。私はふすまに耳を押し当て会話を聞いた。
「まだよ。あの子が20歳になるまでは言わないわ。」
「でも、あなたが泰人さんと会ってるところを見られたんでしょう。」
ヤスヒトさん?昨日の男の人のこと?でも、何で叔母さんたちは知ってるの?
「・・・・もう、頃合いなのかもね。でも、私も怖いのよ。本当のこと言った時、里奈にどう思われるのか。今まで築いてきた幸せが壊れるんじゃないのかって。」
いつになく深刻な声でしゃべる母。私は怖くなった。もう、この場を離れたほうがいいのではないか。でも、どうしても足が動かなかった。次の瞬間、信じられない言葉が発せられた。
「里奈が私と里一の間にできた子どもじゃないなんてあの子が知ったら。」
・・・・え?どういうこと?ふと、脳裏をよぎる私の写真を大事そうにアルバムに入れる男性。ヤスヒトさん。お母さんの恋人。学生時代の友人。・・・まさか!私は無意識のうちにその場をかけだした。
「里奈!待ちなさい!」
母の叫び声が聞こえる。構わず私は家の外へ駆けだした。土砂降りの中、私は裸足で走り続けた。信じられない。里一の里と奈月の奈で里奈。父と母の愛情の証。それが私じゃなかったの。淀んだ思考でくらくらしながら私は走る。前も見えない。パーッ!クラクションの音。大型トラックが突っ込んでくる。ああ、ここは車道なのか。そうか、私は死ぬのか。そう思った瞬間、力強い手が私の腕を引っ張った。その刹那、その手の主と目が合った。やさしい目で私を見つめるお母さん。そして、私と体を入れ替えるお母さん。あたりに響く重い衝撃音。倒れた母の周りの水たまりだけ赤色に変わる。
「お母さん!お母さん!」
救急車が近付く音が聞こえる。通りすがりの人がよんでくれたのか。救急車に乗せられる母。私も乗り込む。
「出血がひどいですね。危険な状態です。」
無機質なメガネをかけた医師が知らせを受け病院まで駆けつけてくれたおばあちゃんたちと私につげた。
そんな。私のせいで。
「先生。私の血を使ってください。お母さんも私もA型なの。いくらでも使ってください。お母さんが助かるなら、私は死んでもいいから。」
懇願する私におばあちゃんが静かに告げた。
「里奈ちゃん。落ち着いて聞いて。なつきはね、A型じゃない。O型なんだよ。」
「えっ?でも、前にA型だって言ってたよ。」
叔母さんが優しく説明を始める。
「里奈ちゃん。いずれ学校で習うことなんだけどね、両方ともO型の夫婦からはね、A型の子どもは生まれないのよ。調べれば分かることなんだけど、里一さんはO型だった。だから、なつきはA型だって嘘をついたのよ。」
込み入った話になると気を利かせたのか、医師は処置室へと戻って行った。
「やっぱり、私は2人の間の子どもじゃなかったのね。本当のことを教えて。お母さんは浮気相手の子どもを夫婦の子どもとして産んだんでしょ。あのヤスヒトさんっていう人との間の子どもなんでしょ。私は。」
目を見開くおばあちゃんと叔母さん。そして、かなしげな表情を浮かべ、
「泰人さんはね、里一さんのお兄さんよ。里一さん実家にあなたの成長を知らせるために定期的になつきと会ってたの。」
「えっ!?でも・・・。じゃあ!」
「そうよ。あなたはね。里一さんと里一さんの前の奥さんの間の子どもなの。その奥さんは、あなたを産んだ時に死んでしまったわ。そして、残された里一さんは一人であなたを育てていた。そんな時、偶然になつきは里一さんと出会ったの。大雪の日のバスの中でね。」
そうだ。母から慣れ染めの話を聞いた時、なぜか懐かしい感じがした。当たり前だ。私もその場にいたのだ。
「あなたが2歳のときに2人は結婚した。出会ってから1年がたっていたわ。でも、その1年後に里一さんは癌で・・・」
衝撃だった。私とお母さんが血が繋がっていないなんて。でも、お母さんは私を愛してくれた。精一杯。全力で。それなのに、私はひどい勘違いをして。飛び出して。その結果、お母さんが身代わりになって。血もつながってない私のために。なんでそこまでしてくれるの。お母さん。
「うわああああ!ああああああああああ!」
私はその場にうずくまって泣いた。声がかれるまで泣き続けた。
気づくと、朝だった。どうやら、寝てしまったらしい。ここはどこだろう。
「里奈。やっと起きたの。」
優しい声。私の心にしみわたるこの声は。
「お母さん!よかった。回復したのね。」
よく見ると病院の一室だった。
「もう大丈夫よ。2,3日は入院しないといけないらしいけどね。」
「よかった。本当に良かった。でも、お母さん、なんで私なんかのためにあんなことしたのよ。」
母は私の頭をやさしくなでながら言った。
「おばあちゃんたちから全部聞いたのね。私たちは確かに血は繋がってないわ。でもね、私は世界一あなたのことを愛している。里一さんも最後にわたしに言ったわ。僕たちの娘を頼む。ってね。あなたはどう思うかわからないけど、あなたは私の大切な一人娘よ。娘のために命はるなんて母親として当然のことだわ。」
母の深い愛情に触れ、私の目からはとめどなく涙があふれてくる。声にならない声でなんとか伝えた。
「・・・・これからも、ずっと私のお母さんでいて。」
あたたかく、いつもつつまれているような安心感を与えてくれる。そんなお母さんが大好きです。
かなりミスも多いと思うので近いうちに編集しなおします。




