第1話 王立図書館
図書館の静かな空気が、リンの歩く足音を柔らかく包み込む。
棚の間を抜け、指先で背表紙をなぞるたび、知らない世界への小さな扉を探している気分になる。
――ここは、古い王立図書館。
今のこの世界では、テクノロジーが発達し、本はAIに読み聞かされるか、映像化しているか、だ。人が紙の本を読むことなどめったとやなくなり、新しい紙の本は作られなくなってしまった。
現在残っている本は世界中から集められ、この王立図書館に保管されている。
もちろん閲覧自由だが、持ち出しは禁止。
普段ここで人を見かけることはない。
通常、司書もAIロボットが務めている。
静寂の空間で一人、好きなだけ本を読みふける。
この上ない至福のひと時だ。
時間がたつのも忘れて、物語に、本に、没頭するこの時がリンはたまらなく好きだった。
書架の間をゆっくりと歩きながら、お気に入りの一冊を探す。
いや、一人というのはちょっと間違いかもしれない。
棚に並ぶ本の隙間の向こうから大きな耳が見える。
ウサギの耳。ふわふわのぬいぐるみのような耳。ガラスボタンの目がきらりと光る。
ぬいぐるみ型AIロボットのタタンだ。
「リーン!ちょっとこれ見てよ!」
耳をぴょこぴょこさせながら、書架をぐるりと回り、タタンがリンの傍に小走りでかけ寄ってくる。
大きな声でリンを呼ぶ声が図書館中に響きわたる。
「ちょっと、タタン!図書館では静かにしないと!」
シーッ!と人差し指を口に当てて『静かに』という仕草をする。
リンも書架の隙間をすり抜けて移動し、タタンのもとに静かに移動する。
「シー、なんてしても、ここには僕たち以外誰も人間はいないじゃないか。それより見てよ、これ!」
それは辞典ほどの分厚い本だった。
タタンは興奮しながらリンに本を差し出す。
リンは「よいしょ」と分厚い本を抱え、本のページをパラパラとめくる。
「なに?これ。やたら分厚いけど、絵本じゃない。タタン、こんな本に興味あったの?」
「よく見てよ!たまたま見つけたんだけどさ。これ、印刷じゃなくて、手書きなんだ!」
タタンが見つけたのは、『ワールズ・エッヂ』というやたらめったら分厚い絵本だ。
内容は……1ページごとに手書きの挿絵に、文章が書かれている。
日記?記録?のような内容だった。
そして、何故か手書き。
誰かの絵日記が紛れ込んだのだろうか。
本の厚さからして絵本というにはほど遠いかも知れないが、挿絵が本の半分以上入っているので絵本と表現しても問題ないだろう。
「別に……あっ、そこじゃなくて!それよりこの絵を見てよ!」
タタンが急にページをめくり始め、最後の方のページを開く。
そこにはモノクロの写真のような、綺麗な挿絵があった。
「この絵がどうしたの?」
「ほら、ここ。この絵、見覚えあると思わない?」
「え?、どれどれ?」
リンはまじまじとその絵を見た。
(この絵、確かに見覚えがある。どこだっけ?)
思い出せそうで思い出せない。
なんだかもどかしくてイライラする。
そして、閃いたかのように、「あっ!」と思い出す。
「これって……うちで見たことある!」
タタンは嬉しそうにうなずいた。
「そうだよ!これ、絶対あの写真と同じ絵だよ!ここに描かれてるの、うちにある写真と同じなんだ!」
リンもタタンも、胸の奥がざわつくような、他のどの本でも味わったことのない興奮に包まれた。
どこかで見覚えのある絵。
自分の家にある写真と全く同じものを、この絵本で発見したのだ。
これはなかなか興奮するシチュエーションだ。
「でも、どうしてうちにある写真と、絵本の挿絵が同じなんだろ?あれは、お父さんが昔撮ってきた写真だよ?その場所の話なのかな?うちのお父さんが、絵本書くわけないし。ねえ?タタン」
タタンは首を横に振る。
「書くわけないじゃん。エリオット、ただの写真家だよ?写真集は出してるけどさ」
リンの父エリオットは、探検家で写真家だ。
あちこち世界を旅して回っては、各地で撮った写真をリンとタタンに見せてくれた。
その中の一枚に、絵本の中に描かれている挿絵があった。
「でもさ、この本、手書きだよ?誰かの日記ってことはない?誰かが忘れて、AIロボットが棚にしまっちゃったとか!」
リンは面白がるようにタタンに言った。
「そんなことある?僕の見立てだと、この絵本には、何か秘密があると思うんだ」
タタンは、「うーむ」と顎に手を当てて考える。
「へー、じゃあ、どんな秘密が隠されてるって言うの?教えてよ」
意地悪そうに聞くリンに、うぐっとタタンがたじろぐ。
そして開き直ったかのように、リンの発言を無視してタタンはちょっと興奮気味に話した。
「とにかく!絵本のイラストと写真が同じだなんてっ!僕、考えたんだ。この絵本ってなにか意味があるんじゃないかってさ。世界の秘密とか……何か重大な秘密が隠されてるかもしれない!」
「え~?まさかぁ」
リンは笑ったが、タタンは本気だ。
「だってさ、この絵はリンのお父さんの写真と同じなんだよ?それに、リンのお父さんは写真家で探検家だ。世界を飛び回ってる」
タタンはさらに興奮気味に続ける。
「エリオットが『ワールズ・エッヂ』の絵本に描かれている場所で写真を撮って、その写真を僕たちが見た。写真は嘘をつけない。その場所は実在する。そしてさらに同じ場所のイラストが絵本にも描かれている……もうこれってとんでもない事だよ!世界が繋がったんだよっ!」
タタンはガラス製の丸い目をキラキラさせ、さらに興奮気味に続ける。
「偶然と必然が重なってる。これはきっと何か大きな意味があるんだ!」
興奮冷めやらぬタタンに、リンはなだめるように言った。
「あのね、タタン。さっきも言ったけど、お父さんから写真を見せてもらって、考えただけのただの絵本かもしれないじゃない?そんなに深い意味はないって」
リンの軽い口調に、タタンは「しゅん」とうなだれ、寂しげに答える。
「確かに……それはそうかもしれないけど……。夢がないなぁ」
タタンはさらに「はぁ……」と溜息をつき、恨めしそうにリンを見る。
大きな白い耳も垂れ下がり、小さくぴょこぴょこと動く。
リンもそれを見て大きく溜息をつき、本を閉じると書架に戻すため、タタンに本を手渡した。
「とにかく帰ろうよ。もうすぐ暗くなる時間だよ」
窓から差し込む光が赤みを帯び始めていた。
黄昏時の空は刻一刻と色を変えていく。
もうすぐ空が、夜に染まり始めるだろう。
二人は王立図書館を出ると家路についた。




