第三章 ベースボール指南
第一大学区第一番中学は開成学校を名称が変わり、新校舎がベースボール発祥の地となった神田錦町に落成し、開業式に明治帝を迎えます。豊太の先輩達が御前講義を行いますが、杉浦重剛が失敗をやらかすエピソードなど紹介します。そして何より広大な校庭で豊太は杉浦からベースボールに誘われすっかりその虜になります。
四月に第一番中学は「開成学校」と校名が変わった。この度は名称だけでなく欧米大学の文科制度を模して、「法学部」「理化学部」「工学部」「諸芸学部」「鉱山学部」の学部を設けた。法学部、理学部及び工学部は英学、諸芸学部は仏学、鉱山学部は独逸学で、大学の形態を整え始めた。豊太は仏学なので諸芸学部予科に在籍となった。教則及び課程では、予科三年で普通の学を修めた後、本科へ入って三年で卒業となる。
七月十一日より九月十日までは夏季休暇であったが、山岡は金がないという杉浦に付き合って東京に残ったのだが、豊太は里心のついていた彦六郎と帰省して、支給された学生服姿を地元の腕白連中に披露した。挨拶回りなどを済ますと、腕白連中に請われて川遊びをしたり、盆踊りを楽しんだりして過ごした。盆踊りに彦六郎が和装でやって来たのだが、学校では肩を怒らせて着物の袖をたくし上げていたのに、袖を下ろしているのを見て、「どうした」と尋ねると、「家老の息子の恰好ではない、恥を知れ」と父親にこっぴどく叱られ意気消沈しているのが可笑しかった。
夏休みを終えて東京に戻ると、建設中であった開成学校新校舎が神田錦町に落成していた。正門は敷地の西側にあって、敷地面積約四千坪に木造洋風二階建てのモダンな校舎である。その裏手には、広大な「体操場」と呼ばれる空間が、約千坪ほどあった。初代校長には薩摩藩出身の畠山義成が就任した。
十月九日、この日は開成学校開業式である。正門から見上げる二階窓には米国、英国、仏国などの国旗がそれぞれ日の丸と対となって垂れ下がり、中央の二階バルコニーには赤地に白で開の字の大きな校旗が日の丸とともに秋晴れの空に靡いている。そして教官や学生が門前に整列して出迎えたのは、馬車で行幸される明治帝である。
明治帝を迎えた開業の儀は講堂で行われた。三条公や参議も列席していて、学生達も加わって講堂は一杯となった。明治帝は前方の玉座に座り洋装である。開業の儀の最後には各学部から選ばれた者が御前講義を行う事になっていた。
「お前達が緊張してどうする」
と、隣に座った豊太と彦六郎に山岡が声をかける。
「御上の御尊顔を拝するとは……、緊張するなと言うのが無理ですよ」と彦六郎。
尊王攘夷の攘夷はいつの間にやらうっちゃられたが、天皇が殿上人で雲の上の存在である事は変わりない。その雲上人が、開成学校に御自らその姿を運んで目の前に鎮座されている。
「御上の行幸は珍しい事では無い、大学南校の頃も行幸されておる。お姿は束帯であったな」
「でも、杉浦さんが御前講義をされると思うと益々緊張しますよ。斎藤さんや、古市さんの法学と違って理化学の実験を行うのでしょう? 失敗でもしたら切腹ものでは無いですか」と、豊太も心配顔を山岡に向けると、山岡も思い当たるのか少し顔を曇らせる。
「あやつはあー見えて少しおっちょこちょいの所があるからなあ……」と自分の事は棚に上げて思い当たる節を続ける。
「ウイーダーから色々指導を受けて準備をしたらしいのだが、実験の最後に大きな音が出るのは御上に失礼なので敷物を敷けと言われたそうなのだが、昨夜杉浦が話すには最後に大きな音を出す事がこの実験の肝なのだと忠告は無視する事に決めたと言っておった」
ウイーダーは米国人の英学の教師である。やがて校長の畠山義成が登壇して開校の儀が始まった。御前講義は優秀な学生から選抜され、英学からは法学斎藤修一郎、理科が長谷川芳之助、南部球吾、杉浦重剛、仏学からは古市公威、櫻井房記、上原六四郎、独学が安東清人の計八名。ちなみに学部の選択に多くの学生が悩む中、杉浦が理科を選択したと聞いて、神田明神での甘酒の話を思い出し、さもありなんと豊太は納得したものである。勅語を賜わり、やがて開校の儀は御前講義の段となった。
斎藤修一郎は「法律ノ起源ヲ講述ス」と題し、英語で行った。天皇のお手元には、その内容が奏上されている、勿論日本語である。
「夫法律ハ人民ヲ保護シ其安全ヲ得セシムルノ要具ニシテ一日モ欠ク可ラサルモノタル固ヨリ論を俟タス……(中略)
今ヤ学制興隆ノ際開成学校新築功ヲ竣ヘ法律等ノ科ヲ設ケ臣等ヲシテ教育ノ恩ヲ受シム 何ノ幸カ之ニ過キン
伏願クハ
天皇陛下ノ基ヲ万代ニ開キ祚ヲ無窮ニ垂ンコトヲ
明治六年十月四日 臣 斎藤修一郎謹具百拝」
堂々たる講演であったが、仏学の豊太には英語が理解出来ず、何を言っているのか分からなかったが感動した。
仏学諸芸学部の古市たちが、酸素中に鋼鉄を燃焼させる化学の実験を行ったのち、いよいよ御前講義最後は杉浦の実験となり、杉浦たち三人が実験準備を始めた。
「山岡さん、どんな実験をするのですかね?」と豊太が聞く。
「杉浦から聞いた話では……。ほれ、針金を張っているだろう、あの馬蹄形になっておるのがコイルで、電気を通すとあれに磁力が出て分銅を吸い寄せる実験と聞いた」
「いつ大きな音が出るのですか?」と彦六郎。
「通していた電気を絶縁すると、吸い寄せられていた分銅が落ちる、その時に音が出る」
「なるほど」
「古市さん達が使った器具は片付けないのですね、ガラス器具とかそのままで邪魔になりませんかね?」と豊太も色々気を使う。
「杉浦達は物理の実験だからあのガラス器具は不要のはずだが、恐らく普段の実験室らしい雰囲気をだそうとしておるのであろうよ」
杉浦がこの実験の説明を始めると、会場は水を打ったように静まった。三人が段取りよく実験を進め、山岡が話した通り馬蹄形になったコイルに分銅が吸い寄せられると「おおー」と感心した声が上がったのだが、絶縁と同時に分銅が床に落ちて大きな音を立てたので、御上に供奉していた人は一様に不快な表情をし、山岡もほれ見た事かを舌打ちをした。そこまではまあ良かったのではあるが、杉浦が分銅を拾って机の上に戻す際、実験には全く関係の無かったガラス瓶に触れて倒してしまった。
「杉浦のおっちょこちょいめ」
自分を棚に上げた山岡が声に出した時にはすでに遅く、中身はアンモニアが入っていたらしく、たちまち異常な臭気が辺りに広がり、窓を開けるやら大騒ぎになった。流石の杉浦も、御上に対して申し訳なく、また心配で様子を伺ったが、明治帝はまったく動ずる事無く泰然とあらせられたのを拝し、「何とも恐れ入った次第であった」と後年述懐している。
「これがボールだ」
杉浦重剛が豊太の掌にそれを置いた。革の感触が手に吸い付くようで、指で押すと表面は柔らかいがボールそのものは硬かった。
神田錦町に落成した開成学校には広大な体操場が設けられ、明治帝行幸の際にも天覧された。雨の日以外は此処で器械体操などの西洋式の授業が行われたが、ある日教師が「前へヨイ」と号令を掛けて学生は前へと進行し、教師が手帳に目を落としていて次の号令を掛けなかったものだから、そのまま右へも左へも曲がる事なくドンドン高塀を皆で飛び越したりした。塀の前で立止って教師に次の指示を促すなどといった気の利いた考えはうっちゃられ、「指示通り」の大義名分を掲げ、隙あらば教師を困らせてやろうといった学生達の悪戯好きは相変わらず健在である。豊太はその体操場に杉浦に呼び出されて来てみたのだが、何でも「ベースボール」の仲間に入れと言うのである。
「これは、なまずが遙々アメリカから持って来たベースボールの道具の一つだ。これ一つしかないので大切に扱わねばならぬ。そしてこの丸く細長い棒切れがバットと云って、ボールを打つのに使う」
「なまず?」
「ああ、君は仏学部であったか。ホーレス・ウイルソンと云って英学部の数学の教師で、なまずは綽名だ、りっぱな髭を生やしているかならな。僕たちは大学南校の頃からなまずに声を掛けられベースボールの手ほどきを受けていたのだ。なまずがバットでボールを打って、僕たちはそのボールを追うだけなのだが、それが意外と愉快なのだ」
そう言いながら杉浦は後退りして「それを俺に向かって投げてみろ」と手振りする。豊太はボールを左手に持って杉浦に軽く投げた。放物線を描いて杉浦の両手にそれが収まる。
「左利きなのか」
少し驚いたような顔を向けたが、今度は杉浦が豊太に向かってボールを投げ、豊太はそれを両手で受け止めた。しばらくそれを繰り返し、杉浦が一投毎に後退りをするので徐々にその距離が遠くなる。杉浦の投じるボールにも勢いがつくので、受け止める豊太の素手は痺れてくる。そのせいか、豊太の投げたボールが大きく逸れ、杉浦が背を見せてボールを追い拾って向き直る。そして今度は「これを取ってみろ」と空に向かって高くボールを投げる。それを目で追いながら、豊太は、落下点に入って手を伸ばして頭の上で受けながら、ボールの勢いを削ぐようにして胸元で止めた。
「お、やはり君はスジが良いな。雪合戦の様子を以前河原が褒めておった。山岡などは初めての時は受け止め損ねて頭に瘤を作っておったぞ」
確かに、これが直接頭に当たると瘤ができるだろうと思った。が、こうしてうまく取れると何だか気分が良い。
「君も、今のように投げてみろ」と杉浦に云われて、今度は豊太が空に向かって投げる。手加減したせいか、ボールは杉浦の処まで届かず、一度地面に落ちて跳ね上がったところで杉浦はそれを掴んだ。
「今度はこれを取って見ろ」とボールを地面にぶつけて転がした。三回ほど地面を跳ねたところで届いたボールは、哲太の股間を抜けて後ろに転がって行った。
「そこから投げろ」と杉浦に言われて、拾った場所から投げたボールは、途中で地面に落ちて転がり、腰を落として杉浦は受け止めた。
「転がるボールはこのようにすれば上手く取れる」と云いながら元居た場所に戻った豊太に向かい、ボールを地面にぶつけるように投げた。今度は腰を落として上手く取ることができた。やはり掌にボールが収まると気分が良い。
「お、やっておるな石藤」と山岡がやって来た。袴の裾をたくし上げて裸足である。杉浦の横まで行き「わしにも投げてみろ」と声をかけるので、今度は山岡に向かって投げる。放物線を描いて、ボールは山岡の両手に収まる。こうして、しばらく豊太を中心にして、杉浦は空に向けて投げ、山岡は地面に向けて投げ、豊太はそれを受け止め、交互に投げ返した。そのうち人が集まって来た。河原も居て、その横には土佐藩の千頭も居た。
「おーい、なまずのお出ましじゃ。みんな守りにつけ!」と杉浦が声を上げる。
見るとウイルソンがバットを片手に持って立っている。杉浦は豊太を英語で紹介している。そしてウイルソンは握手を求めてきて挨拶を交わす。
「君はなまずの後ろでキャッチャーをやれ」と杉浦が豊太指示をする。
「キャッチャー……? ですか」
「そう、ここでなまずがバットでボールを打って、それを守りについている者が受ける。受けたボールをホームに投げ返すから、それを受け止めて、なまずに渡せ」
ホームもキャッチャーの意味も豊太にはよく分からないままであったが、とにかくウイルソンの後ろに立つと、ウイルソンがボールをポンと自分の目の前に投げ上げて素早くバットを握って振った。
バットから心地よい打音をたててボールは舞い上がり、杉浦より後ろに居た千頭がそれを直接素手で受け止めた。
「石藤、参るぞ!」
千頭がボールを投げ返して来た。ボールは途中で勢いを失い、転がって来たボールを腰を落として受け止めた。「ナイスキャッチ!」とウイルソンが笑顔を見せる。ボールを渡すと、再びバットでボールを打った。
(なるほど、これを繰り返すのか)
豊太は要領が飲み込めて来た。返って来るボールは、右に左に逸れる事も度々で、豊太はそれを後ろに逸らさぬように時には走って受け止めた。その都度「ナイスキャッチ」とウイルソンは褒めてくれる。なぜだろう、単調な繰り返しのようでもあるが、こうして一つのボールを追いかけていると楽しい。守備の連中も楽しいそうで、時には「カモン」とウイルソンに向かってボールを寄越せと催促する声もかけている。しばらくそれを続けていたが、やがて疲れた様子で「ヘイ、ミスターイシフジ」とウイルソンはバットを逆さまに持って豊太に渡す仕草をした。そして杉浦に向かって「ヘイ」と手招きをする。
「お!」とその様子を見て杉浦は「休憩じゃ」と皆に声をかけて戻って来た。
バットを受け取るとそれはズッシリと重かった。先端に向かって太くなっていて、手を握る処は手垢で黒ずんでいる。
「石藤よ、そのバットを貸してみろ」
河原が哲太からバットを受け取って、少し離れて振るとブンと風を切る音がした。
「こうやって握る。そうか、君は左利きであったので右拳が左拳の下に来るように握れ。こうやって……」
今度は左利きの真似をして振るが先ほどよりしなやかにはいかない。
「なんじゃ、そのヘッピリ腰は」と、周りに集まった連中が冷やかす。苦笑いしながら、河原がバットを哲太に渡す。言われた通りにバットを握って振ってみる。初めのうちはギクシャクしていたが、何回か振っているうちに少しずつ慣れてくる。「ステップ、ステップ」とウイルソンが、バットを持つふりをして左足を前に踏み出しながら振る真似をする。豊太には右足を前に踏み出すことになる。繰り返すうちに少し様になってきたようだ。
「よし、ボールを打ってみろ」
河原が、豊太から少し離れて下手からボールを投げる。が、バットは空を切り、ボールは後ろに転がった。山岡がそれを拾って河原に投げ返す。
「君は河原と同じように小柄だから、バットを短く持って振ってみろ」
横で杉浦が指導する。言われる通り短く持ち直して素振りをすると確かに振り易くなった。
「初めのうちはそんなものだ。ほれもう一丁」と河原が同じように投げると、カツッとバットの先端に掠った。千頭達がさっきの守る位置に走って「おーい、ここここ」と囃すように声をかける。
次に打ったボールは、カーンと打球音を残して、守っている彼らの頭上を超えて飛んでいった。
「おお!」と皆が驚き「ナイスバッティング」とウイルソンも、ボールの行方を追って声を上げる。
「やはり君はスジが良いなあ、見込んだ通りだ」と杉浦が声をかける。掌に心地よい感触が豊太に残っている。
(これは面白い!)
豊太は杉浦に向かって笑顔を向けた。
「よし、今日は石藤が加わって丁度十二人になったのでゲームをするぞ」
杉浦がみんなに声をかける。ホームベースを起点に右にファーストベース、左にセカンドベースを置いて各ベース上を一人ずつが守る、いわゆる三角ベースボールである。更にその後方にも一人ずつ配置する。あとはピッチャーとキャッチャー一人ずつの計六人のチームである。
豊太はファーストの後方ライトを守り、河原も同じチームでセカンドの後方レフトを守っている。最初は豊太たちの守りからゲームが始まった。バッターは、打ちやすい高さをあらかじめピッチャーに伝え、ピッチャーがその高さになるように下手から投げる。一番バッターの千頭が打った打球はセカンド頭上を超えてから地面を転がり河原がそれを受け止める間に、千頭はファーストベースを走り抜けた。
「セーフ」と相手チームのウイルソンが声を上げた。どうやら審判も兼ねているらしい。そういった事を繰り返すうちに豊太にも要領やルールめいたものを理解出来るようになった。この日豊太が打ったヒットは3本で、ホームを3回駆け抜けた。守りでは、転がったボールを取り損ねて、四つん這いになりながら後を追いかけた。その様子が、猫がボールにじゃれているようだと河原に笑われた。自分でも可笑しくて暫く笑いが止まらなかった。
「新しい校舎になって体操場も広くなってよかったのう。こうしてゲームが出来るようになった。しかし、一つのチームが九人でやるのが本場のベースボールなのだ」
ゲームを終えて杉浦が豊太に話す。
「ゲームをするには、一チーム九人必要なのですか」
「そう、ベースもあと一つサードベースがあって、今日のように三角では無く四角でやる。もっと仲間を増やして本場のベースボールゲームをやりたいのだ」
その夜、寝床に入ってもバットでボールを弾き、それが遠く飛んで行った感触が掌に残っていて豊太の目は冴えていた。
(南北戦争で覚えたと言っていたな)
豊太は、杉浦からウイルソンの話を聞いた。
奴隷制度を巡って約五年間戦われたこの内戦の最中、ニューヨークの一部で知られていただけのベースボールは主に北軍の兵士たちによって野営地にもたらされ、娯楽を求めていた兵士たちの間に瞬く間に広がり普及して行った。従軍兵士達はベースボールの魅力の虜になり、北軍兵士のウイルソンもその一人であった。戦闘の合間に熱心にプレイが行われただけでなく、北軍と南軍の間でゲームが行われた事さえあったようである。当時普及したベースボールは、現在日本で「野球」として国民的スポーツとして親しまれている様相とは異なっている。まず、ピッチャーはアンダースロー(下手投げ)で、バッターはハイ(眼より乳に高さ)、フェーア(乳より腰の高さ)、ロー(腰より膝の高さ)のうち自分の好きな所を審判に宣言し、その高さ以外の球はすべてがボールと見做された。キャッチャーのマスクやプロテクターなどは勿論、グローブも無く素手である。初期のベースボールは二十一点先取すれば勝利であったが、ウイルソンが日本で教えたルールは九イニング制で、ボールをひっぱたいてベースを駆け回り、何回ホームに戻ったかを競うゲームであった。
大統領となったリンカーンも大のベースボール好きで、大統領に選出される前、ゲームの最中に共和党の大統領候補に指名され直ぐにワシントンに向かうよう連絡を受けたのだが、「この打席が終わってから」と言ってベースボールを続けたというエピソードを聞いた時には、不思議とリンカーンの気持ちが分る気がした。いつもであれば天井を走り回る鼠の足音が気になるのであるが、本格的な試合が出来るよう誰に声を掛けようか思い浮かべるうち、適度な疲労感に包まれやがて豊太は寝息を立てた。
「知っておる、山岡さんからも誘われた。しかしのう、あの『なまず』であろう」
彦六郎に昨日の話をして、お前も是非やれと豊太が誘うが、気乗り薄そうである。
「なまずは、とにかく厳しい教師でな、何かと云えばすぐ零点をつける、『アイ・ウイル・マーク・ユー・ゼロ』と言ってな。授業が終わってからもあの厳しい指導は願い下げだぞ」
授業中のウイルソンしか知らない彦六郎には、豊太が見た優しい眼差しのウイルソンは想像できないらしい。「そのような事は無いと思うがなあ」と体操場に連れて行き、いつもと様子が違うウイルソンを横目にバットでボールを打たせてみたらたちまち虜になり、彼にも仲間を増やすように依頼をした。
「ベースボール? ああ、体操場で最近見かけるあの玉遊びの事か」
「僕は学問をする為にここに来ておる。そんな暇は無いよ」
「遠慮しておくよ、あまり体を動かすのは好きでは無いのだ。同じやるなら相撲の方が面白いではないか。球遊びは遠慮するよ」
豊太は、同じ予科同級の者達に声をかけたが、なかなか仲間は集まらない。十一月に入ると講義は二時半まであり、三時半まで読書をしてから、四時半までの一時間体操があるので、運動はもうそれで充分だと云う連中が殆どで、ましてや団体でゲームを行うという事に馴染みも無かった。それでも野本彦一が同じ小田県(福山県と備中国十県が合併)のよしみもあって「よしやろうではないか、西洋のものは何でも食いついてやるぞ」と仲間に加わってくれたりして徐々に仲間は増えていった。
校舎から見える富士山はすっかり冠雪している。校内に植えられている木々も色づき始めていた。今日は寒く、集まったのは七人である。これではゲームも出来ないので、三角ベースで六人が守備につき、残る一人がバッターとなる。バッターがアウトになると、ピッチャーをやっていた者がバッターになるという方法をとることにした。キャッチャーから始まり、ライト、レフト、セカンド、ファーストをやってピッチャーとなる。豊太は最初はキャッチャーとなったので打てる順番としては一番遅い。彦六郎も哲太に誘われてからすっかりベースボール好きになっていて、レフトの守りに付いている。最初のバッターは野本彦一で、アウトになるまで五回打った。そうやって順番を回して行き、やがて彦六郎がピッチャーの順番になった。豊太はセカンドである。
「ここ、この高さだ」
バッターの本山が丁度自分の胸のあたりを指さして彦六郎に指示を出す。本山は図抜けて体格も良く、打っても良く飛ばした。豊太より二つ年上で十七歳、法学部予科で山岡と同級で河原と歳は同じである。彦六郎は頷き、ゆっくりと下手から放物線を描くように投げた。乾いた音を残してボールはレフトの前に飛び、本山が一塁ベースを駆け抜けた。ヒットであるので、ボールは彦六郎のもとに戻り、本山はまた打席に立つ。アウトにならないと彦六郎には打者の順番が巡って来ない。また同じようにボールを投げる。乾いた打音と同時に、ボールは彦六郎の手前の地面を叩いた。
「ギエェー!」
彦六郎が、左右どちらかに避けようと迷っているうちに、ボールがその股間を直撃した。彦六郎はその場にうずくまってしまった。ボールが転々と転がっている間に本山はベースを駆け抜けた。やがてうずくまったままの彦六郎の周りに人が集まって来た。
「吉田大丈夫か、投げられるか?」と声をかけられるが、彦六郎は声も出せずに真っ赤な顔をして悶絶している。
「しょうが無い、吉田は少し休んでおれ」と少し乱暴に手と足を二人がかりで持ってバッターのずっと後ろの方に運んだ。皆痛みは分かるが、当たった時の状況を見ていたので、そのうち痛みは治まると思っている。「少し休んだら四股を踏めばよいぞ」と言うものも居る。ライトの守りを空けて、哲太がファーストに移り、ファーストを守っていた者が彦六郎の代わりにピッチャーとなって続ける事にしたが、本山はしぶとくアウトにならずバッターのままであった。やがて、彦六郎は痛みが治まったのか、立ち上がった。
「おお、吉田投げるか」と声がかかる。
「いやじゃ! わしは辞めて宿舎へ帰る」と臍を曲げる。
「そう言うな、次はバッターなのだぞ」と豊太が言うと彦六郎は「もうピッチャーなぞやりたくは無い」と意固地になる。その様子をレフトの千頭が眉をひそめて見ている。千頭が入って来ると話が面倒にもなると思ったのか、彦六郎の機嫌をとるようにして他の者も集まって来た。しかし、彦六郎の意固地さを豊太はよく知っている。
「またピッチャーをやれば、あのような思いをする事になる」と彦六郎は主張する。
(それはお主の避け方が下手なせいじゃ)とは豊太は言えないので、「分かった、本山さんがバッターだが、もう彦六郎に当てるような事はせぬよなあ本山さん」と本山にも目配せをする。
「そのような事分かったものではないわ」とますます意固地になる。それを見て、本山が、彦六郎の肩を抱くようにして皆の輪の外に連れ出して耳元で何事かを囁いた。やがて彦六郎は納得したのか、ピッチャーを続ける事になった。第一球を彦六郎が投げると本山は空振りをした。何のことは無い。本山はそのまま三振して、彦六郎はバッターになりヒットを打ってまた打席に戻ると笑顔になっていた。
(まったく面倒臭い奴じゃ)
セカンドの守備に戻っていた豊太は口元をへの字に曲げた。
ベースボールとの出会いが交友関係の幅を広げますね。次回は開成学校での生徒達の絆についてのお話です。




