プロローグ 早稲田戸塚球場
「ベースボール事始め、神田より」の連載を始めようと思います。
明治三年、明治政府は有意の人材を東京に集める目的で各藩に貢進生を選出させ大学南校に十五歳以上二十二歳以下の若者を集めた。飫肥藩からは若き日の小村寿太郎も選抜され入学している。洋学校である大学南校には英・仏・独の各学部があり教師は外国人が雇われた。明治五年、アメリカからホーレス・ウイルソンがバットとボールを持って来日し、放課後生徒に日本で初めてベースボールを教えたと伝わります。
本シリーズは、幕末の動乱期に生を受けて明治維新を迎え、西洋化を目指して設置された大学(後の東京大学)に全国から集った若者が、廃藩置県で拠り所であった藩が消滅しながらも懸命に学問を続け、お互いの絆を育み、ベースボールに出会い記念すべき日米対抗戦を行うに至る物語です。
昭和と改まったある日、日本火薬製造株式会社取締役の石藤豊太は、陸軍戸山学校から火薬学の講義要請があったので高田馬場駅から青年秘書を伴い歩いていた。二人とも背広に革靴の出で立ちである。歩くと云っても、寸暇を惜しむように早く歩くので、鞄を抱えて秘書はついてゆくのに懸命である。しかも歩く方向を変えるときは、歩む速度を変えずに直角に曲がるので目も離せない、気苦労のある道中である。人通りの多い街中を抜けると田園風景が広がりやがて戸山学校が認められると、案の定南に直角に向きを変えたその時、背後からワー、ワーっと云う歓声が聞こえて来た。「はて?」と取締役が振り返ったので、秘書も立ち止まって声のする方角に目を遣った。
「ははあ、あれは早稲田大学のグラウンドですな。戸塚球場で試合でも行っているのでしょうか」と秘書が物知りそうに案内する。早稲田大学は戸山学校の北隣、目と鼻の先にある。
「ちょっと覗いてみますか? 講義の時間までにはまだ余裕もありますし……」
どうにも秘書の方が覗いてみたい気が満々のようなのだが、その気になってもらわなければならないので、興味を引くように続ける。何しろ帝国大学工科大学教授などを歴任し、工学博士の学位を持つ目の前の取締役は、脇目も触れず学問に没頭する研究者であり、野球などまったく興味の外であると秘書は見立てている。
「何しろ早稲田大学野球部と云えば、東京六大学の覇者ですから。天下分け目の早慶戦はもう野球場は超満員になりますからねー。ご存知でしょう?」
早慶戦の話題を出せば、流石に興味を引くだろう。しかし「早慶戦?」と首を捻られた。火薬学にしか興味の無い研究者には盛り上がる世間の話題は通用しない。
「早稲田大学野球部と云えば、そうそうアメリカにも遠征して試合をして勝った事もあったそうですよ」と、通用しない早慶戦の話題から聞きかじりの知識を披露する。
「アメリカと?」
駄目元と振った話題に意外にも興味を示したのに力を得て、「どうです? 講義までの時間潰しにもなりますし」と表情を伺った途端、回れ右をしてスタスタとグラウンドに向かって歩み始めた。
「少しだけですよ」と言いながら、でも秘書の心中を察したのかもしれない。慌てて秘書はその背中を追った。
戸塚球場は気軽に観客席へ入って行けた。二チームに分かれた練習試合を行っているようで、周りの住民達であろうか、練習試合にしては流石に早稲田大学である、結構観戦者が集まっていて盛んに声援を送っている。三塁側から立ったまま、取締役は球場をホームベースから外野に向かって視線を移しながら大きく息を吸い、「ベースボールですか、懐かしいですね」と呟いた。
「取締役は、野球をやっておられたのですか?」
秘書にとっては初耳でもあり、思わず聞き返した。
「ええ、学生の時に仲間と集まって楽しみましたよ。そうそう、あれは明治九年でしたか、横浜のアメリカ人と試合をした事がありましたなあ。もうかれこれ五十年近く前になりますか」
石藤豊太は、明治十二年七月東京大学理学部を卒業し、同大学準助教を経て明治二十年フランスに留学、帰国後は専門の仕事に没頭し、ベースボールとは縁遠くなっていたのである。
遠く昔を懐かしむような眼差しであったが、試合の様子を見るなり「ん?」と表情が険しくなった。
「何ですか、あのピッチャーの恰好は」
「恰好ですか?」
秘書は戸惑いながら、ピッチャーが振りかぶり、オーバースローでバッターに投げ込む様子を見ながら、「ユニフォームの事ですか?」と聞き返す。
「いや、あのダンスをやるような無様な恰好は何ですか」
秘書にとっては、あたりまえのピッチャーの動作なのだが、何が「無様な恰好」なのかがよく分からない。
戸惑っている秘書の様子を認めると、目の前で行われている試合が、自分の知らない間に変ってしまったベースボールの姿なのだと石藤豊太は薄々感じたらしく、「わたしの頃は」と続ける。「ピッチャーは、直立し腕を正しく腰につけ、二、三度ハズミをつけてそうっと下手から押し出すように投げたものですよ」
「ええ!」秘書は驚きの声を上げ、「初めて聞く話です」と答える。そして、試合の様子を見ると、まさにピッチャーが振りかぶってバッターに速球を投げ込み、バッターは見送り、キャッチャーミットにボールが吸い込まれ、「ストライック」と審判が声を上げる。
「何ですか! あれは」
怒ったように「あれは」と問われても、秘書にとってはピッチャーがバッターを打ち取るのは当たり前の事なので、これまた答えようが無い。
「ピッチャーは、バッターの要求する高さに正確に投げなければいけません。バッターの要求する高さ以外は全てボールです」
「ええ! それではピッチャーはバッターに打たれっぱなしでは無いですか。試合はいつ終わるか分かりませんよ」
「ベースボールは南北戦争のリンカーン大統領の頃から打ち合いです。私の頃は三十点四十点入るのは当たり前、時には六十点も七十点も入った事があって、活発で愉快でしたよ」
「……」秘書は、懸命に想像しようとしているのか返答が出来ない。
「どうも、このベースボールは行儀が悪くていけません」
すると「カーン」と乾いた打球音があり、ボールがサードの前に転がり、スパイクを履いた選手が軽快にグラブに収め、ボールをファーストに送り「アウト!」の声が響いた。
「軟弱ですな! 私の頃は、素手に素足でしたよ」
「す、素手であの硬いボールを!」
秘書にとっては、驚く事ばかりである。原始野球……、人類の創成期、原始時代と何故かイメージが重なった。
「ストライック、バッターアウト!」今度はバットが空を切り、ピッチャーの調子は良いらしい。
「あのカーブはなかなか打てないですよ」と秘書は進化した現代野球を自慢するように話す。
「カーブ?」
「ほら、直球を投げると見せかけて、ボールに回転を加えて曲げるのですよ。なかなか打てないですよ」
「スポーツマンシップも、そこまで堕落しましたか。正々堂々とピッチャーは打てるボールを投げなくてはなりません」と秘書の自慢話に憤慨している。
両チームともピッチャーの出来が良いらしく、ランナーが出る事も無く、凡退ばかりで試合も動きが無いまま、共にスコアボードはゼロが並んで行った。
「取締役、そろそろ講義のお時間が」と何となく気まずい感じになり、本来の目的を思い出してグラウンドから早々に去るのが得策と水を向ける。
「退屈でしたね、では行きますか」と立ち上って取締役は出口に向かった。
グラウンドを背にして歩き出したその時「カキーン」と快音が響いた。振り向くと、センターオーバーのヒットであった。バッターがファーストベースを全力で回ってセカンドに向かって走っている様子に気を良くしたのか、「ベースボールは、あれでなくてはいけません」とニコニコ笑いながら再び歩き始めた姿にホッとするとともに、期せずして貴重なベースボール創生期の証言を聞いたのだと気付き、慌ててその背に追いつき明治九年の米国人との試合の話を強請ると道々昔語りのように語り始めた。
次回より福山藩石藤豊太が留学生として上京した明治四年から第一章がスタートします。
上京していきなり廃藩置県で福山藩そのものが消滅てしまいます、さてさてこの先どうなります事やら。




