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第7話 封印の間の守護者

 封印の間の中心――ぽつねんと置かれた石台の上に、宝箱がひとつ、あまりにも堂々と置かれていた。

 無駄に立派な金具が施され、まるで「さあ開けてください」とでも言わんばかりの誘いを放っている。

 警戒というものを逆手に取ったような自信すら感じさせる佇まいだった。


「うわ、あったあった。もう、なんかこう、ありがちな感じすぎて逆に感心するな……」


 真尋はぽつりと漏らし、石台に歩み寄ろうとする。

 どこか肩の力が抜けていた。ついにたどり着いたという安堵と、それ以上に――少し疲れたのだろう。


「よし、じゃあさっさと回収して、新鮮な空気のある地上の世界に戻りましょうか」


 その軽口を最後まで言い終える前に、アイリスの声が鋭く空気を切った。


「待って」


 彼女の右手が、真尋の胸元に伸び、ぴたりと彼の動きを止める。

 目は石台から一歩も逸らしていなかった。

 周囲を見渡すこともなく、直感と経験、そして慎重という名の常識が、彼女の言葉を導いていた。


「……簡単すぎるのよ。ここまでの道のり、罠も魔物も、確かにあったけど……それにしては軽すぎる。拍子抜けなくらい」


 真尋は眉をひそめた。だがアイリスは、さらに続ける。


「普通、こういう遺跡に封じられた魔道具というものは、盗まれないように、もっと……厳重な仕掛けをするものなの。最低でも、最後の守護者とか、精神を試す試練とか、そういう――」


 彼女がそこまで言いかけた、そのときだった。

 ――ピカリ。宝箱の下に刻まれていた、複雑な魔紋が静かに明滅し始めた。

 滑らかに、光が床に走る。

 蜘蛛の巣のように絡み合った文様が封印の間全体を包み込み、そして中央で一閃する。


 次の瞬間、天井を突き抜けるほどの巨大な魔法陣が、床全体を覆い尽くす勢いで発動する。空気が震える。

 否、それ以上の何かが、空間そのものを歪ませるようにして発生した。

 魔法陣の中心がせり上がり、そこから――「それ」は現れたのだ。


 全長十数メートルを優に超える、人型の巨躯。

 身体はオリハルコンやミスリルなどの魔法金属を基調に組み上げられ、ただの石造りや土くれのゴーレムとはまったく違った。

 びょうひとつとっても高純度の魔法金属で構成され、関節部は複数の歯車と油圧式の構造で密閉されている。いや、これはもはや「ゴーレム」というよりも、「兵器」と呼ぶべき代物だった。


 頭部は無機質な仮面状の鉄面で、そこには目も口もない。

 ただ、中央にひとつだけ赤く光る宝石――魔力炉が脈打つように光を放っていた。胸部の装甲には古代文字が刻まれ、そこから細い魔力の回路が脚部や腕部へと網のように広がっている。


 また、全身を覆う金属は鈍く光り、まるで血管のように魔力が循環していた。

 肩からは槍のような突起が突き出し、右腕には巨大な鋼鉄のブレードが折りたたまれて収納されており、左腕は魔導砲の砲口のように膨らみ、内部から魔素の唸りが聞こえてくる。


 その姿全体から放たれる威圧感は、もはや敵としての恐怖というより、「自然災害」や「神の怒り」といった分類のほうが近かった。

 あれを敵に回すというのは、山に向かって剣を突き立てるのと同じだ。無謀で、無意味で、そして――。


「……でかい、なんてもんじゃないよ、これ」


 真尋の呟きは、冗談にもならなかった。

 あまりの現実離れに、皮肉も軽口も、もはや機能しない。ただ、その場に立ち尽くすしかなかった。


 巨像の足元、石台の上の宝箱は、変わらずそこにあった。まるで今こそ、それに触れてみろとでも言うかのように。

 だがその代償が、目の前に立ちはだかっている。巨大な金属の守護者は、静かに身じろぎを始めた。

 関節部が唸りを上げ、肩の装甲が持ち上がる。動作音は地響きにも似ていた。


 それは封印の守護者であり、同時に試練の執行者だった。

 どこかの古代人――たぶん、酒癖が悪く、嫌な上司に八つ当たりするタイプの――が、「つまらぬ泥棒ども」への見事な嫌がらせとして遺した、最後の、そして最悪の一手。


 巨大なゴーレムは、声をこそ発さないが、しかし確かな意志をもって立ち上がり、赤い双眼を鈍く輝かせながら、眼下の“侵入者たち”を識別した。

 そのとき、アイリスが前に出た。スカートの裾を翻し、胸元の紋章に指先をかざす。その動作には淀みも躊躇もない。


「……やっぱり、出てきたか」


 その声音に、驚きや慌てふためく様子はなかった。むしろ、多少うんざりしているようにすら聞こえるのだから、アイリスの胆力というか、もしくはこの世に対する諦念は大したものだった。

 実際、彼女にとってこの類の展開はすでに“日常茶飯”という引き出しに分類されているらしい。

 そこに入っているのは、封印ゴーレム、無駄に仰々しい魔法陣、そして振り下ろされた拳によって宙を舞う塵埃である。


 一方、真尋もすぐにその巨大なゴーレムを見上げた。見上げすぎて、ちょっと首が痛そうだった。

 そしてしばし黙った後、ぽつりと呟く。


「……なるほど。これはもうダメなやつだ。完璧に床のシミになる未来が見えるな。肉体的にも、記録的にも、“彼らはここで消えました”で済まされるやつ」


「その口、三秒以内に閉じて」


「えっ、せめて遺言の時間を……あっ、もうじき三秒経ちますね。ご命令通り黙りますよ」


 彼は口を閉じた。閉じたが、その表情はまだ半分くらい“この状況を誰かにネタとして投げたい”という欲望で満ちていた。

 アイリスはそんな彼に、ため息をつくような視線を投げる。

 呆れと怒りと、あと三割ほどの“なぜ私はこの人を連れてきてしまったのか”という運命への懐疑がそこにあった。


 そんな“ゆるんだ間”を、世界が許すはずもない。

 封印の守護者、すなわちゴーレムが、豪胆に、しかしあまりにも自然に右腕を持ち上げたのだ。

 それは拳というより、もはや一枚岩を無理やり四角くしたような質量塊。

 その拳が――落ちてくる。


 正確には、「振り下ろされた」というより、「空間を埋め尽くすように落ちてきた」と表現した方が近い。

 人間ふたりなど、まるで脳内マップにすら載っていないような無慈悲さだった。


 当然二人は、後方へと飛ぶ。

 背中に魔力の流れを集中させたアイリスが滑るように後退し、真尋は何かに突き飛ばされたかのような勢いで後方に転がる。


 そして、拳が落ちた。

 ドン、という音では説明できない衝撃だ。

 床は割れた。砕けたというより、粉になった。

 広間のタイルが何枚砕けたとか、古代の意匠がどれだけ台無しになったとか、そんなことを数えている余裕はない。

 ただ一発で、直径数メートルのクレーターが生まれたのだ。


 人間があれをまともに食らったらどうなるか?

 答えは簡単だ。ハンバーガーのパティになる。

 ただし、鉄板でじっくり焼かれる事はない。

 ちょっとジューシーどころか、何の味も残らない。赤と灰色の混ざった“何か”になるのだ。もう「いただきます」と言う気も失せるような代物である。

 とはいえ――。


「……やられっぱなしってのも、性に合わないんでね」


 真尋が小さく息をつく。

 怖くないわけではない。ただ、どうやら彼の辞書には「逃げる」より先に「殴る」が載っているらしい。


 彼には、過去の武勇伝がある。魔獣を、素手で、見事に投げ飛ばしたという栄光の記憶だ。

 あのときも、なぜか上手くいった。

 拳を振るえば、敵は飛んでいったし、骨も折れなかったし、腕の関節もちゃんと所定の場所に収まっていた。だから、今回もいけるだろう。


 そう信じることに、彼は何の疑いも持っていない。

 なぜなら、人は都合のいい過去だけを引き出しにしまって生きていくからだ。

 失敗すればどうするの? それはその時考えればいいのだよ。


 真尋は踏み込みながら、まっすぐ、真正面から、ゴーレムの脚元めがけて拳を振るう。

 その姿は、多少なりとも様になっている。

 が、結果は、まるで違った。


 拳が命中した瞬間、音が鳴った。が、期待していた“ドッカン”という快音ではなかった。

 代わりに鳴ったのは――**「ゴンッ」**である。


 金属音。硬い。硬すぎる。

 もはや拳を打ち込んだのが“脚”だったのか、それとも“金属でできた山の斜面”だったのかすら怪しい。

 真尋の腕が、びりびりと震える。


「っつぁ……!? ちょっと待て、これ、堅すぎる……!」


 思わずその場に蹲る彼の右手は、見事に腫れ始めていた。

 拳を握ったまま数秒固まっていたが、次第に開き始める動きが、なんともスローで悲壮で、見ていてちょっとかわいそうだ。


 その手の色は、赤いというより、限りなく“内出血の予感”に近い紫色に染まりつつある。

 血管がぷくりと浮かび、関節の動きが明らかにぎこちない。

 これはもう“ちょっと痛い”ではなく、“やっちゃったかもしれない”の領域である。


「……魔獣って、柔らかかったんだな……」


 真尋は小さな声で呟いた。

 後悔というより、事実確認だった。


 その視線の先では、ゴーレムがほんの数センチだけ首を傾げていた。 

 もしかしたら“今のは攻撃だったのか?”と疑問に思っているのかもしれない。

 いや、それどころか。

 真尋の拳がぶつかった箇所――その装甲の一部が、妙にキラリと光ったようにすら見えた。


「……えっ、僕の拳って、研磨剤か何かだったけ?」


 冗談のつもりで呟いたが、拳が痛すぎて笑えなかった。

 ゴーレムは全く動かず、その装甲だけがほんのりと滑らかになっていた。そう、あたかも真尋が“攻撃”ではなく“艶出し”を行ったかのように。


「なるほどね。あれ、多分だけど、かなり上級のゴーレムだと思う。さすがの怪力でも無理そうね」


 背後から、アイリスが淡々とした声で言った。

 冷静で、分析的で、感情の波を一切交えない口調だ。だが、彼女の言葉は妙に説得力を持っている。

 だがその声に重なるように、ゴーレムの首がギリ、とわずかに軋んだ音を立てて彼らの方を向く。


「たぶん、魔法金属が使われてる。魔力を帯びた素材で作られてるから、直接的な魔法攻撃は分散されるか、そもそも弾かれるの。まあ、そういう仕様……っ、ちょっと待って」


 ゴゴ、と低く地面が震えた。ゴーレムが、一歩踏み出す。まるで重量で地面が悲鳴をあげるかのように。

 真尋が思わず後ずさる。その瞬間、小さく舌打ちをしながら、アイリスは懐から――いや、空間そのものにスッと指を伸ばす。

 何もない空中に、指先で小さく円を描くようにして――その輪の中心から、ひとつの書物がゆっくりと現れた。

 まるで空間が紙を孕んだかのように、静かに、威厳を持って。


「仕方ないわね。これを使わせてもらう」


 アイリスがあの本—―真尋を襲った魔獣を吸い込んだ、あの鈍器のように分厚い本を取り出すと、軽くページをめくりながら口にした。


「これは私のお気に入りの魔道具の一つ――《幻獣秘録》よ。記録と召喚のための、ちょっとした図鑑」


 幻獣秘録――それは、ただの本ではない。

 世界の叡智が集約された、召喚と管理を司る神秘の書である。

 その頁には、契約を交わした幻獣たち、封じられた魔物たち、精霊の名と姿が記されており、一度でも記録された存在は、術者の魔力によっていかなる時もその頁より呼び出すことができる。


 記録は単なる文章や絵ではない。幻獣たちの“魂”そのものを魔法陣で封印し、術式として定着させている。ゆえに、幻獣秘録は召喚の書であると同時に、異形たちの霊廟でもあるのだ。


 この秘録を使役できる者は、契約と支配の才に長けた者のみ。強大なる幻獣たちの力を統べるに足る精神と理を備えし者。

 すなわち、知と力を併せ持つ者の証――それが、幻獣秘録である。


「さて、誰を呼ぼうかな」


 ページを開いたアイリスの目が、鋭くなる。

 彼女の口元にはまだ、淡々とした冷静さが残っているが、迫る足音――ゴーレムの影が、二人の足元を覆い始めていた。

 その気配を受けながら、彼女の目があるページで止まる。

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