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第5話 オープン・ザ・セサミ

 歩幅を調整するようにして追いつくと、アイリスは特に何を言うでもなく、ちらりと振り返るだけだった。

 真尋がついてくることは、すでに織り込み済みだったのだろう。

 道なき道を踏み分けながら、互いに少し距離を置きつつも、一定の速度で歩いていく。まるで、はじめからそう決まっていたかのように。


 風が少しだけ湿り気を帯び、森の匂いが肌にまとわりつく。

 聞き慣れぬ葉擦れの音や、遠くで何かが跳ねるような気配――すべてが異世界のものでありながら、奇妙なほど馴染みやすい空気を纏っていた。


 二人は森の中を歩いていた。特に目的地を明かされるでもなく、地図の読み方について説明されるでもなく、とにかく歩いていた。

 真尋はしばらくのあいだ、木々の間を抜ける涼やかな風や、小鳥のような鳴き声(ただし、この世界においては、鳥かどうかは保証しかねる)に耳を傾けていたが――やがて、沈黙の重さに気づく。


 静寂というのは、親しい者同士で交わされれば“心地よい余白”にもなるが、今さっき出会ったばかりの相手と共に歩く際には、ただただ“間の悪い空白”でしかない。

 しかもその相手が、ドレス姿で魔法を使い、魔物を本に吸い込んでしまうような人物であれば、なおさら会話の糸口は見つけづらい。


 真尋はちらりとアイリスを横目で見やった。

 彼女は、さっきと同じように涼しげな表情で、何やら古びた羊皮紙を広げながら足を進めていた。たぶん地図なのだろうが、真尋にはさっぱり読めない。


 それでも、黙って歩き続けるには、さすがの彼も気まずさに耐えかねたらしい。

 まるで、ランチタイムにたまたま相席になった同僚に無理やり話題を振るような調子で、口を開いた。


「蒸し返すようであまり気が進まないのですが、お尋ねしたいことがある。……先ほど、僕にあの獣をけしかけた件ですが。何か誤解でも? たとえば、山賊と間違えられたとか……旅芸人にしては胡散臭いとか……」


 皮肉と愛想笑いを同時に込めたような声だった。真尋にしては、ずいぶんと努力しての発言である。

 するとアイリスは、顔を上げもせずに答えた。


「んー? こんな場所うろついてたら、レアな魔道具でも持ってるかなって思ったから、ちょっと襲ってみただけよ」


 まるで市場で野菜を試しに触ってみた程度の軽さだった。

 羊皮紙の地図に目を落としたまま、さらっと言ってのけるあたり、ある意味では堂々としている。

 真尋は軽く目を細め、やれやれといった表情で言った。


「なるほど、それは失礼しました。じゃあ、追い剥ぎは僕じゃなくて、あなたの方でしたか」


 声音はあくまで穏やかだったが、その中身は乾いた岩塩のように、淡くもしっかりとした塩気を帯びていた。

 だが、アイリスはその塩気をまるで感じ取らなかったようだ。いや、感じなかったのではなく――感じ取る気がなかったのかもしれない。


 彼女の視線はとっくに、手にした地図の一点に注がれていた。森の中を歩きながらも、何やら座標のような記号を指でなぞり、眉根を寄せている。

 ふふん、と小さく鼻を鳴らしたのは、相槌か、それとも単に呼吸の一部だったのか。皮肉に反応したようにも見えたし、全く意識に入っていなかったようにも思えた。


 それからしばらく、二人は再び口を閉ざしたまま、森の中を進んだ。

 二人が歩き始めてから、客観的に見て、およそ一時間が経過していた。

 足元の土の柔らかさは変わらず、木々のざわめきも変わらず、アイリスの表情もさほど変わらなかった。

 変わったことといえば、真尋の足取りがほんの少しだけ重くなったことと、会話の内容がひどくつまらなくなっていたことである。


 たとえば、こんなやり取りがあった。


「魔道具って……結局、なんなんですか?」


「魔力で彫られたり、練成された道具のことよ。普通の道具と違って、持ち主の魔力に反応して、特殊な効果を発揮するの」


「なるほど……便利な道具なんですね」


「そう。便利すぎて、扱いを間違えると危ないものも多いけど」


「例えば?」


「使うたびに記憶が一時間ずつ消える剣とか。あと、使用者の恋人が命を落とす腕輪もあるわ」


「えらくピンポイントですね」


「作った人の性格が出るのよ」


「その人、きっと恋人にひどい振られ方したんでしょうね」


 この会話が盛り上がっていたかというと、まったくそんなことはなかった。

 事実、二人の間には三歩分の距離が保たれていたし、それは空気が冷えているとかではなく、単純に互いの“関心の薄さ”に起因している。


 真尋にしても、アイリスにしても、気まずさという湿度に対して何かしらの傘を差し出そうとしてはいたのだが、それが見事に小さすぎたり、逆に布がなかったりしていた。

 結果として、会話は“あってもなくても変わらない”という中庸の極みに達していた。だが――時間というのは、つまらないほど静かに流れるものらしい。

 やがて木々が徐々に途切れはじめ、二人の視界はゆっくりと開けていった。


 最初に見えたのは、まるで森のなかにぽっかりと穿たれた忘れられた空白だった。

 草木の侵入を拒むかのように、そこだけ土の色が不自然なほど露出しており、古い石が無造作に転がっている。おそらく、かつて何かしらの建造物があったのだろうが、いまや痕跡は風と土とに等分に還元されていた。


 そして、その空白の奥――倒れた石柱の影から、ひっそりと開いた“穴”が顔を覗かせていた。

 その開口部は大男が背筋を伸ばしたまま悠々と通れるほどの高さがあり、かつて何者かが本気で出入りしていた名残か、それとも自然の成り行きでこうなったのかは判断がつかなかったが、少なくとも“侵入者”にとってはありがたい構造ではある。

 入口の周囲には、枯れかけた蔦が申し訳程度に張りついており、かろうじて目隠しの役割を果たしていた。だが、風が吹くたびにその蔦は控えめに揺れ、まるで「ここだよ」と手招きしているようでもあった。


 真尋は立ち止まり、思わず喉を鳴らす。

 入り口の向こうはまっくらで、何も見えなかった。けれど、確かに空気が違う――そこから流れ出ているのは、ひんやりと湿った、いかにも「地下」の匂いだ。


入り口の奥は、煤のような闇に満たされていて、そこから吹き出してくる空気は湿って、ひやりとしていた。いかにも“地下”としか形容しようのない匂いが、肺の奥にじわじわと染み込んでくる。


「……やっぱりここだったわね」


 後ろから届いたアイリスの声は、どこか確信に満ちていた。

 彼女は小さく頷きながら、携えた地図に目を落とし、それと見比べるようにして洞窟の入り口を眺める。


「カラミッドの封印。ここに、とんでもない古代魔道具が眠ってる」


「それは良かった。で、さっきの“もの”は、いつ頂けるんですか?」


 アイリスはちらりと真尋の方を見て、唇の端だけで笑った。

 それから、ごく自然な動作で彼の肩に軽く手を伸ばし、撫でるようにぽんと叩いた。


「もう少し待っていようね」


 声はどこか優しげだったが、明らかにあしらう時のそれだった。

 真尋は軽く眉をひそめかけたが、それ以上なにか言うほどの熱量はなかった。

 アイリスは再び地図へと視線を戻し、懐から取り出したコンパスの針とにらめっこをはじめる。彼女の集中は、本当に必要なものにだけ向けられているらしい。

 

 彼女はその針の先に向けて地図の線をなぞり、ふむ、と短く唸る。

 表情には余計な感情がほとんど浮かんでいない。集中力の矛先があまりにも明確なので、隣で息をしている真尋の存在など、きっと忘れているに違いなかった。


 そのまま、ふたりは洞窟――あるいは遺跡、もしくはダンジョン――へと足を踏み入れた。

 内壁は天然の岩肌と人工の加工が混在していて、かつてここが“何かしらの施設”だったことを微かに伝えている。だが、その役割が図書館だったのか、拷問部屋だったのか、はたまた世界征服用の会議室だったのかは、現時点では判断できない。


 そして、入ってすぐのところで、ふたりは早速行き止まりに出くわした。

 そこには、やけに主張の激しい赤紫色の魔法障壁が、まるで「不法侵入者はこちらでお引き取りを」とでも言いたげに立ちふさがっていた。見た目からして、あまり友好的ではない。


 真尋は立ち止まり、しばらく障壁を見つめた。

 そして、なぜかノックした。まるで部屋の主が中で紅茶でも飲んでいるのでは、という希望的観測を込めるように。


「……ごめんください」


 障壁は微動だにしなかった。返事もなければ、ベルも鳴らない。ただ、ノックした箇所が軽く火花を散らして、彼の手を軽く跳ね返した。


「……なるほど、どうやら留守のようだ。日を改めますか?」


 そう皮肉めかして言いながら、真尋は軽く指を振った。

 結界に触れたせいで、爪の先が少し熱を持っている。どうやらこの障壁は、冷たくあしらうだけでなく、軽く小突き返してくる礼儀知らずなタイプらしい。


「面白い冗談ね。でも、こういう封印には必ず“入るための仕掛け”があるものよ」


 アイリスはそう言うと、興味深げに周囲を見回した。

 彼女は手早く壁面をくまなく視線でなぞり、足元の床にも注意を向けていく。

 やがて、ほんの一瞬、眉を上げる。


「……あった。ここ、タイルが一つ、欠けてる」


 それは他と同じ石板に見えて、しかしよく見ると、周囲の模様に比べて明らかに“間が抜けていた”。

 まるで、そこに本来あるべきピースだけが意図的に取り除かれているかのように。


 アイリスはしゃがみこみ、欠けたタイルの縁を指先でなぞった。

 まるでそこに見えないヒントが書かれているかのように、丁寧に。

 そして、どこからともなく、掌に収まるほどの古びた金属片――鍵のようであり、飾りのようでもある奇妙な物体を取り出した。

 真鍮色にくすんだその表面には、小さな歯車や螺旋の刻印が施されている。実用性よりも象徴性を重視して作られたもののようだった。


 彼女はそれを迷いなく、欠けたタイルの隙間に差し込んだ。

 ――カチリ、と小さく乾いた音が鳴る。鍵はぴたりと嵌まり、その瞬間、空気の質が目に見えて変わった。

 洞窟を満たしていた冷えた沈黙が、一拍だけ揺らぐ。


 それから、赤紫の魔法障壁は、まるで霧が朝日に溶けるように――音もなく、すぅっと消え去った。

 何かが「許可」を与えたようだった。あるいは、長いこと眠っていた番人が、ようやく眼を閉じたのかもしれない。


「……オープン・ザ・セサミ」


 アイリスが立ち上がり、スカートの裾を払う。

 真尋は障壁が消えた先を覗き込み、わずかに口元を引き締めた。

 そこには漆黒の回廊が続いていた。光も音も吸い込まれるような沈黙。

 空気はひんやりとしていて、まるで長い眠りに就いていた生き物の口の中にでも足を踏み入れるような感覚だった。


「……なんというか、歓迎ムードではないですね」


「当然でしょ。私達はこの地に眠る魔道具を奪いにきてるのだから」


 アイリスは地図をたたみ、真尋に軽く頷いてみせる。

 ふたりは言葉少なに歩を進めた。暗闇の奥へ、歴史に取り残された何かの眠る場所へと。

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