第3話 心とは一つの独自の世界なのだ
森は、静かだった。
湿った土の匂いと、風に揺れる葉擦れの音。太陽のようなものもあり、頭上の空は確かに明るく、昼と呼ぶのに不足はない光がそこにはあった。
木々は太く高く、樹皮には水を含んだ苔が貼りついている。
どこかで見たことがあるような植物も混じっているが、葉の付き方や、枝の成長パターンに明確な違いがある。進化の分岐が、ほんの少し別方向に曲がったような印象だった。
茂みの中から、尾羽を三本持つ鳥が跳ねるように飛び出してくる。
尾は飾りではなく、どうやら空中での急旋回に役立つ構造らしく、鳥は木の間を迷いなく滑空し、低く鳴いて枝に止まった。
鳴き声は一声だけ、くぐもった管楽器のような音をしていた。
地面には低木が群生しており、その合間には紫色の根茎をもつ草が所々に広がっていた。根元からは細かい結晶のようなものが析出しており、指先で触れればわずかに冷たいと感じる程度の冷気を放出している。
獣の足跡、雨に濡れてできた小さなぬかるみ、枝にぶつかって落ちた果実など、どれもが「この森には生活がある」という事実を示していた。
幻想ではない。夢でもない。ここは、もう一つの現実なのだ。
そして、その森の中に、空気の歪みとともに扉が現れた。
人の背丈より少し大きく、縁には青白い幾何模様がうっすらと輝いていた。周囲の空気は一瞬、薄く変質し、温度がごくわずかに上下する。
異質ではあるが、不自然ではない。それは、気圧が変わる瞬間に似ていた。
扉が開き、ひとりの青年が現れる。
地味な色合いのジャケットに、皺の寄ったシャツと、使い込まれたスニーカー。背筋はやや猫背で、目元には軽い倦怠の影がある。
花園真尋。ほんの数秒前まで、蝉の鳴く神社の境内に立っていた男だ。
彼はまず深く息を吸い込み、そして一言も発さずに周囲を見渡した。
知らない森。知らない光。知らない空気。
だがそのすべてが、“理にかなっている”ことに、彼はすぐに気づいた。
あまりに整っていて、あまりに沈着していて、そこには「作られた世界」のご都合主義もなければ、「滅びかけの大地」の劇的さもなかった。
ただ単純に、“違う現実”が広がっているだけだった。
そして、扉ごとゆっくりと消えていった。
まるで濡れた紙が日差しに乾くように、空気の歪みは時間とともに静かに平坦化していく。音もなければ光もなく、ただ世界が“元通り”になっていく。
それはまるで、誰かがポケットから小銭を一枚取り出し、それを落とさずにそっと仕舞い直したような、不自然なほど静かな出来事だった。
あとには、森と空と、ひとりの青年だけが残された。
花園真尋は、木々の間に立ち尽くしていた。
人の声も、機械の音も、交通のざわめきもない。ただ風の音と、尾の長い鳥が遠くで鳴いたきりだった。
どこにも看板はなく、電波も届かず、地名も記されていない。世界が広すぎて、彼という存在が急に小さく見える。
そんな沈黙のなか、真尋はぽつりと呟いた。
「……これで僕も、マロニエの根っこか」
それは誰に向けたでもない、ため息まじりの言葉だった。だがその響きには、どこか苦笑混じりの諦念が滲んでいた。
もちろん彼は、ここにきて急に植物に転生したわけではないし、木の根に嫉妬するタイプでもなかった。ただ、あのパリの公園で、サルトルのロカンタンが感じたような奇妙な気配――“存在がただそこにあること”の居心地の悪さが、今の真尋の心にゆっくりと忍び込んできていた。
誰もいない森の中で、彼の存在は概念として保証されていなかった。
ここには「学生」も「市民」も「日本人」もいない。ただ、靴の底に土をまとわせた“人間の形をした何か”が、ぽつんと立っているだけだった。
彼がさっきまで身を寄せていた現代日本という共同体――歴史の文脈、国語の語彙体系、コンビニの立地配置といった、無数のコードと意味の網目から、今まさに彼は切り離されたのである。
世界は、言葉の皮を剥がされた生肉のように、むき出しの「在る」に戻っていた。
その圧倒的な「過剰」は、不気味でもあり、ちょっと笑えるようでもあった。
人はよく、「自由って素晴らしい」と言うが、いざそれが“文脈も言語もない場所での完全なる放り出され”であるとき、そんな自由は、ハードディスクからOSが消えたパソコンのように、ただの不具合でしかない。
花園真尋は、その異様に静かな森を見渡しながら、小さく息をついた。
不安とも、驚愕とも違う。もっと淡い、だが底知れない違和の感覚。
――世界はそこにある。ただ、それだけだ。
真尋は、ゆるやかにまぶたを閉じ、深く息を吐いた。
吐き出された息は、森の空気に吸い込まれていったが、その残り香に意味はなく、ただ人間がここにいるという物理的証拠でしかなかった。
彼は小さく呟いた。誰にも聞こえない、もはや自分にさえ向けられていないような、空気への独白だった。
「……心とは一つの独自の世界なのだ。地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ。だから、もし僕が昔のままの僕であり、本来あるべき僕であり、この心あるならば、どこにいようとも構うことはない……」
一拍置き、真尋はやや自嘲気味に肩をすくめた。
「……と言いたいところではあるが、あいにく僕は神に背いたあの悲劇的英雄サタンではないし、心があるからと言って、それこそどうしたって話ですよね」
そして、葉の落ちた地面に目をやる。
彼の靴の跡は、すでに土に吸い込まれはじめていた。
確かに彼は今、壮大な詩編の一節を引用した。だがそれは気高い覚悟を示すためでも、悲壮な決意を誇るためでもなかった。ただの冷や汗交じりの冗談にすぎなかった。
「地獄を天国に変える」などというセリフが様になるには、まず地獄か天国、いずれかの明確な定義が必要だ。だが今の真尋にあるのは、正体不明の森と、正体不明の自分だけ。あいにくここは神も悪魔も不在の、無人の舞台である。
“心”が世界をどうにかできるというのは、気高いように見えて、じつのところ大変無責任な考え方だ。心さえ持てばどこでも生きられる――そう主張する人間は、大抵、心をポケットに突っ込んで五つ星ホテルにチェックインするようなタイプである。
真尋のような市井の青年がそんなセリフを吐いたところで、それはスニーカーの靴ひもを踏んでつまずく前振りに過ぎない。
それでも、彼は歩き出す。
勇気があったからではない。覚悟ができたからでもない。
ただ単に、立ち止まっていても靴底が湿って冷たくなるだけだったからだ。
――そうだ、きっとこれが“心で世界を変える”ということの、現実的な解釈なのだろう。
詩や哲学は立ち止まったまま語っていても格好がつくが、森の中では、歩かない者から苔が生える。
しかし、歩き始めたはいいものの森は、どこまでも森だった。
東も西もなければ、道標もない。方位磁石があったところで、地球ですらないかもしれない土地においては、それもただのインテリアである。
花園真尋は、あてもなく歩いていた。
冷静に見れば、それは「歩いている」というより、「立ち止まるのが嫌で前に進んでいる」だけのようにも見えた。
そもそも、どっちに向かえばいいかも分からないのだ。
現代人は普段、コンビニすらGoogleマップに頼っている。道のある世界で迷子になるのが人間なのだ。道のない世界など、もはや無法地帯と言っていい。
しかし、それでも彼は歩いていた。
自動販売機のひとつもない森を、コンビニスナックもスマホもない状況で、今日も立派に「生きる」をこなしている。
いわばそれは、人間の原始的機能が手動運転に切り替わった瞬間でもあった。
そんな折だった。
ふと彼は、自分の感覚に違和感を覚えた。
視界が妙にクリアなのだ。集中すれば、葉脈の模様まで見える。数メートル先の虫の羽音まで、なぜか聞き取れる。
これまで1.0と0.8の間をうろうろしていた視力が、急にフクロウにでも転職したかのような解像度を持っていた。
「……なるほど、これは異世界特典というやつか」
真尋は立ち止まり、森の奥を見やった。
考えてみれば、異世界転移後に五感が鋭くなるのはテンプレートとして珍しくない。が、あいにく彼はその恩恵を、女神の加護とも冒険者ギルドの新兵待遇とも受け取らず、こう理解した。
「要するに、ここは人間が生き延びるには不便すぎるから、五感ぐらいアップグレードしておかないと、すぐ死ぬってことだろう」
この冷静な皮肉ができるあたり、彼はまだ余裕があったとも言える。
だがその余裕は、次の瞬間、空間の変化によってあっさりと吹き飛ばされる。
前方の茂みのあたり、地面に突如として現れた魔法陣。
それは淡い赤紫色に輝きながら、幾何学模様を回転させ、やがて内側から音もなく膨張した。そして、風船が弾けるような感覚ののち――空間そのものが裂けるような音が、辺りを貫いた。
炸裂した光の中から現れたのは、獣だった。
狼。だが、それは森で出会うには大きすぎる狼だった。
肩までの高さだけでも人間の背丈を軽く超え、全長に至っては五メートルは下らない。毛皮は黒鉄色で、陽の差さない森の中でも鈍く光を反射している。
最大の特徴は、額から真っ直ぐに伸びた一本の角だった。
鉱石のような艶をもつそれは、刃のように鋭く、角というより槍に近い印象すらある。呼吸のたびに鼻先から白い蒸気を吐き出し、地面を抉るように爪を踏み込ませていた。
その瞳が真尋を捉えた瞬間、空気が一気に濃くなった。
敵意というには早すぎる。警戒とも少し違う。けれど、それは明確に“観察”だった。野生のものが、自分と異質な存在を測るときの、あの沈黙の凝視。
真尋は一歩も動かなかった。
というより、動けなかった。足元に根が生えたようだったし、何より、逃げ道など最初から存在しなかった。
背後は樹木、左右は茂み、そして前方には五メートル超えの殺意を乗せた質量が今まさに――こちらに、飛びかかろうとしていた。
殺到してくる獣の姿を見ながら、彼はまるで観客のように静かだった。
その目に浮かんでいたのは、驚愕でも恐怖でもなく、どこか納得の色だった。蛇に睨まれた蛙の気持ちに、ようやく肉体を通して共感できたのだろう。
そして、その“理解”が頂点に達したとき、何かが内部で反転する。
生き延びようとする衝動、あるいは死ぬのが面倒だという怠惰、もしくはタナトスの誘惑に対する意地の悪い拒絶。
名前のつけようはともかく、彼の中で“生きる方”のスイッチが入ったことは間違いない。
その身体が地を蹴ったのは、意識よりも早かった。
体が勝手に動いた――などというテンプレートは、たいてい逃走に使われる。だが真尋のそれは、なぜか“組み付く”という、もっと直情的な方向へ向かっていた。