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第七話:歴史の脚注になった男

【プロローグ:案内人】


 歴史。なんと重々しく、確かな響きを持つ言葉でしょう。勝者が記し、後世の者たちが疑いもなく真実として受け入れる、過去の記録。


 ですがね、もし、その歴史が、誰かの手によって「編集」されたものだとしたら? もし、最大の功労者が、その記録から意図的に、あるいは必然的に、完全に抹消されていたとしたら?


 記録されなかった者は、存在しなかったのと同じなのでしょうか。


 今宵お見せするのは、歴史をこよなく愛し、その流れを変えることを夢見た、一人の男の物語。彼は望み通り、理想の世界を創り上げました。その代償として、自分自身の全てを失うことになるとも知らずにね。


 さあ、ページをめくりましょう。我々の知る歴史書、その行間に埋もれて消えた、声なき英雄の物語へ。


【本編】


 1.歴史の特等席


 黒田和也は、しがない歴史オタクだった。特に戦国時代を愛し、幾度となく「もし自分が信長の時代に生まれていたら」と夢想したものだ。本能寺の変さえなければ、信長はもっと偉大なことを成し遂げたはずだ、と。


 その夢想が、歪んだ形で現実になったのは、大型トラックにはねられた後のことだった。


 次に彼が目覚めた時、その体は赤子になっていた。そして、周囲の会話から、自分が置かれた状況を理解し、歓喜と戦慄に打ち震えた。


 父は、織田信長。

 そして自分は、その四男、御坊丸――後の織田秀勝。


 史実では、夭折したとも、あるいは影の薄い存在として歴史に名を残すこともなく消えていった、あの秀勝だ。

 これ以上の特等席はない。未来を知る自分なら、父を、織田家を、完璧な天下へと導ける。本能寺で死なせはしない。


「この人生、すべてを父上の天下のために捧げよう」


 赤子の彼は、誰にも聞こえない声で、鋼の誓いを立てた。


 2.影の軍師


 秀勝は、意図的に「病弱で目立たない弟」を演じ続けた。

 兄たちの覇権争いにも、父の華々しい戦にも、彼は決して表立って関わろうとはしなかった。その裏で、彼は未来の知識という最強の武器を、慎重に、そして的確に使い始めた。


 彼の介入は、常に間接的だった。


「父上、昨夜、奇妙な夢を見まして」

 彼は、熱に浮かされたように、信長にそう切り出すのだ。

「鉄砲を撃つ兵を三列に並べ、前の者が撃ち終われば、すぐさま後ろの者が前に出て撃つ…そのような、途切れぬ弾幕の夢でございました」

 長篠の戦いを前に、彼はそう進言した。信長は当初、子供の戯言と笑ったが、その合理性に気づき、自らの戦術として採用した。結果は、歴史の知る通りだ。


「兄上(信忠)の周りには、実直な者が多いようにございます。ですが、時には、猿のような男の、常識外れの発想も役に立つやもしれませぬ」

 彼は、まだ身分の低かった羽柴秀吉を、それとなく兄・信忠に推薦した。その後の秀吉の出世は、言うまでもない。


 彼の進言は、常に「夢」「占い」「どこかで聞いた噂話」といった、曖昧な形で伝えられた。功績は全て、父・信長や兄・信忠、あるいは有能な家臣たちの手柄となるように。秀勝は、それでよかった。いや、そうでなければならなかった。歴史の修正者たる自分は、歴史の表舞台に立ってはならないのだ。


 3.本能寺を越えて


 そして、運命の天正十年が訪れる。

 秀勝は、この年のために全ての布石を打ってきた。彼は、明智光秀の不満と野心を誰よりも早く察知し、対策を講じていた。


 彼は、京の商人たちに偽の情報を流させた。「徳川家康が、信長様を討つべく兵を整えている」と。その噂は、光秀の耳にも入る。光秀は、家康の動きに警戒を強め、自らの謀反の計画に僅かな躊躇いと遅れを生じさせた。


 その僅かな時間が、全てを決した。


 秀勝は、信長が本能寺に入る直前、最後の「夢」を語った。

「燃え盛る寺の中で、桔梗の紋を掲げた兵に囲まれる、恐ろしい夢にございます。父上、どうか、ほんの数刻で構いませぬ。本能寺に入るお時間を、ずらしてはいただけませぬか」


 信長は、秀勝の夢がこれまで何度も現実になってきたことを知っていた。彼は、秀勝の懇願を聞き入れ、本能寺への到着を半日遅らせた。


 その結果、光秀の軍勢が本能寺を包囲した時、そこに信長の姿はなかった。謀反は完全に露見し、待ち構えていた信長の親衛隊と、秀勝が密かに手配していた傭兵たちによって、明智軍はあっけなく鎮圧された。


 歴史は、変わった。

 織田信長は、本能死を回避したのだ。


 その後、信長は秀勝の陰の支えを受けながら、盤石の体制で天下を統一した。日本は、長く続いた戦乱の時代を終え、未曽有の平和と繁栄の時代を迎える。


 秀勝は、その全てを見届けた後、誰にも看取られることなく、自室で静かに息を引き取った。病弱な貴公子は、歴史に名を残すことなく、その役目を終えた。彼の顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。


 4.歴史の脚注


 ――西暦2085年。京都大学、大講義室。


 白髪の老教授が、ホログラムの年表を指しながら、講義の締めくくりに入っていた。


「…以上が、我々の知る『織田信長による完全なる天下統一』の歴史です。彼の驚異的な先見性、特に、敵対勢力の情報を巧みに利用し、本能寺で起こるはずだった明智光秀の謀反を未然に防いだだけでなく、それを逆用して反対派を一掃した手腕は、まさに神がかっているとしか言いようがありません」


 講義が終わり、一人の女子学生が教授のもとへ駆け寄った。


「先生、質問があります。信長には、秀勝という弟がいたと教科書にありましたが、彼は一体何をしていた人なんですか?」


 教授は、手元のタブレット端末を操作し、データベースを検索しながら答えた。


「ああ、織田秀勝君かね。良い質問だ。だが、残念ながら、彼に関する記録は極端に少ない。生まれつき体が弱く、父や兄たちが天下統一に奔走している間も、ほとんど京の屋敷から出ることなく、若くして亡くなったとされている。歴史の大きな流れには、何ら関与していない…いわば、歴史の脚注に過ぎない人物だよ」


 女子学生が覗き込んだタブレットには、簡素なテキストが表示されていた。


 織田秀勝おだ・ひでかつ


 織田信長の四男。生来病弱であり、歴史の表舞台に立つことなく夭折。特筆すべき功績はない。


 黒田和也が命を懸けて成し遂げた全ての偉業は、信長という天才の功績として吸収され、彼自身の存在は、歴史の片隅に追いやられた、無価値な一行の記述に成り果てていた 。


【エピローグ:案内人】


 …いかがでしたかな?

 彼は、望み通りの世界を創り上げました。愛する英雄を救い、理想の歴史を完成させた。しかし、その完璧な世界の歴史書には、彼の名前を記すページは存在しなかった。


 これ以上ないほどの成功であり、これ以上ないほどの皮肉な結末。そうは思いませんか?

 彼が本当に幸せだったのか…それは、もはや誰にも分かりません。ただ、彼が紡いだ物語の世界は、今も続いている。それだけが、唯一の真実なのです。


 さあ、感傷に浸るのはここまで。

 回転木馬は、また新たな悲喜劇を乗せて、もう回り始めていますよ。


 またすぐにお会いしましょう。この、歪んだ運命の博覧会で。

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