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第二話:忠犬の年代記

【プロローグ:案内人】


 おや、もう次が見たいとは、せっかちな方だ。よろしい。この博覧会には、星の数ほどの運命が陳列されているのですから。


 英雄の物語、というのはいつだって人気があります。魔王を討ち、世界を救う。その輝かしい功績は吟遊詩人によって歌われ、歴史書に刻まれ、永遠に語り継がれる。


 ですがね、その物語は、一体「誰の視点」で語られているのでしょう?


 歴史とは、いつだって勝者が記すもの。光が強ければ強いほど、その足元にできる影は濃くなる。英雄の最も近くにありながら、決して歴史の表舞台には現れない影。その影にもまた、魂が宿っているとしたら…?


 さあ、今宵はそんな、ある英雄の輝かしい年代記を紐解いてみましょう。語り手は、彼の全てを知る、最も忠実なる者。その声なき声に、どうか耳を澄ませてみてください。


 回転木馬が、また一つ、新たな物語を奏で始めます…


【本編】


 1.泥中の出会い


 私が「あの方」と出会ったのは、冷たい雨が降りしきる路地裏だった。


 その頃の私は、名もなき一人の孤児に過ぎなかった。泥にまみれ、飢えをしのぎ、人々からは汚物のように扱われる日々。生きる意味など見いだせず、ただ、いつか来る終わりを待っていた。そんな私の前に、あの方が現れたのだ。


 彼はまだ若く、その瞳には野心と、そして私と同じ…いや、私以上の孤独の影を宿していた。彼は私を見るなり、こう言ったのだ。「お前、行くところがないなら俺と来るか?」と。差し出された一切れのパンの温かさを、私は生涯忘れることはないだろう。


 それが、後に「剣王」と称えられる英雄、アレクシス・フォン・クライヴと私の出会いだった。私は彼の最初の「仲間」となり、その日から、私の人生は彼に捧げられた。


 2.剣王の影として


 あの方の剣の腕は、まさしく神がかっていた。彼は次々と依頼をこなし、その名は瞬く間に王都中に知れ渡った。私は常に彼の傍らに付き従った。


 もちろん、私に剣の才能はない。魔法の素養もなかった。私ができたのは、あの方の身の回りの世話をし、戦いの際にはその足手まといにならぬよう、必死に敵の注意を引きつけることだけ。


「お前はそこにいろ。俺が全部片付ける」


 あの方はいつもそう言って、私を背にかばった。彼の広い背中が、私にとっての世界そのものだった。


 やがて、あ方の周りには仲間が増えていった。陽気な盗賊のレジー、沈着冷静な魔術師のエルザ、そして敬虔な神官のソフィア。彼らは皆、あ方のカリスマに引かれ、その理想に命を懸けた。私は、彼らが焚火を囲んで語り合うのを、少し離れた場所から見ているのが好きだった。彼らの笑い声が、あの方の孤独を少しずつ癒していくのが、自分のことのように嬉しかった。


 私は、彼らのようにあの方と対等に語らうことはできなかった。だが、誰よりも早く敵の気配を察知し、誰よりも深くあの方の苦悩を感じ取っているという自負があった。雨の匂い、遠くで響く獣の声、夜風が運ぶ微かな血の香り。それらはいつも、私にあの方の危機を知らせてくれた。


 ある夜、野営中に暗殺者の集団に襲われたことがある。眠っていた仲間たちが気づくより早く、私はその殺気に気づき、吠えるように声を上げた。その一声がなければ、あの方の首は飛んでいただろう。その夜、あの方は初めて、私をきつく抱きしめて言った。「お前のおかげだ。ありがとう」と。その言葉だけで、私は満たされた。


 3.魔王城の決戦


 旅の終わりは、魔王城での決戦だった。

 城内に響き渡る断末魔と剣戟の音。私は、恐怖に震える足を叱咤し、必死にあの方の後を追った。


 玉座の間で対峙した魔王は、まさしく絶望の化身だった。その圧倒的な魔力の前に、仲間たちは次々と倒れていく。満身創痍のあの方が、最後の力を振り絞って魔王に斬りかかった、その瞬間。魔王の爪が、あの方の死角から迫った。


 考えるより先に、私の体は動いていた。


 私はあの方の前に飛び出し、その一撃を全身で受け止めた。肉が裂け、骨が砕ける凄まじい衝撃。私の口から、悲鳴にならない声が漏れた。


「馬鹿野郎…! なんで…!」


 薄れゆく意識の中、あの方の絶叫が聞こえる。彼の腕に抱かれながら、私は彼の頬を伝う温かい雫を感じていた。ああ、この方は、私のために泣いてくれている。それだけで、私の生は報われた。


 私の犠牲が生んだ一瞬の隙を、あの方は逃さなかった。彼の聖剣が魔王の心臓を貫き、世界に光が戻った。


 4.忠犬の年代記


 …と、まあ。これが、吟遊詩人たちが歌い上げる「剣王アレクシスと、その名もなき従者の物語」のあらましだ。彼らは、私が魔王の一撃から主人を守り、その場で命を落としたと語り継いでいる。


 だが、事実は少し違う。


 私は、死ななかった。神官ソフィアの必死の治癒魔法が、奇跡を起こしたのだ。そして今、私は老いたあの方の傍らで、暖炉の火にあたりながら、穏やかな余生を過ごしている。


 王となったあの方は、善政を敷き、民から慕われている。かつての仲間たちも、それぞれが要職に就き、国を支えている。そして私は、この城で一番の特等席…王の膝元で、こうして微睡むことを許されている。


「お前がいてくれたから、私はここまで来れたんだ」


 あの方が、私の頭を優しく撫でながら呟く。その大きな手は、昔と少しも変わらない。


「最高の相棒だよ、アルゴ」


 私は心地よさに目を細め、ゆっくりと尻尾を振った。


 ワン、と一声。


 それが、前世でしがないサラリーマンだった私が、この世界で唯一発することができる、あの方への返事だった 。


【エピローグ:案内人】


 いかがでしたかな? 英雄の年代記は、いつだって人間が記すもの。ですが、その行間にこそ、語られざる真実が隠されているのかもしれません。言葉を持たぬ者の忠誠心、そのまっすぐな想いは、時としてどんな雄弁な言葉よりも、人の心を打つ。


 彼、アルゴは、前世で何かを成し遂げたわけではありません。ただ、満員電車に揺られ、上司に頭を下げ、孤独に死んでいった、ごく普通の男でした。そんな彼が望んだたった一つのこと…それは「誰かに必要とされたい」という、ささやかな願い。


 私の気まぐれは、彼の願いを叶えてやった、というわけです。なかなか、粋な計らいだとは思いませんか?


 さあ、感傷に浸るのはここまで。回転木馬は、次の悲喜劇を乗せて、もう回り始めていますよ。


 またすぐにお会いしましょう。この、歪んだ運命の博覧会で。

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