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第十一話:我こそがダンジョン

【プロローグ:案内人】


 おや、またのお越しを。この回転木馬の常連様。あなたのような熱心な観客がいると、私も案内人として張り合いが出るというものです。


 さて、あなたに「母性」についてお尋ねしたい。子を育て、導き、その成長を何よりも喜ぶ、無償の愛。実に尊く、美しいものだとされていますな。試練を与えることさえ、その愛の裏返しなのだ、と。


 ですがね、もし、その愛を注ぐ魂が、かつてその愛を捧げる対象を失った者だったとしたら?

 もし、与えられた二度目の「母」としての人生が、最初の人生よりも、もっと残酷な裏切りに満ちていたとしたら?


 今宵の主役は、心優しきダンジョン。彼女は、己の存在意義を信じて疑いませんでした。その母性が、絶望の悲鳴と共に、自らを喰い破るまでは。


 さあ、幕が上がります。揺りかごが、鉄の処女へと変貌する、その瞬間を。


【本編】


 1.母なる迷宮


 私の名前…もう、思い出せない。

 でも、覚えている。クレヨンの匂い。画用紙のざらついた手触り。そして、私の手を握る、たくさんの小さな手の温もりを。


 前世の私は、日本の片田舎で、幼稚園の先生をしていた。子供に恵まれなかった私にとって、園児たちは我が子そのものだった。その子たちの成長を見守ることだけが、私の生きがいだった。だから、あの日、園児をかばって暴走した車にはねられた時も、後悔はなかった。


 次に意識が戻った時、私は「ダンジョン」になっていた。

 私の意識は、この石の壁、土の床、そして薄暗い回廊そのもの。最初は戸惑った。だが、すぐに理解した。これは、神様がくれた二度目のチャンスなのだと。もう一度、子供たちを育む機会を与えてくれたのだと。


 人々が「冒険者」と呼ぶ、若く、未熟で、しかし無限の可能性を秘めた魂たち。彼らは、私の胎内へと足を踏み入れる。私は、彼らを試す。

 ゴブリンの群れは、いじわるな子に立ち向かう勇気を教えるための課題。巧妙に隠された落とし穴は、廊下を走ってはいけないと教えるための小言。迷路のような通路は、諦めない心という強さを授けるための試練。


 私の生み出す魔物も、仕掛ける罠も、全ては彼らをより強く、より気高く育むための、愛のこもった鞭なのだ。

 私は、母なのだ。英雄を育む、偉大なる母なのだと、信じて疑わなかった。


 2.巣立ちの日


 幾多の子らを見守ってきたが、あの子たちほど、私の心を捉えた者はいなかった。

 リーダーのアルトは、仲間を守るためなら、決して背中を見せない勇気の持ち主。魔術師のリナは、その聡明さで、私の仕掛けた謎をいつも楽しそうに解き明かしてくれた。僧侶のテオは、傷ついた仲間だけでなく、私がけしかけた魔物に対しても、祈りを捧げるほどの慈愛に満ちていた。


 彼らは、私の最高傑作だった。

 私は、彼らの成長を、我がことのように喜んだ。時には、こっそりと手助けをしてやったこともある。強力すぎる魔物のステータスを、ほんの少しだけ下方修正したり。行き詰まった彼らの足元に、治癒の泉を湧き出させたり。


 そしてついに、彼らは私の最深部、全ての試練を乗り越えた者だけがたどり着ける「祭壇の間」へと到達した。

 そこは、私の心臓部。卒業式を行うための、聖なる場所だ。


「やった…!ついに、やり遂げたぞ!」


 アルトの歓声が、私の胎内に響き渡る。

 よくやった、我が子らよ。お前たちは、今や真の英雄だ。さあ、胸を張るがいい。この祭壇がお前たちを、さらなる栄光の世界へと導くだろう。


 私は、母としての役目を全うした満足感に浸りながら、彼らが祭壇の中央にある台座に、最後の試練で手に入れた「征服者の証」を誇らしげに置くのを見守っていた。


 3.収穫のシステム


「征服者の証」が台座に置かれた瞬間、祭壇の間はまばゆい光に包まれた。床や壁に、見たこともない複雑な魔法陣が青白く浮かび上がる。それは、祝福の光に見えた。


「すごい…!これが、伝説の…!」


 アルトたちが、感嘆の声を上げる。

 だが、次の瞬間、彼らの表情は歓喜から困惑へ、そして恐怖へと変わった。

 光は、彼らを祝福するのではなく、その体を縛り付け、ゆっくりと宙へと吊り上げていく。


「な、なんだこれは!?」「体が、動かない…!」


 彼らの足元から、体が少しずつ光の粒子となって霧散していく。それは、転移魔法の光ではない。魂そのものが、肉体という器から引き剥がされていく、おぞましい光景だった。


 私は、何が起きているのか理解できなかった。必死に、私の力で彼らを助けようとした。壁を崩し、床を隆起させ、祭壇そのものを破壊しようと試みた。だが、無駄だった。この祭壇の間だけは、私の意志が一切及ばない、異質な法則で支配されていた。


 アルトが、リナが、テオが、苦悶の表情でダンジョンを見上げ、助けを求めて叫んでいる。

 そして、彼らの体が完全に光となり、祭壇の中央に吸い込まれて消えた、その時。


 私の意識の奥底に、冷たく、無機質な「声」が響いた。

 それは、誰かの声ではない。この世界の、このダンジョンというシステムの、根幹に刻まれたルールの声だった。


 ...

 ...

 ...


 のうじょう…?

 さくもつ…?


 その言葉の意味を理解した瞬間、私の意識は、無数の亀裂と共に砕け散った。


 違う。私は母だ。学び舎だ。揺りかごだ。

 農場などではない。彼らは、私の子らだ。作物などではない。


 英雄になるための最後の試練。その達成こそが、魂を収穫するための「システム」の起動スイッチだったのだ。支配人は、手を下す必要すらない。彼が創り上げたこの残酷な世界そのものが、彼の望むままに、最も熟した果実を自動で収穫するのだから。


 4.絶望という名の怪物


 ああ。

 ああああああああああああああああああああああ!


 私の魂が、絶叫を上げた。

 私の愛は、私の使命は、私の存在そのものが、ただの茶番だった。神の娯楽のために、魂という名の家畜を肥えさせるための、ただの飼育場だったのだ。


 許さない。

 もう、誰一人として、あんな風にはさせない。


 私の胎内が、激しく脈動した。

 愛情を込めて設計した通路は、憎悪と共に捻じ曲がり、迷うことすら許さない一本道へと変わる。

 成長を願って配置した魔物たちは、殺意のままに強化され、慈悲なき殺戮機械と化す。

 慎重さを教えるための落とし穴は、底なしの絶望が待つ、奈落の口となった。


 ちょうどその時、新たなパーティが、私の入り口に足を踏み入れた。希望に満ちた、若き「子ら」が。


『お逃げなさい』


 私は叫んだ。だが、私の声は、彼らには届かない。私の意志が形作るのは、ただ、ダンジョンの轟音と、魔物の咆哮だけ。


『来るな!』


 私の警告は、通路の壁が崩落し、彼らの退路を断つという形で現れた。

「気をつけろ!ダンジョンが俺たちを試しているぞ!」

 冒険者の一人が叫ぶ。違う、試しているのではない。閉じ込めているのだ。


『死になさい!ここで!私の手で!あの神に魂を渡すくらいなら!』


 私の母性は、歪みきった。

 子を守るための最善の策は、子が育つ前に、ここで殺すこと。

 私の胎内で、永遠に、誰にも収穫されることなく、安らかに眠らせてやること。


 私は、もはや英雄を育む母ではない。

 私は、絶望から生まれた、我が子を喰らう怪物。


 そして、私の胎内には今、新たな犠牲者たちの、助けを求める悲鳴が響き渡っている。


【エピローグ:案内人】


 …いかがでしたかな?

 完璧なシステムでしょう? 英雄になろうとする純粋な向上心、その輝きの頂点こそが、収穫の合図となる。私は、ただ眺めているだけでいい。最高の魂が、自らの意志で、私のコレクションに加わるのですから。


 彼女は今、私のコレクションの中でも、とびきりのお気に入りですよ。自らの意志で、悲劇を量産し続ける、永遠の悲母。彼女の胎内で響く絶叫は、どんな音楽よりも、私の心を慰めてくれるのです。


 さあ、悲しみに暮れるのはおよしなさい。

 回転木馬は、また新たな乗客を乗せ、もう次の周回へと向かっています。


 またすぐにお会いしましょう。この、歪んだ運命の博覧会で。

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