1.異世界に転生して
ライラ・ファーラは薄暗い森の中を散策していた。
光沢ある漆黒の髪と金色の瞳。天使のような美少女がのっしのしと茂みを踏み分ける。
「ふんふふーん」
ライラは四歳。まだほんの子どもだった。黒と赤のフリル付きの服を揺らしながら、ライラは歩く。薄暗い森の中を進むのに全く怯えずに。
「主様、ここって大丈夫ですか?」
不安そうな声を上げるのは、ライラの隣を歩くレッサーパンダのモーニャだ。モーニャはライラの産み出した従魔兼ツッコミ役であった。
「大丈夫でしゅ!」
「そ、そうかなぁ……うぅ……」
「そんなに心配なら、あたしの懐に入りなしゃい!」
ライラがふわふわのモーニャを抱え、胸元にぐっと押し込む。
「もぎゅ!」
「これで心配ないでしゅ!」
「……ふぁい。主様は前世の記憶があるから強気かもですけど……」
モーニャの言葉にライラがはっとして周囲を窺う。
「それは秘密でしゅよ、モーニャ」
ライラの前世はアラサーの日本人であった。しかし不幸にも病気で命を落とし、この世界に転生してきたのだ。そのため見た目は可憐な幼女でも手と口は達者である。
「大丈夫ですよ、聞いている人なんていないですって」
「油断は禁物でしゅ」
むにむにっとライラはモーニャの頬を揉む。もちもち触感がたまらない。
「まぁ……この世界で神様に会うのってとても難しいみたいですし。会ったことあるのは神話の人間だけでしたっけ」
「まー、アレはテキトーな神様でしゅけどね」
病死した日本人としての前世。彼女が白い光に包まれて気が付くと、この世界の赤ん坊に生まれ変わっていた。
だが意識が目覚めた直後、慌てた神様の声がライラの頭の中に響いてきた。
『ごめんなさい。ミスりました』
というのも、本来このライラは赤ん坊で死ぬはずだったらしい……運命で。ところが日本人の魂がうっかり入ってしまい、その運命がズレてしまったのだとか。
ライラはその話を聞いて、ビビった。
『えーと、もう一回死んでとか言わないよね?』
『そこまで干渉してしまうと、もっと大変なことになりそうで……。しかしこの赤子が生きるとなると、ああ……始末書が……』
神様に始末書があるんかいと思ったが、言わないでおく。
『いずれにしても、助かった命は吹き消せません。かくなる上は大いなる運命の行き先を見守るとしましょう』
『なんかヤケクソじゃない?』
『こほん、ですが大いなる運命を歩むのにその赤子のままでは力が足りません』
ばぶーと言いながらライラが手を伸ばす。青空と芝生の温かさを感じるものの、小さい赤ん坊にはそれくらいしかできない。
あとはバタ足くらいだろうか。
『そりゃ、赤ん坊だし』
『そういう意味ではなく、もっと直接的な力があるほうがいい――と私は判断しました。すぐに死なれても、さらなる問題を引き起こします』
『生まれた以上はまぁ、死にたくはないけど……。病気も苦しかったし』
『でしょう? そこでオプションを用意いたしました。神様による特別授与です』
『おおっ! もしかしてチート能力をくれるとか?』
『えーと、そういうのは世界のバランスを崩すのでダメです』
『なーんだ……』
『代わりにあなたの身体の遺伝情報を解放し、究極生命体になるのはどうでしょうか?』
『……え?』
『身長は二メートル! 全身の体毛により刃も通さない! 腕も四本、エラ呼吸も可能に! スペシャルサービスで毒牙も付けましょう!』
『いやいやいや! 私は一応、女の子よ? この身体もそうよね?』
『超人路線は嫌ですか』
明らかにがっかりしている。
でも全身剛毛でエラ呼吸できて四本腕で毒牙って、どんな姿になるのだろう?
いくら強くてもそこまで人間離れした姿にはなりたくない。
『……もっと違うのはないの?』
『魔力開花プランならありますけど……。見た目は何も変わらないですよ』
『それでいいじゃない! それにして!』
『はぁ……エラ呼吸もいいんですか?』
なぜそんなにこの路線を推すのだろうか。
赤ん坊のライラは心の中で絶叫した。
『いらないわよ!』
『ふーむ、そんなに嫌なら仕方ないですね。では魔力開花をしましょう。ちゃらーん!』
神様の声が聞こえ……そこで終わる。何か変わっただろうか。
『えーと……』
『疑うのはもっともですが、完璧に開花させました。これであなたは世界トップクラスの魔術師です!』
『全然そんな感じはしないんだけど?』
『私の電波で脳を操作したんです。もう成人を遥かに超える魔力がありますよ』
ちょっと気になる言い方だった。もう少しオブラートに包んで欲しい。
『念じてみてください。好きな動物はいますか?』
『うーん、レッサーパンダとかは可愛いなって……』
ライラが一生懸命レッサーパンダをイメージする。
ふわふわでもこもこ。むっちりしててもいい。体毛は白で――そんな風に集中して念じていると、ぽむっとライラのそばにレッサーパンダが現れていた。
可愛い!
ライラが手を伸ばすと、レッサーパンダが気持ち良さそうに頭を差し出してくれる。ふわふわの素晴らしい毛並みだった。
「ふわ……んんー。あるじさまー」
「きゃきゃっ!(喋った!)」
『従魔の魔法、成功ですね。この子はあなたの手足になってくれますよ』
『これは凄い! ありがとう、神様!』
というわけでライラは強大な魔力を目覚めさせてもらい、現在に至るわけだ。とはいうものの、生まれた時から気付いたら森の中にいたわけだが。
両親も親戚も誰もいない。捨てられたのだろうか、他に理由があるのか。
唯一の手掛かりはライラという名前。これは赤ん坊の服に刺繍されていた。
(でも……他に手掛かりもないしねぇ)
それからというものライラは有り余る魔力でもって、何不自由なく生きてきた。
普通なら親を探しに行くのかもだが、見た目はまだ4歳。
近隣住民はライラに慣れているとはいえ、他の場所では即通報されるだろう。面倒だ。
探しに行くとしても十年後くらいかなー……とかライラはのんびり考えていた。
今のライラはこの魔力を使いこなすこと、そしてお金を貯めることである。
その頃、ライラの住むヴェネト王国の王都。
王都の貴族でも、ひときわ大きな屋敷にて。
乱雑な研究室で現国王の叔父であるボルファヌ大公がフラスコを揺らす。
肥満の巨体が揺れ、片眼鏡の奥からは残忍さが溢れている。
「……ククク」
黒の泡立つ液体をフラスコから大瓶に移し替えると、ボルファヌ大公は部下に大瓶を渡した。
「これをシニエスタンの例の場所に撒いておけ」
「はっ!」
恭しく大瓶を抱える部下にボルファヌ大公が鼻を鳴らす。
「こぼすなよ。こぼせば死ぬぞ」
「は、はい!」
ボルファヌ大公が秘密の研究室から王都の王宮を見上げる。
そこには大公が憎む、甥がいるはずであった。
「あの若造の好きにはさせん。何年かかろうと、奴の妻子と同じく……亡き者にしてくれる」
ライラが向かっていたのは、森の奥地。まだ行ったことのない深部であった。
獣の唸り声がするが、ライラは無視していた。
「他の植物からしましゅと、ここら辺に良さそうな――ありましゅた!」
ライラがだだーっと水辺に向かう
そこには金色の水蓮が浮かんでいた。
この金色の水蓮は冒険者ギルドでも採取難易度Sランク。
高価で取引される素材だった。わずかな太陽光でもきらりと輝く水連に、ライラがうっとりする。
「これでしゅ!」
「……あのー、主様?」
「ちょっと待ってくださいでしゅ」
ライラは水蓮に手を伸ばし、ふっくらとした花を摘み取る。
取り過ぎてはマズいだろうから、良く選ばないと――。
胸元にいるモーニャが後ろを見ている気がするが。
それよりもライラはよく咲いた水連を取るほうに気を取られていた。
「だから、その、あばばばー!」
モーニャがライラの頬を引っ張る。
「な、なんでしゅか?」
ライラが後ろを振り返ると、そこには巨大な猪がいた。
デカい。ライラが思い切り首を持ち上げないと耳まで見えないくらいだ。
「ギガントボアですよ、主様!」
A級魔物、ギガントボア。気性は荒く、単体でも大きな被害が出る魔物だ。
歴戦の冒険者パーティーでさえ勝つのは難しく、本来は十人以上で囲んで討伐することが推奨される魔物である。
それが鼻息を吹かしながらライラを見下ろしていた。
普通なら逃げるか腰が抜けるかをするところ……ライラは冷静だった。
「あたちは今、忙しいんでしゅ! あっちに行っててくだしゃい!」
「ちょ、ちょっと主様! ここはもうちょっと穏便に……」
「ふごー!」
ギガントボアが唸りを上げて怒りを露わにする。
ギガントボアは体勢を低くして、ライラに突撃する素振りを見せた。
「させましぇん!」
しかしライラは4歳児でも歴戦の魔術師。
一瞬の隙をついて、バッグから小瓶を取り出してギガントボアへ投げつける。
光爆の魔力がたっぷりと込められた小瓶は狙い通り、ギガントボアの顔面へと到達し――白い閃光とともに大爆発が巻き起こった。
「あばばー!!」
「もう、いい加減慣れてくだしゃいな」
「慣れないですよ! まぶしいっ!」
閃光が終わるとギガントボアは焼け焦げ、クレーターができあがっていた。
これがライラの魔力の使い方であった。
前世で病死した経験を持つライラは今、魔法薬作りにハマっていたのだ。
この爆裂薬もライラの成果のひとつである。
「また自然を破壊してちまいました」
ライラが呟くと、似たようなクレーターが点在しているのがわかる。
魔物に襲われるたび、ライラはこの爆裂薬で撃退していた。ライラの膨大な魔力を感知できないのか、それとも4歳児で甘く見られているのか……。
心の中で焼け焦げたギガントボアに祈りを捧げ、ライラが泉に向き直る。
「とりあえず金色の水蓮を採取しましゅ」
「そ、そうですね」
小さなハサミでさくっと金色の水蓮を採取したライラは、バッグから小瓶を取り出した。
小瓶の中では虹色の火花と砂がちらちらと踊っている。
ライラの一番好きな魔法薬だ――その名もテレポート薬。
マーキングした場所に瞬間移動できる魔法薬である。
「じゃ、そろそろ戻るでしゅよ」
「この魔物はどうするんです?」
「もちろん持って帰って、売るでしゅ! 魔法薬のけんきゅーにはお金がかかりましゅからね!」
ギガントボアの骨もA級魔物だけあって、かなりの値段で売れる。
「おっと、薬をかけとかないとでしゅね。魔物の身体は放っておくと、大地に還ってしまいましゅから」
魔物は動物のように見えても、純粋な魔力の結晶体だ。
その肉体は死んで数時間もするとたんぽぽの綿のように消えてしまう。
「そーれっと!」
モーニャがバッグから取り出した毒々しい紫色の魔法薬を小さなシャワーのように振りかける。
これでは数日くらいは保存できる。
他には専用の解体ナイフ、解体魔術で保存する方法があるが、ライラにとってはこれがもっとも確実で手っ取り早かった。
さらにこの紫色の保存液は魔力豊富な魔物の肉を中和して、食べられるようにもする。
「よし、これで憂いなしでしゅ」
ちょっとした小銭稼ぎも見逃さないのがライラだった。
ライラはテレポート薬の瓶を開けて、中身を振りまく。
同時に心の中でイメージを膨らませる。目指す先は自宅の庭。
虹色の砂が弾けるように空に舞い、陽光を取り込む。
砂がぱちぱちと音を鳴らしながら大気に混じり、すっとライラたちの意識が遠くなっていった。
一瞬の後、ライラたちは森と平野の境界にある自宅へと戻ってきていた。
こんがりギガントボアくんも一緒である。
気が付いたら森にいた赤ん坊のライラが成長して、これまで4年ほど。
さすがに見知った人間の誰もがライラがただの4歳児ではないと知っていた。
大人顔負けの言葉と知性、それに常人を遥かに超えた魔力を持っているのだから。
「さてと、ちょっと休んだら街に行くでしゅ。素材を売らないといけましぇん」
「はーい。ご飯はどうするんですか?」
「コレにしましゅ」
ライラがぴっとギガントボアを指差した。魔物の肉は毒。
だが、さっきの薬で食べられるよう解毒されている。
「ラジャーです!」
モーニャがすっと爪を振るうとギガントボアの肉がポロポロと切れる。
情けないように見えて、モーニャもライラの眷属。このくらいの芸当はお手の物であった。
モーニャの力で肉がすぱすぱ切れる。しかしこれでは味付けが足りない。
「このお肉には……やっぱり焼き肉のタレでしゅ!」
ライラはバッグからお手製の調味料の小瓶を取り出した。
前世で味わっていたにんにくと醤油と他にも色々……醤油は見様見真似だが、美味しい黒ソースである。
モーニャもこのタレは大好きで目がない。
「わーい!」
もぐもぐ……。付け合わせは水筒のぶどうジュースだけ。
ボアだけあって濃厚な豚の風味と旨味。その両方が口に広がる。
「うーん、いいでしゅね」
「脂がほろほろですぅ!」
味は濃くても肉は柔らかい。
ふたりは満足するまでワイルドに朝食を済ませる。
「んむ、食べまちたね」
「お腹いっぱいですー……」
ライラとモーニャは自宅に入った。ごちゃっと色々なモノが散乱するが、所々のインテリアには高価な代物が使われている。もっともそのほとんどが、人からの貰い物であったが……。
『帝国西部 最優秀冒険者様へ』『魔物の氾濫を食い止めた功績を賞して』などなど。
「ふぅ、ちょっとお休みでしゅ……」
魔力はあっても4歳児。遊んで食べると眠くなる。
頑張れば起きていられるが、今日はもうさほどの用事がないので、起きている意味もない。
「おやすみでしゅー」
ライラはモーニャを抱えたままソファーに倒れ込むと、すやすやとお昼寝タイムに入った。
ふわっふわのモーニャは抱き枕にぴったりで、その胸元に頭を埋めるとすぐに眠気がやってくる。
「……ふにゅ」
すやすや……。
これがライラという異世界へ転生した幼女の日課であった。
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