命の選択
俺はまだ病院のベッドの上にいた。
事故の衝撃は大きかったらしく、骨折こそなかったものの、内臓へのダメージがひどかったらしい。担当医からは、しばらく安静にするように言われている。
柚月は何度か見舞いに来たらしいが、俺が眠っている間だった。きっと、顔を合わせるのが気まずかったのかもしれない。それとも、俺に会うのが怖かったのか。俺のせいで罪悪感を抱いているのだろうか——。
残されたのは、病室のテーブルの上に置かれたリンゴと手紙。
手紙には、短くこう書かれていた。
—— 「ごめん、ありがとう。」
それだけだった。
柚月がどんな気持ちでこれを書いたのか、想像するだけで苦しくなる。震える手で書いたのだろうか。何度も書き直して、それでも短い言葉しか紡げなかったのだろうか。
彼女は謝る必要なんてないのに。
それよりも、俺は自分の選択が正しかったのかを考えずにはいられなかった。
俺が命をかけて彼女を助けたのは、ただの衝動だったのか? それとも、心のどこかで彼女を救いたいと強く願っていたのか?
もし俺が飛び出さなかったら——柚月はどうなっていただろう。
そして、俺が助けたことで、彼女にとって本当に良かったのか?
柚月には、時間がない。肺移植のドナーが見つからなければ——1年ももたない。
俺は拳を握りしめた。命をかけて守った彼女が、結局病気で消えてしまうのをただ見ているだけなのか?
そんなのは嫌だ。
俺はあの時、柚月を助けると決めたんだ。
でも、本当に救えたのか?
(もし……俺の肺を柚月にあげられたら?)
ふと、そんな考えが頭をよぎった。
一度助けた命。
だけど、それだけでは彼女は救われない。
俺が生き残った意味は、もしかするとここにあるんじゃないか——?
考えれば考えるほど、その想いが強くなっていく。
夜、静まり返った病室で、俺は柚月のことを思い続けた。
彼女の笑顔が浮かぶ。
放課後、夕陽に照らされながら並んで歩いた帰り道。
ふと見せた寂しげな横顔。
病院の白い天井を見つめながら、俺は決意した。
「先生、話があります。」
病室に入ってきた担当医に、俺は意を決して口を開いた。
「俺の肺を、柚月に移植することはできませんか?」
医者は驚いた表情を浮かべた。
「……どういうことだ?」
「俺の片方の肺を提供したいんです。」
自分の言葉に、驚くほど迷いはなかった。
先生はしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて静かに息をついた。
「その判断を軽々しくするな。君の命にも関わる問題だぞ。」
「それは分かっています。」
だけど——
柚月には時間がない。
俺が動かなければ、彼女は——。
俺の命が少し削られたところで、彼女の未来が伸びるなら、それでいい。
「先生、お願いします。」
俺の声は、震えていた。
だけど、その意思だけは、決して揺らがなかった。
その時——
「バカッ!!」
突然、病室のドアが乱暴に開かれた。
驚いてそちらを見ると、そこには柚月が立っていた。彼女の目は涙で滲んでいて、震える拳を握りしめている。
「なんで……なんでそんなこと言うの!? 私のために、自分の身体を犠牲にするなんて……そんなの間違ってる!」
「柚月……」
「肺を移植したところで、生きるとは限らないのよ! そんな確証どこにもないのに! あなたが苦しむのを見たくないのに!!」
涙を流しながら怒鳴る柚月を、俺はただ黙って見つめることしかできなかった。
「私は……私はもう十分幸せだったのに。あなたが助けてくれた。それだけで……」
柚月の肩が小さく震える。
「私をこれ以上、苦しめないで……」
その言葉に、俺の心臓が締め付けられるような痛みを感じた。