無題1(閲覧注意)
気分を害する可能性が高いです。
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私の名前は、佐賀 依子
生まれてから今まで、そしてきっと死ぬまで使う馴染みの深い記号だ。
ちょっとした人生の節目にいる私は、過去を振り返ろうと思うので、ここに人生日記みたいなモノをつけることにした。
なんて、けったいな書き出しから語るのは私の取るに足らない人生のことで、多分こんな日記は誰の目にも触れないのだからあまり気負わずに書いていこう。
まずは私の一番古い記憶、たぶん幼稚園の頃だ。
その頃の私は男の子たちに混ざって走り回っていて、この先もずっとそれが続くと思っていて。
今思い出しても、私の人生の中でずっと純粋で幸福だったように思える日々に影が差したのは、私を含め、みんなが年長さんに上がるころだった。
その頃になると、男の子たちは舌足らずにも「オレ」なんて少し背伸びした一人称を使うようになって、いつまでも一人称がよっちゃんだった私の一人称が「オレ」に変わるのにそう時間はかからなかった。
けれどやっぱり、女である私が「オレ」なんて一人称を使えば周囲から見咎められることになるのは、今にしてみれば至極当然のことで。
結局私は一人称を、今の「私」に矯正されて、その時はそういうモノだと受け入れられたけれど、その記憶は私の奥底に眠って消えてはくれなくなった。
それを悪いって言うんじゃない。うまく言語化できないけど、でもそれはきっと幼い私に、歪みの種を植え付ける一つの要因になったように思う。
そんなことがあって小学生になった「私」は小さな身体には不釣り合いな真っ赤な重いランドセルを背負うようになっていた。
黒と迷ったけど、皆が赤にしろと言うので赤にした。
小学校に上がって変わったのは、お母さんに髪を伸ばすよう言われたことと、女の子としての振る舞いを求められたことだろう。
確かに私はその頃になっても男の子に混じって泥だらけになってはお母さんに怒られていた。
「女の子らしくしなさい」
何度も何度も繰り返し言われたものだから、その時の情景すら思い浮かんで少し笑ってしまいそうになる。
そんなわけで、私は女の子らしくする努力をするようになった。
泥遊びをやめ、代わりにおままごとに興じるようになり、あまり趣味ではなかったけど、可愛いキャラクターの文房具を揃えてみたり。
そんなクリームみたいな女の子像をトレースしているものだから、調子に乗っていると無視されたりすることもあったけれど。
小学校も高学年に上がる頃には髪もずいぶんと伸びていて、けれど私は自分の長い髪をあまり好きにはなれなかった。
でもお母さんが喜んでいつも褒めてくれたから、切る気にもなれなかっただけで。
その頃には、中学校へ見学に行く機会もあったりして、私は新しい生活に胸を躍らせていた。
やはりそれは、セーラー服や学ランを纏う先輩たちは、私たちよりずっと遠くを見ているようですごく憧れを感じたからだろう。
でも実際中学に上がってみれば、勉強は難しいし部活で忙しいし、小学校で仲の良かった子たちはみんな別の中学に行ってしまったから1人だし。
自分で言ってしまうのもバカバカしいけど、私は当時結構モテたので、女子からの当たりが強かったのもあって学校を休みがちになった。
何より、自分自身を「女の子」としてブランディングすることに大きなストレスを感じていたというのも大きいだろう。
ある時、ふと幼稚園の頃を思い出して「俺」という一人称を使って話してみたら、お母さんが見たことないくらいに怒った。
怖くて、悲しくて、無性に腹が立って。怒鳴り返すこともできない私はただ静かに部屋に戻って泣いた。
女の子でないと、私はお母さんの娘でいられないんだと、その時になってやっと気づいた。
その日から、私はお母さんを避けるようになった。
反抗期だと父には言われて、私もそうだと思っていた。
中学2年になって、私は「女の子」らしくあることを辞めた。
「俺」という一人称にまつわる記憶や今までの反動による「女の子らしさ」への嫌悪から私は、私の心が本当は男の子なんだと思うようになったからだ。
そんなふうに思っていたから、積極的に男の子たちと関わろうとするようになった。
その頃には女子のグループから、私は完全に孤立していて。
1年の頃はあった陰湿な嫌がらせも、裏でビッチ呼ばわりされる程度に落ち着いた。
そんなある程度は健全な中学生活を送っていた矢先、部活の先輩に告白されて付き合うことになる。
先輩は身長180cm近い大男で、バスケ部のエース。
漫画の影響でバスケ部のマネージャーをしていた私は、確かにボール磨きが好きだという先輩とは話す機会が多かった。
自分の心は男だと思っていた私が告白されて断らなかったのは、今思えば妙な話だ。
ともあれ、私は中学2年生の秋、初めての恋人ができた。
先輩はいろんなことを教えてくれた。
おすすめのカフェとか、カラオケとか、恋人と2人で回るデパートの楽しさとか。
先輩は映画が好きだったから、先輩の家で一緒にたくさん映画を見た。
よくわからないサメ映画が先輩のお気に入りで、私も嫌いじゃなかった。
そしてその年の冬、雪が降った日の放課後。
まだ日が落ち切る前に、私は先輩に抱かれた。
初めてだったそれに、思ったより動揺しなかったことに少し戸惑いがあった。
確かに痛いばかりだったけれど覚悟していた程度のものだったし、雑誌に書いてあるように嬉しさを感じることもなかった。
私はその行為の意味を理解できなくてただ一生懸命だった先輩を見つめていた。
結局それから先輩とは疎遠になって、私はまた1人になった。
中学3年になった私はまだ、自分の心は男の子なのだと思っていた。
きっと、私の心が男だから男の先輩とうまくいかなかったのだと、今まで曖昧に思っていたそれは確信に変わって。
以前までなんとも思わなかった1人であることも、先輩と別れてからはひどく退屈で寂しいものだと思うようになった。
無目的な、お母さんが選んだ女子校への合格に向けて好きでもない勉強を四六時中した。
何かをしていないと寂しくて狂いそうだったから。
私はどうしてこんなに弱くなったんだろうと、ずっとずっと後悔ににも似たものを抱えていた。
ある時なんとなく、お父さんのお酒をこっそり飲んだ。結果から言えば私はお酒に弱かったようで、動悸がするし頭痛も吐き気もあって、それなのに酩酊することもできなくて。
どうしようもなくてたくさん吐いた。
吐いても吐いても、嗚咽ばかりが止められなくて。
それでも、私の隣にお母さんはいなくて。
当たり前だけれど、でもその時の私はお母さんは私のことが嫌いなんだと思っていたから。
それはきっと勘違いだったんだろうけど、今となってはもうどうだっていいことで。
高校に上がって、私はより無気力になっていた。
髪の手入れが面倒になって、腰ほどもあった髪をおよそショートカットと言える長さまで切った。
もうその頃にはお母さんは何も言わなくなっていて、私は見放されたのだと思って、その頃には「俺」という一人称を使うようになった。
イタいヤツだと誹られることも多かったけれど、私の心は男の子なのだから、仕方がない。
そんなふうにしていたらいつのまにか、私には親友ができていて。
親友は女の子が好きな女の子で、私の心は男の子なのだから、当然女の子が好きで。
だから私たちが惹かれ合うのは当然だった。
しん、と静まりかえった夕暮れの空き教室で、どちらかともなくキスをした。
甘くて、柔らかくて、ずっとずっと熱いそれに運命めいたものを錯覚した。
それからは毎日がひどく幸せだった。本当に夢のようで。抱き合って、ついばむようにキスをして、手を握って耳を撫でて。
そんな拙い逢瀬を重ねる熱に浮かされた日々。
だから私たちが身体を重ねるのに、あまり時間は必要なかった。
最初はうまくいっていた。
私は彼女とずっと好き同士で、「俺」を受け入れてくれた彼女とずっと二人でいられると思っていた。
いくぶん肌寒くなったハロウィンの夜、私たちはその日はじめて舌を絡ませて、私は初めてではないけれど、私の知らない溶け合うような官能に陶酔しながら。
彼女の柔肌を私の指が滑る心地よさに、内臓がひっくり返るような興奮を覚えて。
彼女が、私の尻を撫でて秘所に触れる時、私は吐いた。
彼女に覆い被さったまま、唐突に。
私も彼女も、混乱して。
吐いて少し冷えた頭で理解した。
私が内臓がひっくり返るような興奮だと感じたそれは、大いなる勘違いであり、まさしくそれは、嫌悪だった。
それに気付いたら、自分自身の醜さに、彼女への酷い裏切りに、またしても吐かなくてはいられなかった。吐瀉物がただの水になっても吐いた。だんだん黄色が混じってきて、最後には緑色の汁が出て、それ以上は何も吐けなかった。
空が白みだしたころ、やっと私はまともに呼吸ができるようになっていて、彼女に事情を話した。
彼女は一瞬、痛みを堪えるような表情をみせたあと、優しく笑ってこういった。
「セックスだけが全てじゃないし、大丈夫だよ。気にしないで」
その声は震えていて、無理をしていることなんか私でなくても簡単にわかるほどで。
涙を堪えるため強張った首筋を見て、裏切りと無力と自己嫌悪で、謝ることしかできない自分がもっと嫌になった。
シャワーを浴びて帰る彼女を引き止められなかったことを、今でも後悔している。けれど、でも、やって引き止めればよかったのか、なんて。
そして翌日、彼女は自殺した。
もう何も感じなかった。現実感がなくて、通夜でも葬儀でも泣けなかった。
ただ、ずっと他人事のような気がして、ぼう、としていた。
骨だけになった彼女は、思いの外原型を留めていて、居合わせた人は口々に「若いからだ」なんて言って、「かわいそうに」とも言っていた。
骨片と一緒に、彼女のお母さんから一通の封筒をもらった。
そこには「依子へ」とだけ書かれていて、中身はまだ見ていないというので、帰る途中、公園のベンチに腰掛けて封筒を開けてみることにした。
「依子へ。あなたのせいじゃない。けど、私はもうダメだから、依子は幸せになってね。ごめんね」
私は何度も何度もその文を読んだ。ただ読んだ。
どれくらいそうしていたかはわからないけれど、私はその手紙を燃やして、喪服のまま歓楽街に行って手当たり次第に男を誘った。
流石に喪服姿の女を抱くような男はなかなかいなくて、少し苦労したけれど。
それでも私は確かめたいことがあったから、だからどうにか男を捕まえて、そのまま抱かれた。
ひどく気持ち悪くて、痛くて、最悪な時間だったけれど吐くことはなかった。
あんな好きだった彼女とは、全くコントロールできずに吐いたのに。
なのに、こんな気持ち悪いドブネズミのような男に抱かれているというのに、吐くほどではないと思ってる自分がいることに、ひどく絶望した。
というのが、私の今までの人生だ。
だから私は、つまるところどうしようもなく「女」で「私」だった。
「俺」なんてどこにもなくて、私の歪んだ憧れが生んだ幻覚でしかなかった。
そんなものに彼女を付き合わせて、挙句追い詰めて死なせてしまった。
同性愛者がパートナーを見つける難しさなんて、想像するまでもないのに、私はそれを踏み躙った。
なのに、そんな私に彼女は恨み言の一つも言わないで。挙句幸せになってなんて。
そんなの無理に決まってる。彼女のいない世界な
違う、そうじゃなくて、私が燈火を殺した事実に耐えられないだけだ。
裏切って殺して、挙句背負うこともできないなんて、もう、よくわからない
まとめるために書いてるのになにもかもぜんぶ散らかってバラバラになってる
ごめん、ごめんなんて書いてもとどかないのに私は私の自己満足のために
ごめん燈火、私はあなたの願いより自分のことが大事なんだ。
最後の最後まで、ごめんね燈火
こんなことを書いてごめんなさい。お父さん、お母さん、こんな娘でごめんなさい。
燈火、ごめんなさい。私が私を許そうとしてごめんなさい
ごめんなさい