7 打毬ののちのロッカー室外での盗み聞き。帝は赤い紐を抱く。日記に書きなさい
ドラマのネタバレをしてますので、お嫌なかたは回れ右を。
私見がかなり入ってますので、それも嫌な方は回れ右を。
第七話 おかしきことこそ
「あれは、日本の馬だと思う」
ドアを開けてすぐ梅里様はキラキラした瞳で言ったんだけど、何の話ですか?
どうも、今回は打毬というスポーツをしたらしい。梅里様の説明によると、馬に乗ってホッケーをするような感じみたい。で、ドラマで使われた馬が、サラブレッドではなく、日本の馬だったようだ。というか、梅里様がそう思ったらしい。
「梅里様、江戸時代の馬を見たことがあるのでしょう? その時はどんなサイズだったんですか?」
「見たことはない」
梅里様は真顔だ。多分本当なんだろう。
「馬って、そんなに珍しい生き物だったんですか?」
「いや、農作業などで使われていたからな、珍しいわけではないんだ。ただ、吾は見たことがなかっただけで。見たのは」
右上のほうを見る。
「もう昭和に入ってからだな。それこそ、農作業だ」
「農耕馬なら、そんなに江戸時代とそんなにはサイズが変わらないのでは?」
「……小さかったな」
「……」
思わず半眼で見てしまう。
「日本の馬ではないかもしれないですね」
そう言うと、梅里様は悔しそうに唇を噛んだ。何が不満なのですか…。
こほん、と咳ばらいをして、「今回は、打毬をしたのだ。F4と、別のグループだ」と言い出した。
日本の馬に何か思い入れがあるのだろうか…
「当日、行成(ゆきなり)が急病で休んでしまい、直秀(なおひで)が参加することになるんだ」
「え!」
それは、なかなかの大事件では。
「道長が、最近分かった弟だと紹介してな」
「弟ですかー。あれ? でも、直秀盗賊だったのでは?」
「それなんだ。試合が終わったあと急に雨が降り出して、四人が衣服を着替えるんだ。その時に、左腕の傷を道長はみつける」
「でも、まさかそんな傷くらいで怪しんだりはしないですよね」
「遠目だったし、鼻から下を隠していたから、ハッキリと顔までは見えてはいなかったようだが、位置が同じだと思ったんだろうな」
「本人に確認するんですか?」
「今回はしなかったな」
「なんか、せっかく仲良くなったのに、残念です」
「直秀推しなのか…」
なにやら呆れたように言った梅里様は、思い出したように手を打った。
「そういえば、直秀らの盗賊団は、義賊だったぞ」
「やっぱり…」
「予想通りとはいえ、ヒントの出し方はフェアだったな」
「え、そうですか?」
ほぼ決定な感じで話してたじゃないですか。
「ドラマではな、本当にちらっとしか扱わなかったんだ」
「そういうものなんですね」
「本日は、ガトーショコラとコーヒーです」
よくよく考えたら先週はバレンタインデーがあったのに、チョコ系は何も作らなかったのだ。
「しっとりを目指しましたが、ダメだったかもしれないので、ホイップクリームをつけてみました」
「吾はしっとりでなくても構わぬが?」
「では、ホイップクリームはお好みで。コーヒーに浮かべても美味しいですよ?」
「ふむ」
その提案は梅里様の心に響いたようだ。さっそくスプーンですくって、コーヒーに浮かべている。
「先に食べてもよいぞ。吾はまず話す」
満足そうにコーヒーを見て、スプーンをソーサーに置く。そうですか、とにかく話したいのですね…。
「そうだな。小ネタから行くか。道隆(みちたか)が道兼(みちかね)と酒を飲んで『おまえを置いては行かぬ』とか言ってたな。道兼はまんまと懐柔されていた。実にチョロい」
チョロい。心の中で繰り返しながら、フォークで切ったガトーショコラを口に運ぶ。しっとりしていて、口の中で溶けていくようなのが理想だが。食感はまあまあだが、甘さはどうかな。私にはちょっと甘いけど。
「忯子(よしこ)を失った花山帝は、あの紐を握ったまま『忯子に会いたい』とつぶやいていたな」
「あの紐…って、初夜に忯子の手首を縛っていた!」
「そう、その紐だ。ふてくされた子供のようにうつぶせになって悲しんでいる」
「最愛の人を亡くしたんですものね」
「ドラマの冒頭で、花山亭は忯子の遺体から引き離されるんだ。死は穢れという時代だからな。高貴な人間は、亡くなった人の枕元で悲しむこともできない。さすがにあれには同情したぞ」
死は穢れ。道兼がまひろの母を殺した時も、自ら手を下したことを怒られたんだっけ。
「その様子を見て、為時(ためとき)は、間者を辞めたいと、兼家(かねいえ)に言った。兼家は快く了承したが」
「むちゃくちゃ恐くないですか?」
「だろう? でも、為時は気づいてないんだよ」
「さすが為時……」
良い人と言えば良いのか。
「又聞き状態の人間でも分かることなのになあ…」
梅里様はため息を吐き出した。
「それから、実資(さねすけ)だな」
「平安貴族な人、ですね」
ほぼ条件反射的にぱっと浮かんでくるイメージを言葉にする。梅里様は一瞬うんざりしたような顔をしたがすぐ真顔になる。
「蹴鞠をしながら、ひたすら愚痴るんだ。それを見ていた妻が、『日記に書きなさい』と繰り返す。彼は『日記には書かぬ』と返事をするが、実際は『小右記』という日記を残していて、それが現代まで残っているんだ。知っている人間は思わず笑ってしまう」
「平安時代の日記って、けっこう残ってますよね」
「そうだな。『蜻蛉日記』は道綱の母だし、『土佐日記』『紫式部日記』なんてのもあるな。この『小右記』は、宮中の行事が詳細に書かれてたり、やはり愚痴が書かれたりしたらしいな」
「書いちゃうんですか、愚痴」
「書いたらしいぞ」
「あとは、清明と道長が会うんだが、じっと意味ありげに道長の顔を見るんだ」
「……いずれ大物になるのが分かった、みたいな感じですか?」
「多くの視聴者がそう受け取りそうな感じはあったな」
「実際、清明はそういう力を持ってるんですか?」
このドラマの中で、呪術が今の私たちの認識と違うことは分かっている。まひろが倒れたあとやってきたのは、いかにもインチキで、まひろもインチキだと思っている。でも、清明は?
「それは、分からないな。本当に、微妙なんだよ」
梅里様は神妙な顔つきで言う。
「これからどうなっていくか楽しみですね」
「そうなんだ」
梅里様は深くうなずいた。
ホイップクリームを浮かべたコーヒーをスプーンで軽くかきまぜてから梅里様は一口飲んだ。口もとが少し緩んだのは、気に入ったからだろう。
「今回は、まひろが物語を作り始めたんだ」
「そうなんですね」
「散楽のメンバーが次の演目の話をしているところで、こういうのは?と提案すると、どこが面白いのか分からないという顔をされる。観るのは庶民だというのを、まひろは忘れてたんだな」
ということは、まひろが提案したのは貴族が面白いと感じる話ということなんだろう。
「どういう物語が面白いと思ってもらえるだろうと考えて、キツネとサルの物語を提案する。神様のフリをするキツネに騙されるサルの話だ。もちろん、右大臣家を風刺している」
「……まひろ、大胆ですね」
「冷静に、頭を切り替えられるんじゃないか? でもさすがに右大臣家が抱えている武士たちが怒って、散楽のメンバーを捕まえようとするんだが、それに気づいた道長が慌てて止めに行く」
「え、止めに行くんですか?」
「道長は、その程度で民衆の憂さ晴らしができるなら、大した問題ではないと分かっている。おそらく、兄弟も父親もな」
「あ、前にもそういうこと言われてましたね」
どの回の話だったかは忘れたが、聞いたような気がする。
でも、子供の頃から散楽を楽しんでいたから、では無いのか。そこはやっぱり、政治を担う側の人間だということなんだと思うと、ちょっと残念な気がする。
「ま、吾の想像だがな」
梅里様は、「実際は、散楽を楽しんでいたからかもしれんがな」と言うのだった。
「さて、打毬だ」
わくわく、と言った感じで話し出した。今日はクライマックスをちゃんと最後に持ってきたらしい。
「打毬というか、その後だ。右大臣家の倫子(ともこ)サロンのメンバー三人と先生とまひろ、それから清少納言も呼ばれて観戦することになった。本来、そういうことがあったとしたら、牛車で御簾ごしの観戦になるだろうが、簡易テントの下にみんなが座って観ている。倫子は猫まで連れてきている」
「猫……それは、絶対に何かが起きる!」
「そう、猫が逃げるんだ。試合後、急に雨が降り出してお開きになったんだが、猫が逃げてしまう。まひろが追いかけて、F4のメンバーが話しているのを立ち聞きしてしまう」
「部活のマネージャーがロッカー室で話しているのを立ち聞きしているヤツ!」
「そう、それだ」
「そして何やら誤解しちゃうヤツ!」
「まさにそれだ。好きな女は妾(しょう)にして、家柄の良い女を妻にしてほうが良い、と同意を求められた道長が、話をちゃんと聞いてなくて聞き返す。そっちの画面だけだと聞き返したように見えるんだが、立ち聞きしている側からだと、同意したように聞こえるんだ」
「……それは、まひろはショックでしょうね…」
「そうとうショックだったようだぞ。道長からもらった文を燃やしてしまうくらいにはな」
「まひろが可哀そうです…」
「まあ、まひろ自身、自分が正妻になれるとは思っていないとは思うんだ。身分がモノをいう世界なのはよく分かっているはずだからな」
「分かっていても、好きな人本人からは聞きたくないでしょうね」
「鬼のような脚本だよな」
言葉とは裏腹に満足そうな表情だ。鬼のような脚本がお好みということですか。
冷めたコーヒーを一口含み、ガトーショコラにフォークを入れる。
「結構甘いな」
「甘めにしてみました」
梅里様は結構甘いほうが好きだ。なのでチョコもスイートを使い、お砂糖も少し増量。ココアパウダーは少し減らした。その結果か、しっとりにならなかったのだけれど。
「美味い美味い」
ぱくぱくと、三口で食べ終わる。私は聞きながら食べていたのに、まだ半分くらい残っているのだが。
「おかわり、お持ちしましょうか?」
「いや、これは明日も食べたいから、今日はもういい」
「食べたいなら、明日も作りますよ?」
言った瞬間、瞳が輝いた。思わず笑ってしまう。
「少しお待ちくださいね」
そんなにガマンしなくて良いのに、と思いながら、立ち上がった。