おまけ:十二年後②
お待たせしました。少し長めになりました。
「……御使い様はそれから二六五日ほどもこの地に留まってくださった。御使い様が立ち去ってから九十日後、私たちの一人が天啓を得ました。『御使い様の偉業を讃え、世に知らしめなければならない』と。無論、反対の声は上がりませんでした。そして着工してから苦節十年、遂に完成したのが――」
「あの巨大像、ですか……」
司教の熱心な説明を聞いたフェリクスは、頬を引き攣らせながら言葉を引き継いだ。
二人の正面には、高さ九間(約十六メートル)ほどの巨大な人型の像が直立していた。その像が象る人物とは、フェリクスの義理の母である美麗な女エルフ――レティシアだ。
『タンジェ』の町を旅立って七日後。
フェリクスは『ジャルダ』という町を訪ねていた。この町では今より十六年ほど前、住民が領主の圧政と野盗の被害の合わせ技による悲惨な窮状に喘いでいた。そこにレティシアが冒険者として訪れ、彼女の戦神のような働きによって奇跡的な救済を得た……という伝説があった。
「伝説などではありません。私はこの目で御使い様の活躍を見たのですから」
そう語る司教の瞳はどこまでも真っ直ぐで、フェリクスはそのあまりの純粋さにどこか危ういものを感じた。
「そ、そうですか……」
(……絶対に、絶対にこの町でレティシアとの関係を明かしたらダメだ)
そう決意したフェリクスは、なるべく住民と接触しないように心がけ、そそくさと次の町へ向かった。
*
フェリクスが『ジャルダ』の町を出て十五日後。
彼は『ティムール』という国を訪れていた。『タンジェ』から行動を共にしていた隊商とは既に別れており、気儘な一人旅の道中だった。
観光気分で珍しいものを探していた彼は、ある古都の片隅で占い師の老人から話を聞く機会を得た。老人はフェリクスよりも長く尖った耳をしていたが、肌の色は暗かった。――ダークエルフ。フェリクスがそう呼ばれる人種の者と接触するのは、これが初めてのことだ。
「……かつて、『アカメネシア』と呼ばれた大国がこの地で覇権を握っておった。じゃが、たった一人の〝魔女〟によって滅ぼされた」
(もしかして、その〝魔女〟って――)
このときのフェリクスは、未だキュルケの昔話の全容を聞いたことがなかった。しかし、その〝魔女〟の正体については朧気に察することができた。
「……儂らの間に伝わる、古い古い御伽噺じゃ。儂もどこまでが真実かはわからん。仮にその〝魔女〟の存在が事実じゃったとして、もう生きてはおるまいて」
「――そうでしょうね」
フェリクスは老人に礼を言って、その場を後にした。
***
所変わって、フェリクスの現在地からは遥か彼方の『ローラシア大陸』南東部に位置する『ゼーハム町』。その町外れにある、ノアの家の庭に設けられた訓練場における一幕を覗いてみよう。
そこでは今、艶やかな紫髪の美女が、年端も行かないエルフの少女を相手に魔法の指導を行っていた。
「魔法の構成をしっかり意識せよ。――良いぞ。今じゃ、放て!」
「――ハッ!」
鮮やかなグリーンゴールドの髪をした少女の掛け声と共に、彼女が手にした杖の先から握り拳大の火球が飛び出す。それは十間(約十八メートル)ほどの先の的に狙い違わず命中した。
すると、それまで凛々しい表情をしていた少女は、飛び上がって快哉を上げた。
「やったぁ! キュリィ、今の見てた?」
紫髪の魔女――キュルケは、ふだんは物静かな少女のはしゃぐ様を見て、微笑みながら首肯する。
「うむ。見事な無詠唱の〈火球〉じゃ」
得意気な少女の表情は、彼女の母親を彷彿とさせた。
するとそこに、少女と同じエルフの男が通り掛かった。この二名のエルフの顔立ちはよく似ている。それも当然で、二人は血を分けた実の父子なのだ。
「すごいね。もう無詠唱まで覚えたんだ」
「……えへへ、キュルケのおかげだよ」
少し前から様子を見ていたらしい父親のエルフ――ノアがそう言うと、緑金髪の少女ははにかんで笑った。
少女の名はシエル。ノアとレティシアの間に生まれた娘だ。
「素晴らしい才能の持ち主じゃな。いずれは妾をも越えるかもしれん」
「……それ、フェリクスのときも言ってなかった?」
手放しで娘を称賛するキュルケに対して、ノアは少々胡乱げな目を向けた。
そのとき、フェリクスの名を聞いたシエルがぴくりと反応した。
「――お兄ちゃん、早く帰って来ないかなぁ」
寂しげなその声は、彼女が腹違いの兄を慕っている証拠だった。
「……ふむ。そろそろ『スミ山』に着いておる頃かのう」
フェリクスが春先にこの家を出立してから百日弱が経過していた。旅が順調に進んでいれば、今ごろ目的地の『スミ山』に着いていてもおかしくはない。
ここで、ノアはあることを思い出した。それはフェリクスが出立する直前、キュルケがフェリクスに何かを依頼していたということだ。
「フェリクスに何かお使いを頼んでたんだっけ?」
ノアの問いに対して、キュルケは少し首を捻りつつも頷いた。
「お使い……まあ、そうとも言えるか。大した用ではないんじゃが」
キュルケは少し間を置いて、次の言葉を添える。
「妾なりの義理というやつじゃ」
「ふうん、なるほどね」
そんなキュルケの言葉少ない返答に、ノアは訳知り顔で頷いた。
――今の言葉だけで伝わるものなのか、とキュルケは内心で驚く。
キュルケはノアの顔をちらりと伺う。が、目が合いそうになると、気恥ずかしさから視線を逸らす。
――旦那様には敵わんのう。
彼女の小さな呟き声は、ちょうど吹き込んで来た一陣の風にかき消された。
「た、たすけてくれ……!」
息せき切って駆け込んで来たのは、シエルに似た背格好のエルフの少年だ。少年は髪色こそプラチナブロンドだが、容貌については、シエルを生き写しにしたかのようである。
突如として現れた小さな闖入者に、その場にいた三人は一様に目を丸くした。
「どうしたんじゃ? そんなに慌てて」
一同を代表して、キュルケが少年に訊ねた。
この少年の名はトワ。ノアとレティシアの間に生まれたもう一人の子で、シエルの双子の弟だ。
トワは少しばつが悪そうな態度で、キュルケの質問に答える。
「母さんをちょっとからかってたら、カンカンに怒っちゃって……」
「何やらかしたんだよ……」
母さん――即ち、レティシアのことだ。
ノアが呆れた様子で問いかけると、トワはさっと目を逸らす。
「……いやあ、それはちょっと……」
言葉を濁したトワの表情に、シエルの鋭い視線が突き刺さる。
「トワが悪い」
「な、なんでそんなのわかるんだよ!」
「顔を見たらわかる」
断定するシエルにせめてもの抵抗を試みるトワだが、どう見ても旗色は悪かった。
それから間もなく、怒りを露わにしたレティシアの声がその場まで響いてきた。
「――トワ、私が取っておいたタルトをどこへやった!?」
***
フェリクスが『ティムール国』でダークエルフの老人の話を聞いてから、二十日余りが経った。彼の姿はいま、東の地に聳える『スミ山』の中にあった。
かつて『スミ山』を領地としていた『チャンドラ国』は、長い歴史の中で『クシャナ国』と名を変えていた。二日ほど前に『クシャナ国』に入国したフェリクスは、『スミ山』のすぐ北に位置する国の首都『タクシャ』で旅の疲れを癒やし、準備を整えた上で今日の登山に臨んでいた。
「う〜ん、こっちの道かなぁ?」
すいすいと山の五合目まで上ったところで、フェリクスは地図を片手に首を傾げながら進むべき道を選んでいた。今は山頂を目指しているわけではない。地図が示す、山腹にあるはずの目的地を探してのことだ。
ただし、キュルケが描いたその地図は大雑把なもので、いま登山道として整備されている道に沿って辿り着けるとは限らない。彼女が実際に『スミ山』に上ったのは千年も昔のことなので、それは無理もない話だった。
「ん?」
ふとフェリクスは、登山道から森の中を通る一本の獣道を見つける。人一人がなんとか通れそうなほどの細く険しい道だが、フェリクスはつい最近誰かが通ったと見られる痕跡を見逃さなかった。
なんとなく「この道だろう」と、フェリクスは直感した。そこから獣道に入ったフェリクスは、道を阻む藪や草木を掻き分けつつ、緩やかな上り坂の道を突き進んだ。途中、道が高い崖に突き当たって行き止まりになっていたが、フェリクスが〈空歩〉の魔法で崖を上るとその先にも道が続いていた。
フェリクスが更にしばらく進むと、やがて森の奥の開けた場所に到達した。そこは山の一端であり、その先はまた崖になっていた。もしも普通の人間がその崖から落ちてしまったら、とても無事では済まないだろう。
崖の手前――広場の真ん中に、一本の赤い木が立っていた。決して大きな木ではないが、その赤い幹は周囲の木々の色調からはかけ離れており、存在が浮き彫りになっていた。
森を抜けたフェリクスが、その赤い木に視線を奪われている間。
「――何者だ!」
招かれざる侵入者を咎めるような、鋭い女の声が響いた。
*
「なるほど。遥々西方から旅をして来たのか。それはご苦労なことだな」
サリーのような服を纏った黒髪の女性は、名をアディラと言った。小麦色の肌をした人間だ。
「――それで、この赤木を目指して来ていたのだったか」
アディラはそう言って、ポンと木の幹を叩く。
「うん。師匠に頼まれてね」
と、フェリクス。師匠とは、もちろんキュルケのことだ。
フェリクスの返答を聞いたアディラは、腕を組んで唸る。
「ふうむ。この『ガルラの木』は、今と全く同じ姿のまま悠久の時に渡って存在していると聞く。人間であるあなたの師匠がここを訪れたのはせいぜいここ数十年以内のことだろうが、私には心当たりが浮かばないな」
「……」
まさか千年前のことだとは明かせず、フェリクスは沈黙を守った。
アディラの一族は代々この赤木の周辺環境を保全し続けていた。言わば、木の守り人であった。
「ひとまず、師匠に頼まれた用事を済ませたいんだけど」
「ああ、すまない。邪魔をしたな」
控えめに希望を申し出た後、フェリクスは荷物の中から一本の酒瓶を取り出した。直前に滞在していた『タクシャ市』で購入した、この国でポピュラーな安酒だ。それを目にしたアディラは片眉を上げた。
「この酒を木の根元に注ぐように言われたんだ。――構わないかな?」
「……あ、ああ。それならこの辺りが良いだろう。なんなら、幹に直接かけてもらっても構わない」
念のためもう一度断りを入れたフェリクスに対し、アディラは木の根元の一箇所を指で指し示す。なぜか、彼女は少し動揺しているようだった。
アディラの言を受けて、フェリクスは直立したまま酒瓶を傾け、どぼどぼと木の幹や根元に酒を注いだ。量の加減についてはわからなかったが、結局、瓶の中身を一滴残らず注ぎ切った。
酒を注ぎ切っても、赤い木には当然のように何の変化もなかった。
この行為に何の意味があるのか。
フェリクスはそれを知らない。
『古い知り合いに、土産を振る舞うようなものじゃ』
百日近く前、フェリクスが旅に出る直前のことだ。
これを行う理由を訊ねたフェリクスに対して、キュルケはそう答えた。
その木が誰かの墓標――というわけではないらしい。
『……まあ、そう捉えても良いかもしれんがの』
かつてのその会話の中で、フェリクスはキュルケから感傷に似た想いを感じた。
『――フェリィが今回の旅から帰って来たら、詳しく話をしてやろう』
キュルケはそう言っていた。どうやら、それはかなり長い話になるらしい。
「――同じだ」
フェリクスが酒を注ぎ終えた後、アディラがまだ動揺の残る声音でそう言った。
「酒の種類も含めて、私の家で代々伝わる習わしと全く同じだ。古めかしい儀式のようなものだと思っていたんだが――」
「そ、そうなんだ」
アディラの口調には強い驚きと感動が込められていた。
不思議な偶然もあるものだね――と、簡単に流してしまえるような雰囲気ではなかった。
フェリクスは話が面倒な方向に進みつつある、と直感した。そして、その直感はあながち間違いでもなかった。
「俄然、あなたの師匠に興味が湧いてきたぞ。下山したら是非、私の家に招待させてほしい」
アディラの声には強い意思が宿っていた。断るのは難しそうだ、とフェリクスは思った。
「――この後、山頂まで登ろうと思ってたんだけど」
「何? ……そうか。鈍った体を鍛え直す良い機会かもしれんな。私も付き合おう」
「……」
フェリクスが登頂を予定していたのは事実だったが、アディラを振り切る理由にはなり得なかった。どうやら、彼女と穏便に別れるのは無理らしい。
フェリクスは天を仰いだ。そこには、憎らしいほどの晴天が広がっていた。
――こんなことなら、出発を遅らせてでもキュルケにしっかりと話を聞いておけば良かった。
フェリクスの胸中に後悔の念が浮かんだ。
下山後、アディラが『クシャナ』国内で広く「導師」と尊称され、政府でも高い地位にある大人物だと知ったフェリクスは、その後悔をより強く感じた。
お読みいただき、ありがとうございました。
フェリクスの物語は一旦、ここまでとなっております。
キュルケの回想の残りにつなげるために、『スミ山』を登ってもらいたかったのですよね。
……と同時に、創作物のエンディングでよくある「◯◯年後」というやつをやってみたかったのです。
この話の続きや、子供たちのその後が気になる方は、ぜひ応援コメントにてお知らせください。いつ描けるかはわかりませんが、参考にしたいと思います。