エピローグ②
同日の朝、『ガスハイム』の町で働く騎士見習いのニクラスは緊張していた。
彼は本日から、町の西寄りにある『サン・ルトゥール大使館』で勤務することになっていた。先月大急ぎで建てられたその施設には、十数日前から大使として三名のエルフが駐在していた。
年少のニクラスは、二ヶ月前のエルフ軍との軍事演習にも参加しなかったから、エルフと接すること自体、今日が初めてだ。ただし、先輩騎士が口々に褒め称える〝レティシア〟という女エルフがどんな人物なのかは気になっていた。
日が高くなってきた頃、騎士の詰所を出たニクラスはまっすぐに大使館へ向かう。
門前で入館の許可を得た彼は、玄関の扉を開き、元気良く挨拶する。
「おはようございます! 本日からお世話になります!」
ニクラスの挨拶の後、向かって右手前の部屋からひょっこりと中背の男エルフが現れた。
萌黄色の髪と緑碧色の瞳をした、すらりとした青年だ。
「やあ。話は聞いているよ」
美形の男エルフは、柔和な態度でニクラスに右手を差し出してきた。ニクラスはやや慌てて握手に応じた。
「アロイス=アデラールだ。ここの代表を務めている」
「騎士見習いのニクラスです」
青年――アロイスの名乗りを受け、ニクラスも名乗りを返した。
アロイスは、『サン・ルトゥールの里』で新しく里長に就任した老アデラールの孫である。
「他の大使のエルフも紹介しよう。ついて来てくれ」
「は、はい!」
アロイスはひらりと身を翻し、館内の奥へとニクラスを案内する。
ニクラスが案内されたのは、大使館内に密かに造られた地下室だった。
アロイスが扉をノックした後、二人は連れ立って入室する。
「――初めまして、だな。私の名はレティシア=サルトゥールだ」
室内に佇んでいた優美な金髪の女エルフに、ニクラスは目を奪われた。
(こりゃ、先輩たちが夢中になるわけだ……)
彼女の肩の上にはキツネコがちょこんと腰を下ろし、大きな欠伸を上げていた。
すると、アロイスが音もなく彼女に近づき、その頭を軽く小突いた。
(??)
突然のアロイスの奇行にニクラスが目をぱちくりさせていると、彼はレティシアとは別人の名前を呼ぶ。
「こら、フラウ。お客さんを揶揄うなよ」
「あら。ごめんなさい」
打たれた頭を抑えながら、レティシアと名乗った彼女は悪戯がバレた子供のように舌を出してみせた。
その直後、彼女の全身から白い煙が立ち上る。白煙が収まった後、そこに立っていたのは銀髪の女エルフだった。その美貌については先ほどまでと甲乙つけ難いが、少なくとも愛嬌の点では、今の方が勝っていた。
「あ、あの、今のは……?」
ニクラスが狐につままれたような顔で訊ねると、フラヴィと呼ばれた銀髪の女エルフは得意げな笑みを見せた。
「変装の魔法よ。――からかってごめんなさいね。本当の名前は、フラヴィ=アンブローズよ」
「あ、はい! 自分はニクラスです!」
ニクラスは目を白黒させながらも、なんとか名乗りを返した。
二人が無事に挨拶を交わした後、アロイスが残る一名の大使の話題に触れる。
「フラウ、ユーグの居場所はわかるかい?」
「ユーグなら今朝またレオンハルトって騎士が来て、どこかに連れて行ったわよ」
「……またか」
最後の一名の大使は、ユーグ=バラントンだ。
戦争の直接の原因を作った彼は、罪滅ぼしの意味も兼ねてこの大使の役目を果たすことになった。……のだが、今のところ活動内容は『ガスハイム』の騎士達との模擬戦に偏っていた。
少し思案する様子を見せたアロイスだが、ふと気持ちを切り替えるかのように手を打ち鳴らす。
「――よし! 居ない奴のことは放っておいて、親睦を深めるために食事にでも行こうか!」
「いいわね!」
「さ、賛成です!」
その提案に異議を唱える者はなかった。
特に、アロイスとフラヴィは連日、『ガスハイム』の町で味わえる人間の料理に舌鼓を打っていた。
「……俺は、レティシアが言ってた『ハンバーグ』ってやつを食べてみたいな」
地上へ戻って大使館の外へと向かいながら、アロイスが暢気にそんなことを言う。
「レティシアかぁ。今頃、どうしてるのかしらねぇ」
フラヴィは親友であるレティシアの名に反応した。
すると、アロイスが意外そうにフラヴィの方を振り返る。
「フラウは知ってるんじゃないのか?」
「……ふふ。さあ、どうかしら?」
とぼけてみせるフラヴィだが、その表情は笑っていた。
***
なぜレティシアではなく、フラヴィ達三名が『ガスハイム』の町で大使を務めることになったのか。
その理由を明らかにするため、ここで時を二ヶ月ほど遡る。当時、彼女らは同じく『ガスハイム』の町で、他のエルフらと共に人間達との会談の場に臨んでいた。
「――わ、私は……」
会談の終盤、ヴィンフリートに「是非、大使に」と指名されたレティシアは、会場中の視線を一身に浴びて困窮していた。彼女自身はその務めを望んでいなかったが、人間側の領主直々の指名を打ち消せるような言い訳をそれ以上思いつけなかった。
そのときエルフ側の席から、場の空気を入れ換えるような明るい声が響いた。
「はいはーい! 私、その大使の役やりまーす!」
手を挙げたのは、フラヴィだった。
それによって、会談参加者の視線はレティシアからフラヴィに移り、レティシアはほっと一息吐くことができた。
フラヴィの左隣に座っていたマリー=アンブローズは、娘の思わぬ発言に頭痛が生じたような仕草を見せた。
「……フラウ、あなた正気?」
母親にそう訊ねられたフラヴィは目を瞬かせながらも、はっきりと頷いた。
「ええ。正気も正気よ。――別に、何が何でもレティシアじゃないと駄目……ってことはないんでしょう?」
フラヴィのセリフの後半は、レティシアを指名した『ザルツラント領』領主、ヴィンフリートに向けられていた。
ヴィンフリートは彼女の問いに対し、顎を引いて肯定を示した。
「無論のこと。先ほど申し上げたのは飽くまでも希望ですからな。人選はそちらにお任せ致します」
「ほら。だったら、私でもいいじゃない」
ヴィンフリートの後押しを得て、フラヴィはまるで鬼の首でも獲ったかのような自慢げな態度を見せた。
「――なぜ、大使の役を務めようと思ったのじゃ?」
エルフ側の左端の席からその質問を発したのは、一行の代表者を務めていたモルガンだった。
それに対し、フラヴィは人差し指を頬に当てて考えを巡らせながら答える。
「えっと。それは……楽しそうだから、かな。レティシアの話を聞いて、人間の町に興味が湧いてたところだったし。あとは……――そう! ご飯がとっても美味しいって聞いたわ!」
拳を握り締めて力説するフラヴィの言葉を聞き、再びレティシアに視線が集中する。レティシアは一同から「食い意地が張っている」と思われたように感じ、気恥ずかしさから身を縮こまらせた。
「まったく、この子と来たら……」
娘の思慮の浅さを嘆くマリーは、先ほどよりも更に頭痛が悪化したかのようだった。
「……あ。でも、一人っきりは嫌よ。……そうね。アロイスが一緒に来てくれたら心強いなぁ、なんて」
「えぇっ!? 俺!? ……まあ、フラヴィがそう言うなら構わないけど」
フラヴィから急に名前を出されて驚いたアロイスだが、意外にもあっさりと彼女の要望に頷いた。
アロイスの言質を得て、フラヴィは「やった」と再び握り拳を作った。
「……話はまとまりましたかな」
一連のエルフ側のやりとりを見守っていたヴィンフリートが、問い掛けるように言うと、モルガンは首肯した。
「――概ね、と言ったところでしょうか。レティシアが述べた掟の話もあります故、正式な人選は里に帰ってからとさせていただきたい」
「ええ。それで構いません」
モルガンとヴィンフリートの間のそんなやりとりによって、この場でのこちらの議題についての話は終わった。
レティシアは背を椅子に預け、大きく安堵の息を吐いた。
フラヴィが助け舟を出してくれたおかげで、レティシアが大使となる未来はほぼ回避できたと言って良いだろう。
(フラウ、ありがとう)
レティシアは、心の中で無二の親友に感謝を告げた。
***
時は、現在――会談から二ヶ月が経った頃――に戻る。
『ザルツラント領』から国境を越えて、南側の『ハルシュタット大公国』の東の片隅に『ゼーハム』という町がある。
故郷である『サン・ルトゥールの里』の運命を左右する一連の出来事が一段落した後、ノアは自宅のあるこの町に帰って来た。当然、キュルケと、彼女と肉体を共有するヴィンデも行動を共にしている。
「ねえねえ、キュルケ。えほん、よんでー」
「む、フェリィか。構わぬぞ。どれどれ……」
齢三つのハーフエルフの子供、フェリクスにせがまれ、キュルケは彼が手にしていた絵本を受け取る。
ノアとヴィンデの息子であるフェリクスは、母親が肉体の死を迎えたことを理解しているのかはさておき、この不思議な状況を柔軟に受け入れている様子だった。
「すっかり懐いたなぁ」
二人の母子さながらのやりとりを眺めていたノアは、しみじみとそう言った。
彼らはリビングで寛いでおり、ノアはソファに腰を下ろしていた。ちなみにノアの家の中では、ヴィンデの健康に配慮していた関係で、ほぼ全域で土足厳禁となっている。
ノアの言葉を聴いたフェリクスは、父親とキュルケの顔を見比べて、言う。
「――パパとキュルケも、なかよし」
「……へ?」
フェリクスのセリフを聞いてノアが間の抜けた顔を見せる一方で、キュルケはあからさまに狼狽した。
「ふぇふぇ、フェリィ! それは違うぞ! ノアと仲が良いなのは妾ではなくて、妾の体を借りておるヴィンデじゃからな!」
キュルケに間近で詰め寄られながら、フェリクスはこてんと首を傾げる。
「? ……キュルケはパパのことすきじゃないの?」
「すっ……!」
無垢な幼児の質問を受け、キュルケは答えに詰まる。
「……そ、そのようなこと、今この場で口にするようなものではないわっ!」
フェリクスの言葉に一つひとつ過剰に反応するキュルケ――彼にはそう見えた――を見かねて、ノアは腰を上げて助け舟を出すことにする。
「慌てすぎだよ。――フェリィ、パパとキュルケは仲間なんだよ」
「なかま?」
ノアは屈み込んでフェリクスと目線を合わせ、諭すように言う。
「そう、仲間。だから、仲はいいんだけど、ママとはちょっと違うかな」
「ふうん」
ノアのその台詞を隣で聞いていたキュルケが唇を尖らせていたことに、ノア自身は気づかなかった。
父子がそんな会話をしていたとき、キュルケはふと何かに気づいたような素振りを見せた。そして、何らかの情報を得た彼女は、にやりと口元で笑みを浮かべた。
「――ノア、お主に客じゃぞ」
キュルケの方を振り向いたノアは、疑問符を浮かべる。彼としては、来客の気配など感じなかったからだ。
「……あれ? いま誰か来てた?」
キュルケは顔に笑みを湛えたまま、首を軽く振ってノアの言葉を否定する。
「いやいや。これから来るところじゃよ。ヴィンデが見つけてくれたんじゃ」
そう言って、キュルケは天井を指差す。
霊体としてキュルケの肉体を離れたヴィンデは、空中散歩の最中にその来客を見つけたらしい。キュルケとヴィンデは、離れているときにも〈念話〉というテレパシーのような能力で情報のやりとりをすることができた。
「ああ、成程。じゃあ、俺が出迎えに行けばいいんだね」
「うむ」
キュルケがヴィンデから情報を得たのだと理解したノアは、さっと立ち上がって玄関に向かう。
ノアが玄関口に辿り着いたのと、ノックの音が鳴ったのは、ほぼ同時だった。
「はいはい」
ノアが玄関の扉を開けるや否や、それを待ちかねていた金髪の女性が中へと飛び込んで来た。
「ノア!!」
「わっ! レ、レティ!?」
その女性とは、『サン・ルトゥールの里』を身一つで飛び出してきたレティシアだった。
予想外の相手にノアは虚を衝かれながらも、しっかりと彼女を抱き留めた。
「また逢えたな! 今日から世話になるぞ!」
レティシアは彼女らしい自信に満ちた笑みを浮かべ、上気してほんのりと頬を紅潮させていた。
きっと、逸る気持ちを抑えきれず、急いでここまでやって来たのだろう。
ノアはわずかに眉根を寄せ上げ、困ったような笑顔を見せる。レティシアが好きな、あの笑顔だ。
「よく来たね。急で驚いたけど――」
ノアは最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
なぜなら、彼の口はレティシアの口によって塞がれてしまったからだ。
――それをこっそりと目撃していた魔女と、小さなハーフエルフと、幽霊のような存在が、いたとか、いなかったとか。
(完)
本編の最後までご愛読いただき、ありがとうございました。
以前に予告したエンドロールについては、少し間を置いてから投稿したいと思います。
その前に、近日中に活動報告にて完結の報告+etcを記す予定です。