エピローグ①
エピローグは二話構成となりました。続きは明日、10月27日日曜に投稿予定です。
『ガスハイム』の町でエルフと人間らによる会談が行われた日から数えて、二ヶ月ほどの月日が経った。
この日、シモンは『サン・ルトゥールの里』の西側で森番の任に就いていた。しかし、今は集落の中心に向かって木々の間を高速で駆け抜けていた。
ある家樹の付近に差し掛かったところで、シモンはふと足を緩める。彼にとって最も縁の深いエルフの存在に気づいたからだ。
見れば、家樹の外に出ていたそのエルフもシモンに気づいた。シモンは彼女と同じ枝に足を止め、立ち話をする。
「あら。何かあったの?」
そのエルフとは、シモンの妻であるグレースだ。
「ちょっと……な。これから里長と相談役の処へ報告に向かうところだ」
「ふうん。厄介事かしら?」
そう訊ねるグレースだが、こうしてわざわざ彼女の許で足を止めているぐらいだから、少なくとも火急の事態というわけではないのだろう、という予想はついた。
「なに、然程のことではない」
案の定、シモンの口ぶりには焦りがなかった。とはいえ、ここで仔細を語るつもりもないようだ。
グレースとしても藪をつつくつもりはなく、さらっと夫を送り出すことにした。
「それなら良かった。頑張ってね」
「ああ」
シモンはなるべく枝を揺らさないように注意して、グレースの許を離れた。
集落の中心に位置する『守りの大樹』に至る道中で、シモンは幾つかの広場を通り抜ける。
その内の一つで、シモンはまた旧知のエルフの一人を見掛ける。
そのエルフは飛行魔法の練習をしているようで、空中をふらふらと動き回っていた。
シモンはそれを見て驚いた。それは、その魔法がエルフの間で一般には伝わっていない珍しい魔法だったからだけではない。宙を踊るエルフが、その魔法の使い手としては最も意外な人物だったからだ。
シモンが彼の足元まで辿り着くと、そのエルフもシモンに気づいた。それによって集中を欠いたのか、彼はバランスを崩して地面に墜落してしまった。
「あたたたた……。なんじゃ、邪魔をしおって! ようやくコツを掴んできたところじゃったのに――と、誰かと思えばシモンではないか。儂に何か用か?」
その人物とは、ロドルフ=アンブローズだった。
「いえ。それより、今の魔法は――?」
シモンが訊ねかけると、ロドルフはばつの悪さを誤魔化すような、大きな咳払いを立てる。
「ゴホンッ! ……よく気づいたな。――そう。ノアが作った〈空歩〉とかいう魔法じゃよ」
ロドルフの言葉に、シモンは驚きを隠せなかった。
かつて、エルフの主な魔導師たちはノアの魔法を「異端」や「邪道」と見做し、その有用性を認めようとしなかった。その筆頭に立っていたのが、ロドルフだった。
それが一転して、他ならぬノアの魔法を会得しようとしている。その変化の理由に、二ヶ月前の出来事があるのは間違いないだろう。
シモンはその変化に気づき、自然と口元を綻ばせた。
それに気づいたのか、ロドルフはそっぽを向きながら言い訳めいた台詞を口にする。
「……フンッ! いつぞやの儂は狭量じゃった。ノアがいま里に戻って来るのであれば、歓迎するぞ」
その後、更にロドルフと幾許かの会話を交わした後、シモンはその場を後にした。
シモンがまた別の広場を通りかかった時のことだ。
そこでは一組のエルフの母娘が、楽しそうに駆け合いをしていた。悪戯でもしたらしい幼い娘のエルフが逃げる後を、母親が怒ったフリをしながら追い掛けていた。
ふと、そこに年嵩の女エルフが通りかかる。里中のエルフが顔を知る、有名な氏族のエルフだ。先だっての人間との戦争の折には、「首長」と呼ばれて皆に傅かれていた。
シモンは通りがかったその年嵩の女エルフに気づくと、足を緩めてその場の様子を観察することにした。
母エルフも彼女の登場に気づき、慌てて娘に注意をしようとしたが、間に合わなかった。小さな娘のエルフは、通りがかった彼女に衝突してしまった。
「ご、ごめんなさい!」
幼いエルフは慌てて謝ったが、母エルフの顔は青ざめていた。平民に厳しいと言われるこの方から、娘がひどい叱責を受けるのではないか。そう思ったのだ。
年嵩のエルフ――ヴィヴィアン=バラントンは、少女に優しい笑顔を見せた。
「気をつけなさい。――仲がいいのね」
軽く注意する声は穏やかなものだった。後半のセリフは、走って追いついてきた母エルフに向けられていた。
母エルフはぺこぺこと頭を下げた。
「この度は娘が失礼しました!」
「いいのよ。急に出てきた私も悪かったわ」
必死に謝る母エルフを前にして、ヴィヴィアンは苦笑せざるを得なかった。以前よりもずっと心安らかになったヴィヴィアンだったが、人の印象というものはそう簡単には変わらないらしい。
「……ヴィヴィアンさま、もう戦争はしないの?」
「お前! 余計なことを聞かないの!」
幼い娘エルフの無邪気に問い掛けに、母エルフは焦った。
ヴィヴィアンは、声を荒げる母エルフを片手で制して、少女と目線を合わせた。
「もうしないわ」
ヴィヴィアンがそう答えると、少女は満面の笑顔を見せた。
「よかったあ。それならもう、誰も死ななくて済むんだね」
「――ええ。そうね」
そんな少女とヴィヴィアンのやりとりを尻目に、シモンはその場を離れた。
集落の中心に聳える巨大樹――『守りの大樹』に辿り着いたシモンは、その幹を颯爽と駆け上がり、地上十間ほどの高さに位置する樹洞から内部に入り込む。
大樹の中の薄暗い道を進むこと暫し。シモンは目当ての部屋の前までやって来た。
「失礼します」
遮る物などない部屋の一歩手前で、シモンはひと言断りを入れて入室した。
小ぢんまりとした部屋の中では、エルフの老爺が二人、卓を挟んで腰を下ろしていた。
「シモンではないか。何かあったか?」
奥側にいた老爺が、手にしていた湯呑みを卓上に置いてから問い掛けた。
彼の名はセルジュ=アデラール。元は長老の一人だったが、二ヶ月前の戦争の後、里長に就任した。
シモンは一つ息を吸って、アデラールの問いに答える。
「西から『モリア山』のドワーフらが来ております。それも、族長自ら家族を連れて」
「なんと!」
アデラールはその急報に驚いた。
本日、集落の西側で森番の役目を果たしていたシモンは、前触れもなく現れたドワーフ達と対面した。用向きを聞いたシモンは、別の森番に彼らの応対を任せた上で、こうしてアデラールへ報告に来たというわけだ。
「取り急ぎ、『トレセソンの陣跡』で休んでもらっております」
「……なるほど」
古い戦場跡である『トレセソンの陣跡』には、多人数を収容できる建造物もあるため、当座の逗留地としては申し分なかった。
「用件は聞いておるのか?」
そう訊ねたのは、シモンから見て手前側の老エルフ――モルガン=サルトゥールだ。彼は、里長の座をアデラールに譲り、権限を持たない相談役という立場に就いていた。
「……支払いの請求のようです」
シモンの回答に、アデラールは「はて」と首を傾げる。
「支払いじゃと? 何のことじゃ?」
一方、わずかな間で沈思黙考したモルガンは、一つの手がかりに思い至る。
「もしや……」
「知っておるのか、モルガン?」
「先の戦で用立てた武器や防具……あれらのことを言っておるのではないか?」
二ヶ月前の『ザルツラント領』との戦争の際、エルフの兵士達に配られた装備の多くはドワーフ製のものだった。
「そのようです」
シモンは首肯してモルガンの推測を認めた。つまり、あのときの装備品類の提供主が、この度はるばる『サン・ルトゥールの里』までやって来た、というわけだ。
事態を理解したアデラールは頭を抱える。
「ああああああ! あやつら、まさか支払いを後回しにしておったのか!?」
ここでいう「あやつら」とは、当時ドワーフらと交渉を行ったヴィヴィアン一派の者たちのことだ。
代価を請求しに来ているということは、即ち、支払いが済んでいないということだ。
「大方、人間の町から略奪して支払いに充てるつもりだったのではないか?」
「あり得る話じゃな……」
モルガンの当て推量は、どこか真実味を帯びていた。
「ヴィヴィアンはどこじゃ! まずは、あやつに話を聞かねばならん」
勢い込んで立ち上がったアデラールに対し、シモンはつい先ほどヴィヴィアンを目撃した場所を思い出す。
「ヴィヴィアン様なら、三番広場に」
それを聞いたアデラールの決断は早かった。
「よし! では儂はヴィヴィアンを捕まえて、その足でドワーフの連中の処まで行こう」
その言葉を言い終えるよりも早く、アデラールはシモンの脇を通り抜けようとする。
「儂もついて行った方が良いか?」
丸椅子から腰を浮かせたモルガンに問われ、アデラールはぴたりと動きを止めた。
「ぬ? うーむ……まあ、なんとかなるじゃろ。お主はここでゆっくり待っとれ」
「では、その言葉に甘えさせてもらおう」
アデラールの言葉を受けて、モルガンは再び腰を下ろした。
新任の里長はひらひらと手を振って部屋から出て行った。
てっきりアデラールに随行するだろう、と思われたシモンだが、彼を見送った後もしばらく室内に留まっていた。
「……うん? まだ何か用でもあるのか?」
それを不審に思ったモルガンがシモンに問い掛けると、彼はモルガンの正面に向き直る。
「――レティシアの件、いかがお考えなのかと」
それを聞きたかったのか、とモルガンは理解した。
モルガンは湯呑みの茶を魔法で温め直しながら、シモンの問いにどう答えるか、考えをまとめた。
その返答は、迂遠な処から始まる。
「お主は知っとったかのう。儂の妻は元々この里の出身ではなかったんじゃ」
「はい」
シモンはモルガンの亡き妻と面識があり、彼女自身からその話を聞いたことがあった。
「エルネストが亡くなった後、儂は里に迷い込んだ妻と出逢った。儂が人間らへの憎しみを捨てることができたのは、妻のおかげじゃ」
「そうだったのですね」
モルガンは、どこか遠くを見つめるようにして、そう語った。
「――じゃから、レティシアが里を離れたこと自体を悪くは思うてはおらんよ」
「なるほど」
一連の話はシモンにとって納得が行くものだったが、モルガンは更に次の一言を付け加えた。
「……後はアレじゃな。なんとかに付ける薬はない、というやつじゃ」
「それは……そうなのかもしれませんね」
二人のエルフは顔を見合わせ、微苦笑を交わした。