第四七話 会談②
※タイトルの【旧題】部分をあらすじの方に移しました。
ヴィンフリートを筆頭とする人間側の列席者は、一斉に起立して頭を下げた。その様を目前にし、会談に臨んだエルフ達は大いに動揺した。
レティシアの隣に座っていた父親のイヴァンが、焦った様子で娘を小突く。
(お、おい! こんな時はどうすればいいんだ?)
(い、いや。私に訊かれても……)
頼りにならない息子と孫娘を横目に、一行の代表であるモルガンはなんとか次の言葉を絞り出す。
「……頭をお上げください」
しかし、それを聞いても人間たちはすぐに頭を上げようとはしなかった。
代わりに、ヴィンフリートが俯いたまま、言う。
「謝罪を受け入れていただけますか?」
問われたモルガンは目を丸くして、次に後方に立つロドルフとヴィヴィアンを顧みた。
二人にもヴィンフリートの声は届いていた。
モルガンはヴィンフリートと同じ問いを、二人に視線で訴える。
ヴィヴィアンの父親の命を奪った、忌まわしき三百年前の出来事。それについての謝罪だというのであれば、今この場でそれを受けられるのはモルガンを含むこの三名以外にいない。
モルガンの視線に対して、ロドルフは苦々しげな表情をしつつも頷いた。
その隣のヴィヴィアンは、どこか呆然とした面持ちで、コクリと首を縦に振った。まさか、今になってこんな形で謝罪を受けるとは思わなかったのだろう。
モルガンは二人の答えを得て正面に向き直る。
「謝罪を受け入れましょう。……頭を上げていただけますかな」
モルガンのその言葉を受けて、人間たちは一斉に頭を上げ、元通り着席した。レティシアは、彼らがどうやって息を合わせているのかと不思議に思った。
着席したヴィンフリートは、次のような提案を口にした。
「いかがでしょう? 私どもはこの度の騒動について、何らの補償も求めないつもりです。その代わりに、三百年前の祖先の過ちについても水に流していただく、というのは?」
モルガンを初め、エルフ達はこの提案にも驚いた。
ヴィヴィアンやロドルフの恨みはさておき、三百年前の事件と今回の騒動では到底問題の規模が釣り合わない――エルフ達の間でそういう共通認識があったからだ。それに、前者においては死者数の点ではむしろ人間側の方が勝っていた。
だから、ユーグがマルティンを拉致してしまったことも含め、何らかの償いが必要になるだろう。エルフ達の間ではそのように考えられていたのだ。
モルガンは熟慮の上で、次のように答えた。
「……それは願ってもないことです。しかし、本当にそれでよろしいのですかな?」
ヴィンフリートはモルガンの純朴な言葉に柔和な笑みを以って答える。
「ええ。――ただ、代わりというわけではございませんが、一つご提案がございます」
――そら来た。
そう思ったのは、レティシアだ。
人間と交渉事をするときは要注意だ。特に、旨い話が来たなと思ったときが一番危ない。そういうとき、彼らはいつもこちらを油断させるために笑顔を見せるのだ。
五年間、人間の世界で暮らしてきたレティシアは、それを自らの経験として嫌というほど学んでいた。
だから、そのような話を今回の会談に臨む面々にも語り聞かせていた。みな、人間とはそれほど恐ろしい生き物なのか、と戦々恐々として聞き入っていた。
その結果、ヴィンフリートの先のセリフの後、着席したエルフ一同の間に鋭い緊張が走った。
(……? 何やら、空気が変わりおったの……)
その緊張を敏感に察したヴィンフリートだったが、さすがにその原因までには思い至らなかった。
「提案、とは?」
モルガンが固い表情で訊ねると、ヴィンフリートは空気を和ませようと身振りを大きくして説明を始める。それは初めこそ逆効果だったが、彼の話が進むにつれ、次第にエルフの面々から緊張が取り除かれていった。
「せっかくの機会です。今後は是非我が『ザルツラント領』と『サン・ルトゥールの里』とで交流を持ちたい、と考えております。……と言っても、形式的なものではなく、お互いに利のある形が望ましいでしょう。具体的には、物の取引と人の交流を考えております」
初めこそ、どんな恐ろしい要求を出されるのかと身構えていたエルフ達だったが、ヴィンフリートの話を聞く内に、それは何ら含みのあるものではないという理解に達した。話の前提として、あくまで両者は対等な関係にあるのだと伝わった。
ヴィンフリートの話の要点は二つあった。
一つは交易。一方にとって手に入れやすく、他方にとってはそうでないものを持ち寄ることで、お互いにメリットのある取引をすることができる。
人間側の方が文化的には栄えているが、エルフ側も豊富な自然に恵まれた森で独自の文化を築いており、デュースウォームの蜜液といった特産品もある。
十分に実現可能性のある話だった。
そして、もう一つ。
それは提案でもあり、要請でもあった。
「ずばり、申し上げましょう。レティシア殿をしばらくお貸ししてはいただけませんかな?」
ヴィンフリートは、真っ直ぐにレティシアの顔を見てそう言った。
「私を……?」
レティシアは真剣な彼の顔を見つめ返しながら、当惑を露わにした。
「此度の戦で、改めてエルフの優れた魔法について知ることができました。我が領にも魔術師はおりますが、腕前は足元にも及びますまい。そこで、可能な限りご指導をいただければと考えております」
ヴィンフリートは語った。彼の話によれば、『ガスハイム』の町にレティシアほか数名のエルフが拠点として生活できるような大使館を建設し、賓客として手厚い待遇をするとのことだ。
それを手段の一つとして、人間とエルフの交流を進めるというのが、彼の二つ目の提案の趣旨だ。
「――なるほど」
話を聞いたレティシアは顎に手を添え、思案する。
(――……ザルツラント殿には悪いが、里として人間たちに償いなどの義務がないのであれば、私は――ノアの許に行きたい)
それは、レティシアがここへ来るまでに漠然と夢想していた願いだった。
もしも今回の騒動で、『サン・ルトゥールの里』として『ザルツラント領』側に何らかの補償が必要になったとしたら、レティシアは前里長の孫として力を尽くすつもりだった。
しかし、これまでの話で「お互いに過去の遺恨については水に流す」と決まったため、その義務はなくなった。
(――であれば、私も自由を得られるのではないか?)
レティシアの中で、そんな淡い期待が形になりつつあった。
――そのためには、このザルツラント殿の依頼は断るべきだ。もし引き受けた場合、何年拘束されるかわからない。そして、その間はまたノアに会えなくなってしまう。
レティシアは頭の中で、そういう結論に至った。
「……そう言った話であれば、私以外にも適任者はいるでしょうね。例えば、そこにいるマリー=アンブローズは、私より優れた魔導師の一人です」
「レティシア、私は無理よ」
ヴィンフリートの要請に対して、レティシアは右手でマリーを示しながら彼女の名を挙げた。しかし、その案を間髪入れずに否定したのは、他ならぬマリー本人だった。
「私はこれから、里でお祖父様に代わってアンブローズ家を取りまとめることになっているわ」
マリーの言葉は事実だった。
これまでアンブローズ家の当主だったロドルフは、今回の反乱の主犯の一人としての罪を負い、当主を引退することとなった。
それを失念していたレティシアの右手は、行方を失って宙を掻いた。
「そ、そうでした。それでは――」
「レティシア殿を指名したのは、何も魔法の腕前だけが理由ではございません」
別の候補者の名を挙げようとしたレティシアだったが、ヴィンフリートはそれを遮り、レティシアを指名したもう一つの理由を挙げる。
「もう一つ大きな理由として、ここ『ガスハイム』の騎士達が最も信頼するエルフとして、レティシア殿の名が挙がっているのですよ。寧ろ、こちらが最大の理由と言っても良いでしょう」
「そ、そうなのですね。いや、しかし……」
尚も反論しようとしたレティシアだが、ヴィンフリートが挙げた理由を覆すような材料がすぐに思いつかず、しどろもどろになる。彼女は左右に視線を走らせるが、ここでは助け舟を出してくれる者は現れなかった。
苦慮を募らせたレティシアだったが、不意に一つの閃きを得る。――これなら、文句は出ないのではないか。
「――そうだ、掟! 私達の里では、何人も森の外に出てはならないという掟があるのです。今回の件は例外でしたが、長期に渡って森を離れるというのはどうかと……」
レティシアは立ち上がって勢いよく話しだした。しかし、話している内に周囲の刺すような視線が自分に集中していることに気づき、その声は徐々に勢いを失った。レティシアは、そのまま尻すぼみに言葉を途切れさせて再び着席することになった。
「然様ですか」
それでもヴィンフリートは、レティシアの言葉を無下にはしなかった。
「サルトゥール殿、今のレティシア殿の話についてはいかがですかな」
ヴィンフリートに話を振られたモルガンは、首肯を以ってレティシアの主張を認める。
「ええ。そのようなしきたりが長く続いてきたことは事実です」
モルガンの言葉を聞いたレティシアは、ほっと安堵の溜め息を吐く。
しかし、その後の展開はレティシアの予想を裏切るものとなった。
「それでは――」
「しかし、儂としては此度の件を踏まえて、そのようなしきたりを見直しても良いのではないかと思っておったところです」
掟を盾に断りの返事をしようとしたレティシアだったが、続くモルガンの言葉に機会を奪われ、パクパクと口を動かすことしかできなかった。
「おぉ! それは素晴らしいですな」
ヴィンフリートの感心した声は、レティシアの耳に虚しく響いた。
レティシアは祖父の心変わりに直面して、開いた口が塞がらなかった。彼女は集落で暮らしていた間、外に出たがっていたノアのために、何度もモルガンに「掟を変えることはできないのか」と訊ねたことがあったからだ。
(あんなに頑なに掟を変えようとしなかったのに、なんで今更になって――)
陸に打ち上げられた魚のように両目と口を丸くした孫娘の方を向き、モルガンは更に追い打ちのような言葉を放つ。
「どうじゃ、レティシア。エルフと人間達の仲を取り持つ役、務めてくれんか? いずれお前が里長になる時が来たら、この経験は必ずや大きな糧となるじゃろう」
それはモルガンなりに孫の過去からの訴えを鑑みた、思慮と善意の込もった提案だった。――レティシアにとっては、皮肉な提案となったが。
着席したままのレティシアに再び会場中の視線が殺到し、彼女は選択を迫られる。
「わ、私は――――」
次話、エピローグ。