第四四話 宴
「皆の者、よく戦ってくれた! 無事に彼の魔獣を討伐することができたのは、種族の隔てに関わらず皆が一丸となって戦った結果である! この戦いは後世に渡って語り継がれよう! さあ、今こそ共に勝利の美酒を味わおうではないか!」
夜。
〝怪物のベラン〟が討伐され、『サン・ルトゥールの里』のエルフ軍と『ザルツラント領』の人間達の間で起こった戦争にも終止符が打たれた、その晩のことだ。
『ガスハイム』の町の西側の野外では、ヴィンフリートの口上によって、千名以上の騎士や兵士が集まる大宴会が始まった。
そして、その輪の中にいたのは『ザルツラント領』側の人間達だけではない。
「――なあ、ブリス」
「なんだ、カタン」
宴席に並べられた長椅子の一つには、それぞれ微温いエールが注がれたコップを手にした二人の若い男エルフ――カタンとブリスが座っていた。
「オラ達は昼間、人間たちと殺し合いの戦をしてたんだよなぁ?」
「ああ、そうだべ」
彼ら二人は、日中の戦争でレオンハルトなど『ザルツラント領』の騎士達と矛を交えたばかりだ。
「――それがなして、一緒になって酒盛りさしてんだべ?」
「……わがらん」
宴会場の席には、彼ら二人以外にも大勢のエルフ達がいた。彼彼女らはみな、今回の戦争に参加した者たちだ。
ただし、人間側が主催する宴会に参加することになったエルフ達のほとんどは、突然の展開に当惑していた。彼らは饗応された酒や料理を控えめに嗜みつつ、ほぼ仲間内のみで会話を済ませていた。
そんな折、互いに顔を見合わせて首を傾げるカタンとブリスの背後から近寄る影があった。
「――よお、お前ら! 飲んでるかぁ?」
そう言ってその大柄な人物は二人の間の席に割り込み、肩に勢いよく腕を回してきた。三つの酒杯の中でエールが踊り、ポタポタと地面に溢れる。
「うわっ!」
「げえ! 獅子野郎!」
ギョッとして身を引いたブリスがあからさまに顔を顰めるのを見て、その人間は悪どい笑みを浮かべる。
「獅子野郎とはずいぶんな言い草だなぁ。俺にはレオンハルトっていう名前があるんだぜ」
彼こそ当に、日中の戦でカタンやブリスと相対した騎士レオンハルトだった。
もちろん、レオンハルトはこの宴の場で獣化などしていないが、ブリスには半獣人としての彼の印象が強かったようだ。
「……なしてだ?」
「あン?」
ほろ酔い気分だったレオンハルトに対して、カタンは疑問を口に出さずにはいられなかった。
「オラ達はお前らに戦を仕掛けたんだぞ。なして、そのオラ達と酒を酌み交わせる?」
「……ああ、そんなことかよ」
レオンハルトはカタンの肩に回していた腕を外し、ポリポリと片手で頭を掻く。
「……まあ、蟠りがあるのはわかるぜ。っつうか、こっちも従士連中なんかは割とビビってるからな。『あの「サン・ルトゥール」のエルフが』なんて言ってな……」
レオンハルトは少し窮屈そうに両手を広げて、人間側の内情を開陳した。
それを聞いて、ブリスも先のカタンと同じ疑問を抱く。
「じゃあ、なんで――」
「どうでもいいのさ」
「なっ……」
そんな疑問を軽く一蹴するようなレオンハルトの一言に、二人のエルフは絶句した。
「宴ってのは、酒を飲んで馬鹿騒ぎをして楽しむもんだ。そんなつまらねぇ蟠りなんざ、持ち込む場所じゃねぇのよ」
「そりゃ……」
「…………」
そう言われて、ブリスは応じかけた言葉を飲み込み、カタンは黙り込んだ。
そんな二人を他所に、レオンハルトはゴクゴクと酒を喉に流し込む。
「……そいは、そだな」
ややあって、カタンは納得したようにそう言った。
それを聴き逃さなかったレオンハルトが片眉を上げる。
「おぉ、わかったんなら早く飲め。そんで騒げ」
ぞんざいなレオンハルトの言い草を受けて、カタンの心の中で何かのスイッチが入る。
「ハンッ! こんな不味い酒はこれっきりだべ! オラが本物の酒を飲ましてやる!」
そう言ってカタンは一気にエールを飲み干すと、コップを椅子に置いて立ち上がる。
その様子を見て、ブリスは悪い予感を覚えた。
「お、おい。カタン。お前、まさか……」
果たして、ブリスの予感は当たっていた。
「――ああ。ちいと向こうさ行って、余った蜂蜜酒取って来る。どうせ誰も飲んでねぇべ」
「おお! エルフの蜂蜜酒か! そいつは楽しみだ!」
カタンの宣言に盛り上がるレオンハルトに対し、ブリスは顔を青くする。
「あ、あれって確かバラントン様の……」
「負けたんだっけ、もう良えべ」
「……合ってる! 合ってるけんどもよう!」
二人のやりとりに対して、付近にいたエルフ達が一斉に信じられないような目でこちらを見ているのを感じながら、ブリスは頭を抱えた。
「なるべく早く頼むぜ!」
「合点承知!」
レオンハルトの声を背に、カタンはエルフ軍の物資置き場の方へ駆けて行く。
(……まあ、領主閣下としては、その蟠りを解消するって狙いもあるんだろうがな)
粗略な人間と思われがちなレオンハルトだが、それを口にしないだけの分別はあった。
*
「――やれやれ、ひどい目に遭うたわい」
野外陣地で開かれた大宴会。その会場からやや離れた陣地の一角で。
紫髪の魔女――キュルケはローブに包まれた肩をぐるりと回しながらそう言った。
ノアに協力し、『サン・ルトゥールの里』と『ザルツラント領』の間で起こった戦争に介入した彼女は、この戦いにおける最大の功労者だった。
そのため、軽い気持ちで宴会の席に顔を出したキュルケは、エルフ側・人間側を問わず、多くの戦士や魔法使い達から質問責めに遭うことになった。
――どこから来たのか、どんな魔法を使えるのか、あのドラゴンは何だったのか、などなど……。
初めこそ笑顔で応対していたキュルケだったが、次から次へと話しかけられ、その笑顔は徐々に引き攣っていった。
最終的に、キュルケは酔っ払った兵士達にもみくちゃにされかかり、威力を弱めた攻撃魔法で彼らをまとめて撃退して、ようやく抜け出すことができたのだった。
「――仕方あるまい。キュルケは目立っていたからな。……色々な意味で」
「……そうだな。里での結界の解除に始まり、ドラゴンを操って仲間を輸送、それからエルフの魔導師連中を一網打尽にして、極めつけはあの〝ベラン〟の無力化か」
「むむぅ」
レティシアとノアが彼女の受難の理由を続けて述べると、キュルケは唸った。特に、ノアに主だった己の所業を列挙され、全く返す言葉がなかった。
三人はそのようなやりとりをしながら、宴会場から遠ざかる方向へ歩を進める。
宴席から抜け出して合流した三人は、落ち着いて会話ができる場所を探していた。
話し合った上で行き着いた場所は、『ザルツラント領』の騎士団が築いたこの陣地の周縁部だった。
「この辺りで良いかの?」
「ああ。問題ないだろう」
「では……それっ」
レティシアの了承を経て、キュルケが杖を一振りする。すると、次の瞬間には、その場に上品な装いの天幕が出現していた。それはレティシアにとっては、彼女との旅の道中で見たことのある天幕だ。
「さ、入るがよい」
キュルケに促され、レティシアとノアが天幕の中に入ると、内部は既に魔法の明かりで照らされていた。
キュルケは二人を見送った後、天幕にある魔法を施す。
「……認識阻害と遮音の作用を持つ結界を張っておいた。これで外の様子を気にせずに話せるじゃろう」
二人に続いて天幕内に入ったキュルケは、入口を閉じつつ、そのように説明した。
三者は、ちょうど天幕の中心地点を囲むように向き合う。
その中で真っ先に口火を切るのはレティシアだ。
「改めて礼を言わせてくれ。ノア、キュルケ、私達を助けてくれて本当にありがとう。二人が来てくれなかったら、どうなっていたことか……」
日中の戦いで、ヴィヴィアンの魔法によってあわや絶体絶命の危機に陥ったレティシアは、二人に礼を述べながら深く頭を下げた。
対する二人は、軽くその礼を受け流す。
「気にしなくていいさ。間に合って良かったよ」
「うむ。面を上げるがよいぞ」
そう言われて顔を上げたレティシアは、次にキュルケを真正面から見つめる。
「キュルケ……」
「な、なんじゃっ」
レティシアはキュルケの名を呼びながら、彼女に向かって体ごと顔を近づけた。
思わぬ急接近に驚いたキュルケは、あたふたと後退りして距離を取った。ノアもすわ何事かと目を丸くしていた。
「――やはり、ヴィンデの気配を感じる。……何があったんだ?」
レティシアのその言葉を聞いて、ノアとキュルケは驚いて顔を見合わせ、続けて深々と溜め息を吐いた。
「……大した感知力じゃな。――ノア、良いか?」
「ああ。元々、そのつもりだったしね」
そんな二人のやりとりについていけないレティシアは眉を顰めた。
「……どういうことか、説明してもらえるんだな?」
そう問われたキュルケは、レティシアを牽制するように左の掌を前に押し出す。
「まあ、待て。いま代わる」
「何……?」
キュルケの言葉の意味がわからず、レティシアは困惑した。
――その次の瞬間、キュルケの身に纏う雰囲気が一変する。
見た目こそ寸分の違いもないが、表情がやや柔らかくなった他、立つ姿勢や杖の持ち方などの違いから、とても同じ人間とは感じられなかった。
その意味するところを察して、レティシアは驚きに目を見開く。
「な……! まさか……」
「――しばらくぶりですね、レティシアさん」
その声はキュルケのものでありながら、そのトーンや抑揚はレティシアにある人物を想起させた。
「……ヴィンデ、なのか……?」
キュルケの姿を借りたその人物は、そう問われて朗らかに微笑む。
「はい」
その人物とは、ほんの数日前まで不治の病に侵されていたノアの妻、ヴィンデだった。