第三二話 開戦の前触れ
女エルフのレティシアを加えたトビアス達『ザルツラント領』の騎士ら一行は、森の中で落ち着いて話ができる場所を求め、少々開けた場所へ移動した。
背負っていた椅子を下ろし、身軽になったレティシアがおずおずと訊ねる。
「……どうだ?」
椅子に腰掛けたままの人間の顔をしげしげと見つめた後、トビアスは大きく頷く。
「ああ、間違いない。この方が我々が探していたマルティン様だよ」
「それはよかった」
確信を帯びたトビアスの言葉を聞き、レティシアはほっと胸を撫で下ろした。
そのマルティンは未だに蒼白な顔色で意識を失っており、魘されているようでもあった。周囲の従士達がそのマルティンを見て青い顔でヒソヒソと何事かを話し合っていたが、レティシアや二名の騎士がそれを気にかけることはなかった。
その時、二人の遣り取りを見守っていたもう一人の騎士レオンハルトが、天に向かって両腕を突き上げ、快哉を叫んだ。
「やったぜ‼ これで、やっとこのめんどくせえ任務とおさらばできるぜ!」
「そ、そうか」
唐突なレオンハルトの挙動にレティシアはたじろいだ。
レオンハルトとしては、地味で退屈な森の探索行に辟易していたところだったのだ。
そんなレオンハルトの態度を他所に、トビアスは続いてレティシアに質問する。
「それで、どうしてマルティン様が囚われていたんだ? 『行き違いがあった』とのことだが」
「うん。実は、私はつい三日ほど前に五年振りに里帰りをしたところだったのだがな。――」
レティシアは主に三日前にシモンが語った内容に基づいて、マルティンが拉致された経緯を包み隠さず話した。
レティシア自身がこの五年間の内に里で半ば失踪扱いになっていたこと、ユーグという幼馴染がいること、「マルティンがレティシアの所在を知っている」と勘違いしたユーグが彼を攫った、という一連の流れを偽りなく語った。
トビアスともう一人の騎士レオンハルトは、ときどき相槌を挟みながら、レティシアから一通りの話を聞き出した。
「……なるほど。話としてはわかった」
腕を組んで頷いたトビアスに対し、レティシアは姿勢を正して頭を下げる。
「申し訳なかった。追って、集落から使者を出して謝罪をしたいと考えている。ただ、……」
「――ただ?」
頭を上げ、再び話しだしたレティシアだが、そこで言い淀むように言葉を切った。
トビアスに続きを促された彼女は、一つ大きく息を吸い込んでからまた口を開く。
「実は今、里の上層部はユーグを含む派閥に乗っ取られてしまっているんだ。しかも、その一派は集落の大部分のエルフを引き連れて、人間達に戦争を仕掛けるためにこちらに向かって来ている」
「馬鹿なっ!?」
「マジかよっ!?」
レティシアが明かした衝撃の事実に対し、トビアスとレオンハルトは揃って驚愕の声を上げた。
「そのエルフ達とは、どの程度の人数規模なんだ?」
トビアスの問いに、レティシアは少し考えてから答える。
「この目で確かめたわけではないが、千人ほどと聞いている。里にいたエルフの内、老人や子供以外の動ける者はほぼ全員が参加している形だ」
「うひょおっ、そいつはすげえっ!」
「エルフが千人だと!?」
レティシアの答えにレオンハルトは興奮し、トビアスは戦慄した。
「『ガスハイム』の守備隊や騎士達だけでは太刀打ちできんぞ……」
「……確かにやべえな」
トビアスが眉根を寄せながら呟くと、レオンハルトも同意を示した。
「ここまでの道中で抜かして来たのだが……明日にはこの辺りまで来ていてもおかしくない」
「それはまずい!」
レティシアのその言葉に、トビアスは血相を変えた。
「急ぎ、『ガスハイム』に戻って伝えなければ! レティシア、君も来てくれるか?」
トビアスが問うと、レティシアは表情を曇らせる。
「……私は、同胞たちと人間の争いを見たくはない」
「どうする気だ?」
彼女の神妙な気配を察してか、レオンハルトが問い掛けた。
レティシアはすっと顔を上げる。
「私は里のエルフ達を止めるために、首魁であるバラントン殿を討つ」
その覚悟を秘めた宣言を聞いて、トビアスとレオンハルトは目を見開いた。
**
『ザルツラント領』の領都『シュターツェル』は、『ガスハイム』の町から早馬で数刻ほどの距離にある。
領都を象徴する『シュターツェル城』の最奥に位置する城主の居室にて、領主であるヴィンフリート=ザルツラントは広い壁面を見上げていた。
既に夜も遅い時分ではあるが、ヴィンフリートはまんじりともせずに直立していた。嵐の前の夜のような、これから何か大きなことが起こりそうな胸騒ぎを感じ、寝つけずにいた。
ヴィンフリートが見上げる先には、大きな肖像画が掛けられている。
ここ『ザルツラント領』を興した初代領主バルタザール=ザルツラントの肖像だ。
「エルフ、か……」
ヴィンフリートはポツリと呟いた。
『ガスハイム』の町で彼の三番めの息子マルティンが失踪した件には、エルフの関与が強く疑われている。――その関与については、既にレティシアの口から騎士に向けて明かされた後だが、まだヴィンフリートはそのことを知らない。
『大森林のエルフと争うことを禁ずる』
『特に、「サン・ルトゥールの里」のエルフに干渉してはならない』
ヴィンフリートが領主になるとき、先代の領主だった父親に最初に言われた内容がそれだった。
『ザルツラント領』におけるこの代々の領主による口伝は、いつの間にか若干の尾鰭をつけて、領民の間にも噂として流布していた。だが、代々の領主は「むしろ好都合」と、それを広めこそすれ、噂を取り締まるようなことはしなかった。
その言い伝えは、ヴィンフリートの目の前に描かれた初代領主バルタザールに端を発していた。
ヴィンフリートは父から聞いた伝承に思いを馳せる。領民の誰も知ることがない、醜く忌まわしい三百年前の事件の真相に。
「頃合いなのかもしれんな……」
ヴィンフリートにとって、マルティンが攫われた理由はまだ不明だ。
――しかし、三百年前の事件がその発端だとしたら、過去の遺恨を精算する良い機会にもなり得るのではないか。
ヴィンフリートの脳裏で、そんな淡い期待が頭をもたげていた。
然るに、ヴィンフリートは三男マルティンの人となりを思い起こし、眉を顰める。
「彼奴にはちと、荷が勝ち過ぎるか……」
この時のヴィンフリートの胸中では、寧ろマルティンの余計な言動によって火に油を注ぐことにならないか、という懸念の方が大きくなってきた。
――コン、コン
ふと扉の方から控えめなノックの音が響き、ヴィンフリートは思考を中断した。
「何用か」
扉から顔を見せたのは、ヴィンフリートの長男のリヒャルトだ。リヒャルトは、戦での功績によって自らも子爵位を勝ち取った武官でもある。
「緊急の報告です。大森林のエルフが軍を組織して『ガスハイム』に攻め入ろうとしています」
「何だと‼」
ヴィンフリートは、リヒャルトが驚き竦むほどの大声で反応した。
――恐れていた中で、最悪の事態が起こった。
そんな思いだった。
(それでは、マルティンはもう――)
ヴィンフリートは心の中で息子との別離を覚悟しつつ、リヒャルトに事の詳細を確認する。
「『サン・ルトゥール』のエルフだな?」
「然り」
「エルフの軍はどこまで来ておる?」
「明後日には『ガスハイム』に到達しましょう」
ヴィンフリートはそこで息を吐いた。
――急過ぎる事態の展開だが、これが攻め込まれた後の報告でなかったことを喜ぶべきか――。
「軍を集めますか?」
「そうじゃな……。しかし、間に合わぬ。まずは騎士団を動かす。――指揮は儂が務める」
「なっ……! 閣下自らですか?」
思わぬヴィンフリートの宣言に、自らが軍を率いて『ガスハイム』へ向かうつもりだったリヒャルトは驚きの声を上げた。
ヴィンフリートははっきりと頷く。リヒャルトは父親の表情から頑とした意志を感じ取った。
「お前は触れを出して後詰めの兵を集めよ。厳しい戦いになるぞ」
「……ハッ」
リヒャルトは内心の燻りを抑え、引き下がった。
ヴィンフリートは早急に騎士団を動かすべく、リヒャルトを押し退けるようにして部屋を出ようとするが、リヒャルトがその前に声を上げる。
「閣下、もう一つ報告が」
「……なんだ?」
出鼻を挫かれたヴィンフリートは少々不機嫌そうな声で応じた。
「――マルティンが無事に発見されました。今頃は『ガスハイム』で休んでおりましょう」
「……なぬ?」
それを聞いたヴィンフリートが、先程までと打って変わって間の抜けた顔を見せたので、リヒャルトは危うく噴き出すところだった。
**
それから二晩が明けた後、ヴィヴィアン=バラントン率いるエルフの軍は『ブロセリアンド大森林』を抜け、『ガスハイム』の町を目指して進軍していた。
馬を持たない彼らの殆どが徒歩だが、隊長格以上の一部の者はめいめいの騎獣に乗っている。
総大将であるヴィヴィアンは、トライコーンと呼ばれる三つ角の馬に似た獣に騎乗していた。
彼女の傍らを歩く、『サン・ルトゥール』エルフ軍最強の魔導師ロドルフ=アンブローズが声を掛ける。
「そろそろ、人間の町が見えてくる頃だ」
「…………」
「どうした?」
無言のヴィヴィアンに対し、ロドルフはその反応の乏しさを訝しんだ。
問われたヴィヴィアンは、一つ息を吐いて内心を吐露する。
「いえ、ね。ここに来るまでの五日間、特に何の邪魔だてもなかったものだから、肩透かしを食らったみたいでね」
その言葉に対し、ロドルフは鼻を鳴らして応える。
「フン。そうなるべく行動してきた故の結果だろう」
「……ま、そうなんだけどね」
ヴィヴィアンはロドルフの言葉に一応の納得を見せた。
「開戦の手筈はどうする? 人間の流儀に則るのか?」
「ハンッ」
続くロドルフの問いに、ヴィヴィアンは鼻で笑った。
「あいつらに礼儀を尽くす必要なんかない――と言いたいところだけど……」
この地域の国同士の習わしに則るならば、戦争を仕掛けるに際して何の予告もなしに奇襲を以って開始するようなことはあり得ない。
それは不当な侵略行為であると宣言するような行為であり、一時の勝利を得ようとも、後には周辺国家からの孤立を免れない。
「……だけど、それこそあり得ないわね」
ロドルフもヴィヴィアンも、そういった国家間の慣習については理解していた。
一瞬、内心の激情を仄めかせたヴィヴィアンだったが、一連のセリフの途中からは一転して冷静さを取り戻したようだった。
ロドルフは表情こそ変えなかったが、胸中ではそれに安堵していた。
ヴィヴィアンの本心としては、奇襲で以って人間の町を焼け野原にしてしまいたい気持ちも強くあった。しかし、この戦いの後でエルフの国家を樹立するためには、それを行ってはならないということもわかっていた。
加えて、
(……それをしたら、あいつらと同じになってしまう)
そんな思いもあった。
「――では、使者を?」
ロドルフの問いにヴィヴィアンは頷きを返す。
「ええ、そうね。――……いえ、でもその必要はないかしら」
「何?」
ヴィヴィアンの突然の変心に、ロドルフは疑問を呈した。
トライコーンに跨ったまま、ヴィヴィアンはすっと片手を伸ばし、前方を示した。
その手指が示す先では、隊列を組んだエルフ達の進路の遥か先から、白旗を上げた二騎の騎馬が平原を駆けてこちらに向かって来ていた。
二騎の騎馬は明らかに、『ガスハイム』の町の方から駆けて来ていた。
「……なるほど。向こうから使者を寄越してきたか」
魔法で少し宙に浮いたロドルフも騎馬の姿を認めた。
その使者らしき騎馬を出迎える段取りについて思いを巡らしていたヴィヴィアンだったが、騎馬が近づき、乗り手の姿がはっきり目に映るようになると、ギリッと奥歯を噛み締める。
空中のロドルフも彼女と同様に、一方の騎手の姿に驚く。
二騎の騎馬の内、一騎に跨るのは人間だ。しかし、もう一騎は――
「エルフだと……!」
ヴィヴィアンはそのエルフが誰なのかを判別すると、もう怒気を隠しておくことができなかった。
「レティシア……!」
金髪の女エルフが、人間と伴に騎馬に乗って、エルフ軍を目がけて駆けて来ていた。