挿話 回想:キュルケ③
妾が敬愛してやまなかったお婆――メデイヤが黄泉路へと旅立ってから、三年ほど経ったある日のことじゃ。
妾は齢にして十四に達しておった。
その日、妾は唐突に『コルキセア』の国王たる父上――ソティリス王の執務室に呼び出された。
「おぉ、キュルケ。呼び出してしまってすまんな」
妾が執務室に入ると、奥の机で政務に励んでいた父上はそれを中断し、腰を上げた。
妾と父上は、室内に設えられた来客用の卓を挟んで、向かい合わせに座った。
「父上、どうかなされましたか?」
妾が訊ねると、父上は一つ頷いてから答えた。
「……うむ。余人には聞かせられぬ話なのだがな。わしは寿命を延ばしたいと考えておる」
「――……なんと!」
妾は思わず目を見開いた。父上がそのような発言をするとは、意外じゃった。
「……それでは、まさか〝不死の秘術〟を……?」
妾が恐る恐る訊ねると、父上は苦笑して手を軽く振った。
「――待て待て。話が早すぎるわい。……そのような術があるということは聞いておるが、まずは順を追って説明させよ」
「し、失礼しました!」
どうやら、妾は先走り過ぎておったらしい。
父上が言うには、国を治める上で国王自ら取り組まねばならぬことが多く、王太子――アリュバスという名の妾の兄じゃ――に安心して玉座を譲れるようになるまで寿命を延ばしたいとのことじゃった。
そこで、妾はふと疑問に思った。
「……父上は、まだお若いのでは?」
正確な齢までは憶えとらんが、この頃の父上はせいぜい四十かそこらじゃったはずじゃ。
髪色も濃く、妾には意気軒昂に見えた。
それに対し、父上は深く椅子に背を預け、息を吐いた。
「……その通り。わしはまだ若い。しかし、何事にも万一はある。備えあれば憂いなし、というやつだな」
「なるほど」
父上のその言葉にどことなく歯切れの悪さを感じながらも、妾は深く考えることをやめた。
なぜなら、妾こそが〝不死の秘術〟を求めておったからじゃ。
――〝不死の秘術〟を身に着ければ、父上も兄上もエデュアも、もう誰も死ぬことなく、ずっと幸せに暮らしてゆけるはず。
そんな絵空事を夢見ておったのじゃ。
「父上、わかりました。それでは、妾が『チャンドラ国』まで赴き、〝不死の秘術〟を身に着けて参りましょう」
妾がそう申し出ると、父上は満面に喜色を浮かべた。
「おぉ、行ってくれるか!」
「ハッ。〝不死の秘術〟は、妾にとっても悲願でございましたゆえ」
「そうか。では、任せたぞ。こちらのことは心配要らんから、しっかり秘術を身に着けて来るがよい」
「ハッ! 必ずや秘術を会得して戻って参ります!」
こうして妾は『コルキセア国』から遥か東方の『チャンドラ国』まで旅立つことになった。
――妾は、どうしていつもこうなんじゃろうなぁ。
大事な事は毎回、後になってから気づくんじゃ。
そして、そのときになって慌てて手を伸ばしても、もう二度と掴むことはできんのじゃ……。
*
キュルケが『チャンドラ国』へと旅立ってから十日後。
この日、『コルキセア』の王ソティリスの執務室を国の宰相が訪れていた。
「――して、どうであった?」
宰相は王の問いに対し、沈痛な顔つきで首を横に振った。
「取り付く島もございませんでした。属国になれとの一点張りで……」
ソティリスはそれを聞いて溜め息を吐いた。
「属国か……。その先に待っておるのは、長く続く搾取と、体のよい使い走りの役だな」
宰相は、頷きながら顔を俯かせた。
「はっ。彼の国と同じ末路を辿ることになるかと……」
ソティリスは椅子から立ち上がり、黙考しながら室内を歩いた。
そして、意思を固めた。
「――やはり、一矢報いねばならん」
宰相は王の決意を知り、息を飲んだ。
「では、戦を……?」
宰相の問いかけに対し、ソティリスは僅かに眉尻を下げた。
「……戦と呼べるものになるか、怪しいものだがな。それでも意地を見せねば、この地の民の誇りを守ることはできん」
「せめて、筆頭魔術師殿がいらっしゃれば、まだ戦としての体を成したでしょうが……」
宰相の苦言のような言葉に、ソティリスの表情が固まった。
しばらく間を置いて、ソティリスは一言だけ返した。
「……許せ」
「……いえ、詮無きことを申しました。血筋を残すこともまた肝要かと存じます」
改めて頭を下げる宰相に対し、ソティリスはある重要な指示を出した。
「――エデュアを呼べ。あの娘にやってもらわねばならんことがある」
「御意に」
宰相は恭しく礼をして執務室から退出した。
静まり返った執務室の中で、ソティリスはふと天井を見上げて、こう漏らした。
「カシア……。不甲斐ないわしを許してくれ」
*
『コルキセア国』から旅立った妾が、いかにして『チャンドラ国』へ到り、〝不死の秘術〟を手に入れたか。
その詳細については、此度の話では割愛させてもらおう。
――何? そこが気になる、じゃと?
……その内また話してやるから、此度は我慢せい。
ともあれ、『チャンドラ国』の南にある『スミ山』で首尾よく〝不死の秘術〟を修得した妾は、下山するとすぐに帰国の途についた。
妾が『コルキセア国』の王宮を出発してから、半年余りが経っておった。
そしていざ生まれ育った国に帰らんとして……――帰る国を失くしたことを知ったのじゃ。
事態に気づくきっかけを得たのは、『コルキセア国』の東側に版図を広げておった『アカメネシア』という大国のある町の宿屋の中じゃ。
その宿屋の一階の食堂で、妾は従者と共に食事をしておった。
このとき、妾たちは従者の一人の勧めで身分を隠すために全身に灰色のローブを羽織り、巡礼者の振りをしておった。
妾たちの目と鼻の先で『アカメネシア国』の兵士らが数名、テーブルを囲んで会話をしておった。
「……首都を落とすまでに十ヶ月もかかったのか。――意外としぶとかったなぁ、『コルキセア』は」
一人の兵の口から『コルキセア』の名を聴いて、妾は耳をそばだてた。
(……首都が落ちた、じゃと?)
そのときの妾は、まだ自分の耳の方を疑っておった。
すると、別の兵士が話を接いだ。
「弱小国だからって主力を出さなかったからだろ。ダークエルフの魔導師隊が一働きしたら壊滅したって話だ」
妾は目を見開き、食事の手を止めた。
(なんじゃ……? 何が起こっておるんじゃ?)
妾はわけもなく息苦しさを感じ、片手で胸を押さえた。
心の臓が早鐘を打ち、座りながら立ちくらみを起こしたかのようじゃった。
そのとき、妾の様子の変化に気づいてか、従者が妾の袖を引いた。
「……クレア様、お気を確かに」
クレアというのはそのときの妾の偽名じゃ。
兵士らの会話はまだ続いておった。
「――ああ。大したことなかったらしいな。あの噂の『コルキセア』の第一王女」
「『コルキセアの至宝』だっけ? 名前負けもいいとこだろ。いるよなー。ああいう噂ばっかりすごくて、実際は大したことないってやつ」
ガタッ!
たまらず、妾は椅子を押し出して立ち上がっておった。
思いのほか勢いがつき、周囲の視線を集めてしまったが、それどころではなかった。
それ以上話を聴いていたら、自分がどうなってしまうのかわからなかったのじゃ。
妾は従者を引き連れ、そそくさと宿屋の部屋に戻った。
もう一人の従者も呼び、先ほど聴いた話について協議しようとしたのじゃ。
そこで初めて、妾は隠されておった事実を知った。
「お主ら、妾を謀っておったのか……」
妾は愕然となった。
従者ら二名は妾の足元で平伏しておった。
「……申し訳ございません。陛下直々のご下命でしたので……」
パウロという年嵩の男の方の従者がそう弁解した。
妾は荒ぶる感情の波をなんとか抑えながら、二人からできるだけの話を引き出すことにした。
「……もうよい。他に隠していることがあれば、全て申せ」
「ハッ」
パウロとピア――もう一人の若い娘の従者――の話によれば、妾が『チャンドラ国』へ旅立つ直前、『コルキセア国』の隣の大国『アカメネシア』が『コルキセア』に攻め入ろうとしている兆候があったそうじゃ。
戦が避けられぬと見た『コルキセア』の国王ソティリスは、〝不死の秘術〟にかこつけて、娘である妾を『コルキセア』から遠ざけたのじゃ。
パウロとピアの二人は、家族の身の安全と引き換えに、王の企ての実行役を務めることになった。
「……じゃから巡礼者の振りをして、名まで偽ることにしたのか」
妾が思わず呟くと、二名の従者は頷いた。
用心が過ぎるような気がしておったが、事情を知れば当然の措置と思えた。敵国の王女が町中に現れたと発覚したならば、大騒ぎになってもおかしくなかった。
「――今夜にでもお話しするつもりでした。今、『コルキセア』に戻ることはお薦めできません」
ピアの方がそう言ったが、妾には到底承服しかねた。
父上や兄上、エデュアらの安否が気がかりで仕方なかった。
「いや、妾は王都に戻るぞ。それも、一刻も早くじゃ」
妾がそう主張すると、パウロが渋面を作って見せた。
「殿下、それはまずいですよ。それに、どうせ今から戻ったって……」
「パウロさん!」
「あ……すまねぇ」
不用意な言動をピアに窘められ、パウロはばつが悪い顔をした。
その後、ピアは改めて妾の前に跪いた。
「お戻りになるのであれば、せめてお供をさせてください!」
そんなピアの申し出を聞いて、パウロは狼狽した。
「おい、ピア!」
「パウロさんは来なくてもいいですよ。私は、家族さえ無事ならいいですから」
妾は初め、一人きりで王都に戻るつもりじゃったが、結局はそのまま二人を引き連れて王都へ向かうことになった。
「――はぁ、仕方ねぇ……。殿下、俺も行かせてもらいますよ」
「……別に妾は独りでも構わぬのじゃが」
二人は魔法こそ使えぬが、近接戦闘には秀でておったから、足手纏いにはならぬはずじゃった。
それに、妾は魔法以外はからきしじゃったからな。二人が来てくれて助かったのは確かじゃ。
――じゃが、結果を考えれば、妾はやはり一人で行くべきじゃった。
*
『アカメネシア国』内部から『コルキセア国』だった土地へ至る道、そして、更に『コルキセア国』の旧王都へと向かう道の要所々々には『アカメネシア』の兵が配置され、警戒網を敷いておった。
妾たち三名は、ときにそれらの兵たちを魔法で騙し、ときには口を封じつつ、旧王都へと向かった。
そして、旧『コルキセア国』へ入ってから三日ほどで、妾が生まれ育った街へと帰ってきた。
妾がこの街から旅立ってから、もう間もなく一年というところじゃった。
その街並みは、妾が最後に目にしたものと同じ街とは思えぬほど、すっかり様変わりしておった。
白く美しかった街並みは見る影もなく、ボロボロと崩れ落ちそうな、煤けた廃墟のような家々が軒を連ねておった。隅々まで整備されておった道は荒れ果て、そこかしこに腐れかかった死体が転がっては異臭を放っておった。
台車を引く『アカメネシア国』の兵士が、そうした死体を無造作に拾い上げては台車に載せ、また次の死体へと台車を転がしておった。
どこかで死体を集めて焼いておったようじゃ。人の肉が焼けるいやな臭いが立ち込め、鼻をツンと刺激した。
妾は足を止め、呆然と立ち尽くしてしまった。
そんな地獄のような光景を見ることになるとは、覚悟ができとらんかったのじゃ。
「……クレア様、ここは目立ちます」
ピアに手を引かれるまま、妾は物陰へと足を進めた。
妾たちはひとまず、一軒の朽ちかけた空き家の中で腰を落ち着けた。
じゃが、妾は直前に見た惨状による衝撃があまりに大きく、正気を失っておった。
「チッ……だから言ったんだよ……」
パウロが舌打ち混じりに何事か言っておったが、その言葉は妾の耳をすり抜けておった。
「宮殿は……宮殿はどうなったんじゃ……? 父上は……兄上、エデュアは……?」
妾は譫言のように思いついた疑問を口に出しておった。
目の前のことが現実かも定かではなく、まるで酷い悪夢の中におるかのようじゃった。
妾の言葉を受けて、休んでおったピアが腰を上げた。
「――私が様子を見て参りましょう。パウロさん、殿下を」
「……あぁ。任せてくれ」
ピアが戻るまでどれほどの時が経ったのかは覚えておらん。
妾はパウロと何を話すでもなく、終始呆然としておった。
戻ってきたピアは冷たい雨にでも打たれたような顔をしておった。
良い知らせが無いのは明白じゃった。しかし、そのときの妾にはその程度の判断さえできなんだ。
「――宮殿は、見る影もございません……。陛下らも、とても殿下にお見せできる状態では……」
「生きておるのか、父上たちは!」
妾はピアの言葉尻を曲解し、無理矢理に一縷の希望を見出そうとしておった。
ピアは大慌てで首を振った。
「い、いいえ! 殿下、どうか落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか! どこじゃ! 父上たちはどこにおるんじゃ!」
妾は息を荒げてピアに詰め寄った。
もしもこのとき、妾がもう少し冷静じゃったら、この後の結果も少しは違っておったかもしれん……。
悔やんでも、悔やみきれぬことじゃ。
ピアはそんな状態の妾に、安易に父上たちの居場所を教えるようなことはしなかった。
「殿下が落ち着くまで、お話しするわけには参りません」
それに対し、妾は更なる暴挙に出たのじゃ。
「うぬ……言わぬと申すか。――ならば、こうじゃ!」
「殿下? ――いったい、何を……」
妾は普段は決して人に使わぬと決めておった、おぞましい魔法を使った。
それは人に強制的に真実を吐かせるという、尋問のための魔法じゃ。
「……陛下たちは、中央広場に……」
妾にその魔法を掛けられたピアは、蒼白な顔で震えながら、妾の求める答えを告げた。
それを聞くや否や、妾はあばら家から外へと飛び出した。
「――殿下‼」
「――お待ちください‼」
背後からパウロやピアの叫ぶ声が聴こえたが、妾はそれらを無視してひた走った。
魔法まで使って、彼らが追いつけぬほどの速度を出して。
キュルケが〝不死の秘術〟を会得するまでの下りも書きかけていたのですが、あまりに間章が長くなってしまうので、断腸の思いで割愛することにしました。
今のところ、本編完結後に外伝か断章といった形で追加投稿することを考えています。
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// 【改稿履歴】
(2023年12月24日)キュルケが旧王都に戻ったところで時系列情報を追加:「妾がこの街から旅立ってから、もう間もなく一年というところじゃった。」直後の一文を書き換え。