6話 ~謝罪~
父親代わりの男は幼いユウキに言った。謝る時は只真っ直ぐに頭を下げて謝罪の言葉だけを言え。
言い訳、理由、自分の気持ち、傷つけられた相手が求めているのはそんな言葉じゃない。ただ謝罪の言葉を欲しているところにほかの言葉を差し込んでも何の役にも立たないどころか、かえって相手を苛つかせることになる。だから謝るときは謝るだけをするんだ。
すぐ傍に恐ろしい怪物がいるという恐怖に耐えながら姿勢を正し深々と頭を下げた。
「そんなに深々と頭を下げて」
呆れたような、馬鹿にしたような、試すような口調。倫理の言葉にある冷たさ。頭を上げて周りを見たい、いま何が起きているのか知りたい、食人アフライはいまどこに?鳴守 倫理はどんな顔をしている?知りたい、見たい。けれど今それをしてはいけない。
「俺が何に対して怒っているのか、お前はちゃんと分かった上で謝っているのか?分かっているのなら聞いてやるから言ってみろ、分からないのなら不愉快だから黙っていろ」
明らかな怒り。その膨れ上がった体から発せられるその声は打楽器のように強く響く。けれどもユウキは謝罪の姿勢を崩すことなく正面から受け止める。
「倫理さんに対して食人アフライには勝てないから逃げろ、そう言っているように聞こえたんだと思います。叱られてから考えて、ようやく自分の何が悪かったのかが分かりました」
言い訳、理由、自分の気持ち。それは相手側が求めた場合にのみ話す、それが正しい謝罪だ。真っ直ぐ相手だけに意識のすべて注ぐ。ほかに気を逸らすなどあってはいけないことだ、たとえ何があってもだ。
教えを守りしっかりと倫理だけに意識を注ぐ。
「それじゃああの時点で俺を侮っていたことは確かなわけだ。お前は俺があの化物にかなうわけは無いと決めつけた。そうだな?」
恐ろしいほどの圧力。
「はい」
正直に答える。許してもらおうとして嘘をつくなんてことをしてはいけない。正直に、ただ真っ直ぐに相手と向き合わなければいけない。それが謝罪をすると言うことだ。
「そうか………そうだよな。よくちゃんと言えたな」
倫理の満足そうな声が聞こえる。
その声の奥からは土を蹴る音、あれはきっと食人アフライが動いた音。恐ろしい。逃げたい。今すぐに顔を上げたい。それでも恐怖を必死に抑えて、意思の力で地面に足を括り付ける。そう簡単に動くことは出来ない。
今は謝罪の最中だ。
今の自分は魔物に対して全くの無防備。自ら死に向かっていくような行動をまさか自分が取るとは思ってもみなかった。人は言うだろう、そんなものは命の危険が去ってから改めてすればいいと。けれど謝罪というものはそういうものだと教わった、そしてユウキはその考えに納得している。
「ンギュォオオオオオオオオオオオ!!」
風を斬る音は鎌を振るう音。今まで繰り返し聞いてきたことでしっかりと体で覚えてしまった。
死を感じる。
決して食人アフライに触れられてはいけない。今まで何度も言われてきたことだ。あの鎌で切り裂かれた傷は普通の傷薬では治らない。だから腕を斬られたら腕、足を斬られたら足、その先がじわじわと腐り落ちていくのだ。
鋭い痛み、あるいは死。恐怖にユウキの体は硬直したが、痛みも死も訪れはしなかった。
重い物が衝突する低音。
「そうだ、そのとおりだそれでいい」
納得感のある倫理の声。
「ンギィンギギギィイイイイ!」
苛ついている魔物の声。
頭を下げ視線を切っているユウキには何が起こっているのかは分からない。けれど倫理が魔物の攻撃を食い止めたことは分かった。良かった。自分の選んだ選択は間違っていなかったんだ。
「ちゃんとわかっているね、偉いよ」
状況に似合わない優しい声。
「人間と言うのは必ずミスをする生きものだ、俺だってそうだ、今までにくだらないミスは何度もしてきた。けれどその時はちゃんと反省して、謝って、そしてくり返さないことが大切。ちゃんとわかってるじゃないかユウキ。君はなかなかいい少年じゃないかと最初から思ってたんだ、やはり俺の見立てに間違いは無かった。ほら、怖いだろ、もう頭は上げていいよ」
喜んで顔を上げたユウキの目の前には直立不動で攻撃を受け止める倫理の姿があった。ああ、やはりこの人は普通の人間ではない。何度も高位の冒険者を退けた化け物の攻撃を受け止めながら微動だにせず化物だけが何とかしようと焦っている。
「ンギユォオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーー!!」
腕を取られて自由を奪われる焦り。そして怒り。
「さっきから随分と調子に乗っていたな」
化物を睨みつける。
「俺がお前なんか相手にしていないというのが分からなかったのか?」
メキッという嫌な音がした。
「お前如きゴミムシが俺に触れて良いとでも思っていたのか?」
ブチブチと言う音。
「ンギュウゥウウ!」
可動域を超えて捻じられた腕から緑色の汁が滴り落ちる。
「弁えろ虫けらが!」
「ウウォオオオオオ!!」
二本の黒い硬質な腕は汁をまき散らしながら暗闇の中を飛んだ。
「オゴオォオオオオオ!」
食人アフライは諦めていなかった。それどころか捩じ切られた腕を怒りに変えて攻撃に転じた。咬みつき。強靭な顎で骨ごと砕き飲み込むという己の最も威力がある攻撃で憎い獲物を殺さんと飛び掛かる。
しかし待っていたのは蹴りの一撃だった。
飛び掛かって来る食人アフライよりもさらに早く後方へ下がることで距離を作ってからのサイドキック。美しい直立の姿勢から放たれたその蹴りは一直線に可動域へと突き刺さり、周囲の雪を巻き上げながらすさまじい勢いで後方へと弾き飛ばした。
「すごっ………」
意図せずにユウキの声が漏れる。倫理の蹴りはあまりにも早すぎて当たってからしばらくして気が付くほどだった。散々振るっていた食人アフライの腕なんかとは比べ物にならないほどのスピードだった。
「姿形こそ恐ろしいが思っていたよりも大したことは無いな。大人しく逃げれば見逃してやったというのに全く勘の鈍い奴だな。野生ならそれくらいのことは察しろと言いたいよ。人が忙しい時にちょろちょろと動き回りやがって。お、しまったな」
少し演技掛かった仕草で自分の顔を覆う。
「ど、どうしましたか?」
いまだに倫理の行動に対して驚き戸惑ってはいたがユウキは反射的に問いかけた。きっと倫理は自分が問いかけることを待っているような気がしたのだ。
「見てくれよ、足の先にあいつの汁がかかった」
視線を降ろすと確かに雪の上の素足の甲の所には、食人アフライの体液である緑色の汁がかかっていた。
「かなり汚いだろう」
「そ、そうですね。けど雪で擦ればとれると思いますよ」
「本当なら石鹸が欲しいところだがこの状況ならしょうがないか。まさかユウキのそのリュックの中に入っているなんてことは………」
「すいません、持ってきていません」
「そうかしょうがない、とりあえずは雪で擦ることで我慢するしかないか」
さっきまでの緊迫感が無くなってきていることに雪は少し安心する。
「それにしてもいきなり過ぎる。俺は自分がなぜこんなところにいるのかもまだ分からないんだ。それなのにいきなり現れて襲い掛かってきやがって。あんなのが存在するなんて聞いたこともない。なんだ、何が考えられる?たまたま地球に降り立ったエイリアンかなにかか?」
自分に問いかけるようにしながら雪に足を擦り付けて汁をぬぐう。怒り心頭だったさっきとはうって変わって最初に見た時の倫理に戻っている。時間がゆっくり流れているようなどこか余裕のある雰囲気。
吹き飛ばされた食人アフライははるか先まで飛んでいき、大きな音を立てながら大木にぶつかった。そのあと木は倒れたが食人アフライの姿は見えない。強烈なけりだったので死んでいてもおかしくはないと思う反面、あれくらいで死ぬはずはないとも思う。
「あれは食人アフライという魔物でこの霊山に住む人間を食う魔物です」
「食人アフライ?名前がついているということは有名なのか?」
「はい、すごく有名ですけど」
食人アフライを知らないんですか?聞きたいと思ったが言葉を途中で止めた。さっきあれだけ怒らせてしまったのに、また余計なことを言ってしまって倫理の怒りを買うのが怖かった。
「あ!」
闇の中に食人アフライが立ち上がる姿が見えた。
「あいつまだ生きてます!今まで高ランクの冒険者を何度も返り討ちにしている恐ろしい魔物なんです。きっと怒り狂って襲い掛かってきますよ」
さっきまでは弄ぶような態度だったが、こうなってしまっては今までと同じようにはいかないだろう。地面に投げ捨てられた二本の黒い腕がウニウニ動いている。それが本体はまだ死んでいないぞと、意思表示をしているように感じた。
「気を付けてください倫理さん。あの黒い鎌の様な腕で斬りつけられると傷口が化膿して何の薬も効かなくて腐っていくんです。僕はここに来る前に食人アフライと遭遇してしまった人に話を聞いたんですが、手足が無くなった人を見ました」
いまさらと思いつつも言いながら倫理を見る。その素っ裸の体は不自然なくらいに首から下が赤黒く変色している。どこかで見たことのある感じだと思ったら重度の火傷をした人がこんな皮膚になっていたことを思い出す。そんな倫理の体ではあるが傷は無い。手足ならともかく倫理が攻撃を受けた胴に傷を負ったらきっと死が待っている。
それは良かった。けれど同時に不安が湧き上がる。少なくとも2回は攻撃を喰らったはずだが不自然なくらいに無傷だった。あの鋭い鎌の様な腕に切り裂かれて無傷なんて、そんなことはあり得ないはずだ。
「倫理さん?」
反応を全く見せない倫理を不思議に思う。そして無言でいることが怖くて声を掛ける。今は怒ってはいないのだが、それでもどこか人を不安にさせるような独特の雰囲気を倫理は持っている。
「ユウキ、あれを見ろ………」
自分の体の傷を探すでもなく、立ち上がった食人アフライを見るでもなく、倫理は夜空に浮かぶ月を指さしていた。