5話 ~被害者の言い分~
蠅の腹に人間の顔浮き上がるという不気味。そしてそれが意思をもって笑い自分の事を食料としてみている。今まで生きてきた中で間違いなく一番醜悪な映像だ。空洞のない口は皮膚を動かすことによって人間と同じように言葉を発する。
「はぁはぁはぁはぁ………なあ、いいだろ、いいだろうがよ。昔は散々遊んでやったじゃねえか。その代わりにお前を喰わせてくれよ、恩返しができるんだから嬉しいだろ。なに痛いのはほんの一瞬、俺が言うんだから間違いないんだよ、なにせ俺は一度喰われて死んだんだからな、全部わかってんだよ。先輩のいうことは大人しく聞いとくもんだよ、わかるだろ、な?」
これはもう人間ではない。
怯えている顔を見せてはいけない、震えてはいけない、体を縮こませてはいけない、きっとこの相手はそれを見ている。
「ロドヒさんには嫌がらせをされた記憶しかありません!」
睨みつけ叫ぶ。
「ギルドで働いている僕に体をぶつけてきたり足を引っかけたり後ろからけってみたり、ギルドのお偉いさんに体を売ってるんだろうなんても言われましたね。恩なんて一度も感じたことは無い、とっとと立ち去れ!」
上機嫌そうだった顔に怒りが差す。
「言うじゃねぇか小僧よ。もっと怯えてくれるかと思ったけど違ったな、どうやら合わない間にずいぶんと成長したみたいじゃねぇか。嬉しいよ、いやこれはマジで言ってんだぜ、俺がこんなに喋ったりすることも、顔を思い出すこともできるようになったのは最近なんだ」
かつて冒険者ロドヒだったものは語り始める。
「俺がギルドで集めた話ではこいつはここの8合目以上でしか目撃情報がなかったんだ。だから俺も油断してた、5合目くらいなら大丈夫だってな。それなのにこいつは俺の目の前に現れた。そして驚く俺の腹をこいつはたった一度腕を振り回しただけで俺の体をぶった切った。最悪だったぜちょん切られた自分の腹から内臓が見えてるのはな、けどそれ以上の最悪が待ってたんだよ」
話を聞きつつもユウキは様子を伺う。倫理は大丈夫だろうか、何もできることは無いと思いつつも気になる。
「死んだはずの俺は死んでなかった」
さらなる吐き気を催す腹の笑顔。
「最初は何もわかんなかったんだよ、何も見えない真っ暗闇の中で苦しくて体の中がかゆくて痒くて仕方なかったんだ。それからしばらくして気付いたね、この化物に行かされてるってことが。ああ俺はいま胎児のように化物の腹の中にいる、そう思ったら気が狂いそうになった」
今まで誰から聞かされた話よりも生々しい。
「殺された上になんでこんな目にあわされなきゃいけないんだって、けど死にたくても自分の意志では何もできなかった。自分の体が球体になっちまったみたいに手足とかの存在が感じられねぇんだよ。信じられねぇ感覚だったよ、体を掻くことも指を動かすことも瞬きすることもできなかった、何もできなかった。死にたくて死にたくてたまらなかったよ、それくらい苦しかった、痒さっていうのは痛いよりも地獄なんだって初めて知ったよ」
思わず声を出しそうになった。遠くで鳴守 倫理が起きあがったのが目の端に映ったからだ。それならなおさら時間を稼がなければならない、もっともっと喋らせて倫理のために時間を稼ぐ必要がある。
「狂うに狂えねぇ地獄がどれだけ続いたのかは分からねぇ。けどなぁ、そんなある時の事だよ光が差してきたのはな」
倫理はゆっくりと歩きいて近づいてくる。
「その時は分かんなかったけど今ならわかる。きっとこいつは人間を喰ったんだ」
饒舌に語る腹の顔よりも近づいてくる倫理の存在に惹きつけられる。
ゆっくりと向かってくる倫理からはビリビリとした雰囲気を感じる。最初のころならなぜ逃げないのか、と思っていただろうが、今のユウキはその時より少し倫理という人間を理解し始めていた。きっと彼は食人アフライを恐れていない、そしてそれよりも許せないことがある。そしてその許せないことをしてしまったのは自分自身だ。
「その瞬間の俺は幸せだった。ずっと感じてた息苦しさと痒みがその瞬間だけは無くなったんだよ。クソ暑い日に喉カラカラでようやく水を流し込めた時みたいな喜びだ、それならお前にも分かるだろ?それを何十倍も強ぇ快感だ。あの時が今まで生きていて一番気持ちいい瞬間だった」
ロドヒが饒舌に語り続けるほどにユウキの心は冷めていく。
「それだけじゃねぇ、その瞬間から俺の視界は開いたんだ。真っ暗だった世界からこの化物が見ている世界が見えるようになった。そっからは俺自身積極的にこいつに人間を喰わせようと思ったね。またあの快感を味わいたいって思った」
なぜか食人アフライも動こうとはしない。あまりに静けさに不安は感じる。動かないふりをしながら急に動くという作戦かもしれないと思いつつ身構えるが、それだけに注意を払うわけにはいかない。今の自分が二つの危機が同時に迫っていることは分かっていた。
「だから人間が来そうな道をこの化物に向けてずっと念じてたんだ、苦しかったぜ何かを考えよう、思い出そうとするたびに頭にネジを埋め込まれてんのかっつうようなギリギリとした痛みが走るんだよ。けど俺は諦めなかったね、どうせ黙ってたって苦しいんだ、それが少しくらい増えたって構いやしねぇと思った。生きてるときにこんなに頑張ったことなんかねぇよ」
ロドヒはきっとまだ喋り続けるだろう、それなら今考えなければいけないことはこっちに歩き続けているあの不思議な人のこと。殺人の罪で刑務所にいたという話、間違いなく本当だろうと思う。あの怒り方、あの威圧感は間違いなく本当に人を殺したの人間ものだと思わせるだけの迫力があった。
「だからなぁ俺はそうやって二人三人と喰わせていった。そうしたらなんとよ、匂いが感じれるようになった、そして喋れるようになったんだよ、分かるか俺の喜びが?人間としての俺がもともと持ってたもんが戻ってきたんだよ。そしたら他人の事なんか知ったこっちゃねぇ、どんどんこいつに喰わせるしかねぇだろ?そうだろうよ、分かってくれるだろ俺の気持ち?」
同意を求める言葉が恐ろしい。もし自分がロドヒと同じ状況だったとしたら同じことをしてしまうかもしれない。
「幸いなことに月聖花に吊られて馬鹿な人間たちはいくらでもこの山に来るんだよな。けどそうやっていくうちに俺は重大なことに気付いたんだ。普通の人間を喰わせてもあの時の気持ちよさは来てくれねぇんだよ、あの快感は魔臓を持ってる人間を食った時だけなんだ。ハズレばっかでどれだけ失望したことか、魔臓持ちは見つけたとしてもあっという間に逃げちまってなかなか喰うのは簡単じゃねぇんだよ」
考えなくてはいけない、時間は迫っている。自分は今何をするべきなのか決断し、行動しなくてはいけない時なのだ。
「だからなユウキ。お前が必要なんだよ、生意気にも魔臓持ちのお前がな。だからお前の命を俺にくれよ、喰わせてくれよ。さっきから見てる限りお前はそのおかしな男を放って置けねぇんだろ?だからいつまでたっても逃げねぇんだろ?それじゃあこの化物からは逃げられねぇ、きっとそいつは頭がかしいんだ、だから逃げることすらできねぇんだよ。もう諦めて俺に喰われろよ、俺と一緒にこいつの中で生きて行こうぜ、そんなに悪いことばかりじゃねぇ、いつかきっと全部取り戻して人間に戻れる、それはそう信じてるんだよ。だからな、いいだろ?俺がいろいろ教えてやるよ?な?」
蠅の腹に浮き上がる顔の口角が恐ろしいほど吊り上がった。
「それになぁ、こどおの肉ってのは美味いに決まってんじゃねぇか。牛だって子牛のステーキなんてのは偉い高い金をとるじゃねぇか。俺は今まで一度も子供を喰ったことはねぇんだ、どんな味がするんだろうな、内臓だよ、内臓が一番うめぇんだ、汚ねぇ身なりをしたおっさんだって内臓はプリプリして柔らかくてうめぇんだよ。お前はきっと感動的にうめぇんだろうよ、ああ楽しみだ、絶対逃がさねぇ、絶対逃がさねぇぞ!はぁああああああああ!!!!」
「お前はもう人間じゃない」
風に乗って飛んできた恐ろしい雄叫びに立ち向かいユウキは言い切った。
「身も心もすでに魔物だ、お前は」
「んだとぉおおお!?俺は人間だ!俺は人間ロドヒだぁああ!!」
ある程度時間は稼いだ、言いたいことは言った。後は目の前にいるこの人に対して何を言うべきか、どうするべきかが重要だ。窮地の時こそ冷静に行動しろ、育ての親である人が教えてくれたユウキにとって言葉。
「おい」
目の前に立つ男の鋭い視線がユウキを貫く。
「ユウキ教えてくれ。お前は俺のことを侮辱した、それで間違いないよな?」
倫理は恐ろしいほど目を見開いている。あまりに迫力に心臓が高鳴り、雪の山頂には似つかわしくない大量の汗が出してくる。
ユウキは食人アフライと鳴守 倫理に挟まれた。
自分はいま生か死かの岐路に立っているのは分かっていた。
選択を間違えてはならない、順番を間違えてはならない。食人アフライか、それとも倫理に対してか。どちらかに対して何らかの対処をしなくてはならない。
考えることができる時間はほんの僅か。けれどこれはいくら考えたところで答えなどない問題。こういう時は一番最初に頭に思い浮かんだことこそが答え。
ユウキは頭を深く下げた。
「鳴神さん、申し訳ありませんでした」
誰もが震えあがるような恐ろしい魔物から目を離して謝罪した。