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凶兆  作者: 黒駒臣
5/19

・グロ、残酷描写、後半に災害描写あり閲覧注意

         

  

  

「もう邦ちゃんと一緒に()たない。けどどうしたらええんやろ?」

 森本多恵は下校中、雨滴の垂れる傘の下で独り言ちた。

 物心ついた頃から常にそう思っているものの、自分か邦子がこの村から出ない限り離れられないことは重々承知している。

 邦子は幼い頃から性悪な少女だった。

 その時分はまだ沢路村には自分たちと同じような幼児のいる家が十数件あった。その家族たちが村に見切りをつけ街に移住していくまで、邦子は自分の思い通りにできない子をいじめていた。

 だが、表面では良い子を演じるのがうまく、親や先生、近隣の住民たちからは評判がよく、誰一人邦子の裏面に気づかなかった。

 多恵は初めて遊んだ時から邦子の本質を見抜き、いじめられないために服従してきた。なので今までいじめの対象になることはなかった。

 保良を馬鹿にして嗤う時も、街から転校してきたはるかをいじめる時も一緒になって嗤い、いじめた。

 もちろん多恵の本心ではない。すべて邦子の強制だ。

 はるかが転校してきた時、その垢ぬけた容姿に多恵は心躍らせ、友だちになりたいと思った。

 だが、邦子の底意地の悪さと同等に潜む激しい嫉妬心がそれを許さず、ずっと服従させられてきた多恵には反抗する力などなかった。

 邦子のはるかへのいじめは陰湿でいやらしいものだった。

 田舎にはないお洒落な文房具を隠したり壊したりは序の口で、繁樹と少しでも会話しようものなら、先生から見えない腹や太腿を殴ったり蹴ったりした。

 あまりにひどいと思ったのは無理やりパンツを脱がせたことだ。ピンクの花柄のきれいなパンツを目の前に持ち上げ、(くさ)(くさ)いと連呼し、それを多恵にも強要した。

 あの時のはるかの羞恥に赤く染まった悲しい顔は忘れられない。

 もしこれが自分の身に起こったら――多恵はそう考えると絶対に逆らえないと改めて思った。

「また繁樹と(はなし)したら、お前の名前書いてプレゼントや言うて、このくっさいパンツ、繁樹の机の中へ入れるからな。そやけ預かっとくわ」

 邦子がパンツを振り回しながら、泣いているはるかをそう脅し「変態や思われるやろなあ」と大笑いした。

 いくら何でもはるかの親にばれる。

 共犯にされるのは嫌だったが、いじめを止めることも、大人たちに相談することもできない。

 どうすればいいのだろうと悩んでいた。

 だが、幸いと言っていいのか悪いのか、都会育ちのはるかの母親が田舎暮らしに馴染めないらしいと両親が話しているのを偶然聞いた。精神が常に不安定なのだという。そのせいで娘がひどいいじめを受けていることにまったく気づかなかったのだろう。心配をかけたくなかったのか、はるかも相談しなかったようだ。そして――

 ごめん。はるかちゃん。邦ちゃんの言いなりでごめん。

 謝りたくても邦子が怖くて謝れない。

 多恵の心はくたくたに疲れていた。

 今度は新しい女先生や真綾ちゃんに嫌われたくない。

 その思いと邦子への恐怖がせめぎ合い、頭の中も心の中もぐちゃぐちゃに乱れている。

 ああ真綾ちゃんと仲良うしたい。そやけど邦ちゃんが怖い――きらい、きらい、邦子きらい。もう一緒に居たない――ああ、お腹空いた。

 最近の多恵は常に腹が空いていた。

 ストレスのせいやな。お母ちゃんもようストレスのせいや言うて、甘いもん食べてるもん――あれ? ここどこや?

 どうやら自宅前の道を通り過ぎたみたいだ。

 傘を流れ落ちる雨滴のカーテンの向こうには雑草まみれの空き地が広がっていた。高くて深い雑草の陰に錆びた放置車が二台見える。危ないから遊んではいけないと注意されている場所だ。

 多恵は長靴の足を空地へと踏み入れた。濡れた雑草の葉陰からぴんっぴんっとバッタが飛び跳ねる。

 おいしそうや。

 雨に濡れるのも気にせずしゃがみ込んで、素早くバッタを捕まえた。緑色した三センチほどのショウリョウバッタを口に入れる。

 が、「ぺっ」とすぐに吐いた。青臭い苦みが口内に張り付き、唾を何度も吐いた。

 なんでこんなもんおいしそう思たんやろ。ていうか、わたしなんで食べたん?

 自分自身に困惑しながら誰かに見られていないか辺りを見回した。親が満足に飯も食わせていないのかと、口さがない老人たちに噂されては大変だ。だが、ぼんやりと(しゃ)のかかった空き地やその周辺には人っ子一人いない。

 ほっと安心し「早よ帰らんとお母ちゃん心配するわ」と独り言ちて、多恵は空き地から道に出ようとした。

 隅の草むらに積まれたブロックの陰に蜘蛛の巣が張ってあった。黒と黄の縞模様の蜘蛛が網の真ん中で脚を伸ばして獲物を待っている。そのぽってりした腹に多恵の視線が吸い寄せられた。


 極貧小作人の末子(すえご)の娘は七人目とあって着物も草鞋もお下がりのお下がりで、いつもぼろぼろに崩れかけたものを身につけていた。名付けすらされておらず、親兄弟からナナシと呼ばれていた。

 上から四人目までは貧しいながらも何とか食べ物にありつけた。それ以降の子供たちはわずかな残飯を順番に与えられるだけで、ナナシの番には欠けた木椀の底に粟や稗の一粒があるかないかの状態だった。それゆえ、ナナシはいつも腹を空かせていた。我慢できず順番を飛ばそうものなら兄弟姉妹に袋叩きにされ、それを親は見て見ぬふり、堪らずナナシは山や野原に入ってはなんでも食べた。

 だが、木の実や草の実などはすでに兄弟姉妹に摘まれた後で、口に入るのは苦い雑草の葉や根しかない。毒性があるものは苦すぎて吐き出したが、生きるためナナシはなんでも食べた。運が良ければ生き物を捕まえられたが、兄弟に奪われるので、誰も来られないような山深い場所にまで足を運んだ。

 身体が小さく俊敏なナナシはそこで昆虫や蛇、蜥蜴や蛙、鼠までも素手で捕らえる(すべ)を身につけた。そして冬に備えてそれらを干し、ドクダミや南天の葉を巻いて岩の隙間や木の(うろ)に保存しておくという知恵もつけた。

 空腹を満たす、それだけがナナシのすべてだ。

 ナナシは目の前で風に揺れる蜘蛛の巣の中心にいる蜘蛛を鷲掴みするとぽいっと口に放り込んだ。気味の悪さや苦みもすでに越え、こってりとしたうま味と甘味を感じることができるようになっていた。


「ほんま、うまいわぁ」

 むちゅむちゅと咀嚼しながら蜘蛛を堪能していることに、多恵は自分で気づいていなかった。


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