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凶兆  作者: 黒駒臣
2/19

・グロ、残酷描写、後半に災害描写あり閲覧注意

  

  

 梅雨も明け、もうすぐ夏休みが来るというのに、三日に一度、しかも一日中雨が降っていた。

 小さな木造平屋の校舎も校庭もいつも湿っていて、じめつく教室は照明をつけていても薄暗かった。

「おはよー。なあもう新しい女先生見たか?」

 教室に入って来た保良(やすお)は雨滴の流れ落ちる青い傘を振りながら誰にともなく訊ねた。

 沢路村分校の一クラスしかない教室には、六年生の邦子はじめ、保良と同じ五年の繁樹ら他生徒も揃い、すでに席についていた。

 父親同士が兄弟で繁樹とはいとこ同士だが、不仲の父親たちと同様、あまり仲が良くない。

 なので繁樹は保良の質問に顔を上げることもなく、趣味の読書を続けていた。

「こんなとこまで傘持ってくんなや。ただでさえうっとおしいのに」

 邦子があからさまに眉を(しか)めた。

 一番年上なので誰にでも威張っているが、特に保良にきつくあたっていた。他のみんなとは違い、保良が逆らうからだろう。

「うっさいな。昨日()うてもろたばっかやけ、盗られたらあかんやろが」

 そう言って傘を机に立てかける。ワックスの効いた木床に伝い落ちた雨滴が盛り上がっていく。

「はあ? そんな安もん誰も盗らんわっ」

 邦子が吐き捨てた言葉を、頬を膨らませつつも保良は無視し、

「なあ、もう新しい女先生見たかって」

 首を巡らせて、もう一度誰にともなく訊いた。

 誰からも返事がなかったが気にも留めず、

「おれはもう見たで。昨日の放課後、校長室におったわ」

 どや顔でふふんと笑う。

「また覗き見か?」

 そう言って繁樹が本からいったん顔を上げたが、すぐページに視線を戻す。

「ちっ、どいつもこいつも嫌味やなぁ」

「でぇ、どうやったぁ?」

 今年小学生になったばかりの圭吾だけは興味を示して保良の腰にまとわりつき、村一のお屋敷のお坊ちゃんらしいおかっぱ頭を可愛らしい仕草で(かし)げた。

「美人やけどおばちゃんやったで」

「ふうん」

 圭吾の背後で、「ふっ」と邦子の鼻嗤いが聞こえた。

「お前、若い女先生来んの楽しみやったのになぁ」

 そう言って四年生の多恵に目配せした。

 それに気づいた多恵も同じようにふっと嗤った。

 いつもならここで激高し、罵り合いを始める。そして結果、いつも邦子に言い負かされるのだが、きょうの保良は違った。

「せやけど女先生、自分の子連れててな。その子がすっごい美人やった。もうすぐここへ来るでぇ、びっくりするでぇ」

 保良は圭吾に話して聞かせているようだったが、挑戦的に細めた目は邦子に向けていた。

「ふんっ」

 そっぽを向いた邦子が人差し指の爪を噛み始めた。

 子供ながらにも自分を村一の美人だと思っている邦子の弱点は嫉妬心だ。それを自分で認めたくないが故、心のバランスが崩れ余裕をなくす。その気持ちを整えるための爪噛みだと保良は知っていた。

 ほれほれ、嫉妬めらめらになっとるで。

 保良は心の中でほくそ笑んだ。


 始業チャイムが鳴って席に着くと、鈴木校長に連れられて『美人やけどおばちゃん』の女先生とその背に隠れた少女が教室に入ってきた。

「あ、ほんまおばちゃんや」

 圭吾が無邪気に本音を上げる。

「しっ」

 保良は焦って止めたがすでに遅く、圭吾が発した言葉の発信元が自分だとばらしてしまった。

「こらっ保良、お前か昨日覗いとったんわ」

 日頃は優しいけれど怒ったら怖い校長の目が眼鏡の奥でぎろりと光った。

 後ろの席から邦子のぷっと吹き出す音がし、保良は舌打ちしながら振り返って睨んだ。

「こらこら保良、前向け、前。きょうからみんなに勉強教えてくれる女先生や」

 校長が促すと、

「細見里佳子です。国語と社会を教えるのでよろしくね」

 新しい女先生がにこやかにほほ笑んだ。

「それからこの子は先生の娘です。きょうからみんなと一緒にここで勉強するので仲良くしてあげてね」

「細見真綾(まあや)、五年生です。よろしくお願いします」

 女先生の背後から出てきた少女が深々と礼をしてから顔を上げた。

 色白で鼻筋が通って目が人形のように大きい。

「うわぁ、ほんまに美人や」

 圭吾が感嘆する。

「なっ、そやろ。名前もしゃれとるし」

 保良は邦子を振り返ってにやりと笑った。

「やかましわ、前向いとけっ」

 偉そうにしていても真綾を見る邦子の目に険が浮いていた。その視線が左斜め前の繁樹のほうへと移動してから爪を噛み始める。

 ははん、繁樹の反応が気になっとんやな――

 保良はざまあみろと心で嗤った。

 ついでに繁樹にも目を向けた。いつも本から目を離さない繁樹がじっと真綾を見つめている。

 神童言われてるやつでも美人には勝てんのやな。

 保良はふんっと鼻で嗤った。

 同年だからか、幼い頃から親戚中で繁樹と比べられてきた。兄弟の仲が悪くとも父親は弟の息子を褒めたたえ出来の悪い保良を叱咤する。かばってくれるはずの母親も同じだ。

 だが、二人とも口では甥っ子を褒め称えているが、内心では嫉妬していた。だから、繁樹に負けるなと保良に無理を言ってくるのだ。もちろん勝てるはずがない。するとお前は何をやってもダメだと(おとし)めてくる。

 そんな両親に対し、保良の心でもやもや(、、、、)が沈殿し、学年が上がるごとに繁樹に対する妬み(そね)みが強くなっていった。

 気づくと自分の右隣に真綾が座っていた。

 前席の圭吾が横座りになりきらきらした目で真綾を見つめている。

「おい圭吾、前向けよ。女先生に怒られるで」

 保良が注意すると、えへへと笑って素直に前を向いた。

 鈴木校長が退出した後、女先生が「出席を取ります」と名簿を開いた。

「そんなんせんでも見たらわかるやん」

 邦子が馬鹿にするかのように笑って左席の多恵に目を向ける。慌てて多恵も笑った。

「んー、そうだね。でもきょうは名前と顔を覚えるためにも出席を取ります。呼ばれたら返事してね。

 学年順に呼びます――まずは一年、大倉圭吾君」

「はいっはいっ」

 跳ねるように立ち上がると圭吾は手を上げながら先生のそばに駆け寄った。

「こ、来なくていいのよ」

 戸惑う女先生の顔がおかしくて保良は思わず笑った。

 だが、繁樹は本から目を上げず、多恵は邦子の顔色を窺い、邦子はにこりともせず、不躾な視線で先生を値踏みしていた。そして真綾もどこか遠くを見ているような目で微かな笑みすら浮かべていない。

 保良は笑ったのが自分一人だと気づき、恥ずかしくてうつむいた。

「四年、森本多恵さん」

「は――い」

「五年、小田茂樹君」

「はい」

「五年、小田保良君」

「は、はい」

「六年、宮田邦子さん」

「はーい」

「はいっ、これでオッケーと――じゃ、一時間目は国語です。みんなそれぞれ教科書を出して――」

「せんせー、和木さんの名前抜かしてまーす」

 邦子が繁樹の後ろの席を指さした。保良の左隣の席だ。

 先生が視線を送り、

「えっ、ああそっか、ごめんなさい――ええっと――

 四年、和木はるかさん」

 と名前を呼んだ。


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