16
・グロ、残酷描写、後半に災害描写あり閲覧注意
「わしは初めっから、お前んとこのクソ生意気なガキ気に食わんかったんや」
「なんやいまさら。賢い賢い言うて、繁樹んこと褒めちぎっとったやろが。保良は箸にも棒にもかからんアホガキや言うて」
豪雨の中、繁樹の自宅に押し掛けた保良の父が玄関先で伯父と激しい取っ組み合いをしていた。
「父ちゃん、やめてっ」
泣きながら保良は必死に父親の腰にすがったが、喧嘩をやめようとしない。
父と伯父、どちらも瞼や唇を切り、鼻や頬の骨が折れて顔が膨れ上がっている。
傷口の鮮血と鼻血が滴り、それを受けたシャツが赤く染まっていた。
今までも二人は幾度か喧嘩をしたことはあったが、こんな激しい暴力沙汰にまでなったことはない。
父親たちだけでなく、母親たちも家の中で喧嘩をしているようで、何かが割れる激しい音とお互いを罵り合う声が屋内から聞こえていた。
これらは村に起こっている異常の影響だと保良にはわかっていたが、止めるにはどう対処すればいいのかわからない。
「邪魔や、退けっ」
父親に後ろ手で首根っこをつかまれた保良は簡単に放り投げられ、生垣にぶつかった反動で地面に溜まった泥水に思い切り倒れ込んでしまった。
「保良」
密かに自分の名を呼ぶ声に顔を上げた。門の外に合羽を着た真綾が立っている。
保良に向けた視線を玄関先でつかみ合う大人たちに移すと真綾は首を横に振った。
「保良――もうみんなだめだ、狂ってる。ね、一緒に逃げよう。繁樹はどこ?」
近づいて手を差し伸べる真綾のその手を取ることなく、保良は自力で立ち上がった。しょんぼりと力のない全身から泥水が滴り落ちている。
「繁樹は?」
再び真綾に訊ねられ、おずおずと玄関を指さした。
お互いの髪を引き千切り、指で眼球を抉り出し合いながら喧嘩を続ける父親たちのその奥、三和土の上に繁樹が仰向けで倒れていた。胸に深々と包丁が刺さっている。
「父ちゃんが殺った。玄関に出てきた繁樹を真っ先に刺して――」
保良は「おれ、止められんかった」と両手で顔を覆った。
「泣いてる場合じゃないよ。とにかくここから逃げよう」
真綾が父親たちを指さし「喧嘩の決着がついたら生き残ったほうがわたしたちを襲いに来るよ。先生たちを殺した校長先生も追って来てるしっ――」
ぐっと息を詰めた真綾の涙ぐむ眼差しに、女先生ももうこの世にいないのだと保良は理解した。
「早くっ」
そう急かされ、手をつかまれたが、脚が震えて動くことができない。
「やすおぉぉぉおまえも殺っちゃらあぁぁぁ」
全身を血に染めた繁樹の母親が包丁を片手に玄関の奥から姿を現した。手に真っ赤な包丁を握りしめ、こっちを睨みつけている。繁樹を踏みつけながら玄関先に出てくると「邪魔じゃあ」と叫んで、取っ組み合う血濡れの夫と義弟を押し退けた。
二人は絡み合ったままポーチの段差を転がり、水溜まりの中に落ちたが、それでも喧嘩を止めない。血の赤いシャツが上書きされ、泥茶色に染まった。
「やすおぉぉぉぉ」
繁樹の母親が一歩一歩近づいてくる。包丁の血糊が猛雨で洗い流され、ぎらりとした輝きを取り戻していた。
「早くっ」
真綾に手を引っ張られ、今度は弾かれたように保良は一緒に走り出した。
痛いほどの雨が全身を打つ。足元を勢いよく流れていく泥流にはゴミを始め、幾種類もの履物や使いかけの日用品などいろいろなものが浮いていた。
それらを横目に、保良はこの村の一体どこに真綾は逃げようとしているのだろうかと考えた。まったく見当もつかない。
渦巻き、水飛沫を上げながら川から溢れ出してくる濁流ですでに道との境界はわからない。
今はまだ何とか走れるものの、何かに足を取られて転べばあっという間に流され溺れてしまうだろう。
もし転ばなかったとしても、この勢いでは背丈以上の水位に上昇するのは時間の問題だ。
だが、真綾は確信があるように力強くどんどん前進していく。
「お、おい――どこ行くんや」
口内に流れ込んでくる雨滴を飛ばして保良は大声で訊いた。
「わたしもわからない。でも助けてくれるって言ってるから――」
真綾も雨音に負けないよう大声で返してくるが、保良にはさっぱり意味がわからない。
「えっ? 助けてくれるて、誰が?」
「後で話すから、今はとにかく走って」
振り返ることも止まることもしないで、ぐいぐい引っ張られ走り続ける。
そやかて、この先は――
保良には不安しかなかったが、今は真綾についていくしかなかった。




