筋肉は眼鏡の謝罪を受け入れる
カーラジオで気象予報士が梅雨明け宣言を告げる、蝉が鳴き始め日差しが本領を発揮し雨傘が日傘に変わっていく。
いよいよ夏本番になり冷凍トラックの積荷はアイスクリームやフラッペ、アイスコーヒー用の氷入りカップで一杯だ。予備も積載量限界まで積み込んでいるけど、午前の追加注文の量から考えるとセンターに追加を取りに行く必要がありそうだな。
配送もひと段落ついたので一度いつものニコマートで肌着を着替えて昼休憩をするか。やっぱり今日もあの娘は来ていないのかな?
眼鏡の女の子が俺の肌着を持って逃げてから今日で四日になる。あれからこの場所で休憩し、汗を拭っている時でも彼女の姿は見ていない。
流石にテンパりまくって逃げたのが気まずくなったのか? それとも目的は俺の肌着で、ゲットしたからもう用はないのか? もう二度と会わないかも知れないが「たぶんその娘、脳筋の事が好きなんじゃないかな?」という淀川の姐さんの言葉が妙に気になる。
あの娘の事を思い出してみてもパニックを起こしているところしか記憶に無い。フワッとした感じの肩くらいまでの髪をした小柄で色白な眼鏡の女の子だった。他に特徴といえば両眼の下にあるソバカスくらいかな。
この数日間ずっと汗を拭っている時に見られていたから、いないとなると少し寂しいような気もする。ただ見られていただけで特に迷惑をかけられたわけでも無いし……あっ、そう言えば肌着を盗まれたか!
いつものように汗を拭い肌着を新しいものに着替えてトラックに戻ると、紙袋を手に持って緊張した面持ちのあの娘が待っていた。今日の彼女はは一人では無く、ショートヘアでスレンダーな体型のボーイッシュな女の子とウエーブのかかった長い髪をしてダボっとしたワンピースを着たやや大柄な女性が一緒にいる。
「えっと……何か用なのかな?」
状況が飲み込め無いし向こう側に動く気配が感じられないので、とりあえずこちらから声をかけてみたら、眼鏡の娘は目を泳がせて口をパクパクし出した。
「明梨先輩っ! とりあえず深呼吸でもして落ち着くっす!」
ボーイッシュな見た目通りの口調でスレンダーな女の子が言うと、大柄な女性が眼鏡の娘の背中を優しくさすって何とか落ち着かせようとする。ラヂオ体操第一の動きで大きく深呼吸する女子と、側でスーハーと言って励ます友人達……俺はいったい何を見せられているんだろう?
「少しは落ち着いた? 焦らなくてもいいから、ゆっくりと伝えるのよ」
「明梨先輩、ファイトっす!」
今日も忙しいからそろそろ昼飯食いたいんだけどな……なんとなく付き合わないといけないような気がするからもう少し待ってみようか。
「あっ……えっと、あの……こにょあいらにゃもおちわけありゃせんれちた!」
「はっ⁉︎」
緊張しすぎているせいだと思うけど呂律も滑舌もおかしくなっていて何を言ってるのかさっぱり分からない。本人もまともに話せていない自覚はあるらしく涙目で口をパクパクとさせている。
「明梨先輩は、この間は申し訳ありませんでした! と言ってるっす!」
「こらっ! チーちゃん、通訳しちゃ駄目でしょ! 明梨が勇気を振り絞って話そうとしているんだからわたし達は見守るだけよ」
「ごめんなさいっす!」
だから何だよこの茶番……この三人は俺に新作コントを披露しようとしているのか? でも三人共表情は真剣そのものなんだよな。
「ありがとう二人共、わたし頑張る!」
そう言うと眼鏡の娘は俺に頭を深々と下げて話し始めた。
「初めまして、わたしは星華美術大学三回生の真田明梨と申します!」
初めましてと言われても何度も見かけているし、この娘はトラックのネームプレートを見て俺の名前を知っているんだけど。でもこの娘の名前は初めて知ったな……三回生と言うことは二十一歳だな、五つ歳下か。
「畠山さんの着替えを覗いたり肌着を持って逃げたりして申し訳ありませんでした! えっと……この紙袋の中には綺麗に洗濯した肌着とお詫びの品、そして……えっと……わたしからのお手紙が入ってます。もし良かったら読んでみて下さい!」
真田さんは途中から顔上げて目をつむり、顔を真っ赤にしながら必死で話していた。色白なだけに顔の赤さとソバカスが際立って見える。
言い終えた彼女は涙を流しながら荒い息を吐いて友達二人に背中をさすられたりり頭を撫でられたりしていた。
「先輩はテンパりまくって変な事をしてましたけど、普段は大人しくて優しくて面倒見の良い素敵な女性っす! 変態なんかじゃないっす!」
「畠山さんごめんなさい! 明梨は生まれて初めて男の人に興味をもったのでとち狂っちゃったんです。彼女は男性が苦手なんで話すとこんなんですけど文章は綺麗なんで、出来たら手紙は読んであげて下さい」
「畠山さん申し訳ありませんでした!」
最後は三人揃って頭を下げた。まあ、肌着は返って来たし謝罪もしてくれたからもう別に良いんだけど。
「あんまり気にして無いから別にいいよ。とりあえず今日、仕事が終わったら手紙読ませてもらうな」
「ありがとうございます!」
真田さんがいい笑顔でそう言って、大きく頭を下げると三人はコンビニの駐車場から去って行った。とりあえずこれでやっと昼飯が食える。