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眼鏡の思い出は汗の匂い

 やってしまった! 絶対に変な娘だと思われちゃってる。大混乱に陥って暴走しまくったわたしは寮に帰ってようやく我に返る事が出来た。


 何であんなに暴走しちゃったんだろう? 事の始まりは数日前に遡る。


 コンクール用の作品に取り掛かっていたある日のお昼過ぎ、作業中急にプリンが食べたくなったのでニコマートに買いに行った時だ。駐車場に面白い柄の猫|(白と黒の斑ら柄でまるでホルスタイン)がいたのでスマホで撮ろうと思いそっと近づいて行くと、猫ちゃんは人馴れしているせいか快く動画を撮らせてくれた|(しかもカメラ目線)。

 そして猫ちゃんがコンビニの裏に向かって歩いて行くのを追いかけてたら頭から水道水をかぶって大判のタオルで水滴と汗を拭っている人を見かけたのだ。


「お爺ちゃん⁉︎」


 私は思わずそう呟いてしまったがよく見ると若い人だった。そうだよね大好きだったお爺ちゃんは三年前、就寝中の心不全で亡くなったんだ。

 絵に描いたようなピンピンポックリで前日も朝からランニングと空手の稽古をして畑を耕し、道の駅にある直売所へ軽トラで野菜を届けに行っていた。

 還暦を過ぎてからも空手の寒稽古や滝行をしていたし雪の日だって元気に外で作業をしていたから心臓に負担がかかってたんじゃないかってお医者さんが言ってたな。


 わたしの目の前で汗を拭いている男の人はどう見ても二十代なのにどうしてお爺ちゃんの姿とかぶって見えるんだろう?


 わたしが物心ついた時、お母さんはいつも泣いていた。お父さんの顔は覚えていないけどいつも怒鳴っていてすぐにお母さんを叩き、わたしもよく力一杯蹴られていた。髪の毛に隠れてはいるけどいまでも大きな傷跡が残っている。

 そんな辛い毎日を終わらせてくれたのがおじいちゃんだった。

 大きな声で怒鳴って暴れるお父さんを一撃で動けなくしてから警察やお役所をまわったり弁護士さんにも相談して私達に危害を加えられないようにしてから自分の家に引き取ってくれたんだ。


 強くて優しくて働き者だったお爺ちゃんの姿がこの人と重なって見える。わたしが彼の姿に見惚れていたら、突然声をかけられた。


「あっ! すいません、トラックが邪魔になってますか?」


 あっ! わたしがトラックが邪魔で車が出せないから睨んでると思われてる?


「えっ⁉︎ あっ、ごめんなさい! 何でもありません大丈夫です」


 そう言ってわたしはその場を逃げ出してしまった。お父さんの件や小学生の時、クラスの男子にそばかすを揶揄われた事もあってわたしは男の人が苦手だ。

 年配の人や子供だったら大丈夫なんだけど青年から壮年のいわゆる同年代以上の成人男性が怖いと感じてしまう。

 でもなんであの人の事がこんなに気になるんだろう? お爺ちゃんに似ているからだと思ったけど顔はそんなに似ているわけじゃない、何故だか知らないけど体付きと汗を流す仕草がかぶって見えるんだ。


 その日から自分の中に芽生えた不思議な気持ちに動かされ、お昼時にはニコマートの駐車場にあのトラックが停まっていないかを見に行くのが日課になった。

 羽柴冷凍運輸と書かれたトラックに乗っているあのお兄さんはほとんど毎日、午後一時前後にアイスクリームや冷食を納品した後このコンビニで休憩をしている。オーナー夫婦とは仲が良いみたいでいつも談笑しているし裏の水道も快く使わせてもらっているようだ。

 トラックの後ろに書いてある名前は畠山泰明さん、姿勢が良くて物腰が柔らかく、荷物の扱いも丁寧で挨拶も爽やかな彼にわたしはどんどん惹かれていた。

 そして今日、いつものように汗を流している彼を見ようとしたその時、トラックのミラーにかけてある制服と肌着が目に留まった。わたしはそれに思わず手を伸ばしてそのまま自分の顔を埋めると大きく息を吸い込んで匂いを嗅ぐ。


 すごく懐かしい匂いに涙が溢れそうになった、農作業をしたり空手の鍛錬でかいた汗が染み込んだタオルや衣類の良い匂い……わたしの大好きな真面目で誠実な働き者の匂いだ。

 夢中で何度も肌着に顔を埋めてスーハーと匂いを吸い込んでいると不意に声をかけられる。

 

「えっと……何してんの?」


 ハッと我に返り前を見ると畠山さんが目の前にいて不審そうな目でわたしを見ている。

 うわぁぁぁぁぁぁぁ! わたしったら何やってんのよ! 男の人の肌着に顔を埋めて匂いを嗅いでるなんて見ようによっては変態さんだよぉ!


 フリーズした思考とパニクった脳みそは機能不全に陥りそれから畠山さんと何を話したのか全然覚えていない。

 大混乱の果てに思考が暴走したわたしはとにかく謝りまくった後に叫びながら走り出してしまったんだ。


「あっ! 明梨先輩、さっきコンビニでトラックの運転手と揉めてたって友達から聞いたんっすけど大丈夫っすか⁉︎」

 

 寮の入り口で洗い息を吐いているとルームメイトで造形学部二回生の立川(たちかわ)千紗(ちさ)ちゃんが声をかけてきた。


「あれはわたしが悪いのよ千紗ちゃん」


「なんか謝りながら全力疾走してたって聞いたんっすけで何があったんすか?」


「えっと、話せば長くなるんだけど……」


「ところで手に持ってる布って何っすか?」


「えっ⁉︎」


 千紗ちゃんに言われて初めて気付いた……わたしの右手に握りしめられている畠山さんの肌着の存在に。これ……どうしよう?

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