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汗と筋肉 眼鏡にそばかす

 明梨ちゃんが実の父親に拉致監禁された事件から三日が経ち事情聴取や現場検証も一段落着いて、ようやく日常が戻ってきた。


 正当防衛だったとはいえ硬球を頭部にむかって投げた事に関しては警察官に厳重注意された。確かに無我夢中でやった事とは言え、公式戦だと一発退場の命に関わりかねない危険行為だ。

 蒼太は相手の安全と拳の負担を考慮したボディー攻撃のみだったので警察からのお咎めは無かったけど、ジムの会長やトレーナーから「大事な拳をそんな事につかうな!」と大目玉を食らったらしい。

 千紗ちゃんは釘バットの所持を警察に問い詰められていたけど、淀川の姐さんが旦那さんを通じて穏便に済ませてくれた。確かにあんな物はケンカ以外に使い道がないからなぁ。


 犯人の処遇は警察がやってくれるので俺たちの手からは離れているからよくは分からないけど、再び明梨ちゃんが襲われる可能性は低いそうだ。

 明梨ちゃんの父親は俺に怯えて「二度と明梨に手を出さないから許してくれ」とブツブツと呟いているそうだ。他のメンバーもあっさりと自供して検察からの起訴を待つ身だという。


 出社して点呼を受け、今日の商品をトラックに積み込む。まだ紅葉には早いけど朝晩はすっかり涼しくなりメインの積荷もアイスクリームやフラッペから冷凍の肉まんやおでんだねに代わってきている。もう今年はあかね台四丁目店の水道を使わせてもらう事は無いと思うけど昼休憩はあの場所だ。

 まあ休憩というか今ではすっかり明梨ちゃんと会うための場所になってるんだけど。オーナー夫婦も俺達二人を見て楽しそうにしているから問題は無いだろう。


 あれから三日間、明梨ちゃんが心配で時間があったら度々メッセージを飛ばしていたんだけど、返信内容を見る限りショックを受けていたり精神的にダメージがある可能性はほとんど無さそうだった。それどころか早く会って直接姿が見たい、声が聞きたいというように前よりも熱がこもっているような気がする。事後処理も終わっているので今日からまたお昼にお弁当を作って来てくれるようだ。


 明梨ちゃんが拉致されて俺が救出した事は神坂にも伝えてある。最初は心配そうに聞いていてくれるだけだったが、拉致事件の詳細やその後のやり取りに熱がこもっていた事を伝えると少し考えてから神坂が口をひらく。


「なあハタケ……そろそろ買っといたほうが良いんじゃ無いのか?」


「何をだ?」


「そりゃあコンドームだよ、クソ真面目なお前の事だから無責任に生でしたりはしないだろ?」


「えっと……まだ俺達はそこまで」


「いや、状況を考えてみると彼女はいつでもOKだと思うぞ」


 神坂はそう言ったけど強姦されかけた直後にそれは無いだろう。そう思いながらも通勤中、ドラッグストアに立ち寄りLLサイズを買ってしまうとは……やっぱり俺も男なんだな。


 配送に出掛けると十月だというのに予想以上に気温が高くアイスや氷の追加注文が殺到していた。出発前に淀川の姐さんの「今日は季節が戻る予報だからアイス系は余分に積んどけ」という指示を素直に聞いておいて正解だったな。

 もちろん久しぶりに汗をかくと思って替えの肌着と厚手のスポーツタオルも用意してある。ラジオを聴いていると十二時現在の気温は29.6度だそうだ。涼しさに慣れて来た頃だったから余計に暑く感じるな。


 ニコマートあかね台四丁目店に着くとトートバッグを持った明梨ちゃんが待ってくれていた。もうトートバッグにはGPS付き盗聴器は入っていない。

 結果的にあれのおかげ彼女を助ける事が出来たけど、プライバシーの侵害だし犯罪行為なので香苗さんと千紗ちゃんに厳重注意をしたら、土下座して「もうしません」と謝ってたから大丈夫だろう。


「明梨ちゃん、納品が終わったら汗を流すからちょっと待っててね」


 オーナー夫婦も拉致監禁事件があった事を知っているので心配しているのかと思っていたら、香苗さんや明梨ちゃんに事の顛末をもう聞いているし、明梨ちゃん本人もショックを受けていない様子なので安心しているみたいだった。

 仕事がひと段落して作業着と肌着を脱いで裏の水道で汗を流しに行くと、いつもトラックの近くで待っている明梨ちゃんが俺の後を着いて来る。


「どうしたの? 明梨ちゃ……」


「ちゃん付けに戻しちゃうんですか? 明梨は俺の女だって言ってくれた時、凄くうれしかったのに」


 少し膨れっ面になった彼女はその表情にそばかすが似合っていてとても可愛かった。


「じゃあ明梨、俺のことも……」


「泰明さんは泰明さんのままで、でも敬語はやめさせてもらうね」


「ああ、それでいいよ」


 よく分からないけど何だかしっくりと来るし悪くは無いな。とりあえず汗を流そうと腰を屈めて蛇口を捻ろうとしたら間に明梨が割り込んで来てニコリと笑う。


「うん、思った通りちょうどいい高さ」


 顔が近いと思った瞬間、明梨は俺の後頭部に両手を回して引き寄せた。あかりの顔がそばかすの粒がはっきり見えるくらい近づいた時、俺の唇を柔らかい物がふさぐ。


「えへっ、わたしのファーストキス能動的にあげちゃった」


「えっ⁉︎ 明梨ってこんなに積極的な娘だったっけ⁉︎」


「だってわたしは泰明さんの女だから……って、まさかあの時言ってくれたことって本気じゃなかったとか……」


 明梨の表情が不安そうになったので俺は首をブンブンと横に振った。


「いや! 本気も本気! あの時俺は明梨を守るって心に誓ったから」


「わたし守られるだけじゃ嫌。泰明さんにも色々してあげたいし、もっともっと親しい仲になりたい」


 そう言うと彼女は上半身裸の俺に抱きついてきた。


「明梨、今の俺は汗まみれだから流してから……」


「いいの、わたしは泰明さんの逞しい身体と汗の匂いが好きなの……だから今度、直に泰明さん身体と匂いを感じたいな……」


 体と心の奥底から何かが込み上げてきた俺は、明梨の顎を指であげると今度は自分からキスをして彼女の小柄だけど肉付きがよい身体を抱きしめた。


 コンビニの駐車場から香苗さんや明梨の友人達、オーナー夫妻が「明梨ったら初めてなのに濃厚」「うわっ! 顎クイ見ちゃった」「マッスルと汗のハグだぁ」とか言いながら画像まで撮っているけど別に構わない。

 デートの一部始終を盗聴されていたんだから何を今更という感じだ。


「わたしは泰明さんの女だからずっと側にいさせてね」


 そう言って微笑む彼女の眼鏡とそばかすで彩られた顔が凄く愛おしい。神坂のアドバイスで通勤中にドラッグストアで買った物……近いうちに使う事になりそうだな。

今回で完結とさせていただきます。最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

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