筋肉と眼鏡のランチタイム
全国高校野球甲子園大会の出場校が全て決まり、蝉の鳴き声が五月蝿さをさらに増しすっかり夏真っ盛りになった月曜日。
一昨日のデートの余韻が残る朝、出社して作業着に着替えていると早番のバイトを終えた蒼太が更衣室に入ってきた。
「おはようございますヤスさん」
「おはよう蒼太、明梨ちゃんから聞いたんだけど夜までチーちゃんとデートしてたらしいな」
「まあそんなに色気のあるもんでもないですけどね」
あの日明梨ちゃんは俺が寮に送った後、彼女はチーちゃん以外の友達や先輩後輩に囲まれてデートについて猛烈な質問攻めにあってたそうだ。
「明梨ちゃんの話だとチーちゃんは夜になってから蒼太に送られて帰って来たって言ってたんだけど、ずっと二人でツーリングしてたんだろ?」
「夕方にはこっちに帰ってましたよ。それからチーちゃんがボクシングに興味を持ったんで、ジムに連れて行って練習とスパーを見せてから赤木さんの店でラーメントッピング全増しで食べてから寮に送っていきました」
「えっ⁉︎ あの店のトッピング全増しってウエイトは大丈夫なのか?」
蒼太と同じジムに所属するウェルター級の日本ランカーである赤木くんは生活のためにラーメン店で調理師として働いてる。確かあの店はトッピング増量無料のガッツリ系だったはず、軽量級の蒼太にとってはタブーな食品なんじゃないだろうか?
「まだ試合までは時間があるし、僕は食べてもそんなに体重増えないんでトレーニングをサボらなければ大丈夫ですよ」
漫画の影響でプロボクサーの減量といえば命を削るほど過酷なものだと思われがちだが、今はよほど無理な階級を選択しない限り日頃から節制をしていればそれほど苦労はしないらしい。
「チーのやつ生活費がキュウキュウらしくてバイト代が出るまでは碌なものか食えないって言ってたんで奢ってやりました」
「そうか、そっちも仲良くやってるみたいで良かったよ」
「こっちは飯食わせてやってんのにヤスさんとこは毎日のように手作り弁当の差し入れって、なんか格差を感じるなぁ」
「何で知って……」
「女子の情報ネットワークって思った以上に密なんで舐めちゃ駄目ですよ。僕のことだってチー経由であちこちに拡散されてるはずですから……あっ! それと淀川の姐さんもそのネットワークに入ってます」
今まで女っ気無しで生きてたからそんなモノがあるなんて知らなかった。姉妹はいたし、よく話をしていたけど家の外で何をしているのかはよく知らない。もしかしたら姉妹から地元で俺の噂が拡散されているかもしれないな。
「早番という事は今日は出稽古のスパーリングか?」
「はい、新人王トーナメント二回戦に向けての練習です」
「頑張れよ」
蒼太も千紗ちゃんと付き合うようになって張り切ってるみたいだな。着替えを終えて事務所に行くと、いきなりニタニタと笑う姐さんに揶揄われる。
「今日も昼時はいつもの場所で手作り弁当を持った彼女が待ってるなんて妬けるねえ脳筋」
「いや、なんとなく流れでそうなっただけですよ」
「でもよう、今までのハタケからは考えられない事だよな」
初田爺さんがニヤリと笑いながら俺に缶コーヒーを手渡すと、アルコールチェッカーに息を吹きかけて点呼簿にサインをする。うちの会社はコンプライアンス重視だからアルコールチェックや労働時間の管理はかなり厳しい。
「あっ、初田さんありがとうございます」
「いいってことよ、それよりも初めてのデートはどうだった? 堅物なお前の事だからまだ何もしてないとは思うが」
「いや、初めて一緒に出かけたのにいきなりは……」
「いきなりって、飯食ったり買い物したりはしたよね。いったい何を想像したのかな〜脳筋? やっぱりナニなのか?」
俺が初田爺さんに答えかけると姐さんがニンマリと笑いながら茶化してきた。
「それってセクハラですよ姐さん」
「すまんすまん! ちょっとした遊び心と言う事にしといてくれ。ところで今出勤してる社員の中でファーストキッスがイソジン味の奴は手をあげろ!」
姐さんの指示を聞いた男性社員の過半数|(もちろん俺もそうなんだけど)が手を挙げたけどやっぱりこれってセクハラだよな。
出発前の点呼を受けていつも通りにコンビニ配送に出かけ、いつも通りに仕事をこなしていく。いつも通りのはずなのに気分はいつもと違う気がするのは何故だろう?
その疑問は配送が進みニコマートあかね台四丁目店に近づいた時にはっきりと分かった。俺は明梨ちゃんに会う事を楽しみにしているんだ。
あかね台四丁目店に着くと日陰で大きめのトートバッグを持った明梨ちゃんが待っていた。冷食とアイスクリームの納品を済ませるとニヤニヤと笑うオーナーの奥さんが手をパタパタさせている。
「彼女待ってるから早く汗流して行ってあげてよ」
店内には彼女の友達も数人いて同じような表情をしている。彼女達も間違いなく例の情報ネットワークの構成員なんだろう、なんだか監視されているような気がしてきた。
「泰明さんこんにちわ! これからお昼を一緒に過ごせると思ったら嬉しくて腕によりをかけてお弁当を作っちゃいました!」
とりあえずトラックのエンジンをかけてエアコンを作動させてからいつものようにコンビニの水道で汗を流して車に戻ると、明梨ちゃんがトートバックから三段重箱を取り出す。
「ちょっと豪華過ぎないか?」
「お米とお野菜は長野の実家から送ってくれるし、お肉は晩御飯を作る代金代わりに寮のみんながカンパしてくれるんですよね。どっちも余るくらいもらえるので遠慮なく食べて下さい」
一の重には南瓜の煮物に蓮根とゴボウのきんぴら、切り干し大根に青菜のお浸し。二の重にはアスパラの肉巻きに出汁巻玉子、鶏の照り焼き。三の重には塩と胡麻とゆかりのオニギリ。
美味そうだけどやっぱり豪華過ぎるんじゃないか?
もちろん二人分だから明梨ちゃんと一緒に食べるけど、いつも一人でコンビニ惣菜を食べるのとは別次元の感覚だ。彼女と二人きりで手作り弁当を狭い空間で食べる、美味しさと気恥ずかしさと嬉しさの入り混じった時間はすぐに過ぎて行った。
「もの凄く美味しいし嬉しいんだけど、毎回これだと大変だからもう少し簡単なものでいいよ」
「ちょっと頑張り過ぎちゃったかとは思ってるんです。全部食べてもらえて嬉しいんだけど苦しくないですか?」
「少し食べすぎた感はあるんだけど動いたらすぐに消化するから大丈夫」
笑顔で手を振る彼女に見送られ午後からの配送に出掛ける。これからは昼食の時間が楽しみになりそうだ。




