チーちゃん、筋肉の職場に潜入する
「実は明日、細マッチョのお兄さんの勤務先、羽柴冷凍運輸にバイトの面接に行くんっすよ! 敵の中枢に乗り込んでバッチリと情報収集をするっす!」
「敵って……」
「でもそれって面接受かったらの話よね」
「あれっ? チーちゃんって確かヨネダ珈琲店でアルバイトしてなかったっけ?」
「うっ⁉︎」
造形学部の一年先輩で寮生の一人である松尾真弓にそう言われた千紗は言葉に詰まって目を逸らせる。
「えっと……実は客のオッサンにケツを触られたんで、ブチ切れて顔面に水ぶっかけたらクビになったっす」
照れ笑いと自嘲が入り混じった表情でそう言う千紗に一同はため息を吐いた。
「チーちゃん、いくらお尻を触られたからっていきなり水かけちゃ大問題でしょ!」
「女の子がケツって言ったら駄目よチーちゃん」
「たぶんチーちゃんって接客業にむいて無いと思う」
「またヤブヘビっす!」
「でもチーちゃん明梨のためにわざわざ畠山さんの会社をバイト先に選んだのよね?」
「えっと……実は昨日、お兄さんの運転してたトラックに羽柴冷凍運輸のアルバイト募集のQRコードが貼ってあったんで……」
香苗が良い感じてフォローしたのだが馬鹿正直に答えて台無しにしてしまった千紗に、一同は深いため息を吐いたのだった。
「もしかしてワタシまたやらかしちゃったっすか⁉︎」
翌日、千紗は学生寮から入学祝いに買ってもらったロードバイクをぶっ飛ばして、羽柴冷凍運輸の冷凍倉庫兼配送センターへと向かう。
原付の制限速度に近い速度で走行するが逆走はしないし信号は守る、止まれの標識や踏切ではちゃんと一旦停止をしている。なぜならば以前に夜間の無灯火やスマホを見ながらの運転でお巡りさんにこっ酷くしかられたからだ。
三十分程走ると市街地から少し離れた高台に広い敷地と割と大きな建物が見えて来た。近づくと羽柴冷凍運輸配送センターと書かれた青い看板が千尋の目に入る。
「ここっすね! 細マッチョのお兄さんの勤め先は。接客業務じゃなくて荷物の仕分けとか事務だったらトラブルも少な……」
そう言いながら千紗はふと、運送業は男社会だから年功序列や男尊女卑の風潮が残ってるのでは? と思い言葉に詰まる。
「まあ、面接の予約は取ってんだから一応は受けてから考えるっす!」
男臭い散らかった営業所を想像して配送センターの自動ドアを通ると清潔で整頓されたオフィスが目の前にあった。
入口すぐのカウンターには「御用の方はこちらからご連絡下さい」と書かれたオートフォンが置いてある。
「すいません、バイトの面接に来た立川と申します……」
「おう、すぐに行くからそこで待っててくれ」
オートフォンからぶっきらぼうな女性の声でそう言われるとカウンターの奥からグリーンのポロチェニックに七分丈のベージュのパンツ姿の女性が出て来た。二十代後半から三十代前半に見えるその女性は砕けた口調で千紗に話しかける。
「立川千紗ちゃんだったかな? 今は所長が不在だから代行の私が面接を担当するよ。副所長という肩書きが気に入らないので事務員を名乗っている淀川寧々だ、さっそく会議室に行こうか」
「はい!」
奥の会議室に向かう途中すれ違う社員達は淀川女史に挨拶する時、姐さんか寧々さんと呼んでいる。システムや設備は最新の物を使っているが結構フランクな会社のようだ。
「まあ、とりあえず腰掛けてくれ。星華美術大学二回生で寮住まいか……ニコマートあかね台四丁目店の近くだな」
「はい、そうです」
「実はそこに配送している担当者のドライブレコーダーをチェックしていたら偶然立川さんがお友達と三人で写ってたんだよねぇ」
寧々はニヤリと笑いながら千紗に顔を近づける。
「ウチで働いている畠山の情報を仕入れるためにバイトを志願したのかな?」
「そっ、それもあるっすけど! 実は……」
千紗は寧々に彼女の視点から見た筋肉と眼鏡の関係と周りで動く友人達、そして自分自身がチェーンの喫茶店でセクハラをした客に激怒してクビになった事を包み隠さずに話した。
『うう、このお姉さんからは絶対逆らえ無いオーラが滲み出てるっす……』
一通り話を聞き、履歴書を読みながら頷く寧々をビクビクしながら見る千紗に声がかかる。
「表計算検定三級持ってるけど表計算ソフトある程度分かる?」
「商業高校だったんで基本的な操作だったら出来ます」
「じゃあちょっと来てくれ」
千紗はオフィスのPCに連れて来られて羽柴冷凍運輸業の運用シートを説明される。解り易いように整頓されているので、普通に表計算ソフトが扱えれば問題なく分かるレベルだ。
「ウチの事務処理は出来そうだな。ところで勤務シフトの希望に関しては何も書いてなかったが無理な日とかあるのか? メインは早朝の品出しと夕方のデータ処理だが出来るだけの希望は聞くぞ」
「金欠なんで出来れば多めに入りたいと思います……って採用っすか!」
「ああ、出来れば夕方のデータ入力に多く入ってくれたら私が早く帰れるからありがたい。子供らが腹を減らして待ってるからな」
「へっ⁉︎ お子さんがいるんっすか?」
「二児の母で三十も半ばだよ、旦那は警官だからあまり家にいないんだ」
「若く見えるっす!」
「おっ、素が出て来たな! とりあえずシフトを決めてその後で脳筋とメガソバの話でもするか!」
「了解っす! 淀川さん!」
「寧々でいいよ、それにしてもこれから色々な意味で楽しくなりそうだ」
こうして千紗は畠山泰明の職場に入り込んだのだ。