04.モブ令嬢とおねだり
そういえば、誰にも言ったことはなかった。シルヴィは、聞かれたことがないので当たり前かと一人納得する。
聖光教に関わっていた貴族達の悪事を炙り出し、国王陛下の望み通りに審問の場に引き摺り出した伯爵のどこまでも優しげな微笑みが脳裏に浮かび、シルヴィとルノー以外の皆の背筋に冷たいものが走る。
しかも、だ。今現在伯爵位で最も権力があるのは、伯爵の言っていた通りの家門なのである。そして、アミファンス伯爵家の位置は何も変わらず。全ては伯爵の手の平の上だった。その伯爵の姉。
「つまり、だ。シルヴィ嬢の言っている手と言うのは……」
「はい。伯母様に頼めば、何とでもなるかと思います」
「流石に難しいような。いや、そうか……。因みにシルヴィ嬢、伯母様の嫁ぎ先が知りたいな~なんて」
「……? ディオルドレン大公家です」
「大公家!?」
想定以上の大物の名に、ディディエの口があんぐりと開く。それは他の者も同じようで、ルノーも驚いたような顔をした。
「それは、アミファンス伯爵家の家訓を考えると大丈夫なの?」
「お父様は特に何も言ってなかったかなぁ。でも、大公家に嫁いだのは伯母様が初めてらしいけれど」
「ふぅん、なるほど。家訓はあくまでも“アミファンス伯爵家”のものということか……。だから、婿入りの話で急に。嫁入りするならば、公爵家でも一応は問題にならなかったのか」
昔、ルノーは結婚したいのならシルヴィの許可を持ってこいとしかアミファンス伯爵に言われなかった。それが最近、当主になるならばとあれこれ注文されることが増えたのだ。
まぁ、当主になるのだから当たり前と言われればそうであるし、ルノーもアミファンス伯爵家のやり方に従う気はある。それもこれも、全てはシルヴィのためなのだから。
「ただ、お祖父様はとても心配されたそうよ。でも伯母様は、『隣国の社交界を掌握してみせます。ご心配なく』と高笑いしながら旅立たれたとか」
「凄いパワフルな伯母様なのね~」
「そうですね。『舞台上で繰り広げられるフィナーレを裏で眺めながら飲む勝利の美酒ほど美味しいものはないわよ』とのことです」
「うわ~お」
「『損なく楽しく生きてこそ、アミファンス』と会う度に言われます」
シルヴィが“伯母様に頼めば、何とでもなる”と豪語するだけのことはあるらしい。大公家の権力とアミファンス伯爵家の血。確かに留学など簡単に出来そうだと思わされる。
「伯母様の誕生日は毎年、隣国にお祝いに行くのです。ですので、私は色々と伯母様や伯父様。従兄二人に聞いてヴィノダエム王国のことを詳しく知っているということです」
「そう言われれば、伯母の誕生日で遠出すると聞いた記憶があるな。まさか隣国まで行っていたとは」
「小さい時に『お仕事は大丈夫なの?』って聞いたことがあるの。ほら、隣国と言っても遠いから。そしたらお父様がね。『姉上だけは敵に回してはいけない。招待状が届いた限りは、何があっても必ず参加しなくては』と……」
シルヴィ以外の全員が“あの、アミファンス伯爵が?”と戦慄する。果たして手を借りても大丈夫な相手なのだろうかという空気が漂いだした。
「ただ、私は学業を優先しなさいとのことで。学校を卒業するまで暫くは会えない予定だったから、きっと伯母様は喜ぶと思うの。自分で言うのも何だけど……。伯母様は私の事を可愛がって下さってるから」
「シルヴィの親類を頼るなら、どのみちシルヴィは隣国に行く必要がある、か……」
「そうです。どうする? ルノーくん」
シルヴィが意地悪く笑う。珍しい表情をルノーはうっとりと眺めながら、致し方ないかと諦めた。自分のためにと言うのなら、受け取るという選択肢しかルノーにはなかった。
「シルヴィにお願いしようかな」
「ふふっ、任せてくれていいのよ。伯母様直伝の“おねだり”でお父様は問題なく説得できるとして、伯母様は……。まぁ、伯母様もそれでいけるとは思うけれど」
「僕も見たいな。僕にもして」
「えぇ……? 機会があれば?」
「どうしてないんだろう……」
シルヴィのためならば、何でもしてあげるというのに。心底、不思議そうに。残念そうに。ルノーが溜息を吐く。
「あっ、でも、そうか。ただ……」
話もまとまりそうだったタイミングで、急にシルヴィが気まずそうな色をその瞳に滲ませた。言いにくそうに、視線がウロウロと泳ぐ。
「何か問題が?」
「いえ、殿下、その……。どうしたら……。隣国に行くことを全面的にオススメは出来ないのです……」
一瞬、シルヴィの発言が理解できなかったかのような沈黙が場を支配した。それを破ったのは「ここまできて!?」というジャスミーヌの声であった。
「何故ですの!?」
「それは……。ヴィノダエム王国はジルマフェリス王国とは違うので」
「どういう意味でかしら~?」
「ジルマフェリス王国で光魔法は珍しいですが、ヴィノダエム王国ではそれほど珍しいものではありません」
「たしかに……」
「そうだったわ~」
「魔力がないことはあまり問題にならないのです。寧ろ、親切にして頂いた記憶しかありません。でも、その、や、闇魔力持ちへの当たりが強く……」
シルヴィの視線がルノー、そして、トリスタンへと動く。その視線を受けて、トリスタンはキョトンと目を瞬いた。これは、心配されているのだろうか。
「そこは、問題ないよ。俺はこの前までは魔力なしだったし、侯爵家の憐れな甥とかこそこそ噂されてたから。慣れてる。今でも何か色々陰口言われてるしなぁ」
「僕もだよ」
「う、ん……」
「フルーレスト卿と俺を同じにするのは、どうかと……」
シルヴィの言いたいことが分かったようで、フレデリクが困ったように天を仰いだ。隣国で喧嘩を買うのは、どう考えても大問題でしかない。
それは、シルヴィも同意見のようで思案するように目を伏せる。しかし、直ぐに何かを閃いたように顔を上げた。
「ルノーくんは、私の事どう思ってる?」
「好き」
「早い。返事が早い」
「好きだよ」
「う、うん。じゃあ、喧嘩を売られても買わないよね。魔物は良いけど」
「……どうして?」
「だって、紹介するのは私なんだよ。ルノーくんが喧嘩を買ったら、怒られるのは私だもの」
シルヴィの紹介で、隣国へ行くのだ。ルノーが騒ぎを起こせば、シルヴィの顔に泥を塗ることになる。ルノーは葛藤するように、眉を顰めた。しかし、シルヴィ以上に大事なものはなかったらしい。
「わかった」
「本当に?」
「“おねだり”して」
そうくるか。シルヴィは困ったように笑ったが咳払いすると、ルノーの袖を指で少し掴む。反対の手を軽く握り口元へと持っていき、上目遣いにルノーを見上げた。
「ルノーくん、おねがい。ね?」
普段絶対に使わないような、鼻にかかった甘い声だった。しかも、甘たれた舌足らずな喋り方。ルノーは後に、シルヴィが光り輝いて見えて目が潰れるかと思ったと証言した。
ルノーの頬が一気に赤に染まる。自分から強請ったというのに、キャパを越えたらしい。
「え、あ、」
「ルノーくん?」
シルヴィの呼び掛けに、我に返ったルノーが首を上下に振る。壊れた玩具のように何度も。そして、過去一番の大爆発が起こったのだった。
「ちょちょちょっ、シルヴィ嬢ーー!!」
「か、加減を! 加減をお願いします!!」
「ルノーくんがしてって言ったんです」
「そうだけどね!? そうなんだけどね!?」
「兄上! 落ち着いてください、兄上!?」
「かわいい。かわいい。何でもするから。シルヴィ、かわいい。僕に任せて」
「やくそくね?」
「うん」
燃え盛る木を眺めながらフレデリクは、それはそれは深い溜息を吐いたのだった。