61.魔王とたぬき
あぁ、なるほど。伯爵がシルヴィの両耳を手で覆って話を聞かれないようにしたのを見て、ルノーは納得する。シルヴィには、知られたくないらしい。
伯爵はシルヴィに声を掛け、しっかりと聞こえないことも確認すると、視線を国王へと戻した。
「聖光教ですね。いやはや、伯爵家と子爵家に信者がいたとは……。侮っていた訳ではないというのに、狡猾なことです」
「お前……」
「シルヴィに仕事の話はあまり聞かれたくありませんので」
「他は良いのか? バレるぞ?」
「まぁ、良くはありませんが……」
伯爵がその場にいる全員をざっと見回わす。爵位。家門。人柄。アミファンス伯爵家にとって、不利益にはならないだろうと判断したようだ。
「大きな問題はないでしょうから。それでは、陛下はどこまでお望みですか? 審問の場に引き摺り出す所までか。何なら没落させますか」
「審問の場に引き摺り出してくれればいい」
「そうですか。それならば、そう難しくはないでしょう。ただ、その伯爵家は、困りますなぁ」
「伯爵位の中で、一番権力を持っているからか。そこはお前の好きにすればいい」
「では、お言葉に甘えます。二番手は野心がありすぎる。三番手に登って貰いましょう」
国王と伯爵の会話に、伯爵の本性を知らぬ者達がポカンとした顔をしている。誰も口を挟めないようであった。
「あぁ、そうです。この際ですから、逃走計画書の件も片付けてしまいましょう。港を管理している侯爵家。今代の当主は話になりません」
「なに? まさか、そこの穴から逃げる計画だったのか?」
「その通りです。まぁ、他にも色々とあれですが、一番問題なのはそこでしょう。従兄が欲深い男でしてね。港は今、従弟の手腕で保っているようなもの。ですから、当主と従兄には出ていって貰って、従弟に侯爵家は任せましょう」
ふわっと伯爵が優しげに笑った。顔と台詞が合っていない。国王はそんな伯爵を見て、深々と溜息を吐き出した。嘘ではないのだろう。この男の情報の正確性はよく知っている。
「侯爵家の話は、もう少し詳しく話し合うことにしよう」
「そうですか?」
「まぁ、お前ならば問題なく上手くやるのだろうがな」
「お、お待ち下さい、陛下! ガイラン公爵ではなく、アミファンス伯爵に任せるおつもりなのですか!?」
「そうだ。こういう事は、伯爵の方が適任でな」
伯爵がニコッと、感情の読めない微笑みを浮かべる。それに国王が、心底嫌そうな表情になった。
「その顔をやめなさい。怖いんだよ。夢に出てきたらどうする」
「安心してぐっすり眠れますな」
「怒るぞ?」
公爵は信じられないものを見るような目で、伯爵を呆然と見つめる。国王はそれに気付いて、苦笑した。
「公爵はアミファンス伯爵家の家訓を知っているか?」
「いえ、存じません」
「決して没落することなかれ。しこうじて、決して繁栄することなかれ」
「……はい?」
「アミファンス伯爵家は、常に中間に“居続けて“いるのだよ。誰にもバレないように、注目を集めないように、周りを動かして自らは平凡を謳う。厄介な血筋だ」
国王はよく知っていた。この国で一番敵に回してはいけない人間が誰であるのかを。この国の城が陥落するようなことがあれば、それはきっとこの男のせいなのだと本能が警鐘を鳴らしたあの日の事を忘れたことはない。
この男が今のアミファンス伯爵夫人のために、本性を見せなければ。あの場に偶々居合わせなければ。学園に通う時期が重なっていなければ。きっと国王も、気付けずにいただろう。
「アミファンス伯爵の関与を誰も疑わないのは、伯爵家には利益も不利益ももたらされないからだよ。まぁ、この男が滅多な事でもない限りは、表だって手を下さないのもあるがな」
「我がアミファンス伯爵家は、損なく楽しく生きたいだけですので」
「そうだったな。隣国に嫁いだ姉君も息災か」
「とてつもなく元気です」
「それは良いことだな」
伯爵は仕事の話は終わりとばかりに、シルヴィから手を離す。伯爵の声に、シルヴィは目を開けた。
「あの……?」
「シルヴィに聞かせるには、少々恐ろしい内容でね」
「そう、ですか?」
「なるほど。そう言うところは、夫人とよく似ている」
「可愛いでしょう?」
シルヴィが話に付いていけずに、首を傾げる。ハテナマークを沢山飛ばしているのに、ルノーも確かに可愛いとそこは同意した。
「あぁ、そうです。最後に確認しておきたいのですが、ルノー卿はシルヴィを嫁に貰うつもりですか。それとも婿に入るつもりですか」
最後の最後に伯爵が爆弾を投下した。しかし、確かにそれは重大な問題だとシルヴィは納得する。
何故ならルノーはフルーレスト公爵家の嫡男であるし、ガーランドもルノーの魔力が戻れば後継の座を降りるつもりのようなことを言っていた。
もしシルヴィを嫁に貰うつもりならば、アミファンス伯爵家は後継を親戚から探さなければならなくなる。行動を起こすのは、早い方が良いのだろう。
「勿論、シルヴィの望む通りに婿に入るに決まっているでしょう?」
ルノーが意味深に、ニコッと微笑む。それに、シルヴィがきょとんと目を瞬いた。次いで、気まずそうに視線を斜め下へと逸らす。
シルヴィには、ルノーの発言に心当たりが有りすぎたのだろう。そして、ルノーの微笑みも。やっと、意味を理解したらしい。
「シルヴィの言う“素敵なお婿さん”の基準を明確にして下されば、それに相応しい男になってみせますよ」
「そう言えば、一時そんな事をシルヴィが考えていましたね」
「僕以外がその座に収まる事はないので。ねぇ? シルヴィ」
「え!? あ、えっと、そうなるのかな?」
「そうなるよ。昔、“二人”で考えた理想像で良いのかな?」
絶対に譲らないというルノーの気迫を感じ取ったのか、シルヴィがオロオロとし出す。気遣わしげにフルーレスト公爵へと視線を向けたシルヴィに、ルノーが「心配いらない」と即座にフォローを入れた。
「フルーレスト公爵は、僕と縁を切りたかったみたいだからね。それに、ガーランドがいるんだ。何の問題もないよ」
公爵とガーランドが何とも言えない顔をする。そんな公爵に、夫人が圧強めの微笑みを向けた。公爵がそれに気付いて、少しびくっとする。直ぐに咳払いで誤魔化していたが。
「お前を後継から外したのは、私だ。好きにしなさい。しかし、お前はフルーレスト公爵家の人間だ。そこは忘れて貰っては困る」
「ふぅん……。つまり?」
「フルーレスト公爵家は魔導師の家門。魔導師になれぬ者は、話にならない」
「魔導師に興味はないけど……」
「え? ルノーくんならないの?」
シルヴィが単純に驚いたという声を出す。「そっかぁ。てっきり将来は魔導師になるんだと思ってた」なんてシルヴィが言うものだから、ルノーが俄にソワソワとし出した。それはつまり、“なって欲しい”という事だろうかと。
それにガーランドが気付いて、何とか魔導師になる方向へ持っていけないかと思案する。公爵家の後継は諦めるしかなさそうだが、魔塔の主はルノーになって欲しかったのだ。
「シルヴィ嬢は見たいと思いませんか?」
「何をですか?」
「魔導師の正装。今、父上が身に付けていらっしゃる真白なローブを着た兄上です!」
ガーランドの言葉に、シルヴィはルノーのその姿を想像する。全体的に白い。しかし、似合うだろうなと思った。オタク心を優先するのなら、普通に見たいとも。
「それは、まぁ……。似合うとは思いますけど」
「見たいですよね?」
「……見たくはあります」
「兄上!」
「まぁ、なるのは難しくないよ」
「超難関の狭き門……」
シルヴィの呟きに、ルノーは微笑みだけを返す。シルヴィは、ですよねと口を閉じた。ルノーには簡単な事らしい。
「アミファンス伯爵家の歴代当主に、魔導師はいないのですがねぇ」
「お父様……」
「まぁ、名門フルーレスト公爵家から婿入りなど、それだけで既に注目の的でしょうから。しかも白金持ち。魔導師でなければ、逆に浮くかな?」
最後の方は小声でよく聞き取れなかった。シルヴィが不安そうに伯爵を見上げる。
そんな二人を見て、ルノーは仕方がないと溜息を吐く。本当はシルヴィが不満そうにするだろうから、言うつもりはなかったのだが……。
「僕はシルヴィを公爵夫人にするつもりはありません」
「……それは、何故ですかな?」
「シルヴィに公爵夫人は向かないでしょう? 伯爵夫人でも心配なのに……。出来れば、アミファンス伯爵領から出したくない」
ルノーの思った通りだった。伯爵はよく分かっているじゃないかと言いたげに、満足そうな笑みを浮かべる。逆に、シルヴィは心外だと眉根を寄せた。
「マナーはお父様のお墨付きなんですけど?」
「そういう問題ではないよ」
「いっつもそう言う」
社交界ほど、面倒な場はない。常にルノーが側にいられるのなら、いくらでも参加すればいいが、そうもいかないだろう。ルノーからすれば、本気でアミファンス伯爵領からシルヴィは一生出なくてもいいのだが。
「なるほど。まぁ、フルーレスト公爵もああ言って下さっていますからね。有難いお話です。が、一つだけ私からもよろしいでしょうか?」
「……何ですか?」
「チェスの腕前は、上がられましたか」
チェスという言葉に、ルノーが嫌そうに眉をしかめる。それに伯爵が、人の良さそうな笑みを返した。
「盤面を支配できない者に、アミファンス伯爵家の家督は譲れませんからねぇ」
「あの時のようには、いかないと思いますよ」
「そうですか。それでは今度、一戦お相手して頂きたい。楽しみにしています」
「ベルトラン、お前……」
「あぁ、ご心配なく。任された仕事はしっかりとやります。久しぶりに腕がなりますな。チェス盤を三面。いや、四面出さなくては」
「そこは別に、心配していないが……」
国王が呆れたように溜息を吐く。昔、チェスをやったと伯爵が言っていた。ルノーの様子を見るに、その時ルノーは手も足も出なかったのではないだろうか。
何を隠そう、国王もそうだからだ。態と負けるな。手加減など無用と言ったその日から今日まで、一度として勝った記憶はない。
「さて、シルヴィ。ではお父様と一緒に帰ろうか。少し王都を散策するのはどうだい?」
「待て、伯爵。お前は私の執務室だ」
「後日では駄目なのですか?」
「侯爵の件を話して貰うぞ」
「それは……。私が一番嫌がることだと分かっていて、言っておられますか?」
「当たり前だろう」
国王が仕返しとばかりに、物凄くいい笑顔を浮かべた。それに、伯爵が大袈裟に膝から崩れ落ちる。
「でしょうな! シルヴィ、お父様を待つ気はあるかい!?」
「でも、明日は終業式があるから」
「そうか! 良い子だぞ、シルヴィ!」
「そんな泣かなくても……。ウィンターホリデーは、ちゃんと家に帰るわ。ね?」
シルヴィが困ったように、伯爵を宥めている。それを眺めながら、国王がフレデリクにしか聞こえない声量で「ほらな?」と話し掛けた。
「私の予想通りになっただろう?」
「ルノーのことですか」
「伯爵家に婿入りするようだぞ?」
フレデリクが何とも言えない顔で黙り込む。国王は何処か穏やかに、しかし困ったような顔で笑んだ。
「良いか? フレデリク」
「はい」
「アミファンス伯爵家には、気を付けなさい」
「……肝に銘じます」
このままいけば、ルノーはアミファンス伯爵となるだろう。しかも、アミファンス伯爵家の血をしっかり継いでいるシルヴィもいるのだ。息子の行く末を案じて、国王は出来るだけの事をしてから王位を譲ろうと真剣にそんな事を考えたのだった。