60.モブ令嬢と男の友情
上手くやったものだ。あそこから、ここまで出来るようになるとは思っていなかった。頗る嬉しそうなディディエを見ながら、ルノーは素直に感心する。
ディディエはイアサントの前までやってくると、迷いなく跪いた。そして、「大丈夫ですか?」と恭しく手を差し出す。しかしイアサントは、その手を取らなかった。ディディエは困った顔で、手を自分の方へと戻す。
「ど、どういうことですの?」
「正式な発表はまだですが、王女殿下とオレの婚約が決定したのは事実ですよ」
「そんなこと聞いておりませんわ!! お父様!!」
「落ち着きなさい、イアサント」
国王は思案するように、手を顎に当てる。この場で言う予定ではなかった。しかし、この件に関係のある者が揃っていることであるし、国王は仕方がないと言いたげに溜息を吐く。
「実はな。フレデリクとガイラン公爵令嬢の婚約が白紙に戻ることになった」
「本当ですか? しかし、何故?」
「学園での事は私の耳にもしっかりと入ってきているのだぞ? フレデリク」
「それは……。どういった内容の」
「聞きたいか?」
「いえ、やはり遠慮しておきます」
国王の笑みに黒いものを感じて、フレデリクは思わず視線を逸らしてしまった。親に叱られている子どものように、居心地が悪そうだ。
「まさか本当にあの条件が履行されることになるとは、私も驚きだ。しかし、光の乙女との婚姻を押す声が少なくないのもあってな」
「ロラ嬢とですか?」
「そうだ。ガイラン公爵令嬢にとってもお前にとっても、婚約解消は喜ばしいことではないのか?」
「勿論ですわ!!」
「ジャスミーヌ様~」
喜び勇んで声を出したジャスミーヌの脇腹をロラが肘で小突く。小声で「スト~ップ、メッ! 発言は許されてません」と注意していた。それにジャスミーヌが「申し訳ありません」と大人しくなる。
「だからって! どうして、わたくしが!」
「お前ももう十四歳だ。そろそろ王女としての自覚も持って貰わなければ困る。理解できるな?」
「でも! でも、わたくし!」
イアサントがルノーへと視線を戻す。諦めきれないのか、縋るようにルノーに手を伸ばした。それをルノーは足を引いて避ける。
「どうして……。どうして、わたくしでは駄目なのですか? もしかして、婚約者とはあの魔力なしの事を言っておられるの!? あんな女よりもわたくしの方が凄いのに!! 貴方に相応しいのはわたくしよ!!」
イアサントが怒りで顔を赤くさせながら、駄々を捏ねる幼子のようにそう言い募る。肩で息をしているイアサントを見て、ルノーはその顔に嘲笑を滲ませた。
「僕が白金色でなくとも?」
「……え?」
「王女様が欲しいのは、この髪色だけでしょう? 僕に興味など無いくせに、よくそこまで言える」
「そんなこと、ない」
何を言っているのだと、ルノーが首を傾げる。さらっと白金色の髪が揺れた。それに、イアサントは目を奪われたらしい。惚けたように瞳をうっとりと細める。
「君では駄目な理由を聞いていたね。教えてあげようか?」
ルノーから敬語が取れている。それにフレデリクは、冷や汗を流した。王女としてのイアサントは見限られてしまったのだろう。ルノーにとって、イアサントはただの煩わしい相手でしかないということ。
「簡単な話さ。君がシルヴィではないからだよ」
「は、」
イアサントの口から呆然としたような声が漏れでた。それは無視で、ルノーは更に追い討ちを掛けるように話を続ける。
「シルヴィでなければならない理由も知りたい? でも、困ったな。そんなの挙げれば切りがない。夜が明けて、日が沈んでしまうよ」
「それは流石にないと思うの」
「ルノー卿はよく分かっていらっしゃる。それくらいは余裕ですな」
「お父様……は、やれそう」
「僕も出来るよ」
何故か父親のことは否定しなかったシルヴィに、ルノーがムッス~と不満そうに眉根を寄せる。それに、シルヴィが眉尻を下げた。いったい何を張り合っているんだと言いたげに。
そんなルノーに伯爵が自慢気な笑みを向けるものだから、腹立たしい事この上無かった。シルヴィの父親でなければ、確実に蹴り飛ばしている。
「まぁまぁ、王女殿下。よくお考えください。無理矢理にでもルノー卿を手に入れたとしましょう。しかし、ルノー卿は貴女を愛してはくれないと思いますよ。それでもよろしいのですか?」
「そんなの分からないでしょう!」
「流石に分かりますよ……。それよりも、貴女のために必死に頑張ったディディエ卿の方が、貴女を幸せにはしてくれると思いませんか? 仲もよろしいとお聞きしましたが」
穏やかに微笑む伯爵を見て、イアサントの視線がディディエへと向く。それだけで、ディディエはうっとりと蕩けたように目を細めた。
「愛しています、誰よりも。貴女を幸せにすることだけが、オレの喜びです。願わくば、ずっと貴女の瞳に映っていたい」
愛が重い。ヒロイン倶楽部の心が一つになった。いやしかし、ディディエは元々そういうキャラだった気もする。寂しがり屋の構ってちゃん。ちょっとメンヘラ気味だったが、今はヤンデレに傾いているような……。
「わ、わたくしは、でも、ディディエ様は」
「都合の良い男ですか?」
「そんなこと! な、ないです。わたくし、その、うぅ~……」
イアサントが急にポロポロと泣き出す。それに、ルノーがスンと真顔になった。このタイミングで何を泣くことがあるのかと。
「か、考えさせてくださいませぇ!!」
大号泣でイアサントが走り去っていく。ディディエは立ち上がると、その後ろ姿を最後まで見送った。そして、「愛くるしい」と吐息混じりに呟く。
「ヤベ~わ」
「わ、わたくし、育て方を間違えたのかしら」
「どうかしら~」
「想い人に盲目的な所は、姉弟でそっくりかと」
ガーランドが冷静にそう言った。それを聞いて、ジャスミーヌが衝撃を受けた顔で固まる。ロラが「完全に同意します~」と半笑いで返した。トリスタンもうんうんと頷いている。
「十四歳ですか……。まだまだ若いですな」
「分かっている、ベルトラン! しかし、我が子は可愛い!」
「まぁ、それは同意します。しかし、叱るべき所は叱らなければ」
「お前も叱ったりするのか?」
「私を何だとお思いなのですか……」
「お父様は怒ると凄く怖いです」
「シルヴィは良い子なので、叱ることも滅多にありませんがね」
国王はぐうの音も出ないのか、渋い顔で黙ってしまった。それに、伯爵が苦笑する。仕方がないと話題を変えることにしたようだ。
「それはそうと、国王陛下。私はトリスタン卿の話に興味がございます。何でもソセリンブ公爵家の生き残りであるとか?」
「ん? あぁ、そうだったな。トリスタン卿の話もせねばなるまい」
急に自分の名前が出て、トリスタンが大袈裟に肩を跳ねさせる。物凄く緊張した面持ちで、姿勢を正した。
「陛下、その話にはどのくらいの信憑性があるのですか? 俄には信じがたい」
「フルーレスト公爵の言いたいことも分かる。もっともだ」
「物証が欲しい所ですね」
「アミファンス伯爵の言う通りだ。あるのですか?」
「まぁ、待ちなさい。トリスタン卿」
「は、はい!」
今まで社交の場に出ていなかった付けだろうか。トリスタンがソワソワと落ち着かない。心配になるほど、視線が泳ぎまくっていた。
ルノーが呆れて溜息を吐く。ガーランドとディディエは顔を見合わせると、やれやれと苦笑した。そして、頷き合う。
ディディエがトリスタンの横に移動している間にガーランドが、「失礼いたします、陛下。少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか」とお伺いを立てた。
「構わないが」
「ありがとうございます」
ガーランドとディディエに挟まれて、トリスタンがハテナマークを浮かべる。ディディエとガーランドが勢いよく、トリスタンの背中をバシッと叩いた。気合いを入れるように。
「いっ!?」
「しっかりしようね、トリスタン」
「正念場ですよ。落ち着いてください」
「オレらがいるでしょー?」
「助力は惜しみません」
「……うん」
小声でトリスタンを励ましているらしい。トリスタンは嬉しさで泣きそうになって、落ち着こうと深呼吸をした。先程までの情けなさが消えて、トリスタンの顔付きがしっかりしたモノへと変わる。
「申し訳ありませんでした。物証ですが、今は手元にございません。しかし、直ぐにでも用意することは出来ます」
「その物証とは何かな?」
「はい、ソセリンブ公爵家の印章でございます」
「捜索には我々も同行いたします」
「公爵家の名に掛けて、物証の正当性を保証させていただきたく」
透かさずガーランドとディディエが口添えする。三人の友情は儚くなかったらしい。何だかんだと仲が良いのだ。
「とのことだ。公爵、どう思う?」
「印章ですか……。それが本当なのだとすれば、信憑性はかなり高くはなるかと」
「そうだな。しかし、だ。周りがその印章だけで皆、納得するだろうとは思っていない」
「でしょうね」
「そこでだ、トリスタン卿。何か功績を立てなさい。周りが口を出せぬ能力を示せば、何の問題もないのだから。いいね?」
それは既に分かっていた話だ。ルノーとも頑張ると約束したトリスタンは、躊躇することなく「畏まりました、陛下」と辞儀をした。
「そこでだ、伯爵。お前を呼んだのは、この件も」
「陛下、少々お待ち下さい」
「……? 何だ、どうした?」
伯爵はシルヴィの後ろへと回ると「ちょっと、目を閉じていなさい。良いと言うまで開けては駄目だよ?」と言った。それに、シルヴィは不思議そうにしながらも素直に目を閉じた。




