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モブ令嬢に魔王ルートは荷が重い  作者: 雨花 まる
ファイエット学園編
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59.宰相と王女殿下

 大嫌いだった。躾の厳しい母親も意地悪な姉も。仕事ばかりで構ってくれない父親も。ディディエは家族を嫌っていた。

 それは、姉が五歳になった頃だった。急に姉が優しくしてくるようになったのだ。頭を打っておかしくなったらしい。しかも時折、“乙女ゲーム”や“シナリオ”など変なことを口走るようになった。

 突拍子もないことを仕出かすので、家族は酷く姉であるジャスミーヌを心配した。色んな意味で。

 その皺寄せは後継であるディディエが受ける羽目になった。虐められなくなったのは喜ばしいことであったが、違う意味で大変な日々が始まった。

 仕事ばかりだった父親は、ディディエを育てるために様々な事を教えてくれるようになった。全ては家門を守るためであったが、ディディエはその時間が大好きになった。

 母親はジャスミーヌの淑女教育に力を入れるようになり、ディディエにはそこまで厳しくはしなくなった。ジャスミーヌは母親の期待に完璧に答えるだけの能力は持っているらしかった。ただ、そうと決めると止まらないのが問題だった。

 そんな日々を過ごしていたある日、ディディエもフルーレスト公爵夫人が主催するお茶会に付いていくことになった。そこで、令息である少年と出会った。

 その少年はジャスミーヌの勢いをものともせずに、涼しい顔で本を読み続けていた。つまり、ジャスミーヌのことは完全に無視だった。

 ディディエが挨拶をすると、本から視線を上げてはくれた。この世の悪意を全て知っているような深い紺色の瞳と目が合って、ディディエは息を飲む。


「君も苦労するね」


 それだけ。その日、少年が口にした言葉はたったのそれだけであった。

 勝てないと感じた。風にサラサラと揺れる白金色の髪。それに見合った実力と風格。少年はどこまでも自由に見えた。

 それが、どうしようもなくディディエには羨ましかった。自分も頑張れば、こんな風に生きられるのだろうかと憧れた。


 ディディエが七歳の時だった。殿下の遊び相手にと、王宮に呼ばれたのは。上手くやらねばと思った。殿下に気に入られて損なことなどないのだから。

 そこには、少年の姿もあった。そして、ディディエは運命の出会いをすることになる。

 その少女は何処か鼻にかかった甘い声をしていた。少年に抱き付こうとして、避けられた少女は派手に転ぶ。それでも、少年に熱烈な視線を向けていた。

 子どもらしい丸々としたオレンジ色の瞳には、純粋な欲が滲んでいた。欲しい玩具やおかしを強請るような。駄々を捏ねるような。しかし、その中には拙いながらも確かな愛が存在しているように見えたのだ。ディディエには。

 ディディエは純粋に良いなぁと思った。自分もこんな瞳を向けられてみたい。一心に求められてみたい。

 しかし、少年は煩わしそうに溜息を吐くだけだった。

 少女の正体はフレデリクの五歳の妹。王女殿下であるイアサントだった。

 少年にどれだけ冷たくされても諦めずに、一心に手を伸ばす姿がディディエには酷く健気に映った。放っておけないと思った。

 ディディエはイアサントに小さな恋心を抱いてしまった。しかし、姉であるジャスミーヌがフレデリクと婚約している以上、弟であるディディエにチャンスなど最初から用意されてはいなかった。

 政治的に結ばれた婚約である。同じ公爵家からもう一人、王家と婚約など有り得ない話だった。周りの貴族達が黙っている筈がない。

 ディディエはその気持ちに蓋をした。イアサントが幸せならば、それで良いじゃないかと。しかし、フルーレスト公爵家は金色しか認めない家門であった。白銀色のイアサントでは相手にされないらしい。何とかしてあげたかった。


 またジャスミーヌが妙なことを言い出した。少年が魔力なしの伯爵令嬢を傍に置いているというのだ。

 いったいどんな手を使って擦り寄ったというのか。フレデリクも気になったらしい。開かれたお茶会に、ディディエは迷いなく参加した。

 アミファンス伯爵家の事は勿論知っていた。皆、口を揃えて言う。可もなく不可もなく。全てに置いて普通の家門だと。

 伯爵位の中でちょうど中間くらいの位置をずっとウロウロしていて、どの代も冴えない。今代の当主も、人柄は良いのだが上に行く能力のない。使えない男なのだとか。父親からもそう聞いた。


「欲が出始めたらしい」


 ディディエはバラ園へと向かう道中で、忌々しげにそう呟いた。幸いなことに、ジャスミーヌには聞かれなかったらしい。

 身の程を知らないのなら、教えてやるつもりだった。公爵家との繋がりが欲しいだけだった場合は、イアサントのために自分を差し出しても良かった。


「お初にお目にかかります、ディディエ様。わたくし、シルヴィ・アミファンスと申します」


 本当に普通の少女だった。ただ、酷く澄んだ瞳をしていた。どれだけ大切に育てられた箱入りのご令嬢なのか。

 しかし様子見で言った「可愛らしいですね」という言葉は、「ありがとうございます」なんて軽く流されてしまう。

 しかも、少年に睨まれてしまった。そこで、ジャスミーヌの言っていた事が真実だったのだと理解した。だって少年は、今まで見たこともないような穏やかさでもって、少女を見ていたのだから。

 バラ園でのお茶会は、それはそれは驚くほどに平和であった。あの少年が少女の話だけは、絶対に相槌を打ちながら聞くのだ。

 イアサントの瞳に宿っていたモノとは少し毛色の違う少年のそれは、何処か毒々しさを孕んでいた。焦がれるような。乞うような。しかしまだ不確かに燻っているように見えた。


 少女にとって、少年はただの幼馴染みであるようだった。公爵位も白金色も彼女はまるで興味がなかった。少年の価値はそこではないとでも言うように。

 しかし、周りはそんな少女を許さなかった。魔力なしのくせにと虐められているのを見て、ディディエは昔の自分と重ねた。寧ろ、あからさまに媚を売るような令嬢だったら良かったのに。そう思った。

 少女を心配してディディエは頻繁に声を掛けた。少女はいつも特に気にしていないように見えた。気丈に振る舞っているだけかと思った時期もあったが、本気で少女は気にしていないらしかった。


「相手にするだけ無駄ですよ。そんな暇があるのなら、楽しいことをした方が有意義ですもの」


 少女はとても強かった。令嬢達のやっかみを華麗に流して、楽しく生きていた。

 この少女を少年から引き剥がすなど、不可能に思えた。でも、それでは、イアサントはどうなるのだ。あの方の幸せは? 誰が幸せにしてくれるというのか。


 その頃だった。イアサントの周りにきな臭い連中がウロウロし出したのは。お茶会で何かをするつもりのようであった。ディディエは止めなかった。

 結果、王宮の美しい庭園は、予想以上の地獄絵図へと変貌した。バチバチと苛立たしげに迸る少年の膨大な魔力に、息が上手く出来なかった。鳴り響く爆音を何処か遠くに感じながら、ディディエはただ間違えたと思った。

 少年の腕の中で、少女はぐったりとしていた。命に別状はないとジャスミーヌから聞いたが、何故か目覚めないのだという。まさかこんな事をするなんて、知らなかった。

 少女は大丈夫だろうか。自分が止めていれば、こんな事態にはならなかったかもしれないのに。罪悪感で眠れなかった。

 そして、ふとイアサントの事が気になった。イアサントはこの件に関わっている筈だ。不味いと冷や汗が吹き出した。あの少年が、許すなんて考えられない。

 ディディエは慌てて、掴めるだけの情報を全て集めた。その情報は予想通りに最悪のものであった。ディディエは自室を飛び出し、形振り構わずフルーレスト公爵邸へと馬車を走らせた。


「ふぅん……。自信があるなら聞くよ」


 対峙した少年は、相も変わらず独特の威圧感を漂わせていた。悠然とした態度に、ディディエは気圧されて少し怯んだ。しかし、覚悟を決めたように背筋を伸ばす。


「勿論、自信があるので伺いましたから」


 ほぼハッタリだった。しかし、ディディエはやるしかなかった。でなければ、イアサントはただでは済まないと思った。


「それは、いいね。場所は?」

「人はいない方が有難いです」

「なら、ここで聞くよ。ここが一番、人が来ないからね」


 ディディエは緊張したように、馬車の中で必死に考えた事を話し始める。


「お茶会での件、ルノー様はどうされるおつもりですか?」

「勿論、許すつもりはないよ」

「関わった者達の情報は、」

「それは、実行した子爵家と男爵家の愚か者共の事かな? それとも、裏で糸を引いている侯爵家? あぁ、まんまと唆された王女殿下のことだった?」


 全て掴んでいるらしい。少年の瞳がほの暗い色を滲ませ、ゆったりと細まる。


「シルヴィさえいなくなれば、僕が王女を選ぶだとか。金色持ちの侯爵令嬢と僕を婚約させられるだとか。馬鹿馬鹿しくて、話にならないと君も思うだろ?」

「それは……」

「それとも、僕と王女を婚約させたかった?」

「いえ、滅相もありません」

「へぇ? まぁ、いいよ。それで? 何を相談しに来たのかな?」

「王女殿下は、利用されただけで」

「だから?」

「目を瞑っては、頂けませんか……」


 少年の指が、一人掛けソファーの肘掛けをトンットンッと一定のリズムで叩く。その音が、やけに大きく聞こえた。


「提案とやらを聞こうか?」

「オレが実行した子爵家と男爵家。そして、侯爵家も何とかします」

「どうやって?」

「どう……」

「首を持ってこれるの?」


 少年の声に迷いはなかった。当たり前のことのように、そう口にする。それに、ディディエは顔を真っ青にした。


「待ってください! そんなこと、シルヴィ嬢の耳に入ったら」

「嫌がるだろうね」

「じゃあ、そこまでは流石に!」

「知っている?」

「え? なに、を……ですか」


 少年がソファーから立ち上がり、窓の方へと歩いていく。


「人間の体には、“首”と付く部位が、沢山あるんだよ?」


 ゆっくりと、まるでディディエに言い聞かせるように、少年はそれだけ言った。覚悟が足りないと言われているようだった。

 少年は窓枠に片腕を置き、外を眺める。何か言わなければと焦れば焦るほど、何も出てはこなかった。


「それが出来ないと言うのなら、いっそ殺してくれ。そう懇願する程度には、追い詰めるつもりがあるんだよね?」

「あ、その……」

「もしかして、宰相である君の父親を頼ろうなどと考えていたのかな? それでよく、自信があるなんて言えたものだ」


 ディディエの顔が一気に熱くなった。悔しくて、恥ずかしくて、目の前の景色が涙で歪む。甘かった。少年とは一つしか歳が変わらない筈であるのに、こんなにも違うなんて。


「でも、そうだな。君のその無謀な勇気に免じて、機会を与えようか」

「きかい、ですか?」

「今度はしっかりと計画を立てておいで。もう一度だけ、君の話を聞いてあげよう」


 少年がディディエの方へと振り向く。ただの気紛れ。最悪、遊びだろうかと思った。しかし、少年の瞳に滲んでいたのは、そう言った類いのモノではなかった。

 少年は本気だった。本気でディディエを試している。値踏みするような少年の視線に絡め取られて、ディディエの肌が粟立った。


「不慣れみたいだから、少しくらいなら父親に教えを乞うても構わないよ。どうする?」

「オレは……」


 果たして、自分に出来るのだろうか。この少年を納得させられる程のモノを提示しなければならない。ディディエは逡巡するように、顔を俯かせた。


「そんなに気負わなくても大丈夫だよ。失敗した所で、飛ぶのは君の首ではないのだから」


 ディディエの心臓が凍りつく。そうだった。ディディエには、やるという選択肢しか存在していなかったのだ。

 緊張のせいだろうか、やけに喉が渇く。ディディエは覚悟が決まらないまま、それでも顔を上げるしかなかった。


「理解できないな」

「……え?」

「ここまでやるのに、どうして手に入れようとしないの?」


 少年の深い紺色の瞳と目が合う。ずっと曖昧に燻っていた少年のそれは、確かな熱を持ってじりじりと燃え出していた。

 じわりとディディエの手の平に汗が滲む。駄目だと思った。誤魔化して、目を逸らして、蓋をして、必死に封じ込めてきたのに。

 少年とは違うのだ。同じようには生きられない。諦めた方が良いこともこの世には存在するのだと、ディディエはよく知っていた。


「何の、事でしょう?」

「……手に入れなよ。寧ろ君が手綱を握れないなら、あの子にとって危険でしかない。はっきり言って邪魔なんだ」

「無理ですよ」

「どうして? 王家との婚約を姉から奪い取ればいいだけだろ?」


 少年の言葉に、ディディエはポカンと口を開けた。然も簡単なことのように言うが、普通に考えて不可能だろう。どうやったらそんな大それた事をやってのけられると言うのだ。


「殿下が零していたんだ。婚約に妙な条件を入れられたと。“お互いに運命の人を見つけた場合は、即座に婚約を解消する”らしいよ?」

「運命の人??」

「用意出来れば、二人の婚約は白紙に戻る。更に君が王女殿下と婚約すると申し出れば、解消の後押しにもなるかもね」

「それって、本当の事なんですか?」

「嘘を吐く意味がない」


 期待で胸が高鳴った。こんなに嬉しいことがあってもいいのだろうか。諦めなくても良いと言うのか。しかし結局、棚から牡丹餅は落ちてこない。全てはディディエ次第であった。

 ディディエは迷いなく、膝を折った。目の前の少年が、悪であっても構わなかった。綺麗事だけでは、何も手に入らない。誰も守れない。


「やります。やらせてください」

「そう。じゃあ、期待はしておこうかな」


 酷く気分が高揚した。あの少年に期待されている。答えなくてはと思った。でなければ、呆気なく切り捨てられる。それは、何故かとても嫌だった。


「あぁ、そうだ。アミファンス伯爵は、僕が止めてあげるよ。特別にね」

「はい? アミファンス伯爵ですか?」

「うん。止めておかなければ、君が何かする前に全て終わってしまう」

「しかし、アミファンス伯爵は」

「使えない男だと? それは、伯爵がそう見えるようにしているだけだよ。周りはまんまと騙されているのさ」


 思ってもみなかった人物が会話に登場して、ディディエは目を瞬く。俄には信じられなかった。ディディエはアミファンス伯爵に会ったことがあるのだ。間違いなく噂通りの人物だった。


「僕もあの子の父親でなければ、気付くことはなかったかもしれない。彼はこのジルマフェリス王国で、一番敵に回さない方がいい男だよ」

「そんな風には到底……」

「気を付けた方がいい。たぬき……。いや、彼をそう呼ぶには、本性が獰猛すぎるかな」

「そんな方を止められるのですか?」

「さぁ? どうだろうね。侯爵の首は譲った方が賢明かな。王女は……。まぁ、伯爵は国王陛下と仲が良いみたいだから。君の計画に納得したら引いてくれるかもしれないよ?」


 ここでも、やはり全てはディディエ次第と言うことらしい。止めるとは、あくまでもディディエの計画が出来るまでの間だけの話のようだ。


「が、頑張ります」

「君は苦労するのが好きだね」

「決して好きなわけでは……」


 ディディエの口から思わず、深い溜息が溢れる。少年の言うことも間違いではないのかもしれなかった。敢えて自分から茨の道に飛び込もうというのだから。

 しかし、それでも欲しいと思った。思ってしまった。誰かに幸せにして貰うのではなく、自分がイアサントを幸せにしたいと。幸せにすると、ディディエはその日決めたのだった。


 ディディエは少女が元気になったと聞いて、会いにいった。謝るつもりだった。しかし、少女の澄んだ黄緑色の瞳を目の前にすると、言葉は出てこなくなった。

 違うと感じた。自分が楽になりたいがための謝罪などに何の価値があるのだろう。詳しく説明する気も無いくせに、謝罪だけされても少女は困るだけだ。

 この罪悪感を忘れずに生きていくのだと、ディディエは謝罪の言葉を飲み込んだ。それは、想像以上の痛さを孕んでいた。


「……ディディエ様は怪我などされませんでしたか?」

「へ?」

「お茶会でお見かけしたので」

「だ、大丈夫です。離れた場所にいたので」

「それは良かったです」


 少女が柔く笑った。どこまでも優しい声音に、ディディエは泣きたくなった。


「魔力量が多いとコントロールが未熟な子どもが、ああいった事故を起こすことがあるそうですね。ルノーくんも特にお咎めがなかったと聞きました」

「はい。そのようですね」


 部屋に静寂が落ちる。ディディエの様子に、少女がオロオロとし出した。自分はいったい何をしているんだろうか。病み上がりの少女に、気を遣わせてどうするのだ。


「あの!」

「はい!?」

「オレと友達になってください!」

「……はい??」


 少女がきょとんと目を瞬く。ディディエは自分でもいきなり何を言い出すんだと思った。しかし、もう後には引けない。

 ディディエは勢いで「仲良くしてくれませんか!!」と言い募った。暫しの間のあと、少女が可笑しそうに笑い声を漏らす。


「よろこんで。是非、お友達になってください」


 何処か大人びた顔で、少女はふわっと嬉しそうに微笑んだ。

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