56.皇太子殿下と魔王
特別だと思っていた。この国に王子はフレデリク一人であったし、周りの人々もフレデリクを大切にし敬っていた。だから、フレデリクも自分はそうされて然るべき存在なのだと信じて疑っていなかった。
六歳の時に婚約者が出来た。何が気に食わないのか。喜んで当たり前のフレデリクとの婚約に、ジャスミーヌは何故か不満そうであった。婚約に妙な条件まで付けて、何様なのかと思った。フレデリクはジャスミーヌを好きになれそうもなかった。
翌年の春の事だった。父親がフレデリクの友達にと、フルーレスト公爵の息子を王宮へと呼んだのは。
フレデリクも噂には聞いていた。珍しい白金色を持って産まれた少年。自分よりも魔力量が高いのは不服であったが、それくらいでなければ友にする価値はないなとも思った。何故ならフレデリクが特別であったからだ。
「お初にお目にかかります。ルノー・シャン・フルーレストと申します」
少年が恭しく辞儀をした。美しい白金色の髪がさらっと揺れる。その美しさにフレデリクは目を奪われた。そして、圧倒される。少年の膨大な魔力量に。
「俺様はフレデリク・リナン・ジルマフェリスだ! どうしてもと言うなら、お前を友にしてやるぞ」
しかし、フレデリクが尊大な態度を崩すことはなかった。自信があったのだ。自分は王子なのだから、どんなに魔力量が多かろうがこの少年は自分に歯向かう事など出来はしないと。フレデリクは常に優位だった。
少年の深い紺色の瞳と目が合う。値踏みするような色を隠しもしないその瞳は、直ぐに興味を失ったかのようにフレデリクから逸らされた。
「光栄です、殿下」
ゆるりと笑んだその表情には、温度がなかった。視線もフレデリクを見ているようで、全く見ていない。不敬だと感じた。こんな態度が許される筈がない。
しかし、父親が遊んできなさいと言うものだから、結局フレデリクは少年と二人にされることになってしまった。
仕方がないので、庭園に向かって歩き出す。少年は何も言わずにフレデリクの後ろをただ付いて来るだけだった。
何の会話も面白味もない。フレデリクは段々と苛立ちが抑えきれなくなり、遂には我慢できずに少年の方へと体を反転させていた。
「何のつもりだ!!」
「はい?」
「やめだ! お前と友になどならない!!」
少しは慌てるかと思った。しかしフレデリクの意に反して、やっと少年の顔に滲んだそれは喜色であった。
「僕は構いませんよ」
「……は?」
呆気に取られたフレデリクを見て、少年は態とらしく首を傾げる。お前が言いだしたんだろ? とでも言いたげに。
フレデリクが何も言い返せずにいると、少年がふと顔を他所へと向ける。そう言えば、ここは外廊下であったとフレデリクはその時に気付いた。
少年の視線の先には仕事で来たのだろうか。貴族が三名ほど立っていた。こちらを見ながら何やらコソコソと話をしている。内容は聞こえてこないが、良いことではなさそうだった。
それにフレデリクは更に苛立つ。どいつもこいつも俺様を誰だと思っているのだ、と。
「お、い……」
早くこの場から離れようとフレデリクは少年に声を掛けた。しかしそれは少年の横顔を見て、尻窄みに消える。
少年の瞳は酷く冷めていた。人間とは実にくだらない生き物だと言われているような錯覚にフレデリクは陥る。
危険だと思った。この少年を放っておいてはいけない。この国が滅びるとすれば、それはきっとこの少年のせいなのだと本能が警鐘を鳴らした。
しかし今の自分に、この少年が従うことはないだろう。この少年を含めた誰もが認める素晴らしい王にならねばならないと、フレデリクは拳を握った。それが、自分の務めなのだと。
「やはり友になろう!!」
急に大声を出したフレデリクに、少年は驚いたような顔を向ける。きょとんと少年の瞳が丸くなっていた。
「よいな! 今日から俺様とお前は友だからな!!」
フレデリクの勢いに圧されるように、少年はただ首を縦に振った。
フレデリクは今まで以上に勉学に励んだ。全ては国のため。民のため。そして、酷く危ういあの少年のためでもあった。
少年との仲は深まったような。全く変わらないような。何とも言えない距離感ではあった。ただ、城に呼べば遊びには来るので嫌われている訳ではなさそうだった。
その日も午後から遊ぶ約束をしていた。フレデリクは何を話そうかと悩みながら、待ち合わせている庭園へと向かう。
庭園で遊ぶのは、少年がそこを気に入ってくれたようだったからだ。室内よりも機嫌がいいので、フレデリクは少年に合わせてそこで遊ぶことにしていた。
「待てよー!」
「速く来いって!」
貴族の令息が二人いた。そういえば、今日は茶会の日であったとフレデリクは思い出す。しかし、茶会の会場からこの庭園は離れている筈だ。何故、令息達はここにいるのだろうか。
茶会に飽きて王宮探検などと好き勝手に歩き回っているのだとしたら、随分とマナーのなっていない令息達だ。フレデリクは呆れて溜息を吐く。ここを何処だと思っているのか。
令息達は何を思ったのか、花壇の中へと足を踏み入れた。咲いていた花を躊躇なく踏みつけにする。フレデリクはそれには、特に何も感じなかった。花はまた植えれば済む話だったからだ。
しかし、王宮を歩き回っていることは咎めようとした。瞬間、令息達の体が強い力で押されたように花壇から弾き飛ぶ。そのまま強かに地面に体を打ち付けた。
何事が起きたのかと、令息達だけではなくフレデリクも呆然とした。令息達が呻きながら体を起き上がらせる。
「ねぇ、君達。ここを何処だと思ってるの?」
聞こえてきた声に、全員の視線がそちらへ向く。そこに立っていたのは、フレデリクが待ち合わせていた少年だった。
威圧感たっぷりに見下ろされて、令息達は引き攣った悲鳴を上げる。次いで謝罪を叫びながら、逃げ去ってしまった。
フレデリクはポカンと口を開けて立ち竦む。少年は何故あんな事をしたのだろうか。騒がしい声が気に障ったというのか。
少年は令息達に一瞥もくれずに、花壇へと近付いていく。直ぐ側で屈むと、踏み荒らされた場所をじっと眺め出した。それに、フレデリクは不思議そうな顔をする。何をしているのだろうか、と。
少年は花に手を伸ばそうとして、途中で止める。ウロウロと暫く意味もなく手を宙でさ迷わせていたが、最終的に困ったような顔で手を引っ込めてしまった。
そこで、フレデリクはようやく理解した。少年は、令息達が花壇を踏み荒らした事を怒ったのだと。フレデリクは急いで少年の元へと走り寄る。
「俺様が庭師を連れてくるから、待っていろ!」
それだけ言って、少年の返事も聞かずにフレデリクはまた走り出す。幸いにも庭師が近くにいたため、直ぐに連れてくることが出来た。
少年はフレデリクの言う通りに、その場で大人しく待っていた。庭師に気付いて、少年は横にずれて場所を空ける。
「これは、また……。酷いことをする」
「元気になる?」
「踏まれた花がですか?」
「うん。元に戻る?」
花壇の見映えが悪くなった事が問題ではなかったようだ。新しい花を植え直すのではなく、少年は踏まれた花が元に戻る事を望んでいる。それに、フレデリクも庭師も目を瞬いた。
「えぇ、えぇ、手を尽くしましょう」
「そんなに花が好きだったとは、知らなかったぞ」
「別に……。僕はただ、あの子が悲しむかと思っただけです」
「あの子?」
フレデリクが怪訝そうに眉根を寄せた。少年はそれには気付かずに、尚も踏まれた花を見つめ続ける。
「あの子は花が好きだから」
「お前……。まさか、それが理由で花壇を守ったのか?」
「それ以上の理由が必要ですか?」
「いや、それは……」
「花を見ているとあの子を思い出す。僕も花は嫌いじゃありません」
ゆったりと少年の瞳が細まる。氷のような無表情が、柔らかな温度でもって綻んだ。
少年に、このような表情をさせる存在がいたなどと初めて知った。フレデリクはその事実に酷く安堵した。少年も温かな感情を知っているのだと。
「今度その子も連れてきていいぞ! おれさま……俺が許可する!」
「それは無理ですよ」
「何故だ!?」
「このような危険な場所に連れてこれない。いえ、連れてきたくないので」
少年の口がムスッとへの字に曲がる。余計な事を言ってしまったと今更ながらに思ったのか、それから少年が“あの子”の話をすることはなかった。
あの子の正体が判明したのは、ジャスミーヌとの定例茶会でだった。少年があからさまに特別視している少女とフルーレスト邸で会ったというのだ。
少年がいい顔をしないことは分かっていた。しかし、フレデリクはどうしてもその子を一目見てみたかったのだ。だから、茶会の招待状を出してしまった。
シルヴィ・アミファンス。アミファンス伯爵家の一人娘。髪は焦げ茶色で魔力なし。特に目立つような情報はなかった。
どうしてこの少女なのだろうかとフレデリクは不思議で堪らなかった。それならば、妹のイアサントの方がとも一瞬思ってしまった。それ程までに、少女はどこにでもいる普通の令嬢だった。書類の上では。
「お初にお目にかかります。シルヴィ・アミファンスと申します。よろしくお願いいたします」
丁寧に辞儀をした少女の黄緑色の瞳と目が合う。悪意を見たことがないのか、その瞳はやけに澄んだ美しい輝きを持っていた。
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フレデリクは国王陛下の執務室に向かいながら、シルヴィの澄んだ黄緑色の瞳を思い出していた。
シルヴィは悪意を知っていたのだ。魔力なしだと蔑まれ、嘲笑されていた。にもかかわらず、シルヴィは何も変わりはしなかった。どんなに醜い悪意もシルヴィの瞳を汚すことは出来なかった。
だから、だろう。今この瞬間もこの国が無事であるのは。
ルノーはシルヴィのためなら何でもする。もしシルヴィが悪意に飲まれてしまっていたのなら、きっとルノーは一緒に堕ちる所まで堕ちていたはずだ。嬉々として。
相も変わらず、あの男は酷く危ういのだ。それは魔王であったのだから、当たり前と言われれば当たり前なのかもしれない。しかし、人間らしい部分も確かに持ち合わせているのだとフレデリクはよく知っていた。
「上手くやらねば……」
あの日から、ルノーはフレデリクの友だ。友ならば、味方をするものだろう。この件だけは、意地でも譲れない。譲らない。
失敗すれば、ルノーはいとも簡単にこの国を捨てる筈だ。何故ならシルヴィが共に逃げると宣言しているのだから。
こういう時に限ってシルヴィはルノーを全面的に甘やかす。困ったものだ。分かっていてやっているのか、はたまた天然なのか。実はと言うと、ルノーよりもシルヴィの方が難敵なのではと思えてくる。
あの男は王家だからとて膝を折るようなことはしないだろう。人間でいるために、そう見せているだけに過ぎないのだとフレデリクは考えていた。
ルノーが無条件にそれをするとすれば、相手はきっとシルヴィだけだ。彼女は願うだけでいい。それだけで、全てが手に入る。ルノーが全てを手に入れてくれる。
まぁ、シルヴィがそのような令嬢だったら、ルノーもそこまで苦労はしていないのだろうが。そして、あそこまで人間らしくはならなかったことだろう。
「やはり、前途多難だったな」
それくらいが丁度いい。これからもルノーはシルヴィに振り回されて、それでも愛を乞うて跪くのだ。彼女の全てを独占するために。
何故そこまでするのかと理解出来ないでいたが、今ならフレデリクにも少しは分かる。“愛”とは酷く厄介な代物なのだと。
相手を好きになれなくとも、婚約解消はしない予定であった。それなのに、だ。出来るものならしたいと、望んでいる自分の何と情けない話か。
「ロラ……」
問題が山積みだ。フレデリクが目指す素晴らしい王への道のりは、まだまだ長そうであった。