55.モブ令嬢とヒロイン倶楽部
そんなにショックだったのかな。しくしくと悲しんでいるジャスミーヌに、シルヴィはちょっと罪悪感を覚えた。
「まぁ、バレちゃったのなら仕方ないわよね! いざとなったら協力して貰いましょ~」
「まさかですね」
「いざとなったらよ~?」
ロラは開き直った方が得策だと判断したらしい。まぁ、協力してくれるのならそれは心強い話だ。ジャスミーヌはとても嫌そうではあるが。
「それにシルヴィ様がいてくれたら、魔王様も味方になってくれると思うの~」
ロラが胸の前で指を組む。心の底から羨ましいと思ったのだが、シルヴィはそれに表情を曇らせた。急に神妙な面持ちで視線を斜め下に向ける。
「あら~……」
「それなんですけどね……。どうなってるのか全然分からないんですよ。どういう展開?」
「シルヴィ様は、魔王ルートに入っちゃったのよ~」
「魔王ルート? え? モブ令嬢なのにですか??」
「しかも、がっつり攻略しちゃってる」
「攻略!? 既に!? いつの間にそんなことに……」
シルヴィは更に混乱したが、何とかせねばと考えを巡らせる。モブ令嬢が魔王ルートを攻略など、シルヴィの中では有り得ない事だったからだ。
「いや、でも自らが蒔いた種ですから。何とかこう……和解に持ち込みたい」
「え? 裁判で争ってる?」
「相手は公爵家の令息。アミファンス伯爵家の力で太刀打ちできるかどうか……。ギリギリですわね、シルヴィ様」
「やめて欲しい~。私、恋バナのつもりだったんだけど~!」
ロラが不服そうに顔をしかめる。シルヴィはロラが言った“恋バナ”という言葉に、目を瞬かせた。本気でルノーはシルヴィの事がそういう意味で好きなのだろうか、と。当たり前の疑問が顔を出す。
「今まで、そんなの言われたことないですもん……。ルノーくんだって、ただの幼馴染みだと思ってるものだと」
「あぁ~……。シルヴィ様、言葉にしてくれないと分からないタイプの人なのね~」
「態度は一目瞭然で分かりやすかったですわよ。気づいていないのは、シルヴィ様だけかと」
「冗談ですよね??」
「いいえ」
「本気ですわよ」
今度はシルヴィが「えぇ……?」と心底戸惑った声を出した。そのまま顎に手を当てて考え込む。幼馴染みとはそういうモノだと思っていたが、実は違っていたのだろうか。幼馴染みの普通が分からないので、もうお手上げだった。
「恋愛は難しいです……」
「それは、わたくしもです。何も出来なかったもの……」
ジャスミーヌが打って変わって、しゅん……と落ち込み出す。トリスタンの事を言っているのだろう。確かに、空回っていたのは否めない。
「大丈夫よ~。そうやって、失敗を積み重ねて人は大人になっていくの」
「大人……。わたくし、諦めませんわ! 大人になって絶対に振り向かせてみせますから!」
「メンタルが強いのは良いことよ~。でも、何でかジャスミーヌ様だから心配~」
「何故ですの!?」
シルヴィは逃げ惑うトリスタンを思い出して、全面的に同意して頷いた。
「トリスタン様が素敵なのは分かるけど~」
「素敵ですって?」
「急に同担拒否の感じ出してくるのやめてくれる? 話が進まないから~」
「普通に考えて現実世界で好きな人の同担は拒否ですわよ」
「そうだけど、前世からトリスタン様の同担拒否だったのが滲み出てる」
前世のジャスミーヌは、リアルに恋している勢だったらしい。なるほど。だから今世で、あの熱烈っぷり。
シルヴィはロラの言いたい事を何となく汲み取って、フォローしておくことにした。トリスタンもこれから色々と大変だろう。トリスタンにもジャスミーヌにも幸せになって欲しいところではある。
「ジャスミーヌ様がトリスタン様の事を大好きなのは伝わってきます。トリスタン様は押しに弱いからアプローチ方法も間違いではないかと思いますわ」
「そうでしょう!?」
「ですが、今のトリスタン様には健気で献身的な方が響くかもしれません」
「どういう事ですの?」
「トリスタン様は国王陛下から爵位を賜るために頑張るとおっしゃられてましたから。今までは魔力なしだからと、有耶無耶になっていた魔法の勉強もしなければでしょう? それに詳しくは分かりませんが、後継になるつもりがなかったのなら領地経営なども学んでこられていないかもしれません」
「それは……」
「王妃教育をされていたジャスミーヌ様なら、その大変さがお分かりですよね。トリスタン様は褒めて伸ばした方が絶対に良いですよ。病まないためにも」
「その通り過ぎる~! 大変すぎるとトリスタン様は病みそう」
ジャスミーヌが何とも言えない顔で黙る。分かるけど、分かりたくない。そんな葛藤が見えた。それに、シルヴィは困ったように眉尻を下げる。今度はロラが助け船を出した。
「恋は惚れた方が負けなのよ~?」
「負けてませんわ」
「負けてるの~。だって、ジャスミーヌ様は今のままのトリスタン様に惚れてるでしょ? だから、トリスタン様は別に何もしなくて良いのよ。でも、ジャスミーヌ様はトリスタン様に惚れて貰うために努力しないといけない」
「惚れてもらう」
「そうよ~! トリスタン様が求めているものを差し出さなきゃダメよ。愛を乞うなら跪くの。誠心誠意ね!」
「わたくしが跪くのですか?」
「私は跪いたわ。理想のヒロインを演じてね。まぁ、フレデリク様にはジャスミーヌ様と話してる素を見られてたらしくて……。お茶してる時に、ありのままの君も素敵だと思うぞ? って言われて色んな意味で心臓止まり掛けたわよ。気を付けてたのに~」
「惚気ですの?」
「やだ~……。本気でそんなつもりはなかった。まぁ、兎に角! 魔王様だって、シルヴィ様にだけは跪くわ」
「それはないです!」
「シルヴィ様、落ち着いて~」
思わぬところから爆弾が投下されて、シルヴィは両手で顔を隠す。つまりは、ルノーがシルヴィに惚れて欲しいと思っているとロラは言っているのだ。やめて欲しい。変に意識してしまうではないか。
「まぁ、ジャスミーヌ様は間違っても『仕事と私とどっちが大事なのよ!』とか言っちゃダメよ~。私は前世で彼氏にそれを言われて、仕事って返したらその場でフラれたから」
「わお……」
「やけ酒してたら広告でフレデリク様を見つけて~。今まではゲームなんて触れたこともなかったのに、次の日には買って秒で沼に落ちたわよ。その日から二次元が恋人」
ロラの目が据わっている。シルヴィとジャスミーヌは迫力に唾を呑んだ。大人の世界は色々あるらしい。
「シルヴィ様は?」
「え、わ、私ですか? 私は自己投影しないので、推しが沢山いる派です」
「それはルノー様には言わないでね? 私も墓まで持っていくから」
「……? 分かりました」
「でも、なるほどね~。だから、推しと恋したいってならなかったのか。逆ハーレムエンドも楽しめるタイプだったり~?」
「そうですね。基本何でも楽しいです」
「信じられませんわ。推しは一人でしてよ」
「そうですかね?」
「まぁ、二次元だから。現実のここではダメよ? 世界が滅亡する」
ロラが真剣な顔でそう言った。それに、シルヴィは眉根を寄せる。
「何か……。ロラ様、私とルノーくんをくっ付けようとしてませんか?」
「それはそうよ~。あのね? シルヴィ様。政略結婚ってどう思う?」
「政略結婚ですか? まぁ、これでも伯爵令嬢ではありますので、家のためなら已む無しかと」
「じゃあ、魔王様と結婚しましょう」
「……幼馴染みエンドは存在しませんか」
「しません。世界平和のためにはシルヴィ様との結婚エンドしかないです」
「急に重い……」
世界の命運をシルヴィに託されても困るどころの騒ぎではない。おかしい。どこで間違えたと言うのか。
大団円ハッピーエンドに辿り着けてはいる。シルヴィが魔王ルートに突入してしまったこと以外は万事問題はなかった。
「モブ令嬢にそんな事を言われても……」
「やだ~! ゲームはもう終わったのよ? そもそも最初からヒロインなんて、あってないようなものだったじゃない」
「そうでしたっけ?」
「クラリス様とか~」
それを言われると、確かにそうだったかもしれない。ヒロインを差し置いて、クラリスはアレクシルートのヒロインになっていた。
「私はフレデリクルートのヒロインってだけ。トリスタンルートのヒロインはジャスミーヌ様でしょ~? み~んなヒロインなのよ! そっちの方が楽しくていいわ~」
「それは、そうですけど」
「私達、ヒロイン……同好会? 同盟?」
「倶楽部なんていかがかしら」
「クラブ? 部活感ある~」
「違いますわよ。漢字で倶楽部」
この国に漢字は無いのだが、転生組の三人の脳内には、ちゃんと漢字で書かれた“倶楽部”が浮かんだ。それに、シルヴィとロラのテンションが上がる。
「急に貴族っぽいです!」
「やだ! アダルティ~!」
「貴女達仲良しですわね」
オタク心が擽られたのか、キャッキャッするシルヴィとロラにジャスミーヌが呆れたように溜息を吐いた。大人なのか、子どもなのか。
「シルヴィ様も魔王ルートのヒロインだから、仲間よね?」
「……私ヒロイン違います」
「頑な。諦めましょ~? 世界平和のためよ」
ルノーと結婚。いくら考えても想像が出来ないのだ。シルヴィはルノーをそんな風に見たことがないのだから。
シルヴィは再び両手で顔を覆って、追い詰められたように唸った。慎重に決めなくてはならない気がした。ロラの言った通り、ゲームはもう終わったのだ。この先にシナリオは存在しない。
「一度持ち帰り検討させていただいてもよろしいでしょうか?」
「承知致しました。よろしくご検討下さいませ。よい返事をおまちしております」
「よろしくお願い致します……」
「急にどうされたのよ」
うんうん唸るシルヴィを見ながら、ロラは苦笑する。取引先の人に言われたような感覚になって、思わずロラも染み付いた癖でそう返してしまったのだ。何年経っても社畜が抜けないとロラは内心で泣いたのだった。