51.モブ令嬢と聖光教
何だろうか。妙な空気になってしまって、シルヴィは困ったように眉尻を下げる。そこまで変な事を言った覚えはないのだが……。
ジャスミーヌが「そんなこと、」と何かを言い掛けて、止まる。何やらぶつぶつと言いながら考え込み始めた。
「まぁ、出来ない話ではないね」
そんなジャスミーヌは放置で、ルノーはさらっとシルヴィを肯定する。助け船を出してくれたとシルヴィは、ほっと安堵した。
「ソセリンブ公爵家はお取り潰しなどではないですから。まぁ、簡単なお話ではないのでしょうけど……」
「そうだね。余程の功績でも立てないと難しくはある。魔王でも討伐してみたらどう?」
「ご、ご冗談を」
楽しそうな笑みをルノーに向けられて、トリスタンは顔色を悪くする。果たして冗談なのだろうか。冗談じゃないかもしれないとシルヴィは苦笑する。
「でも、そうだな。君の父親は優秀だったらしいよ。その血を継いでいるなら、不可能ではないかもしれない」
「父上がですか?」
「商才があったそうだ。その優秀さを買われて、国王陛下から爵位を賜る予定だったとか」
魔物達の魔法で見たトリスタンの父親が仕立ての良さそうなスーツを着ていた理由は、それのようだ。暮らしには困っていなかったらしい。
「そんな情報をどこで手に入れたんだ、お前は……。俺も知らんぞ。魔物達か?」
「いえ、これは魔物からの情報ではありませんよ。公爵家の力、ですかね? 一人、優秀なのがいまして」
「あぁ、兄上がいつも傍に置いていらっしゃる……」
「うん。仕事が速くて気に入っている」
ガーランドが気に入らなさそうな顔をしている。やはりガーランドは、立派なブラコンに育ってしまったらしい。ガーランドの表情には、嫉妬が分かりやすく滲んでいた。
そこで、シルヴィは考える。ルノーがいつも傍に置いている人間とは誰のことだろうかと。思い付いたのは、フルーレスト公爵邸でよく見る男の使用人であった。
あの人って身の回りの事をやってくれる使用人じゃなかったのか。そんな仕事もこなしてくれるの? 優秀さが凄い。シルヴィは流石はルノーが傍に置いている使用人。レベルが違うと衝撃を受けた。
「とは言え、流石に詳細までは掴めなかったからね。どの爵位を賜る予定だったのかまでは分からないけれど」
「いえ、いえ、嬉しいです。父の話が聞けるだけで……。叔父上は俺の父の事を嫌っていて、何も話してくださらないので」
トリスタンが苦虫を噛み潰したような顔をする。それを見て、ルノーが愉快そうに目を細めた。
「じゃあ、尚更ソセリンブの姓を継ぎなよ。面白い顔をしてくれるかもしれない」
「へ?」
「何故そのような事をおっしゃられるのですか! それでは、嫌がらせのためみたいになるでしょう!?」
「この程度のことで大袈裟だな。まぁ、君が“叔父上”とやらを好いているのなら、無理にとは言わないけど、ねぇ?」
皮肉たっぷりの問い掛けに、トリスタンは目を瞬く。この人は、いったい何処まで知っているのだろうか、と。それとも先程のやり取りだけで、トリスタンの負の感情に気付いたとでも言うのか。
何もかもを見透かすかのような深い紺色の瞳は、どれだけの悪意を知っているのだろう。まるで、この世には悪意しか存在しないとでも言いたげだ。
「ははっ、良いですね。平民の血がどうのこうのと煩くて堪らなかったのです。鼻を明かしてやりますよ」
「そう。じゃあ精々、頑張ることだね」
「はい、勿論です」
「ふぅん? 期待はしておこう」
ルノーから期待されたという事実が嬉しかったのか、トリスタンが喜色を顔に滲ませた。
それにシルヴィは、ルノーはいつトリスタンの上司になったんだと半目になる。しかし直ぐに、舎弟の仲間入りしたってこと? と考え直した。
ついていきます! 番長!! と言っているトリスタンが浮かんで、シルヴィは何故か納得したのだった。それなら、何も言うまいと。
「でも~、聖光教の信者って沢山いるんでしょ~? 大丈夫なんですか?」
「問題ないよ。抹消すると約束したからね」
「えぇ~? 誰とですか?」
「光の乙女と」
「私してません」
「君じゃないよ」
ロラが怪訝そうに眉根を寄せる。光の乙女はロラであるのに、ロラではないとはどういう事なのだろうか。
シルヴィも不思議そうに首を傾げた。
「ロラ様じゃない光の乙女?」
「僕を封印したね」
「えぇ!? それって、初代光の乙女ってこと!? どこで会ったの??」
「聖なる国だよ」
「うわぁ……。凄いね。そんな事があるなんて」
ファンタジーじゃないか。シルヴィはとてつもなく感動したのだが、周りはそうではなかったらしい。何とも言えない顔で、こそこそと会話をする。
「俄には信じられん。信じられんが、ルノーが言うならあるかもしれないと思う俺は可笑しいのだろうか」
「いえ、俺もルノー卿が言うなら有り得ない話ではないと思いました……」
「兄上が会ったとおっしゃられるなら、会ったのではありませんか?」
「何だろう。シルヴィ嬢が完全に信じてるのを見てると、半信半疑なオレが間違ってるみたいな気持ちになってくるの怖い」
「僕も兄上を信じてますよ」
「じゃあ、もうオレも信じる」
瞳を輝かせているシルヴィを見て、場がルノーを信じるに傾いていく。そもそも、そんな嘘を吐いた所でルノーに利点などないだろう。無駄な事はしない男だ。
シルヴィがすんなりと受け入れた事によって、ルノーも大層機嫌が良さそうだ。態々この空気を悪くする必要もないと、フレデリクは色々な感情を飲み込んでおいた。
「そ、そんなイベント知りませんわ……!!」
「だって、無いもの~。初代光の乙女と出会うイベントなんて~。いいな~。魔王様だけ特別仕様なのかしら?」
「もうついていけませんわ……」
「あら~……」
ジャスミーヌがこめかみを押さえる。それを見て、ロラは困ったように眉尻を下げた。仕方がないと話を進めることにしたらしい。
「じゃあ、魔王様は既に聖光教を潰す算段は付けてるって事ですか?」
ロラの問いに、ルノーは微笑みだけを返した。それに、ロラは少し逃げたいような心地になる。じわじわとした恐怖がまとわりついてくるような。そんな微笑みだった。
「でも、少々面倒な相手がいる」
「面倒? 魔王様でもですか?」
「そうだな……。やりようは色々あるけど、手土産となるとね」
「どういう意味だ」
「殿下は、どうしてルヴァンス侯爵が勘違いをしたのだと思いますか?」
「なに?」
それは、トリスタンの両親の件を言っているのだろうか。国が関与しているのではないかと疑うことになった理由。
「彼の父親が爵位を賜ると決まった直後の襲撃だったからですよ」
「そうか……。なるほどな。しかし、陛下は関与していないのだろう?」
「えぇ、そうですよ」
フレデリクは呆れたように溜息を吐く。次いで、苦々しい表情を浮かべた。
「貴族の中に、信者がいるのか」
「どの貴族かは分かっているので、後の事は王家にお任せしますよ。あまり差し出がましいのも良くありませんから」
「一言余計だ。しかし、確かに面倒ではあるな」
「まぁ、大丈夫だと思いますよ。陛下にはいざという時の切り札がいるようですから」
フレデリクには心当たりがなかったらしい。怪訝そうに眉根を寄せて、ルノーを見遣る。しかしルノーは教える気がないようで、その視線には首を傾げることで答えた。
「お前……」
「気になるのでしたら、直接陛下にお聞きください。僕は色んな意味で敵には回したくないので」
「それ程なのか?」
「人間としての立ち回りは、僕よりも上手かもしれませんよ? 人がもっとも嫌がることをよく知っている。つまり、弱みを沢山握っている」
意味を理解して、フレデリクは顔色を悪くした。そんな切り札がいるなど、初耳だ。しかし、いてもおかしくはないと思った。貴族の中に騒がしい連中がいるのは、フレデリクも知っている。黙らせるのには、そういうことも必要だろう。
「敵に回したくないと言うことは、だ。ルノー、お前も何か弱みを握られていたりしてな?」
からかい混じりの笑みをフレデリクがルノーに向ける。ルノーは少しきょとんとしたが、直ぐに何処か困ったような表情を浮かべた。珍しいことだ。本気で弱みを握られでもしているのだろうか。
「僕の弱みなど一つしかないでしょう。ね? シルヴィ」
「え? そんなのあるの?」
「一つだけね」
「うーん……。そっかぁ」
シルヴィが誤魔化すように、へらっと笑う。どうやら心当たりがなかったらしい。
フレデリクは察しが付いて、深い溜息を吐いた。それは確かに弱みではあるが、何かしようものならそれこそ世界が滅亡する大惨事になるだろうが! と言いたいのを堪えた。
「まぁ、兎に角。聖光教は抹消するから言い訳にはならない。安心するといいよ」
ルノーがトリスタンにプレッシャーを掛けている。それを諸に受けて、トリスタンが錆び付いたブリキのようにゆっくりと頷いた。
「あぁ、でも……」
「何ですか!? まだ何かあるんですか!?」
「うん。これだけは言っておくね。君がソセリンブの正統な血筋であるかどうかは僕には証明出来ない。確証は得られなかったんだ」
「……え?」
「ルノーくん、自信満々だったのに?」
「自信はあるよ。ただ、物がないだけ。まぁ……。彼なら自分で証明できるかもしれない」
どういう意味だろうか。シルヴィはトリスタンを見て、首を傾げる。トリスタンも釣られるように首を傾げた。そして、何かを思い出したように「あっ!」と声を上げる。
「父からソセリンブの秘密を聞いたときに、証拠があるからと! ええーっと、何処だったかに隠してあるとか何とか……」
「思い出して下さいませ! トリスタン様!!」
「ひぇっ!? ちょ、ちょっと待っ、ガイラン公爵令嬢の勢いが凄すぎて思い出せない」
「え!?」
ジャスミーヌがショックを受けた顔で固まる。トリスタンはフォローしている場合ではないらしい。思案するように、眉間に皺を寄せた。
「へぇ、やはりあったか。魔物に頼むと良いよ。どんな秘密も暴いてくれる」
《えぇ!? 良いんですか~? お任せください~》
「え? あ、あぁ、なるほど」
「それか、僕が見てあげようか」
《記憶がぜーんぶ覗かれてしまいますよ~》
「魔物にお願い出来ますか」
「そう? 別に構わないよ」
「もしかして、魔物は魔物で言いふらしたり……」
《アタシは眺めるのが趣味ですから~。言いふらすのはまた違うんです~》
「そういうものか?」
《はい~》
「そもそも、彼らの言葉は人間には分からないよ」
トリスタンは一瞬きょとんとしたが、そういえばそうだったと頷く。この状況が異常なのだった、と。
「皇太子殿下! ご無事ですか!?」
「生徒の避難は完了しました!」
「ま、魔物が!!」
俄に場が騒がしくなる。警備の者達が駆け付けたようだ。魔物達を見て、剣を構える。それをフレデリクが制した。
「待て! 剣を納めろ!」
「しかし!」
「大丈夫だ。問題ない」
皇太子に逆らえる訳もなく、警備の者達は渋々と剣を下ろす。それを確認して、フレデリクは倒れている聖光教の男二人に視線を遣った。その視線を追って、警備の者達も男の存在に気付く。
「この者達を地下牢へ」
「はっ!」
男達は警備の者に引っ張られて、無理矢理に立たされる。それに、ルノーが待ったを掛けた。
「君達に良いことを教えてあげるのを忘れていたよ」
「異端者の戯れ言など聞かん!」
「まぁ、そう言わずに聞くだけ聞くといい。きっと、喜んで貰える筈さ」
うっそりと攻撃的に笑ったルノーを見て、シルヴィは碌なことではないなと確信した。